其ノ五『報告会議と命令』①
協働捜査班――霜月班と葉月班で構成されたチームの総
巷を騒がせている『連続猟奇殺害事件』の内、第二被害者は肇・佐々木(児童救済相談所並びに児童保護施設・慈愛ホームの所長)。
佐々木所長殺害の被疑者として逮捕された後、何らかの手段で脱獄・逃走した二郎・石井(慈愛ホームの元保育職員)。
隠れ
発見日時は十一月十八日の朝・七時十七分頃。
付近で空き缶拾いをしていたホームレスの悲鳴、駆けつけた刑事官の通報によって発覚。
第一と第二事件同様に、石井の遺体からも「身体の一部欠損」、と埋め込まれた「異物」を確認できた。
石井は十字架を模した太い枝木へ四肢を縄で縛られ、所謂"
贖罪の磔にされた彼の"聖人"を彷彿させる憐れで痛ましい様だった。
死と絶望に
今回の事件で"真犯人"が抉った部位は「心臓」だった。
杭で刺し抉られた心臓の空洞にギッチリと詰められた異物は、防水紙に包まれた石井自身の》"《《眼球"。
鑑識部と分析部による検査の結果、眼球を包んでいた謎の防水紙の内側には、案の定「怪文章」が綴られていた。
『絶望とは死にいたる病である』
第三事件の怪文章は、著作『死に至る病』で有名な哲学者キルケゴールの言葉。
またしても常軌を逸した惨たらしい犯行。
事件の捜査を担う警察の人間達は辟易し、世間も警察も引っ掻き回している真犯人への義憤は凝り固まっていく。無理もない話だ。
事件の解決と真相の重要な鍵を握っていた石井被疑者は、"口封じ"に殺害されたのは想像に容易い。
結局、事件の捜査は振り出しに戻った。
一刻も早く真犯人を逮捕し、事件解決の捜査へ、蛍達は再び追われる羽目になった。
完全無欠の"安全"を謳ってきたルーナシティのICT
しかし、石井と関係者の身辺調査をしてきた班員の努力と成果は決して無駄骨ではない。
「何故この
「鑑識部」から「分析部」を通じて届いた現場鑑識と遺体解剖の結果から、蛍達へ"新たな情報"を入手できた。
分析結果の内容が大きな手がかりになると思えば、捜査の進捗状況を悲観視せずに済む。
「内部の人間が
香坂刑事官が、第一事件の報告資料を読み上げていく最中。
釈然としない表情で零した疑問に対し、神楽刑事官は皮肉と共に自身の見解を返答した。
石井の遺体発見と同日の朝、マスコミは「小笠原大臣」被害者の
小笠原と懇意にしていた複数の福祉事業所が自治体へ提出していた報告書には、明らかな不正
情報の改竄・捏造だけでなく、
対価として、事業所が不正受領した長くの助成金等も横領していた。
以前、収賄疑惑が浮上した際の臨時調査では、事業所と小笠原は不正の"動かぬ証拠"なる
しかし、
後にルーナ警察署にも概ね同じ内容のデータファイルが届いていた。届いたデータを調べると、内容は報道とネットに掲載されているのと概ね同じだった。
小笠原と共謀して不正をした各事業所は、利用者と職員の定員数、利用料と収益費等の水増し・捏造をしていた。
国は事件と収賄報道を契機に、より厳格な監査を実行し、不正の福祉事業所は運営停止や多方からの苦情対応に追われている。
「報告会議」にて、報告担当の香坂自身も、耳を傾けている耳にした蛍達も神妙な表情で暫し思考を巡らせている。
収賄を"よくある犯罪"として軽視するつもりはない。
一方で、果たして殺人犯は"ここまでする"必要はあったのか、という単純な疑問が生じる。
小笠原は
「たった今、分析部からさらに新しい調査結果の報告は送信された」
次は第二事件の被害者・「佐々木所長」の眼窩に埋め込まれていた、謎の黒いフィルムケースの中身を検証し終えたらしい。
分析部の技術によって現像され、警察端末に対応した動画データへ変換されたフィルムの中身を、蛍達はさっそく確認する。
浜本の警察端末から虚空へ投映された
「この場所……"この子達"は、まさか……」
真っ先に画面へ映ったのは、まさに児童保護施設・「慈愛ホーム」の室内――監視カメラの映像記録だった。
最初は小学生くらいの子ども達が無邪気に駆け回り、
しかし再生が進むにつれて、息を呑んで視聴していた刑事官達の顔にみるみる動揺が広がっていく。
一つ目のフィルムでは数秒後には場面が切り替わり、一人の女性保育職がいたいけな男児の手を無理やり引っ張っているのが見えた。
一見、悪さをした子どもを折檻しようとする様子だと思った。
女性職員は口角を高くつり上げ、鬼のような剣幕で男児を叱っている。
それだけなら、よく見られる光景。
しかし映像に浮かぶ施設の名前、そこで繰り広げられる光景が暗に意味するもの鋭く察した光と蛍の表情は暗くなった。
しかも次の瞬間、視界へ映り込んだ"信じられない光景"に刑事官一同に衝撃が走った。
『うるさい! このクソガキどもが――!』
望月を含む後輩刑事官達は口元を押さえて絶句した。
蛍の冷徹に細めた瞳にも静かな炎が灯った。
映像の女性職員は、怯えている男児の顔面へ強烈な平手打ちを喰らわせた。
それも、一発の仕置きでは気が済まなかったのか。
挙げ句の果てに、女性職員は泣き喚く男児の腹へ力一杯馬乗りになると、両頬を執拗に叩き続けた。
別のフィルムでは、年配の子ども集団が幼くか弱い子どもへ殴り蹴りと嘲笑の雨を浴びせていた。
傍観に徹している職員達は、実験動物実験の観察さながら冷淡に佇む者や、見世物を愉しむように
残り複数のフィルムにも、同様の凄惨な現場が鮮明に記録されていた。
連続猟奇殺人鬼が遺体に残した謎のフィルムを通じて"何を"訴えているのは明白だった。
「っ……何ってことだ。まさか、佐々木所長と石井が勤めていた慈愛ホームで……」
苦渋の表情を浮かべる光と共に隣蛍は一つの答えを明示した。
「
蛍の薄氷さながらの瞳には淀んだ炎が揺らめいている。
仄暗い色で遠くを見つめるような眼差しに光は冷唾を呑み、どことなく不安へ駆られた。
正式名称まで丁寧に説明した蛍の言葉通り。
慈愛ホームの保育職員達は、被保護児童への虐待行為を密かに繰り広げていた。
児童保護施設は虐待や貧困、障害その他養育困難な状況にある家庭から子ども達を保護し、安心・安全と共に健やかな発育を保障する場所。
しかし、本来は子どもを守る立場にあるはずの施設職員が、傷ついた子ども達の心をさらに抉る行為を平然と冒していたとは――筆舌に尽くしがたい事実だ。
フィルムのデータは施設という閉鎖空間で隠匿されてきた"児童虐待"の有力な証拠として扱われ、警察もより精密な捜査介入がしやすくなった。
何とも不本意で皮肉な形か。
現在の慈愛ホームは、国の臨時監査が入ったことで運営を一時停止させられ、職員全員は事情聴取を受けている。
慈愛ホームの子ども達は他所のより安全な児童保護施設へ移されたらしい。
しかし、慈愛ホームで散々刻まれた心の傷を癒すのは決して容易いことではないだろう。
「第一事件よりも一か月の『十月七日』。慈愛ホームに在籍していた一人の女児の死亡を確認できました。女児の名前は『
望月刑事官が痛ましげな表情で報告した驚愕の事実に、他の班員に戦慄が走った。
「市役所での記録と身辺捜査でさらに判明したのは、石井兄妹は共に"被保護児童として"施設で育った経緯があります」
石井兄妹は幼少期に実母を失くした後、実父と後妻による
しかし、妹の灯だけは「障害児専門」の児童保護施設に移ったことで双方は引き離された。
健常児の児童保護施設で育った兄の二郎は、保育職員の資格取得・就職と同時に施設を卒業。
数年以上の実務経験を積んだ二十四歳頃に慈愛ホームへ転勤した。
同時期、"問題児"として施設をたらい回されてきた妹の灯も慈愛ホームへ転院してきた。
幼い頃に離別した兄妹は、奇遇にも同じ児童保護施設で"再会"を果たした。
しかし、喜ばしい再会の直後に予期せぬ"悲劇"も起きた。
石井がエクリプス区へ足を運び始める前の「十月七日」。
当日に慈愛ホームにいた十五歳の灯・石井は、"交通事故"で亡くなっていた。
灯は幼少期から発達・知的障害を有していた。
一見周囲から見ると、何の前触れもなく
事件当日の灯は、無人の
しかし、途中で職員が目を離した隙に突如癇癪を起こしたらしい。
『あぃぁぁぎゃあぁぁ――!!』
金切り声で悲鳴をあげて暴れた灯は、彼女をなだめようとした職員を不意打ちで殴り飛ばした。
自転車のような素早さで正面玄関から施設の外へ脱走し、数歩先に広がる道へ飛び出した瞬間――。
偶然鉢合わせた「行政用の大型トラック」は灯を轢いてしまった。
不運にも、行政トラックに搭載された「自動運転安全
庇護すべき幼き命は、煤色の重いタイヤに轢き潰された。
不憫な事故死の内容に、班員一同は悲壮感と共に暫し静まり返る。一方、双眸を沈ませた俯望月を余所に、蛍は凍てついた声で沈黙を破った。
「これは私見ですが。仮に佐々木所長がこの児童虐待を認識し、及び灯・石井事故死にも関与していたとなれば……フィルムに収められていた動画は、慈愛ホームの職員と所長にとって"不都合な証拠"です。佐々木所長を殺害後に眼窩へフィルムを埋め込んだ人物は石井本人か……それとも、石井以外の人間によるものか。そこから連続猟奇殺人事件の"黒幕"へ繋がっていきます」
生き別れた実妹を喪った時、兄の石井の心中は如何なるものだったか。
本来は起こるはずのない交通事故死を予測して未然に防ぐのは難しい。
しかし、灯女児の飛び出しは防げた事故だった。
実妹の保護責任を負う保育職員と佐々木所長へ、石井被害者が恨みを燃やしても不思議ではない。
第二事件前に起きた口論の件や、石井本人の言動からも、怨恨の線で疑えば、彼が佐々木所長を殺害したとしても辻褄は合う。
ただし、石井までもが殺害された今となっては"本当の真実"は闇に葬られてしまった。
「その通りかもしれん。ただ、妹の事故死を防げなかった慈愛ホームへの恨みから、責任者の佐々木を、しかも猟奇的な方法で殺害した動機と見なすのは未だ"早計"かもしれん」
「つまり、石井は利用されただけの可能性も否めませんね。彼を巻き込んだのが、ただの猟奇快楽殺人犯か否か定かでありませんが」
浜本はあまりに単純明快な仮定と結論を出した蛍達へ、慎重な判断を促すように応える。
しかし、蛍がすかさず切り出した"厄介な仮説"を耳にした他の班員も浜本も思わず固唾を呑んだ。
「遺体の眼窩に詰め込まれたフィルム。猟奇的で派手なその部分へ、つい我々は目が行きがちになりましたが、他にも妙な点が確認できた……そうですよね? 藤堂刑事官」
突如、話を振られた光は一瞬困惑の表情を浮かべた。
しかし蛍の意図を咄嗟に察した光は、自身の担う捜査報告を説明し始めた。
「……佐々木の"両手の指全て"は、鋭い凶器で刺し抉られていた……指の原型を留めないほどに。相手への凄まじい怨恨と執念を感じられます……」
光は沈痛な面持ちで現場写真の画像を眺めながら報告書読み上げた。
浜本は逡巡するように眼鏡越しに双眸を伏せてから、二人の提言を粛然と呑み込んだ。
「怨恨の線は間違いない、と仮定すれば後に解明される情報もまた増えるだろう。しかし、この奇妙な時期での「収賄発覚」に「石井の不審死」といい、不可解な謎が増えたな。しかし、エクリプス区の潜入捜査での収穫は大きい。少なくとも、捜査対象は人間も場所も共に絞りやすくなった」
浜本の言葉は理路整然としていながらも、曇った表情の刑事官達を奮い立たせるようにも聞こえた。
それでも、新たな死人と行方不明者が出た現状を思えば、事件解決の手がかりを入手した事を前向きに捉えられる者は少なかった。
しかも、普段は毅然とした先輩刑事官二人が先程から醸す空気の冷たさも、他の班員の不安を煽った。
二人の胸にある行き場のない怒りと焦燥感、その理由を鑑みれば無理もなかった。
「所で、浜本刑事官……あいつは、どうするのですか」
抑えきれない激情がついに漏れ出したように双眸を釣り上げた光は、彼にとって重大な"本題"をついに切り出した。
「藤堂刑事官――」
「あいつは――黒沢刑事官の足取りは今も掴めないままです」
エクリプス区の地下潜入捜査の最中。
浜本の指示で一旦元の位置へ戻った協働捜査班が発見したのは――
不自然に真新しい塗装を施された偽大理石の壁の前で倒れていた蛍一人のみ。
意識を失っていた蛍を保護するために地下から撤退を余儀なくされた。
以降、現在も黒沢刑事官は行方不明のままだ。
彼の警察端末にも搭載されている位置確認システムも通信も遮断された状態の居場所の把握も連絡も叶わない。
光は当然、蛍も内心は黒沢を案じると共に責任を感じ、事件捜査と並行して黒沢の捜索を希望している。
「黒沢刑事官の対応だが、事件捜査と犯人逮捕を優先しながら捜査を進める。最悪、奴が事件の真の被疑者と既に接触している可能性も念頭に入れる」
「だったら尚更、悠長に構えてはいられません! 我々は今すぐにでもエクリプス区へ戻り、捜索を続行すべきです!」
浜本は先程から唇を噛んで耐え忍んでいた光、隣で沈黙に徹する蛍の心中を察したうえで毅然と方針を告げた。
それでも食い下がる光の台詞に、浜本は眉を顰めながら語気を強めて応えた。
「落ち着くんだ、藤堂刑事官」
「これが落ち着いていられますか……! 黒沢は今、犯人と一緒にいるのかもしれない。犯人は、人を平気で殺せる危険人物だと鑑みれば、一刻を争うのでは!」
「いい加減にしたまえ! 藤堂刑事官! お前の気持ちも痛いほど理解る。だが、有効な手がかりもない無策なまま闇雲に突っ込んでも、"二の舞い"になるだけだ」
今までにない剣幕で光を諌める浜本に、さすがの光も押し黙り、後輩達ですら反射的に萎縮した。
唯一人蛍だけは、光の心中だけでなく浜本の正論と必死さも理解しているのか氷さながら動じず静かに見守るだけ。
「いずれは、エクリプス区へ再び調査へ向かう予定だ。なら、そのための準備を一日でも早く整えるべく、"今自分のできること"に尽力しろ。無理して納得する必要はない。ただ"現実"を呑み込め」
「……分かりました。数々の失言、大変申し訳ありませんでした」
浜本の説得とも捉えられる提言に、ようやく光も今自分の為すべき事を冷静に思い至ったらしい。
深々と頭を下げて謝罪する光に、浜本は溜息を吐きつつも「分かったならいい」、と答えた。
黒沢の失踪に不安や焦りを感じているのは、彼と親しい間柄である光と蛍に限る話ではない。
黒沢は後輩達にとって、型破りだが頼りになる兄貴肌であり、普段から彼の軽薄さに苦言を漏らすばかりの浜本も能力面で信頼を置ける大切な仲間だ。
実の所、蛍も内心気が気でない。
ほんの一瞬でも、気を緩めれば悲痛に揺らぎそうになる瞳と拳に力を入れなければならなかった。
一方、恋人の光は強い正義感と仲間想いな優しさ故に、しばしば熱くなりすぎる。
普段ならそんな彼をやんわりと鎮められるのは大抵、前向きで柔軟な態度の黒沢、もしくは氷のように冷静沈着な蛍ぐらいだった。
しかし、光の肩の力を程よく解してくれた黒沢は、今ここにいない。
一方蛍は、今の自分には光をなだめるためにかける言葉も、激励する資格もない、と自責に駆られている。
あの時、隠し通路へ独断で乗り込む危険を冒さなければ。
恐らく黒沢を攫ったのと同じ敵に背後と意識を奪われる失態をしなければ。
今も黒沢は余裕
.
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