親友

 3人で遊びに行ってから3日後の夜。将也は巧と改札前で待ち合わせをしていた。場所は以前巧と2人で飲んだ時と同じ、都内の繁華街だ。

 待ち合わせ時間の3分前、改札から巧が現れた。

「よっ。元気か?」

 巧は将也の元へ歩いてくると、顔の高さまで手を上げた。

「巧なんか変わったな」

 将也は以前と比べて巧の雰囲気が変わっていることに気づいた。髪型も、服装も、以前と比べて垢抜けている。

「まあ、いろいろあってさ」

 巧は照れくさそうな笑みを浮かべながら腕を組んだ。

 きっと婚約者の影響なのだろう。巧を見ていると答えを聞かずとも何となく予想がついた。

「じゃあ行くか」

 巧が出口に向かって歩き始め、将也はそれに続く。

 今日将也と巧が会うことになったのは独身最後の夜を楽しむ、いわゆる『バチェラーパーティ』のためだ。といっても本当に前日だと支障をきたしてしまうので、巧が独身ではなくなるのはまだ先の話だ。

 10分ほど歩いたところにある焼肉屋に入った2人は、4人がけの個室に案内された。

 将也がドアを開け、中に入ろうとすると、

「やっと来たか」

 お冷を飲んでいた先客が顔を上げると、2人を無愛想な表情で見た。

「健史!?」

 意外な先客に将也の声が裏返る。

「あれ、昔とだいぶ変わったのに健史だって分かるんだな。将也も来るって誘ったら、あっさりOKくれたんだよ」

 事情を知らない巧は久しぶりの再会に浮かれた様子だ。

 将也は健史を睨み返すと、黙って健史の真正面に座り、巧は健史の隣に座った。

「いや~3人が再会するのも随分久しぶりだな。とりあえず揃ったし、始めるか。とりあえずビールでいいよな?」

「ああ」

 将也は短く答え、正面にいる健史を一瞥した。さっき巧は「将也も来るって誘ったら、あっさりOKくれたんだよ」と言っていた。つまり自分が来るからこそ、来たということだ。一体何を企んでいるのだろうか。

 とは言ったものの、今日はめでたい席だ。将也は一旦健史の意図を探るのをやめ、ちょうど運ばれてきたジョッキを手に取った。


 宴が始まって30分が経過した頃。

「……それにしても、健史がここまで出世するなんて思わなかったな」

 巧は表面が焦げ始めた牛タンを頬張ると、ビールを流し込み、ため息をついた。

「当然だ。誰かさんと違ってそれ相応の努力をしたからな」

 健史は当てつけるように将也を一瞥するとお冷を飲んだ。最初にビールを飲んでからは頑なにお冷を飲み続けている。

 将也は一瞬腹が立ったものの、今は巧の祝いの席だ。怒りと共にビールを胃に流しむ。

「だよなあ。昔は太ってたのに、別人みたいにイケメンになっちゃったもんな。今は俺の方が太ってんじゃないかな」

 巧は自分の腹をつまんだ。ゆとりのある服を見ているため一見わかりにくいが、だいぶ贅肉が付いてしまっているようだ。

「食生活を改めたほうがいいんじゃないのか? どうせ脂っこいものばかり食べてるんだろ」

 健史は表面が軽く焼けたロース肉を40回咀嚼して飲み込むと、再びお冷を一口飲んだ。

「健史は厳しいなあ。まあでもあんまり太って愛想尽かされるのも困るし、気をつけるよ」

 そう言いつつも、ジョッキに半分残っているビールを一気に飲むと、呼び出しボタンを押した。

「夜は脂っこいものを食べるのが習慣になってるからダメなんだ。夜は低脂質の食べ物を食べることを当たり前にしてしまえばいい。俺は夜にはサラダチキンに野菜くらいしか食べないし、間食はナッツしか食べないが辛いと思ったことは全く無い。それが俺にとっては朝になったら太陽が出るくらい当たり前のことだからだ」

「へえ……。すごいストイックだな。それが健史のダイエット成功の秘訣か」

 さも当然のことのように言う健史に巧は感嘆のため息を漏らし、

「そういや将也はどうなんだ?」

 話を将也に振った。

「俺は……まあほどほどかな?」

 里奈と一緒に住むようになってからは食生活が改善されたが、それ以前はコンビニ弁当に申し訳程度に入っているサラダ以外ほぼ食べることはないというひどいものだった。

 しかしそれを正直に言ってしまうとまた健史に嫌味を言われることが分かっていたので、明言は避けた。

「フン。どうせやたらアルコール度の高いチューハイに、茶色いコンビニ弁当ばかりの生活なんだろ?」

「うっ……お、お前だって偉そうなこと言っといて、どうせ酒を全然飲まないのはいつぞやの打ち上げで失敗したのがトラウマになってんだろ?」

 健史に図星を突かれ、思わず声が漏れてしまったが、ジョッキ4杯目に入ったこともあり、言われっぱなしに我慢できなくなってきた将也はすかさず言い返す。

 まだ将也達が養成所に通っていた頃、その年の最終日に打ち上げが開かれた。調子に乗って飲みすぎた健史は完全に出来上がってしまい、だる絡みやセクハラ発言で大顰蹙を買ってしまったのだ。

「違う。酒は喉に良くないからだ」

 健史は痛いところを突かれて一瞬動揺したように見えたものの、心を落ち着けるように再びお冷を一杯飲んだ。

「ハッ。たったジョッキ一杯くらいでダメになっちゃうなんて、将来は喉を壊して引退かな?」

 これくらいで終わる将也ではない。ジョッキ片手に、露骨に馬鹿にしたように薄笑いを浮かべて健史を見る。プライドの高い健史なら間違いなく乗ってくる確信が将也にはあった。

「何だと?」

「違うのか? 違うなら証拠見せてみろよ」

 予想通り乗ってきた健史に将也は笑いをこらえつつ、ちょうど自分用に運ばれてきたジョッキを健史の前に置いた。当然だが、別に健史を潰したい訳ではない。ただ以前ボロクソに言われた事のお返しをしたかったのだ。

「いいだろう」

 健史はジョッキを手に取ると、一気に飲み干してしまった。

「おい、そんなに一気に飲んで大丈夫か?」

 巧が心配そうにお冷の入ったグラスを差し出す。しかし健史はそれに手を付けようとせず、

「どうだ?」

 得意げに顎をしゃくったが、早くも顔が赤くなり始めている。

「いやいや、それだけで得意げにされてもな? 俺はもう4杯目だし」

「面白い……」

 健史は呼び出しボタンを押すと、次のビールを注文した。思い通りに事が進んでしまい、面白いのは将也の方だった。

「おいおい……知らねえぞ」

 そんな言葉と裏腹に、巧の表情はそんな2人のやり取りを楽しむようにマイペースにビールを飲んでいた。


 それから30分後。

「ったくよお、インターネットの連中ってなんであんなに陰湿なんだ? 確かに俺は昔太ってたけどさあ……どこで俺の昔の写真拾ってきたんだよ!」

 健史はジョッキを一気にあおると、アルコール臭いため息をついた。

「ん? どういうことだ?」

 巧が尋ねると、健史は詳しい事情を話し始めた。

 何か縁があるのか、健史は若手女性声優の磯辺穂香(いそべほのか)となぜか主人公役とヒロイン役になることが多く、気がつけば2人がパーソナリティのラジオ番組ができてしまったほどだ。

 実際の健史はきつい性格だが、番組内ではおどけた明るいキャラを演じている。そんな健史と少し固い性格の穂香とのやりとりがまるで夫婦漫才みたいだと話題で、今や声優ラジオの中でも人気のある番組の1つにまで上り詰めた。

 それだけならばいいのだが、それが穂香のファンからすると面白くないらしく、相方の健史がSNSや匿名掲示板を中心に叩かれるようになってしまった。

 しかもどこから持ってきたのか、健史が太っていた頃の写真がネット上に流出してしまい、SNSで健史の名前で検索すると、その写真をアイコンにした『岸健史』という名前の偽物アカウントが大量にヒットするようになってしまっているというのだ。

 健史にとっては切実な悩みなのだろうが、将也はそれがツボに入ってしまい、腹を抱えて笑い始めた。

「なっ……なんだそれ! プッ……ハハハハッ……」

「何がおかしい! これは立派な肖像権侵害だぞ」

 将也は健史を無視して笑いをこらえながら、普段使うことのないSNSのアプリを立ち上げた。これが素面ならば別の反応をしたかもしれないが、アルコールが回って愉快な気分になっている今の将也にとっては酒の肴でしかない。

 検索バーに『岸健史』と入力すると、画面に昔の健史の写真をアイコンにした『岸健史』というアカウントが大量に表示され、それを見た瞬間、将也はテーブルを叩きながら再び笑い始めた。

「ウッハッハッハ! ホントに出てくる……ブホッ……信じらんねえ……」

 おかしさのあまり腹筋が今にも攣りそうだし、呼吸困難になりそうだ。

「わっ笑うな!」

 健史は身を乗り出し、反対側で大笑いする将也を怒鳴りつけたものの、将也は聞こえていないかのように笑い続けている。

「いやあ、今でも健史と将也は仲がいいんだなあ。お前ら見てると昔を思い出すよ」

 巧はそんな2人をとろけた目で見ながら一口ビールを飲んだ。

「どこがだ!」

 そんな巧の発言を即座に健史は否定すると、

「……まあ、一時的に仲が良かった頃もあるかもしれないが、ずっと将也のことは好きではなかった」

 急に酔いが冷めてしまったかのような冷静な口調で言うと、ビールを一口飲む。

「マジかよ。昔はよく一緒につるんでただろ」

 巧は信じられない、といった様子で手に持っていたジョッキをテーブルの上に置き、将也も笑いを止め、健史の話の続きを待った。

 実際将也と健史は昔養成所が終わった後も一緒に練習することがよくあったし、その中で様々な事を話した。そして当時の健史の態度を見る限り、自分のことが好きではないが仕方なく相手をしているようには将也には見えなかった。

「確かに将也に尊敬に似たような感情はあったよ。養成所の後に一緒に練習してたときも、おしゃべりしてるやつがいると『今はそんなことする時間じゃないだろ』って注意するわ、声が小さいやつには容赦なく『声が小さい』って言うわで、そういう真面目な所は評価していた」

「ああ、あったな」

「将也自身そんなに上手いわけではなかったが、そうやって一生懸命になれる奴がプロになるんだろうな、とそんなことを思ってたよ」

 巧が相槌を打ち、健史は話を続ける。

「だから、そんな感情を持ってたからこそ、里奈と将也が付き合い始めたとき、俺はどうしたらいいか分からなくなった」

 健史は視線を落とすと、当時の気持ちを思い出すように言った。

「そうか……健史も里奈のこと好きだったんだな。そりゃ辛いな。うん」

 腕組みをした巧は重々しく頷く。

 将也は茶化す気などまるで起きず、滔々と語る健史の言葉を黙って聞くことしかできなかった。自分が健史と同じ立場ならば、きっと同じような行動を取ってしまうだろう。

「将也が視界に入るだけで俺は劣等感に苛まれた。だが、将也とつるんでいれば里奈と同じ空間にいることができたし、将也の演技への姿勢を見ていると俺も頑張らなければと刺激になった。それに……将也が里奈と付き合わなければ……」

 健史は顔を上げ、

「俺はデブのままで、声優になることもできなかったかもしれない」

 真っ直ぐな目で将也を見た。

「……!」

 今の自分のままではダメだと気づき、里奈に振り向いてもらうためにダイエットに励み、そして里奈と同じ場所に立つために努力をした。健史の言いたいことはつまりそういうことなのだろう。

 ダイエットという自分との戦いをこなしながら、声優という翌月は無収入になるかもしれない不安定な業界を目指す。中途半端な精神力ではできるはずがない。そこまでできる男だからこそ、健史は今の地位にいることができるのだ。将也は息を呑み、固まった。

「里奈が将也と別れたと知った時、ついに俺の出番が回ってきたと思った。だが、里奈は相変わらず将也の事を忘れられず想い続けているし、気がつけば……よりを戻していた」

 健史はテーブルに拳を叩きつけ、

「俺はお前が憎い」

 将也を睨みつけた。

「っ……」

 それに対し将也は、ただ健史を見つめ返す。睨み返して反撃する必要も、目をそらして逃げる必要もない。俺はお前なんて脅威とすら思っていないと態度で示すためだ。

「え、そうなのか?」

 意外そうな顔で巧に尋ねられ、将也は迷った末、

「……本当だ」

 嘘を答えた。

「へえ、やるなあ」

 本当は付き合っていない。今はただ事情があって一緒に住んでいるだけだ。

 昔の健史は当時の里奈の男版のような大人しい性格で、しかも太っていた。外も中もここまで変えるのは、苦痛の日々だったはずだ。そこまで健史を努力させたのは、里奈への想いは本物だったからに他ならない。

 だからこそ、里奈を健史に渡したくないと思ってしまった。自分から手放しておいてなんだが、今でも里奈の事が好きだ。かつては好きなだけでは耐えられないほどに里奈に劣等感を抱いてしまい、もう関わりたくないと思っていたのに。そしてそれは今でも続いている。しかし里奈のことは好きで、だけどまた傷つくのが怖くて、今の状態で決断することを先延ばしにしてしまっている。非常に格好悪い。

 だからこそ、健史への負けたくないという思いが、本当は健史に何もかも負けているのに、自分でも最低だと思いながらも、「俺はお前に勝っている」という優越感を示したかった。

「最近は半同棲状態だな。だから、お前の付け入る隙はないってことだ」

 将也はわざとらしく首を傾げ、引きつった笑みを浮かべると、健史は無言で立ち上がった。

 殴られるか。将也は一瞬そう思ったものの、健史は「帰る」とただ一言だけ告げると、将也の方を見ようともせずに部屋を出ていった。

 残された将也と巧は言葉を発することもなく、何かを飲み食いすることもなく、ただお互い視線を合わさないようにテーブルを見つめていた。先程まで全く気にならなかった他の席から聞こえてくる話し声と、テーブル中央にある網から聞こえるパチパチという音が妙に大きく聞こえる。

 沈黙の後、先に口を開いたのは巧だった。

「……その、すまん。将也と健史の間にこんな事があったなんて知らなくてさ」

 顔の赤みが引き始めた巧が頭を下げる。

「いや……。俺こそ悪かった。巧の祝いの席だって言うのに」

 最初はおめでたい場だからと健史の挑発を我慢できていたのに、気がつけば逆に自分が健史を挑発するようになってしまっていた。

「いやいや。俺が健史が来るってことを言わなかったのがそもそもの原因なんだから、将也が気にする必要はないって」

 巧は苦笑を浮かべながら手を振る。酒が入って自然と大声で話してしまっていたためだろう、声がかすれ、音量も小さくなっていた。

「ああ」

 将也がそう答えると、再び会話が止まる。

「……今日は終わりにするか」

 巧は呼び出しボタンを押すと、

「それにしても、いつよりを戻したんだ?」

 すっかり冷え込んでしまった場の空気を温めるかのように、寂しそうな笑みを浮かべた。

「……そんなに前じゃないんだけど、ある日ばったり再会してさ」

 本当はもっと色々あるのだが、あえて必要最低限の事だけを将也は巧に伝える。

「へえ、そんなこともあるんだな。……それにしても、将也がうらやましいな。なんたって、『あの』人気声優の三代里奈が彼女なんだもんな」

「おいおい、婚約者に失礼だぞ」

「おっと、そうだな。悪い悪い」

 明らかにツッコミ待ちのわざとらしい口調で言う巧に、将也はお望み通り即座にツッコミを入れる。白々しいやり取りだったものの、そんな風に場の空気を温めてくれる巧の心遣いがありがたかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る