贖罪

「お前なんて家に置くんじゃなかった」

「はあ? 別に望んでこうなったわけじゃないんだけど」

「何だと? 俺は最初から乗り気じゃなかったんだよ」

「何、私のせいにするの? 小さい男」

「また小さいって言ったな! お前とたいしち…………あ、ごめん噛んだ」

 将也は手にしていた台本のコピーから顔を上げると、気まずそうに小声で里奈に謝罪した。

「まあ、久しぶりだし仕方ないよ。それに1人で練習するよりなんだかんだでやりやすいし」

 里奈も顔を上げ、笑みを浮かべる。

 将也と里奈は、以前遥奈と里奈が出くわした公園で『2000日後の花嫁』の台本を読んでいた。

 里奈と喧嘩した翌日、将也は遥奈の言う通り遥奈の家に向かい里奈に謝罪をした。

 遥奈から話を聞いていたからだろう、里奈も素直に許してくれたのだが、許す条件として1つお願いを聞くことになった。それがこの『台本読みに付き合ってもらう』だった。

「本当に俺でよかったのか? 俺みたいなヘタクソが相手じゃ勘が狂っちゃうんじゃないか?」

 将也は決してヘタな訳ではない。だが、里奈や健史のようなプロと比べると所詮『それなりに読める素人』でしかない。そんな自分が里奈の練習相手が務まるとはまるで思えなかった。

「確かに相手のセリフは感情を呼び起こすのに必要だけど、間さえしっかりしてればあんまり……って感じかな」

「はっきり言うなぁ」

 言いづらそうにごまかし笑いを浮かべる里奈に、将也は鼻を鳴らす。

「……それにしてもこのヒロイン凄いな。ここまで徹底的に主人公を嫌ってるのに、どうせ最後はくっつくんだろ?」

 将也は手にした台本のコピーのヒロインのセリフを拾い読みしながら言った。どのセリフも主人公に対する罵倒ばかりだ。

 しかし主人公とヒロインはそれぞれの両親から「お前たちは2000日後に絶対に結婚しなければならない」と宣言されてしまっている上に、未来からやってきた2人の孫と称する少年に「2人が結婚しないと僕が消えてしまう」と2人をくっつけるために工作活動をしてくる。これで逆にくっつかなかったら読者から間違いなく叩かれてしまう。

「確かに原作最新巻だとヒロインの態度がまるで別人になってるんだけど、新しいヒロインが登場したり、ヒロインが実は産婦人科で取り違えられていれた可能性が出てきたりと、どうなるか分からない展開なんだよね」

「何だそれ。というか原作買ってるんだな」

 展開も気になるが、里奈が読んでいるというのは少し意外だった。

「確かに昔はあんまりこういう男性向けの作品好きじゃなかったけど……役作りのために読んでみたら案外面白くて」

「そうなのか」

「うん」

 そこで会話が途切れ、沈黙が2人の間に訪れる。手持ち無沙汰になってしまった将也は、里奈の横顔を視界の端で見ながら、今朝の事を思い出していた。


 将也は遥奈に言われたとおり、翌朝遥奈の部屋に向かった。

 呼び鈴を押すと里奈がドアを開けて将也の前に現れ、

「将也……」

 きまり悪そうに指通りなめらかな髪の毛を指ですきながら将也の名前を呼んだ。

 将也はそんな里奈を見つめると、

「里奈、悪かった。俺のことを思って言ってくれたのに、最低なことをしてしまった。本当にすまない」

 すかさず謝罪の言葉とともに頭を下げた。改めて、自分の最低さ加減が嫌になってくる。

「ううん。私も将也の気持ちを全然考えてなかったから……こちらこそごめんなさい」

 将也が思った以上に里奈はすぐに許してくれたことで、将也は戸惑いながら頭を上げた。

 里奈は仲直り直後特有の居心地の悪さを感じているようだが、控えめな笑みを浮かべている。

「ありがとう。……じゃあ、帰るか」

「……うん」

 2人がそのまま将也の部屋に向かおうとすると、

「ちょっと待った!」

 部屋の奥から遥奈が駆け寄ってきた。

「どうしたの?」

 里奈は後ろに立っている遥奈に振り向き尋ねると、

「三代さんいいんですか? そんなに簡単に許しちゃって」

 遥奈は真顔で里奈を見据えた。

「え? まあ、私も悪かったし、将也も謝ってくれたから……」

 里奈は遥奈の態度に戸惑っているのか、困惑した様子で答えると、

「そんなに簡単に許しちゃダメです」

 遥奈ははっきりと言い切り、将也に視線を移すと、

「朝倉さん。あなたは女性を泣かせたんです。何か言うことを1つ聞くくらいの償いはするべきです」

 真っ直ぐに手を伸ばし、将也を指差した。

「はあ? ……まあ、でも、たしかにそうだな。里奈」

 将也は仲直りさせて終わりじゃなかったのか、と遥奈にツッコミを入れたくなったものの、確かに言われてみればそうかもしれないと納得し、視線で里奈に視線で促す。

「う~ん、そうだなあ」

 里奈は髪の毛を指先で触りながら考え始め、結果提案されたのが『台本読みに付き合ってもらう』だったのだ。


 里奈の横顔を見る限り、昨日のことはもう根に持っていることはなさそうだ。これもきっと遥奈が間を持ってくれたから……。

「あ」

 将也は重大なことに気づいた。遥奈に里奈の事をどう思っているか話したということは、里奈も知っているのではないだろうか。遥奈ならむしろオーバー気味に話している可能性すらある。

 そう考えると今の里奈の態度がなんだか不安になってくる。しかし、里奈に直接尋ねるなんて恥ずかしくてできない。だが、無性に気になって仕方がない……。

 結局将也は一旦考えることをやめた。里奈が知っているにせよ、知らないにせよ、とりあえずは仲直りができたことは事実だ。

 それにしても、里奈は変わった。見た目もそうだが、里奈は『2000日後の花嫁』をはじめとした男性向けのアニメに多く出演している。昔は確かにあまり好きではなかったかもしれないが、それでは何かと辛いはずだ。こういうところでも里奈は変わったのだなと思わずにはいられない。

「まあ、でも仕事として割り切ってて、本音ではこういう作品気持ち悪いって言ってる人もいるかな……もちろんSNSなんかで宣伝する時はそんなこと間違っても言わないけどね」

「そんな人もいるのか。なんか、夢が壊れるな」

 将也は3人がけベンチの左側に腰を下ろし、空を見上げた。青空の青さが目に痛いほどの快晴だ。

 今ではあこがれの職業の1つになっている声優だが、昔は売れない役者の食い扶持の1つに過ぎなかった。現在も人気のあるベテランでも、たまたま続けられているからやっているに過ぎない人もいるだろう。

 そう、頭では分かっていた。声優という仕事を特別視しすぎているのだ。世の中好きだからその仕事をしている人なんてごく一握りだろう。他の業界に比べて好きでやっている人は多いだろうが、それでもかつて自分が目指した世界はみんな好きでその仕事を選んだのだと思わないと、悔しくてたまらないのだ。

「まあ、でも一部だと思うよ。やっぱり何にでも興味を持って、何でも楽しめないと、表現者として長くはやっていけないと私は思うな」

 里奈も一人分のスペースを空けて将也の隣に座り、同じ方向を見上げる。

 将也は里奈に気づかれないよう、目だけを動かして里奈の横顔を見た。思いつめているように見える横顔は、「私は絶対にそうならない」と言っているように将也には感じられた。

「……そういえば、昔一緒にここでよく練習したよね。懐かしいな」

 里奈は顔を上げると、公園を見渡し始めた。

「え、ああ、そうだな」

 あまり当時の話に持って行きたくなかった将也は不明瞭な声で短く返した。

「私のアクセントが変だったり、小さくまとまった演技をしようとしたらその場で指摘してきたり……今思えば将也もそんなに上手なわけでもなかったのにね。ふふっ」

 当時のことを大事そうに話し始めたかと思いきや、表情を崩して笑い始めた。

「その……まあ、あの頃は青かったんだよ。周りが見えてなかったからな」

 将也が居たたまれなさを素っ気ない口調でごまかすと、

「なんだっけ、『自分のためじゃない。未来のファンのために努力するんだ』だっけ? よく将也言ってたよね」

「やめてくれ……」

 里奈は遠慮なく追い打ちをかけてくる。喧嘩したことをまだ根に持っているのだろうか。恥ずかしくて顔が熱い。

 確かに昔はそんな痛いことを言っていた。しかしそんなことを言えたのは、両親と喧嘩して家を飛び出して後のない状態で、ある種の興奮状態にあったのと、回りが何も見えていなかったからだ。

「だけど、やっぱり将也がいたから今私はこうしていられるんだと思うな」

 穏やかながらも、確信を持った口調で里奈が言った。

「っ……と、とにかく約束は果たしたんだ。これでいいだろ?」

 将也は里奈の目を見ずに立ち上がった。

 自分なんて何か技術を持っているわけでもなく、金があるわけでもない。誰かの役に立っているわけでもない上、しかも今は無職で、どこからどう見ても存在価値の無い人間だと思っていた。

 しかし、自分には何もないのに、里奈は自分のおかげで今こうしていられると言ってくれた。あの人気声優の三代里奈にだ。

 将也から見た将也自身への評価と、里奈から見た将也の評価のズレから、将也は恥ずかしさと焦りが合わさったような感覚を抱いていた。

「うーん」

 里奈は口元に手をやり、何か考えているような仕草を見せると、

「本当はこれでこの前のことはチャラにするつもりだったんだけど……やっぱりもう一つ追加かな?」

 将也を見て、フッと微笑んだ。

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