『血闇の誘い』②

 レギン――猛り狂う凶獣さながら喚いたその名を、蛍は聞き逃さなかった。

 日昇国人らしくない響きと姓名のないことから、偽名なのは明白だ。

 義兄には及ばないが、神話と文学、哲学を嗜んだことのある蛍には「レギン」という名に心当たりはあった。

 しかし、今ここでわざわざ触れるまでの事ではない。


 『それにしてもよぉ。貴様のように骨のある女鹿めじかにまた会えると思うと、血がたぎるぜ』


 一方、レギンが興奮のあまり嗜虐に笑みを浮かべ、舌なめずりしたのは聴器越しにも生々しく伝わる。

 レギンの血に飢えた吐息と獣じみた台詞に、蛍は内心嫌悪感を抱きながら思考を巡らせる。


 「お生憎様。今の私は上司から賜った休暇バカンスをお楽しみ中。だから、あなたの願いには付き合えないわ」

 『つれないこと言うなよ。さすが噂通り、氷のように冷たい女だぜ』

 「単刀直入に訊くわ。小笠原大臣、佐々木所長、石井被疑者。この三人を殺害したのはあなたなの? だとしたら、目的は一体何?」

 『おっと。早速インタビューしてくれんのは光栄だが、まず、お前には"やってもらう事"がある。これから送る地図情報の示す場所に、。必ず一人で、な』


 レギンが突き出した予期せぬ要求に、蛍は内心面食らうと共に真意を問い詰めるようとした。

 しかし蛍の困惑と台詞を先読みしてか、彼女が口を開くよりも先にレギンが牽制の声を告げた。


 『もし、警察や仲間へ言いつけた時は、お前の仲間――黒沢刑事官の命はないぜ? それと、俺から逃げてチョロつき回っている"あの男"もな』


 レギンが最後に軽く触れた「逃げたあの男」が誰を示唆しているのか、期待と共に想像できた。

 しかし、ここでこれ以上レギン相手へこちらの"弱み"と動揺を気取られれるわけにはいかない。

 蛍は務めて冷静沈黙な声で、さらなる情報を引き出せまいか、と会話を続行した。


 「……黒沢を攫ったのも、あなたなのね。彼は無事なの? 今すぐ声を確認させて」

 『黙れ――。今、主導権を握っているのは、俺だってことを忘れるな。あんたが俺に従うか逆らうかは、あんたの自由だ。その場合は……黒沢のと仲良くご対面だぜ? 賢いエリート様のあんたなら"最善の選択"は何なのか分かるだろ?』


 単に蛍を揺さぶる脅しでもハッタリでもない。

 通信越しにもひしひしと伝わるレギンの危険な猟奇性と殺意から感じ取れた。

 レギンと名乗る男の言う通り、蛍が逆らえば、黒沢の首を容赦なく吹き飛ばすだろう。

 恐らく今頃、逃げ回っている義兄も、やがて見つかって捕まったら命の保証はない。

 第一から第三事件と同様、二人の骸を完膚無きにまで蹂躙した上で。 


 「……分かったわ。今から私一人で、あなたの指定場所に向かえばいいのね? なら、さっさと地図の情報を送信して」

 『へっへっへ、さすがは櫻井刑事官。ご賢明な判断、話が早くて助かるぜ。ああ、言っておくが、お前の行動は全てだぜ? 貴様の警察端末とあいつから奪った端末を繋げた時点でな? 』


 結局蛍はレギンの残虐性を鑑み、本気の脅しへ従う選択をした。

 今の蛍の行動範囲も警察端末での動きを監視されている中、連絡も通報も迂闊に行使できない。


 『じゃあ、地下で"宴"の準備をするから、愉しみに待っているぜ? がはははははっ!』


 人質に囚われた黒沢本人の声も安否も確認させてもらえない中、レギンは下卑た高笑いを吐きながら通信を一方的に切った。

 途端、薄氷さながら張り詰めていた瞳は緊張が解けたように揺らいだ。

 下劣極まりないレギンの嘲笑も脅迫も、耳奥へ詰まった汚泥のようにこびりついて離れない。

 猛烈な不快感に頭痛と目眩に襲われる体に鞭打って、蛍はようやく玄関扉へ手をかけた。


 *


 午後五時半頃。

 浜本長と光率いる「二班」は、エクリプス区地下"隠し通路"の潜入捜査を開始した。

 蛍の証言に従い、石井を見失った場所の壁を調べると例の隠し通路へ繋がる小さな戸を発見できた。

 浜本を先頭に狭い通路を一人ずつ慎重へ潜っていく。

 あの蛍が襲われ、黒沢が行方をくらました現場は"深淵"を彷彿とさせる常闇の道。


 「やっぱり繋がりません……ずっと暗いままだ。どうすれば」


 腐敗水の臭う常闇の窮屈な狭間。

 「圏外」という電波も祈りも届かな、と告げる無機質な文字を確認する度に募りゆく不安と恐怖。

 いざという連絡手段の遮断された未知の危険地帯に、後輩の望月や香坂も戦慄しているようだ。


 「心配するな。我々にとって初めての試みとなるが……このために今回は「分析部」から拝借した『フレイム・ネット』を使ってみよう」


 フレイム・ネット炎の網とは、通信網ネットワークや電波の接続なしで、「半径五~十メートル以内」に位置する端末器同士の通信を可能にする音声連絡アプリの一種だ。

 指定距離内から離れると使用できない弱点を補うため、今回は出入口から約八メートル範囲内で、他の刑事官三名に立たせている。

 彼らにはフレイム・ネットの中継役、後に合流する他の班の案内役目を担う。

 ただ問題は、二班の内の"誰に"待機してもらうか。

 危険な殺人鬼の巣窟へ踏み入れるならば、最も現場慣れした刑事官が適任だ。

 一方、通信すら不安定の未知な危険地帯で"万が一"の事態へ陥った場合も、班全体の統率は一気に難しくなる。

 打ち合わせの結果、班長の浜本は待機位置からの"司令塔"、三名のベテラン刑事官の内、光が現場の指揮役を担う事が決まった。


 「藤堂刑事官――皆を頼んだぞ。くれぐれも無茶はするな」


 浜本は口には出さなかったが、唯一の懸念は光の胸に燻る"焦燥"だった。

 光としては、行方不明中の黒沢を一刻も早く救いに駆け出したい。

 さらに、実質は自宅謹慎を命じられた蛍のもとへなるべく早く傍へ帰ってあげたい。

 熱血漢字で仲間想いな光らしいが、今までもそこが"弱点"なって足下をすくわれた場面は何度かあった。

 しかし、浜本があえて光へ現場指揮を任せたのには明確な意図があった。

 光の場合、自分だけならともかく、他の仲間の命も守らなければならない立場にあれば、責任感の強い彼は否が応でも冷静に任務を遂行しようとする。

 特に今回は班内で最も経歴キャリアも浅く心配性な後輩・望月を以前から案じてもいた。

 幸い、望月女刑事官よりも一年先輩で彼女とも親密な香坂刑事官に、ベテラン刑事官二名も応援で加わった。

 慎重な「須和すわ刑事官」と寡黙な「秋元あきもと刑事官」も、光にとって"円滑油"役割を果たすと期待できる。


 「了解しました。行って参ります、浜本刑事官もお気をつけて」


 先頭の光と須和、秋元に後方の望月と香坂の計五人は、浜本に見送られてながら通路の奥深い闇へ突き進んでいく。


 「驚きましたよ。エクリプス区に地下街だけでなく、さらにこんな洞窟みたいな場所まで併設されていたなんて」


 驚きを隠せない望月のぼやきに、光を含む仲間達も同感を示した。

 蛍も黒沢も"こんな場所"へ、しかもたった一人で入って行ったとは。

 湿った汚臭に充満した濃闇に、しかめっ面を崩せない光達は、蛍と黒沢に感心せざるをえなかった。

 警察端末の白光灯を頼りに、慣れない常闇の狭い通路を潜り抜けていくこと数分後。

 通路の左突き辺りで橙色オレンジの炎が揺れる影を見据えた。

 人工灯にはない生き生きとした炎の気配は、つい最近からたった今もが出入りしている事を示唆していた。

 血眼になって捜索中の殺人鬼か、それとも行方不明の黒沢刑事官か。

 橙色の光源へ辿り着いた先に待ち受けるモノを想像した光達は、細心の注意を研ぎ澄ませながら前へ進んだ。


 「――ここは」

 「まるで"鍾乳洞"みたいだな。ただ、掘られた岩壁の足場と松明たいまつといい……まるで誰かがに見える」


 常闇の通路を抜けた直ぐ目の前には、赤褐色の土岩で成された不思議な洞窟が広がっていた。

 小さな炎を躍らせる松明が等間隔に岩壁へかけられている。

 しかも、普段からここを出入りする誰かのために建設されたような足場や階段も、壁沿いに連なっていた。

 地下のさらに深淵にあるとは思えない洞窟の高度な造り。

 驚きと関心を漏らす望月を他所に、先頭の光は洞窟の全体構造から、犯人の足取りと手がかりの有無を冷静に分析する。


 「須和刑事官も気付いておりますか」

 「「どういう、ことですか?」」

 「望月、香坂。お前達も"何か"感じないか? この、鼻に突き刺さるような――」

 「! これって、まさか……」


 後方で共に首を傾げていた望月と香坂は、先頭の光と須和の声かけ、秋元の視線から"違和感"の正体に今頃気付いた。

 遠くからこちらへ微かに漂う微かな異臭――下水道らしい腐臭とは明らかに異なる不吉な"鉄の臭い"。

 困惑する二人を他所に、先頭の光達は岩壁沿いに建設された赤錆色の階段へ足を伸ばした。

 降りていくごとに段々と強まる臭気の名前を出すことすら憚られた後輩二人は、迷いなく前進する先輩達へ慌てて続いた。

 やがて階段で洞窟の下側を潜り抜けたさらなる先には――。


 一体何なんだ、この場所は。


 深い赤褐色の暗室を彷彿させる"広場"が存在していた。

 空間は幅が半径数メートル、高長十五メートル程はある半円ドーム状を形成している。

 吐き気を催す不吉な異臭の源は、広場の下に在った。

 底辺に広がる浅瀬からコポコポと奏でられる不気味な地下水の音。

 瞳を突くように眩い濃紅色の照明といい。

 まるで、"異臭の正体名前"を凝縮したなまぐさい空間だ、と誰もが戦慄していた。

 形容し難い緊張感が目眩と共に胸へ染み渡るのを感じる中、光達ベテラン刑事官は務めて冷静に周囲を観察していく。


 「おい。向こう側に"別の通り道"があるようだ」


 赤い浅瀬の中心辺りから右上の壁沿いに伸びているのは、赤褐色の合金斜路アルミスロープ

 不自然に設けられた数メートル程の斜路の先に"洞穴"を見つけた。

 尋常ならぬ鉄臭さに満ちた空間の次は、岩壁にある未知の洞穴。

 次から次へと謎の通路や空間が広がるばかりで、到着地点へ一向に辿り着かない焦燥と困惑に駆られる。

 不自然に設けられた洞穴を目指すことを決断した光は須和と秋元は、不安気に佇む後輩二人へ目配せをした。

 赤褐色の浅瀬へ一歩を踏み出した光の爪先から足首が赤褐色の汚水へ漬かった。

 防水・防腐性の長靴を履いてきて正解だ。

 光に続いた須和達と香坂達も、バシャバシャと浅瀬を踏み抜けていき、斜路とそこを登った先の道を目指した。


 「……! 望月と香坂、


 しかし、光達が斜路の床を無事に踏み登ることは叶わなかった。

 先頭を歩いていた光と須和が慌てた口調で背後へ叫んだ一瞬の出来事だった。


 「え、きゃああああぁ!?」

 「望月刑事官! こっちへ!」


 虹帯さながら長い斜路の下影に隠れていた不穏な気配。

 "ソイツ"は、獲物を瞳に焼きつけた猛虎さながら颯爽と光達へ襲いかかった。

 光と須和は急接近した敵に対して、とっさに姿勢を低く構えて回避した。

 同時に攻撃を掠めた相手の無防備な懐へ、光は渾身の一撃を穿うがった。

 光のキツい拳を腹へ直撃されたソイツから獣のようなうめき声が漏れた。

 殺意と恨みの眼光で光達を射抜く敵は、二メートルの距離まで薙ぎ飛ばされた。

 赤褐色の水飛沫が広場にほとばしった。

 光と須和のかけ声、秋元の手かざしに気付いた香坂は、とっさに望月の手を引いて後退したらしい。

 幸い、既に斜路の頂上まで避難していた後輩二人は無傷だった。

 突然の敵襲に一瞬だけ捉えた巨体の影に顔面蒼白な二人だが、光の反射神経と腕力に驚嘆してもいた。

 一方、光達は後輩達の無事に胸を撫で下ろしつつも、斜路を背に浅瀬から決して目を逸らさない。

 光達の手には既に拳銃が構えてある。

 浅瀬の底からゴボゴボと濁り響く不穏な泡音の正体を知る光達は固唾を呑む。


 「っ――ごほっ、げははははぁ! この俺様へ一撃を喰らわすとは、やるじゃねぇか! おい! そこの。見かけによらず、随分鍛えている刑事官だな?」


 赤褐色の浅瀬――まさに地獄の血池から這い上がった悪鬼そのもの。

 ほぼ二メートルの高さに、光や黒沢の二、三倍近くを構成する筋肉隆々な巨体の持ち主。

 しかし光達を圧倒するのは、単に日昇国男性の平均を遥かに超える体格差だけではない。

 一方、奇襲を真っ先に回避し、常人が食らえば気絶か悶絶する強い一撃を与えた刑事官は光だと直ぐに気付いた様子。

 光も平然と立ち上がったソイツの姿に内心驚きながらも淡々と応じた。


 「それはどうも。お前が何者なのかは知らないが、ここで終わりだ。手を上げて観念しろ」

 「ほう、この俺様を前に震えあがらないとは度胸もあるな。勇敢な刑事官様に免じて答えてやる。耳の穴かっぽじってよく聞け!」


 ソイツの醸す獰猛な"血と暴力"の気配。

 赤い闇底から爛々と輝く瞳が、獲物自分達を虎視眈々と映す様に、ベテラン組すら戦慄に目を見開いた。


 「俺様の名はなぁ、だ!」


 レギン、と名乗った屈強な大柄の男は猛り狂ったように高笑いする。

 獰猛な血の臭いと人間の残虐性が混濁した威圧感は、相手が危険な殺人鬼であることをひしひしと伝えた。

 背筋の悪寒と零れ伝う冷や汗、燃えるような動悸に、拳銃を握る手へ思わず力が込もる。


 「レギン……連続猟奇殺人事件の容疑及び公務執行妨害に基づき、お前を連行する」

 「はっ! この俺を目前にしても勇敢だな。さすがベテラン刑事官様だ。そこスロープにいる女鹿一匹は、ぷるぷる震えているがな?」


 「女鹿」という単語は誰を示すのか、瞬時に察した望月の顔はさらに蒼白に染まる。

 自分達を挑発しまくるレギンの揶揄。

 光と須和は内心舌打ちを覚えながらも、秋元の冷静な視線に合わせて銃と言葉で牽制を保つ。


 「にしても、ここと俺の存在をよく嗅ぎつけたな? 褒めてやるぜ。だが……」


 一方、下卑た笑い声を愉しげに響かせるレギンは、意味深な台詞をブツブツと呟き始めた。


 「妙だなあ? 俺の下へ来るはずなのは、おめぇらじゃねぇ……あの"小賢しい女鹿"のはずだが。あの女鹿、やっぱり! どうやって俺の目を盗んだのか知らないが、もう"俺の好きにして"構わねぇってことか」

 「一体、何の話をしている……?」

 「おいおい、とぼけても無駄だぜぇ? お前らが俺の前にいるってことは、"あの女刑事官"から話は聞いてんだろ?」


 レギンが心底不思議そうに首を傾げた直後に憤慨しながら何気なく明かした台詞。

 恐る恐る問い詰めた光の態度に、レギンも引っかかるものを感じたらしいが、それも束の間。

 レギンが口に零した「女刑事官」が誰を示唆しているのか、この中では光が最も明白に理解できた。

 光達とレギンの双方に若干の認識の"ズレ"があると薄々感じたが、光の一番の気かがりは別にある。


 「一度はあの女刑事官がここへ来るように、さっき俺がおびき寄せた。そして、に捕らえている"あのやかましい男刑事官"共々、たっぷりつもりだってなあ?」

 「でたらめを言うな、レギン。そもそも櫻井刑事官は今、ここにはいない」

 「だから俺は"自宅待機中"のあの女鹿に連絡し、脅してやったのさ。"こいつ"を使ってな!」


 獰猛な笑みを浮かべるレギンの台詞が脳内に木霊する。

 「人質」という単語が示唆したもう一人の存在。

 赤錆色に澄んだ水滴まみれの手に握られた、自分達のモノとまったく同じ携帯端末機を捉えた瞬間。

 決して信じたくはなかった可能性は確信へ変わり、散らばった事実の断片は一つの"最悪な事態"を裏付けた。

 瞬間、光は全身の血潮が沸騰していく感覚に襲われた。


 「待て。仮にお前の言葉は事実だとしても、俺達警察の専用端末は生体情報を登録した持ち主にしか使えないはずだ。通信も端末が登録認可した端末番号と声帯情報の相手としか連絡不可能だ」

 「……つまり、お前は使えないはずの警察端末をどうやって操作したか、説明してもらいたい」


 無言で俯いた光を他所に、冷静な須磨は理路整然と指摘をし、沈黙に徹していた秋元も静かに問い詰めた。

 レギンの言葉をそのまま事実として受け取れば、人質の黒沢から奪った警察端末で蛍と通信した。

 そして、レギンに脅された蛍が今からこの場所へ現れる可能性は高い。

 ただ須磨の説明通り、レギンには警察端末を好き勝手使う権限は当然ない。

 レギンの"妄言"はこちらを撹乱かくらんさせるためのハッタリという認識で須磨と秋元は聞いていた。しかし。


 「はははっ! 今の俺にはなあ……"現代科学の闇"から生まれたの力を、ちぃっと与えられているんだよ」

 「貴様っ。ふざけたことばかり……!!」

 『藤堂刑事官! 落ち着くんだ!』


 ふざけて笑って見せるレギンの台詞は、どの内容もこちらを翻弄して愉しんでいるように聞こえる。

 一方、須磨の指摘に狼狽する様子もなく、獰猛な眼差しと声には"真実"も孕んでいるようでおぞましく感じさせる。

 レギンの意図を感じ取ってか否か、皮肉な言葉ではぐらかされた光は熱くなって激昂する。

 須磨と通信越しの浜本に引き止められるよりも既に、光は銃口をレギンへ向けていた。

 レギンを射抜く鋭い瞳に灯っていた動揺は、もはや抗えない"怒り"となって彼を突き動かす。

 レギンの奇襲はともかく、真偽の不確かな情報はさすがに予想外で、須磨も秋元も内心頭を抱えた。


 『(まったく一体何がどうなっているんだ……!?)』


 フレイム・ネット通信の中継役兼司令塔を担う浜本も、内心困惑しながらも現状と事態を俯瞰的に分析しようとする。

 レギンに"黒沢の命"を盾に脅されたとなれば、蛍は危険を顧みずに一人でこちらへ駆けつけるだろう。

 今まさに蛍にまで危険が及ぼうとしている、と耳にした時点で光は冷静な判断行動力を失いつつある。

 今すぐにでも蛍の無事を通信で確かめ、彼女のもとへ駆けつけたい衝動を必死に抑えているだろう。

 しかし、浜本にすら光の心を鎮めるための言葉も術もない。

 レギンの嘘めいた話がであることは――先程から蛍の警察端末へ何度通信を試みても、まったく繋がらない現状が裏付けていと知れば、光は確実に暴走する。

 浜本は歯痒い思いで通信越しに光達の戦況を見守り、増援を導く瞬間を待つしかなかった。


 「ちぃっと予定外だが、構わねぇ。最初にお前らを存分に痛ぶってやるぜ! もうすぐここへ来るあの女鹿を嬲るのは、その後でじっくり愉しむことにするぜ!」

 「そんなことさせるか――っ!!」


 親友を奪い、大切な恋人にまて牙を剥こうと血に酔った殺人鬼へ、光は果敢に叫んだ。

 他方、須和も片手で光の肩を押さえ、もう片手に銃を構える。


 「仕方がない……秋元は後ろを……香坂と望月! 二人は先へ進んで"目標二番"を探せ! ここは俺達に任せろ!」


 光に代わって須和は、隣で銃を取り出した秋元に後方援護と通信、斜路の頂上で立ち尽くす望月と香坂に先へ進むよう指示を出した。

 "目標二番"――殺人鬼に囚われた黒沢の捜索と保護を託して。


 「っ……了解しました……!」

 「俺達も増援もすぐに合流するからな」

 「ご武運を祈ります……!」


 三人組で獰猛で殺人鬼を足止めしてくれるベテラン刑事官を案じる後輩二人。

 しかし、一度だけこちらを振り返った光の申し訳なさそうな眼差し、と須和の頼もしげな微笑みを見た二人はようやく踵をきびす返した。

 二人は一端の刑事官としての最善を尽くすべく、斜路を駆け登った先にある洞穴の中へ踏み入れた。



***次回へ続く***


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