10.クリスさんと観劇します。

 それからというもの、スヴィとクリストフの関係は近くなった。しかし、それ以上の変化は無い。

 スヴィはクリストフの『決心』とやらを待たなければいけず、なにをどうすることもできない状態。心は宙ぶらりんのまま、この日も二人で過ごしていた。


 少し寒かったが天気が良かったのでカフェテラスでお茶をしていると、クリストフが言いにくそうに口を開いた。


「スヴィ、お願いがあるんだ」

「お願いですか?」


 珍しい、と目を開くも、なにをお願いしてくれるのだろうかとワクワクする。


「劇団エルモライって知ってるかな」

「えるも……? 私、劇団ってタントールの太陽組しか観たことなくって」

「そうか……エルモライは、世界的に有名な劇団だよ。演劇に携わっている人でエルモライを知らない人は、まずいない」

「へぇ……そのエルモなんとかが、どうかしたんですか?」

「今度、帝都で公演があるそうなんだよ」

「帝都で? それ、観たいんですか?」

「ああ、観たい……!!」


 テーブルの上の手が拳に変わり、その熱意が伝わってくる。


「じゃ、じゃあ、当日は私の家に泊まります……?」

「っえ?」


 ドキドキしながら提案すると、そこは考えていなかったようで、「えーっと」と頭を悩ませている。


「とりあえず、それは横に置いといて」

「わぁん、置いとかないでくださいーっ」

「いや、お願いっていうのは、どうにかチケットを取ってもらえないかってことなんだ」

「ああ、なんだ。いいですよ」


 帝都での公演なのだから、帝都でチケットが売り出されるのだろう。それを買うことくらい、なんでもない……とスヴィは思っていた。


「いや、そんな簡単に買えないと思う。エルモライは世界中にファンと追っかけがいるから、チケット入手の倍率はタントールうちの比じゃないよ」

「販売前日から並ぶ感じです?」

「有力貴族らが金に物を言わせて販売前に買ってしまうから、売られることすらないって話だ」

「えーー、そんなのどうやって手に入れるんですかー!」


 普通に買うならいくらでも買ってくるが、そうもいかないプレミアムすぎるチケットのようだ。


「帝都でチケットを手に入れられそうな知り合いはいない? お金はいくらでも払うから!」

「うーん……ちょっと思い浮かびませんけど、周りに聞いてみますね」

「ありがとう! よろしく頼むよ!」


 クリストフに必死な瞳でお願いされたスヴィは、帝都に戻るとキアリカに相談した。

 キアリカは夫である団長のエルドレッドに相談してくれ、エルドレッドのコネで劇団エルモライのチケットを二枚、手に入れてくれたのだった。



 そうしてやってきた、劇団エルモライの公演日。

 世界的劇団が帝都にやってきてから二週間、帝都はいつも以上に大賑わいだ。

 帝都の騎士はてんやわんやで走り回っているが、クリストフがやってくるこの日、スヴィは休みをもらっていた。もちろん、一緒に観劇するためだ。

 すごい人出のため、会えるかどうか心配だったが、スヴィは無事クリストフを見つけ出して合流した。


「楽しみですね!」

「ああ。本当にありがとう、スヴィ!」

「私はキアリカ隊長に相談しただけですから」


 昼の公演に間に合うように軽く昼食を済ませてから、帝都で一番の劇場ホールへと入る。

 席は後ろの端の方ではあったが、それでも「十分だ」とクリストフは嬉しそうだ。少年のようにわくわくしているのが見て取れて、かわいいなぁと思うと笑えてしまった。


 劇団エルモライの演劇は、素人目にも圧倒されるものだった。

 遠目で観ているというのに、目の前で演技されているかのような迫力と情熱。

 専属の脚本家が書かれる物語は、開始一分で引き込まれてしまった。

 壮大な構成、人々の機微、そして笑い、泣かせる内容。

 生演奏の音楽が素晴らしくて、それだけでも臨場感が全然違う。

 凝った舞台道具、細やかな衣装、そこで光り輝く役者たち。

 世界中にファンがいる、というのも納得の内容だった。


 劇の途中、ふとクリストフを見てみると、彼は一瞬たりとも目を離さず、真剣にその舞台を観ている。役者である彼が真剣になるのは当然だというのに、スヴィは得体の知れぬ不安に襲われた。


 なんでだろう……隣にいるのに、また遠く感じる……?


 劇が終わると、耳が割れんばかりのスタンディングオベーションで、ホール中が熱気に包まれる。

 さすがは、世界を股にかけて活動している劇団だ。ここにいる誰もを魅了してしまった。


 観劇を終えると、ほっと一息つきながらホールを出て帝都の街を歩く。


「すごかったですね。観られてよかったです。感激しました」

「そうだね。本当に素晴らしい劇団だった」

「あ、でも、私の一番はクリスさんですよ!」

「うん、ありがとう……」


 気のせいだろうか。クリストフは劇が終わってから、どこか元気がないように感じる。心ここに在らず、というべきか。


「クリスさん、今日はどうします? 明日は休みですよね。私の家に泊まっ……」

「スヴィ、ちょっとだけ待っていてくれないか」

「え?」

「すぐ戻る」

「ちょっ」


 クリストフはスヴィがなにかを言う前に、今来た道を戻ってどこかに行ってしまった。


「クリスさん……?」


 クリストフの姿はもう人混みに消えてしまっていて。

 一人残されたスヴィは、風に心を揺らされながら、その後ろ姿を探すようにざわつく街並みを見ていた。

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