優しさ
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優しさ
おまえのいちばん好きな花はなんだね。
二十年ごとにひとりずつ選ばれる人柱はくじで決定する習わしで、その年の人柱は村長に好きな花を尋ねられ、この言葉によって自らが人柱であることを知る。このとき答えられた花を軸にして人柱の花台は組まれる。そのため花の盛りの時期によっていつ花台が組まれるかが決まる。このたびの人柱は夏に咲く、ありふれた作物の花を希望した。だから花台は夏に組まれることとなる。夏が来る。
前日の朝、馬車に乗って若い花台師が訪れた。この花台師はかけだしの、二十年ごとにこの村を訪れてきた歴々の花台師たちのうちのひとりで、人柱のために立派な花台をつくれるのが嬉しかった。花台師がこれまで町で扱ってきた花の花弁はどれも分厚くしっかりとしていたが、今年この村で扱う花は派手さに欠けるも清楚な花だった。人柱が希望したというそれは緑の粒のような花で、寄り集まってひらいたところは翡翠の霞のように見える。普段と違う花を扱う機会を得たことに花台師は満足していた。花台師はこの花台を完成させて、その金を元手に、ある高名な花台師のもとで骸布の勉強をする算段をつけていた。そうすれば骸布の紋様、色、織、花々との調和について、より自由に扱うことができるようになるだろう。
花台師が馬車から降りたとき、人柱の母親は家で布を干し、家族のその日の朝餉を煮炊きしていた。母親の手が、頼りない緑の花を咲かせる穀物をひとつかみ、水に沈めて火を入れた。
花台師が人柱に会いたいと希望すると、村長は平原に使いをやってひとりの子供を連れてこさせた。子供は鳥追い葦を肩から降ろし、村長と花台師に立礼し、村長に命じられて笛を吹いた。人柱の世話をしているこの子供は賢く健康で、しなやかな脚とすぐれた笛の才を持っており、年若い人柱をひそかに愛していて、明朝には行ってしまうその耳を自分の笛でなぐさめたかった。
子供の笛が終わり、花台師は拍手をした。子供は再度の礼をし、花台師に先だって砂利道を歩き、人柱の寝起きしている小屋へと案内すると、鳥追い葦を背に負い、平原へと戻っていった。
小屋の外には痩せた黒犬が、ぼうきれのように寝そべっていた。この犬は臆病な性格で、村の誰かが気まぐれに投げた骨や肉きれにも、その誰かがいなくなってからはじめて鼻をつけるのが常だった。注意ぶかくにおいを嗅いでからそれらを咥えていく犬の、ねぐらがいったいどこにあるのか、そんなことに関心をもつ者は村にはいなかった。気弱で、優しく、誰に吠えかかることもないこの犬を、村の人間は飼うこともしなければ追いやることもせず、子どもたちはこの犬をかまって遊ぼうとして、いつも逃げられるのに腹を立てて石を投げて大人たちに怒られたりして、それでも犬は吠えなかった。四年後にこの犬がもたらす流行り病によって村は地図から消えるのだが、今は誰もそれを知らなかった。
小屋は木板の簡素な造りだった。昼間の日差しから小屋の暗がりに眼が馴染むのを花台師は待った。やがて土床の上の筵に人影の座っているのが見えてきた。人影の視線が花台師に向けられた(と花台師は感じた)。花台はわたしがつくります、と花台師は人柱に言った。人柱は黙って頷いた。人柱が生きた人間と声を交わすことはない。そのように定められているからだ。
花台師はとっくりと人柱を眺めた。すべての花台師の仕事はこのようにしてはじまる。それが誰のための花台なのかを知らなくては、花台を組むことはできない。
十分な時間をとったあと、花台師が小屋から出ると笛吹きの子供が立っていた。また案内を言いつかったのだろうと花台師は考えた。子供が口をひらいた。
「あなたはいやではないのですか。これはまだ生きている人への弔いですよ」
花台師はいやではなかったので、いやではないと答えた。
子供は答えを聞いて唇を噛んだ。
花台師は子供にあなたには笛が吹けますねと言い置き、村長の使いに呼ばれて帰って行った。
「こんなもの、なんの役にもたたない。」
と子供は笛を握りしめて返事をした。それから小屋脇の黒犬に気がついた。
黒犬はいつものように寝そべっていて、交差させた前脚に顎をのせた姿勢から黒く濡れた瞳だけを動かして、子供が歩いてくるのを見上げた。
子供は犬に近づいていき、笛を握った手を振り上げると、それを振り下ろした。笛は黒犬を打ち据えた。黒犬は悲鳴を上げた。子供は眉ひとつ動かさなかった。
人柱の母親は道の向こうから小屋へと歩いてきてそれを見ていた。母親は川の水で物洗いをした帰りで、布の入ったかごを抱えていた。母親は笛吹きの子供が黒犬を殴るのを見て怯えた。そして子供が逃げる黒犬を押さえつけ、もう一度笛を振り上げるのを見て叫んだ。
「やめなさい、犬が死ぬ。」
子供は人柱の母親に答えた。
「犬が死んではいけないんですか。犬が死んだからってなにが変わるんですか。」
「なにも変わらない。でもやめなさい。それはあなたと笛の役割ではない。」
子供は犬を放した。放された黒犬の身体は傾いだ。
犬は脚をひきずり逃げていった。子供は道を歩いていった。
人柱の母親は笛吹きの子供の姿の消えるのを見送った。子供はいま夏の影のように背の伸びる時期で、背負う鳥追い葦もじきに似合わなくなるのだろうと人柱の母親は考えた。それからその場にしゃがみこみ、持っていたかごに取り縋り、わっと泣き出した。母親はひとしきり声を上げて泣いたあと、立ち上がり、前掛け布で目を拭い、手を拭い、小屋を眺め、濡れた布が重くするかごをふたたび抱えてこれも歩いていった。
花台師は花台の基礎を整える。裸の骨組みを前に考え込む。生きている人間のための花台。ふさわしい花台図はなんだろう。花台師はこの職に就いて日が浅いが、自分の仕事を好いている。自分はなんでもつくれるのだと花台師は思う。ひとたび花を手に取れば、自分は花台の上に城を築くこともできるし、海を呼ぶこともできるのだ。
花台の、出来の良し悪しは花の鮮度がすべてを決める。花の鮮度は花台師の腕が決める。だから花台の出来のほとんどは仕入れで決まったようなものである。花台師は花を花畑ごと買う。良い花台師ほど良い花畑を持っており、良い庭師を多く雇ってほうぼうの土地を整える。
そして良い花台師になるには骸布の紋様を学ぶことが欠かせなかった。花台師は良い花台師になりたいものだとつねづね考えていたので、そのための機会には貪欲だった。花台師は今回の仕事の経験と収入が自分にもたらすものを数えだす。花台師の頭の中には既に未来の師に迎え入れられる自身の姿が描かれており、これまでに数えきれないほど巡らせた反芻を今日も行った。花台師の憧れる師は北海の島におり、島には城よりも大きな石造りの工房が聳えているという。大工房のぐるりの無数の回廊の、無数の扉のうちのひとつに師は居を構え、その前に群がる弟子志望たちの輪の中にわたしはいる、志望者たちは師の個室の扉を開けて入る許しを待っている、だがこの日師は自ら扉をひらくだろう、わたしの花台図を読んだからだ、そしてわたしを見つけて言うだろう、君にならすべてを教えられる、君のような者が来るのを待っていた。
もちろん、わたしがそのような花台図を描くようになるまでには、さらなる精進が必要だろう。
花台師は夢想を終え、いま自分の頭の中で組みあがってゆく花台を図に御す作業に戻る。
花台師は若く、確信を持っている。自分は良い花台師になり、花台の上の人々のそれぞれの沈黙にふさわしい花台をつくるだろう。いまは、あの人柱の沈黙に見合う花台をつくらなくては。
笛吹きの子供は小屋の前に腰掛け、じっと笛を弄んでいた。旋律はいつもひとりでに降ってくる。だから子供は音を授けてくれるなにかに祈った。あのひとは明朝行ってしまうのだ、どうか美しい旋律を。それから唇を笛にあてがい、はじめのひと息を吹き込んだ。
小屋の中で寝台に横たわり、笛の合間に虫の鳴く声を聴きながら、あしたになったら、と人柱は考えた。あしたになったらわたしはここを去る。あしたは静かになるだろう。そうして眠りについたあと、わたしはわたしのあるべき姿になるだろう。その瞬間をわたしが知ることがないのは優しさだ。遠い昔、優しい誰かが考えた、もっとも優しい方法でわたしはここを去るのだ。
わたしが求めていたのは静寂だ。虫も笛も届かない、耳の痛いほどの静寂を待ちわびている。
わたしに好きな花はありません、と人柱は呟いた。呟いた自分の声を聴き、心から安堵した。それからもう一度それを繰り返した。わたしに好きな花はありません。
やがて笛の音が止む。虫の声も。
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