其の六『血闇の誘い』①

 『"絶望"とはである』


 『自己の内なるこの病は、永遠に死ぬことであり、ことである』


 第三事件の遺体から発見された怪文章の内容は、哲学者「キルケゴール」の格言。

 キルケゴールの唱えた"絶望"とは、「真っ当な生」も、「死の救い」のどちらも自らの意思で選び取ることができない人間の状態だ。

 人間は絶望へ陥る時、自分自身を見失い、「精神的な死」を迎える。

 それすなわち「死にいたる病」である。

 "絶望"から救われる方法は唯一つ。

 快楽への耽溺と逃避でもなく、さりとて厳格な倫理規範と良心の呵責でもない。

 かつて人間が"神"と呼び敬った「主体的真理」――すなわち、"確固たる自己意志"を信じる生き方である、とキルケゴールは提唱した。

 哲学への価値と意義――真理へ思考を巡らせ、言葉で唱えていくだけでは、財布も腹も満たせない、と現代人は見切りをつけたように思える。

 しかし人は人である限り、生きて死ぬことへの葛藤も、その解決策としての"主体性の獲得"を潜在的に求める。

 人間の主体的意志を謳ったキルケゴール独自の哲学と真理は、も賛美していた。

 かつて、"真の絶望"を蛍にとっても、キルケゴールには高い共感シンパシーを覚える。


 『あいつは俺の大事なモノを――死んで当然の屑野郎だ――!』


 幼少期には実の親を失い、最近は施設で再会できた実妹を奪われた石井も、深い絶望の淵へ追い詰められていたのだろう。

 十一月二十二日、午後五時頃。

 光と浜本率いる協働捜査班は、エクリプス区の地下へ再び赴き、例の「隠し通路」への潜入を開始していた一方。


 「(犯人は何が"目的"で、フィルムを佐々木所長の眼窩へ埋め込んだのかしら……)」


 蛍は「待機命令」に従い、自宅マンションで独り過ごしていた。

 透明な硝子卓上ガラステーブルの上に照射した複数の立体的ホログラム画面ページ

 光が約束通り、蛍の警察端末ポータブルポリスへ定期的に送信してくれる捜査の資料と新情報を加味していく。

 蛍が独自に第一から第三に至る殺人事件の経緯を分析していく内に、幾つか不可解な点も水泡のように次々と浮上した。


 「(まさか慈愛ホームでの「子ども虐待」を知ってしまった佐々木所長への? いいえ、それだとわざわざ"証拠を残す"ことをした犯人の行動は矛盾する)」


 蛍が最初に疑問を感じた点は、佐々木被害者は所長として、施設内の"子ども虐待"をどこまで把握していたのか。

 佐々木所長の場合、児童救済相談所と併設された慈愛ホームの適正運営と職員への業務適切指導の監督責任も担っていた。

 仮に佐々木がフィルムに記録されていたあの手酷い"虐待行為"を知っていたとなれば、彼はどうしていたのか。

 児童福祉施設全般における人手不足は量と質で共に深刻な現状を考慮すれば、所長一人の責任として咎めるのは気が引ける。

 報告会議後に収集されたホームの保育職員全員へ事情聴取を行った結果。

 "何者か"が施設内の虐待を盗撮していた事実を彼らは今回初めて知った、と証言した。

 ルーナシティのあらゆる公共施設等に、ID情報および生体認証型のICT安全監視装置セキュリティシステムが設置されているのは、当然慈愛ホームも例に漏れない。

 また、子どもの安全対策と家出防止を目的とした防犯監視カメラと自動施錠オートロック式柵は、施設の正面玄関と裏出入り口に設置されている。

 別の言い方をすれば、そこで何が起こっているのかは、そこにいる内側の人間しか分からない"完全密室"構造だ。


 "慈愛ホームで子ども虐待へしていた石井は、のために佐々木を殺害したのではないか?"


 石井による隠蔽説の可能性も浮上していたが、フィルム動かぬ証拠によって真っ向から否定された。

 何故なら、フィルム内の動画には石井本人がホームの子どもを虐待していた姿は一切映っていなかった。

 いずれの保育職員が犯人と仮定した場合も、己の悪事の証拠は暗々裏に即処分するのが普通の心理ではないか。

 となれば、佐々木所長を辱殺じょくさつした挙句、怪文章と一緒に、ホームの子ども虐待の証拠のフィルムを警察に見つかる事を承知で遺体に残した真犯人の"目的"は一つ考えられる。

 第二事件の佐々木殺害容疑をかけられたと同時に、第三事件の被害者となった石井が殺害された今、最も疑わしいのは――。


 『心配するな。少し無茶をしてきたが、ほら……"約束"通り、帰ってきただろ?』


 冬雲を掴まんがごとく懸命に動いている現場の仲間へ想いを馳せる。

 今の時間帯なら、危険な猟奇殺人犯が潜伏しているエクリプス区地下で例の「隠し通路」を調査中に違いない。

 同時に、今まで光が任務の危地から無事帰還する度に、蛍を安心させようとしてくれた微笑みと手の温もりを思い出す。

 光との穏やかな日常が詰まった森緑色の家具を飾った室内。

 独りになってからは、空腹感の麻痺した胃を満たす温かなココアのほろ苦い甘味。

 そして、光が律儀に送ってくれる電子資料と励ましの伝言は、今の蛍の数少ない慰めだ。

 どれほど危ない目に遭っても、光はいつも必ず帰ってきてくれた。

 光は蛍との約束を破ったことは、今まで一度もない。

 きっとこれからも、そのつもりなのだろう。

 だからこそ、蛍は心の底から光を信じて祈らずにはいられない。

 今回の事件は今までにない暗澹たる"異常な"気配を醸しているからこそ。

 双眸をゆっくり閉じて逡巡している蛍が、瞼裏に眩く愛しい微笑みを鮮明に浮かべていた――刹那。 


 「――っ。(もしかして、浜本刑事官……? それにしても、早い連絡――」


 蛍の警察端末は硝子卓上で小さく振動していた。

 蛍は予想以上に早い指示連絡に首を傾げつつも、警察端末を操作した。

 しかし「応答」を選択しようとした蛍は、画面を凝視したまま指先を止めてしまった。

 催促するよう鳴り響く振動は音となって、蛍の鼓膜と心臓を揺さぶる。

 画面に表示された『Unknown非登録』の無機質な文字と知らない番号を視認した瞬間。

 蛍は指先から爪先まで凍りつくような感覚―― あの隠し通路で味わった同じ、凍てつくような緊張と灼かれるようは動機に侵蝕されていく。


 「……もしもし?」


 二度目の非登録者からの通信を受信した時点で、蛍の警察端末は既に何かしらの「不正侵入クラッキング」か電子ウィルスに侵されている可能性がある。

 それでも、危険を逆手に取るつもりで覚悟を決めた蛍の指は「応答」を押していた。

 手のひらサイズの端末を耳へ当てた蛍は、緊張を精一杯凍りつかせた声を渇いた唇から奏でた。


 『――……


 淡い期待を灯していた胸に何とも言い難い感情が燃え咲く。

 不謹慎だとは頭で理解していても、懐かしく焦がれた声に鼓膜も心臓も激しく揺さぶられずにはいられなかった。


 「――深月、義兄さん――っ」


 蛍の警察端末と繋がってきたのは、義兄・深月本人の声だった。

 エクリプス区の隠し通路で耳と記憶に刻まれたのとで同じ、心の奥にまで雪のようにシンッと澄み渡るような優しい声。

 前回同様、電波の不安定な場所から通信しているせいか、少々雑音ノイズ混じりではあるが、間違いなく義兄本人の声だ、と確信した。

 敵に気取られる危険と痕跡を残す真似を避けているのか、義兄の通信番号は前回とは異なる数字だ。

 本来は警察関係者と登録認可された端末番号と使用者ユーザーとしか通信不可であるはずの警察端末と通信を繋げられる義兄は、何かしら違法な技術を獲得しているのだろう。


 『やっと、もう一度君の端末と繋がって"安心"したよ、蛍。君がに見つかってしまった時は心臓が止まりそうだった。でも、警察が蛍を無事に保護してくれたようで、よかった』


 一方、蛍の無事に心から胸を撫で下ろしている深月の様子を聞けば、素朴な疑問も頭の隅に追いやられた。

 凶悪犯罪に巻き込まれた以上、深月は彼なりに己の命と大切な身内を守りながら、何とか囚われの状況を打破しようとしている。

 そのためには、法律も手段も選んでいる余裕はないはずだ。

 あの時から黒沢は当然、義兄・深月の安否をずっと案じていた蛍は、瞳に熱く込み上げるものを何とか抑えようと務めた。


 「……黒沢さんには、感謝しなければ』


 心からの感謝と共に零した"刑事官"という名称に、蛍は妙な胸騒ぎに胸底が冷え渡るのを感じた。


 「っ――まさか、義兄さん。黒沢刑事官を見かけたの……!? それに"あの男"って、あの隠し通路で私を襲った、猟奇殺人事件の犯人のこと?」


 深月が同時に示唆した「あの男」と「あの刑事官」に心当たりのある蛍は、彼らの正体を知っているのか問いかけた。

 深月の台詞から想定し得る可能性は――「あの男」に襲われた蛍の身の危険を察知した深月は、後から隠し通路へ入ってきた黒沢刑事官と遭遇したこと。

 黒沢は深月と協力して何とか蛍を救い出したが、自分は深月を逃がした後、もしくは彼共々「あの男殺人犯」に囚われたままでいる。

 謎の男に襲われたはずの蛍がほぼ無傷で生還できた理由。

 蛍の警察端末へ再び繋がることのできた深月が黒沢刑事官の存在を認識しているのも、全てが腑に落ちた。ただし。


 「教えて、深月義兄さん……黒沢刑事官は無事なの……っ?」


 蛍が今生きて"安全地帯帰る場所"にいられるのも、危険を承知で自分を救ってくれた義兄と黒沢のおかげ。

 しかし、義兄だけでなく黒沢までもが事件の殺人鬼に囚われているか、もしくは逃れるためにエクリプス区地下の隠し通路に閉じ込められ、彷徨っている。

 となれば、蛍の心は居ても立っても居られない。


 『……すまない、蛍。実は今も、時間がない。ただ、蛍の無事な様子を声だけでも確認したかった』


 一方、前回と変わらず深月は申し訳なさそうな口調で余裕のない台詞を零していた。

 蛍へ囁きかける声色だけはら自然なほどに清雅で優しいが、きっと余計な不安を与えないためだ。


 「今も……エクリプス区の地下にいるの? そうなら居所を教えて。たった今、私の仲間が来ているはずだから……私、数年前に、義兄さんが――『ごめんよ。


 しかし、祈るように紡いだ蛍の懇願は意味深な謝罪に遮られた。

 潜入へ赴いた刑事官達による救助を拒否しているとも捉えられる台詞、とその理由を理解できない蛍は「どうして?」、と悲しげに問う。


 『よく聞くんだよ、蛍。たとえ何があっても、君は"こちら"へ来てはいけない。絶対に、だ』


 待って――!

 喉から零れた呼び声は、深月の一方的な"通信終了"によって虚空へ消えた。

 最後に深月が強く念押しながら残した謎の警告が頭の中で木霊したまま。

 前回と同じく不安定な通信環境を介して伝わってきた、義兄の謎の台詞と穏やかな声に不相応な余裕のなさ。

 今も間違いなく、黒沢だけでなく、義兄もエクリプス区地下のどこかに存在している、と今回の連絡で確信へ近づいた。


 深月義兄さんは、と私を心から案じてくれた。


 しかし、今も二人の置かれているかもしれない最悪の状況、一刻を争う命の事態を想像すると、蛍の心臓はけたましい早鐘を打ちつける。

 恐怖の冷たい炎、怒りに近い激情の炎は、冷静な心を築いていた氷を瞬く間に溶かしていく。


 「――ごめんなさい」


 果たして、誰に向けての謝罪だったのか。

 自然と零した蛍自身すら不明瞭な心内のまま、彼女は卓上から勢いよく立ち上がった。

 我ながら大胆で愚かな"行動を起こす"準備に、蛍の呼吸も動悸も今までなく加速していく。


 決して駄目だ。

 こんなこと、してはいけない。

 今度こそ、離脱・待機・謹慎程度では済まない罰を受ける。


 妙に冴え渡っていく頭の隅で、理性が冷然と忠告してくるが、現実の蛍自身は無視して動き回った。

 数分も経たぬ間、衝動の赴くままに動いていた蛍の体には、刑事官の服装と無線聴器インカムの上から潜入用の私服を纏っていた。

 当然、大切な仲間と義兄を唯一繋いでくれる警察端末を握ったまま離さない手ごとふところへしまう。

 過去に置き去りにした祈り、現在に灯る願いを叶える"目的地"へ赴くために――。


 「っ――もしもし――!?」


 潜入用の長靴ブーツへ両足を突っ込んでいた最中。

 懐から振動を奏でた警察端末を慌てて取り出した蛍は素早く応答した。

 絶妙な時期タイミングで繋がってきた通信に、安堵と緊張が同時に蛍の心を駆けた。

 蛍が応答すると自動的に虚空へ照射された立体的ホログラム通信画面。を宙に投映させた。

 画面を視界に捉えた瞬間、薄氷の瞳へ動揺の亀裂が走った。


 『……たる……蛍か……? 俺だ……! ……だ……! やっと繋がったぜ……!』


 画面に表示された馴染み深い使用者名とID番号、それらを照明する懐かしい声に、蛍は安堵と確信に震えた。


 「っ――黒沢、刑事官?」

 『そうだ! 俺だよ! 蛍! だが時間はねぇ……蛍! 俺を…………! お前の兄貴は俺が助けるから……!」


 深月に続いた蛍へ連絡してきた相手は、行方不明中の黒沢刑事官だった。

 無線聴器越しに響く飄々とした声色は、確かに黒沢のものだ。

 しかし、普段の軽薄さは欠片もなく、鬼気迫る口調で助けを求める黒沢に、蛍は驚きと困惑を覚えた。


 『俺は今、エクリプス区の地下で例の「隠れ通路」……そのさらに奥に存在する"秘密の空間"で「あの男」に捕まってしまった。』


 黒沢の口から深月の存在、と両者の遭遇と救出が示唆された今、義兄の言葉は事実としてほぼ裏付けられた。


 『だが、あの男の留守にしている今が逃げ出す好機チャンスだ。そのためには、お前の協力も必要なんだ……! 具体的な居場所は地図と写真の情報を今すぐそっちへ送ってやる!』


 ただ、突如舞い込んだ黒沢からの通信、彼の生存と無事の知らせに蛍は胸を撫で下ろした反面。

 普段の黒沢らしからぬひどく焦った声、助けを懇う弱気にも聞こえる台詞に、言いようのない"違和感"に襲われた。

 黒沢の現状と安否を確かめたい蛍たが、こちらへ一心不乱に喋りかけつくるため中々口を挟めない。

 一秒経つごとに、心臓から脳髄は異様な寒気と違和感へ凍てついていくばかり。

 黒沢の生存と無事を確認できた今、本来蛍の為すべきことは唯一つであり、彼自身も理解しているず。

 今すぐ浜本刑事官へ連絡を取るために、黒沢との通信を繋げて現状を報告すること。

 しかし、救助を求める黒沢の声に蛍は一向に応じなかった。

 否、今この警察端末で通信中の黒沢に


 『なぁ、蛍! 聞いているのか? 今すぐ俺を助けに……「あなたは、なの?」


 代わりに蛍は通信越しの黒沢との核心を突いた。

 氷柱のように冷たい声で投げかけられた問いかけに、相手は一瞬困惑に息を呑んでから強く反論してきた。


 『はあ!? 何寝ぼけてんだよ、蛍。俺は黒沢に決まって……「誤魔化せないわ。


 蛍の口から告げられた明確な否定。

 黒沢の"偽物"が歯軋りしたのを聞き逃さなかった。


 『何言ってるんだよ、蛍!? 俺の声を忘れたのか? お前と通信している端末も俺のもので間違いないはずだ!』

 「確かにそうね。あなたの声は彼の警察端末にも登録された黒沢刑事官本人のとも一致する」


 意味不明だ、とばかりに狼狽する黒沢へ蛍は確固たる事実を伝える。

 しかし、それでも蛍は今の黒沢から拭えない猛烈な"違和感"の正体を答えた。


 『だったら……「黒沢刑事官を鹿――こんな時、彼の方ならきっとこう言うでしょう……『。こんなの、俺の力で乗り切ってやる。お前は"今やるべきこと"に専念しろ――』」


 一人で全てやり遂げようと背負いこむな――俺と光を信じて、――。

 以前、窮地に陥った黒沢が彼を案じて駆けつけた光や蛍へ言い放った"強がり"。


 「本物の黒沢刑事官は、そんな情けない声で助けを求めるほど弱くないわ」


 たとえ、自分が命の危機に晒されていても、尚更仲間を引き留めたことはなかった。

 むしろ、任務をやり遂げるように、と仲間の背中を押してくれた。

 単なる猪突猛進な自信家としての強がりや矜持プライドだけに因るものではない。

 自分は無茶をする癖に、相手には「自分の身と民間人を守れ」、「困ったら頼れ」、と突き放す。

 普段は粗暴で奔放的だが、根っこは面倒見が良くて、光とはまた異なる"お人好し"が黒沢という人間なのだ。

 だから、今の通信越しにいる黒沢は蛍達の知っている彼ではない。

 親友で付き合いも最長の光には劣るが、蛍も自分なりに黒沢の人柄を理解しているつもりだ。

 氷柱を喉笛へ突きつけたような蛍の威圧的な声と指摘は図星か否か。

 黒沢をかたる"偽物"は息を呑んで沈黙していた。


 「一体、どういう手品で、私を欺こうとしたのか知らないけれど、白状しなさい」


 ただ、偽者は如何にして黒沢専用の警察端末をあたかも本人のごとく使用し、本人とまったく同じ声帯で認証されているのか。

 唯一その謎は残っているが、後で調査すれば分かる些末な事であるため、蛍は相手へ畳みかけた。


 「あなたの"正体"を。本物の黒沢刑事官は、どこにいるの?」

 『……く、くくく……! 』


 冷然と問い詰めた蛍に向かって、黒沢の音声が不気味な高笑いを零した直後。

 『弓弦・黒沢』の声帯情報を表示していたはずの警察端末の画面は、耳障りな雑音ノイズを発しながら虹の砂嵐で歪んだ。


 『ははははは! 、とよく見破ったなぁ?』


 数秒後、雑音と砂嵐の止んだ画面には、の声帯情報が表示されていた。

 本物の黒沢が奏でる温かで飄々としたハスキーボイスとは比べ物にならない。

 獰猛な肉食獣を彷彿させる残忍に湿った声は、蛍の耳朶へ不気味に響いた。

 この声、間違いない。

 身の毛もよだつほどに湧き上がる、危険で血なまぐさい気配も。


 「――その声は、あなたはまさか地下の……」

 『ほう? 声だけで俺が誰なのか分かったか? さすが、敏腕女刑事官様だ。登録された声帯情報とID情報さえ一致していれば、普通の人間はまず疑わない。だが、その当たり前を疑ってかかる洞察力は! やはり貴様はそこらの凡人どもとは違うようだな?』


 記憶と一致するあの不穏な声に、蛍は嫌悪感に近い戦慄と共に確信した。

 饒舌に相手を皮肉っている相手こそ、あの隠し通路で蛍を襲い――恐らく、今回の猟奇殺人事件に関与している殺人鬼真犯人だ、と。

 通信越しの声のみで顔は視認できないが、"本物"の猟奇殺人鬼が目前に迫っているような威圧感に背筋が冷えた。

 それでも蛍は冷凛な声色を崩さないまま、相手の一方的な会話へ応じる。


 「それはどうも。ええ、忘れるはずもないわ、その声。あの夜、エクリプス区地下の隠し通路で私を襲ったのは、あなたね?」

『その通りだぜぇ? この俺……「」様がよおォ!』


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