救世主

 部屋を飛び出した里奈は、あてもなく家の周りをうろついていた。

 つい感情的になってしまい、言い合いになってしまった。もう何度目か分からないため息が出てしまう。

 里奈にとって将也は今でも特別な存在だ。里奈が殻を破ることができたのも将也のおかげで、声優として今の地位を確立出来たのも間接的に将也のおかげなのだ。一時期恨んでいたことがあったものの結局嫌いになれず、ずっと好きでい続けていた。

 そんな将也に「もう恋人でもなんでもないんだぞ?」と言われたことがショックで、結果喧嘩になってしまった。

 それだけではない。将也は変わってしまった。昔の熱くて一生懸命だった将也はもうどこにもいない。せっかく再会できたと思ったのに、こんなことなら再会しないほうが良かったのではないかとすら思ってしまう。

 しかし、それより今は先に解決しなければならない問題がある。どうすれば仲直りできるのだろうか。このままでは家に戻るに戻れない。

「……ん?」

 フットサルコートくらいの大きさの公園の前に差し掛かった里奈は、聞こえてきた声に立ち止まった。聞く努力をすることなく、自然と頭に染み入ってくるよく通った声だ。そして、自分の声になんとなく似ているような気がする。

 里奈は公園に足を踏み入れ、声の主を探しはじめた。公園には人気がなく、すぐに見つけることができた。

 彼女は手に持った白い本を自分の頭の高さまで上げ、その本に書かれている内容を読んでいるようだ。ただ読むだけではなく、声に感情を乗せている。

 考えるまでもなく、里奈には彼女が手にした台本で演技練習をしているのだと分かった。

 里奈は極力音を立てないように彼女に近づき、しばらく彼女を観察することにした。

 滑舌に少し甘いところがある気がするが、里奈が近づいてきてもまるで意に介する事なく台本を読み続けている集中力は素晴らしいし、演技力自体もプロの里奈から見てもなかなかだ。

「ふう……」

 一区切りついたところで、彼女は台本から目を離した。そこでやっと里奈に気づいたのだろう、里奈の顔を見るなり、

「え、みっ、三代さん?」

 彼女は上ずった声を上げながら里奈から距離を取り、感情と連動しているかのようにツインテールが揺れる。

「えっと、ごめんなさい。驚かすつもりはなかったんだけど、確かあなたは……」

 里奈も彼女に見覚えがあった。アパートの前で自分に会えたことで泣き始めてしまったツインテールの少女。

「あっ、わっ、私、八雲遥奈です。この前アパートで朝倉さんと一緒にいるところでお会いした」

 本人にはそんなつもりは決してないのだろうが、里奈には遥奈が怯えているように見えた。里奈を前にして緊張しているのだろう。

「やっぱりそうだよね。ここで練習?」

「あ、やはり聞いてましたよね……」

 遥奈は手にした台本を両手で腹のあたりで抱えると、恥ずかしそうに背中を丸めた。

「私、三代さんみたいな声優になりたくて、養成所に通ってるんです」

「へえ、ここでよく練習してるの?」

 里奈は公園を見渡した。校庭のように固く地ならしされた敷地内には遊具はなく、点々とベンチが置かれているだけだ。おまけに近くに民家はなく、里奈と遥奈以外に人影はない。確かにここなら多少大きな声を出したところで問題ないだろう。

 実際、まだ里奈が養成所に通っていた頃、ここで何度か練習したことがある。

「はい。ここなら周りを気にせずに思いっきり声を出せるので」

「でも恥ずかしくないの?」

「最初は恥ずかしかったですけど……三代さんみたいな声優になりたいので、これくらいで恥ずかしがってちゃ駄目だって思ってたら慣れました」

 まだ表情が固いものの、台本を胸に抱え直し遥奈は微笑を浮かべた。

「へえ……」

 里奈は内心遥奈に感心していた。他人からどう思われるかを気にしていたら、声優としてやっていくのは難しい。現場では口に出すのを躊躇する恥ずかしいセリフを言う機会はいくらでもある。そんな時にいちいち恥ずかしがっていたら仕事にならない。遥奈はなかなか見込みがある。

「実は私も昔はここで練習したことあるんだよね」

「ここで三代さんが……」

 遥奈はただの公園があたかも歴史的価値のある土地かのように、興味深そうに見渡し始めた。

「確かにここって全然人通りがないから、練習するのにもってこいだよね」

 里奈も以前自分がよく練習していた場所の辺りに視線を向ける。昔の自分の姿が一瞬だけ見えたような気がした。

「ですよね! 前に家の近くの公園で練習してたらちびっ子にからかわれたりしたこともあったんですけど、ここは全くと言っていいほど人通りがありませんし」

「あ、もしかしてちびっ子にからかわれた公園ってアパートを出て左に出て……」

 里奈は遥奈がからかわれた公園に見当がついていた。アパートから公園のルートを遥奈に話すと、

「そこです! 三代さんも経験あったんですね」

 予想は的中したようだ。遥奈は目を大きくし、食らいつくように反応した。

「まあ、近くにマンションがたくさんあるから仕方ないんだけどね。だけど私の相手役を勝手に始められるのはちょっと困るかな」

 里奈はその時の事を思い出し苦笑を浮かべ、

「それは確かに困っちゃいますね……」

 遥奈も里奈と似たような表情になる。

 里奈の地元はここではない。遥奈も一人暮らしをしているということは、地元はまた別にあるのだろう。それにも関わらず、里奈はまるで地元の後輩と話しているかのような感覚を抱き始めていた。

「そういえば、三代さんはどうしてここに?」

「それは……」

 ふと思いついたように尋ねてきた遥奈の問いかけに、里奈は言葉を詰まらせた。喧嘩して飛び出してきたとは流石に言いづらい。

「……もしかして、朝倉さんと喧嘩したんですか?」

「えっ」

 図星を突かれた里奈は、強張った不自然な表情を浮かべる。

「やっぱりそうなんですね……三代さんを怒らせるなんて、なんて失礼な男。一度説教しないと」

「あ、いや、だけど私も悪いから」

 拳を握りしめ、急に低い声になった遥奈に、里奈は慌ててフォローを入れる。

「そんなはずありません! どうせネガティブすぎるせいで捻くれた事言っちゃって三代さんが怒っちゃったに決まってます!」

「あはは……」

 声を荒げる遥奈に里奈は苦笑を浮かべた。しかしその表情からすぐに苦笑は消え、

「……だけど、昔は本当にカッコよかったから、どうしても嫌いになれなくて……だから、今も好きなんだよね」

 焦点の定まらない目で遠くを見つめ、寂しそうな笑みを浮かべながら言った。

「……あ」

 そして今自分が恥ずかしい事を言ってしまったことに気づき、

「ごめん、今のナシ!」

 大げさに両手を振った。恥ずかしさから顔が赤くなる。

 それを聞いていた遥奈は呆然と言った様子でしばらく固まっていたものの、

「す……素敵です! さっきの憂いのある表情の三代さんなんて尊すぎて私思わず固まっちゃいましたし、照れる三代さんも可愛すぎます!」

 一時停止状態から再生ボタンを押されたかのように、目を輝かせながら里奈に詰め寄った。

 里奈は初めて遥奈と会ったとき、『ちょっと変わった子』という印象を抱いていた。しかし公園で練習している姿を見てその印象は変わり、そして今、『相当変な子』にレベルアップした。

「ちょ、ちょっと落ち着こう?」

 里奈は遥奈の両肩を掴み、距離を取った。すると遥奈の表情がみるみるうちに泣きそうなものに変わっていく。

「私……迷惑でしたか?」

「あ、いや、そうじゃないんだけど……」

 里奈は即座に否定したものの、

「私達ってまだ知り合ったばかりですし、私ってそもそも三代さんのファンでしかないですからね……」

 遥奈の目尻から涙が滲み始める。

「あっ、大丈夫だよ! ほら、これから仲良くなればいいだけだから!」

 無意識のうちに泣く子を慰めなければと思ってしまうのか、里奈は両手を顔の前で慌ただしく動かしながら、ぎこちない笑顔を遥奈に向けた。

「本当……ですか?」

「本当本当!」

 涙を拭いながら弱々しい声で尋ねる遥奈に、里奈は大きく二度首を縦に振る。

 それを聞いた遥奈は、

「やったあ! 友達になってくれるんですね。ありがとうございます!」

 さっきまで涙を滲ませていたのがウソのような笑顔を浮かべ、里奈の手を取った。

 そんな遥奈を見て、里奈の脳裏に「狙ってやったのではないか?」という疑惑が浮かび始めていた。遥奈は曲がりなりにも、声の俳優、声優を目指しているのだ。

 しかし遥奈のどう見ても心から喜んでいるような笑顔を見ていると、そんな事を考えてしまう自分が嫌になってしまうのだった。


「お邪魔します……」

 遥奈の自宅に招かれた里奈は、音を立てないように遥奈の家のドアを閉めると、鍵をかけた。

「散らかっててすみません」

 先に家に上がっていた遥奈は振り向きそう一言言うと、将也のように家に上がるなりゴミを拾い始めるようなことはなく部屋の奥に向かっていった。里奈もそれに続く。

 遥奈の部屋は将也と同じアパートなため当然間取りは同じだが、家具は淡いピンクや水色といった中間色が多く使われている。そのためか、遥奈の部屋のほうが新しい物件のように感じられる。

 遥奈は「散らかっててすみません」と言ったものの、別に本当に散らかっているわけでもなく、思ったより普通の部屋で、里奈は内心安堵していた。

 昔里奈が出演したアニメで、とある人物を愛するあまり、壁に隙間なく写真を貼り付けているという設定のキャラクターがいた。遥奈は現実の人間なのだからそんなことはないと自分に言い聞かせたものの、何かしら自分への偏愛を表すようなものが部屋にあるのではないか、という考えがどうしても頭から離れなかった。

 一見そのようなものは見当たらないが、もしかしたら上手くカモフラージュされているのではないかと思い始め、部屋を見渡すふりをして部屋の小物を注意深く観察し始めた。

「私の部屋面白いですか?」

 立ったまま一周二週と部屋を見渡していると、いつの間にか部屋を出ていた遥奈がアイスコーヒーの入ったボトルとグラスをお盆に乗せて戻ってきた。

 遥奈は部屋の中心にあるローテーブルにお盆を置くと、

「布をめくったり、クローゼットを開けたら三代さんの写真がびっしりと貼ってある……なんてことはないから安心してください」

 その一言に、里奈は一瞬体をこわばらせ、遥奈に顔を向ける。

 そこには髪型のせいか幼さを感じさせるものの、何だかつい可愛がりたくなってしまうようなあどけない笑みを浮かべる遥奈がいた。

「まさか。そんなことするなんてアニメのキャラくらいでしょ」

 里奈は視線を彷徨わせながら作り笑いを浮かべた。実は遥奈は読心術を会得しているのではないか。そんなことを思ってしまう。

「ですよね。写真は色あせちゃうから、デジタルで保存して満喫するのが一番です」

 聞き捨てならない事を遥奈がコーヒーをグラスに注ぎながら言ったような気がしたが、里奈は聞かなかったことにした。

「どうぞ」

 遥奈は砂糖やミルクを入れるか尋ねること無く、コースターの上に置かれたグラスを里奈に勧めた。

「ありがとう……ってあれ、私ブラック派だって話したっけ?」

 ローテーブルの前に座りグラスを手に取った里奈は、ふと気づき尋ねた。

「いえ、前にインタビューで『アイスコーヒーはブラック派』って言ってましたから」

「な、なるほどね……」

 目を細めて笑う遥奈にそれ以上追求せず、里奈はグラスを口に運ぶ。冷たいことで強調される苦味と香りが心地いい。

 人気が出ると遥奈のようにその対象についてドン引きするほど詳しい人が現れることを里奈も知識としては知っていたし、気持ちもわかる。好きでたまらないから、どんな細かいことでも知っておきたくなるのだ。

 実際里奈は今では人気声優の1人だ。しかし、いざ異様なまでに自分に詳しい人と相対すると「自分の事なんて知ってどうするんだろう」と思わずにはいられなかった。

「……あのさ、こんな事聞くのは恥ずかしいんだけど、どうしてここまで私の事を知ろうとするの?」

 里奈はグラスをコースターに置くと、同じようにブラックでアイスコーヒーを飲んでいる遥奈に尋ねた。

 遥奈もグラスを両手で持ったままコースターに置くと、

「えっと、それはですね」

 今までになく真剣な表情で里奈を見た。

「それは?」

 自然と里奈は前のめりになる。

「……三代さんは、私の恩人だからです」

 遥奈は視線を落とし、昔を懐かしむようにゆっくりとした口調で言うと、

「これ以上は恥ずかしいから言えません!」

 そしてすぐに顔を上げ、笑みを作った。

「恩人……?」

 里奈には心当たりがなかった。遥奈と初めて会ったのもつい先日だ。記憶を辿ってみても、遥奈くらいの女の子を助けた覚えもない。

「とにかく、私にとって三代さんは恩人で、今の私があるのは三代さんのおかげです」

 結局それ以上は、里奈がいくら粘っても結局遥奈は何も話してくれなかったが、代わりにどれだけ自分が里奈の事を好きかを熱く語ってくれた。

 演じたキャラクターの中で好きなセリフはどれか、印象に残っているラジオの発言のようなものから始まり、五十音のなかでどれが色っぽいか、声のクセと言ったマニアックなものも熱く語ってくれた。

 気恥ずかしさもあったが、自分の事をここまで見てくれているのは嬉しく、里奈も意見を求めたりしているうちに気がつけば時刻は21時を過ぎてしまっていた。

「あ、もうこんな時間……」

 里奈は部屋に置かれてる時計を見て立ち上がろうとしたところで、将也と喧嘩して家を飛び出したのを思い出した。頭が重くなってくる。

 将也と仲直りしなければならない。しかし彼に何と言えばいいのか何も思いつかないし、そもそも悪いのは将也なのではないかと思うとますます分からなくなってくる。

「よかったら今晩泊まっていきませんか?」

「え、だけど」

 遥奈からの申し出に、里奈は言葉を詰まらせた。確かに今晩泊めてもらえば一時的に問題を先送りにできるが、根本的な解決にはならない。結局はどこかで将也と仲直りをする必要がある。

「大丈夫です。三代さんと一夜を共にする引き換えに、私が朝倉さんと話してきます」

 遥奈は自信満々と言った様子で眉を吊り上げ、胸を張った。

「一夜って……」

 里奈は遥奈のいやらしい表現に戸惑いつつも、力を借りることにした。以前アパートで出くわしたときの態度を見る限り、それなりに交流もあるようだ。自分1人でなんとかするよりいいかもしれない。


 里奈と遥奈がそんなことを話していた同時刻。

 将也は自分の家で床に腰を下ろし、缶チューハイを飲んでいた。例によって飲んでいるのはアルコール度の高いもので、顔色は誰が見ても酔っ払っているのが分かるほどに赤くなっている。普段から特別おいしいと思って飲んでいるわけではないが、今日は普段に増しておいしくない。

「はあ……」

 今日何度目か分からないため息をつく。

 里奈にひどい事を言ってしまった。自分のことを思って言ってくれたのに、最低の事をしてしまった。

 里奈が言っていることは正論だ。今のようなやり方では再就職は上手く行かないだろう。しかし、里奈に対する劣等感からどうしても反発せずにはいられなかったのだ。

 里奈は財布も携帯も持たずに飛び出してしまった上に、気がつけば時刻は21時を過ぎている。流石に心配だ。もし里奈に何かあったらと思うとやはり心配だが、こんな状態でもプライドが邪魔をしてしまって探しに行くのに二の足を踏んでしまう。

 しかし、里奈なんてどうにでもなればいいと思えるほど将也のメンタルは強くない。ついに里奈を探しに行く決意を固めて立ち上がり、玄関へ向かおうとした瞬間、インターホンが鳴らされた。

 きっと里奈だ。将也は駆け足で玄関に向かいドアを開けると、

「こんばんは」

 ドアの前に立っていたのは里奈ではなく、遥奈だった。両手を後ろで組み、口元には笑みが浮かんでいるが、どこか怪しげだ。

「なんだ……八雲か」

 思わず落胆のあまりため息とともに言葉が漏れてしまう。

「三代さんじゃなくてがっかりしましたか?」

「!?」

 遥奈の一言に将也は顔を上げ、遥奈の顔を見た。自分は優位な立場にいると言わんばかりの、優越感を滲ませた笑みを浮かべている。

「里奈がどこにいるのか知っているのか!?」

 間違いなく遥奈は里奈の居所を知っている。将也は遥奈に向かって身を乗り出した。

「いえ、知らないですよ」

 しかし遥奈は右手で右側のツインテールを触りながら突き放すように言うと、

「その様子だと、三代さんと喧嘩して未だに帰ってこない、と言ったところですかね?」

 将也の心を見透かしているような目で将也を見た。

「それは……」

 遥奈の視線に耐えきれず、将也は視線をそらした。なぜこんなにも遥奈は勘が鋭いのだろう。実は何かの超能力者なのではないかとつい思ってしまう。

「私、言いましたよね? 三代さんとの仲を取り持ってほしいって。でも、喧嘩して出ていかれるようではそれもできませんし、そもそもなんで探しに行かないんですか? 三代さんの身に何かあっても別に構わないんですか?」

「それは違う!」

 将也は遥奈に気圧されて話を聞き続けていたものの、最後の一言だけは聞き捨てならず、即座に否定すると、ドアの隙間から将也に語りかけていた遥奈は一気に将也に詰め寄り、

「じゃあどうして探しに行かないんですか? 家で酒飲んで酔っ払ってる人が言ったって、全然説得力ありませんよね。実はいなくなってせいせいしたとか思ってません?」

 ゾッとするような低い声でまくし立てながら玄関に足を踏み入れてきた遥奈に、将也は後ずさった。ドアが音を立てて閉まる。

 玄関は薄暗く、薄闇の中で浮かび上がっているような遥奈の冷たい目に、将也は不気味さを感じずにはいられなかった。

「……頭では分かってるのに、劣等感で今までのように付き合えなくなってしまった俺の気持ちなんて、お前にはわからないよ」

 しかし相手は自分よりも小柄な少女だ。恐れる必要なんて無いと思い直し言い返すと、

「劣等感?」

 遥奈は首を傾げた。

「俺はバイトをクビになって無職だっていうのに、里奈は今では人気声優だ。住む世界が違いすぎる。そんな状態で劣等感を抱かないはずないだろ」

 遥奈に聞き返され、将也は胸の内を吐露した。遥奈はただのご近所さんであって、別に友人でもなんでもない。しかしそんな情けない自分の気持ちを誰かに聞いてほしいという思いが将也の口を動かした。

「じゃあ、そんな遠いところに行ってしまった三代さんのことなんて嫌いということですね?」

 遥奈の追求は続く。将也には遥奈が何を考えているのか分からなかった。胸の内を読もうとするも、遥奈の表情と口調からは、ただ将也の考えを知りたい以上のことを読み取ることができない。

「……嫌いじゃない」

 ここで腹のさぐりあいは意味がないと判断し、抵抗を感じながらも何とか将也が正直に答えると、

「じゃあ、好きなんですね?」

「なっ」

 ド直球な質問が飛んできた。

「…………好きということにしといてくれ」

 一度「嫌いじゃない」と答えた事によりハードルが下がっていたが、それでも恥ずかしさから遥奈の目を見ずに小声で答えた。しかしそれでは不満だったのか、

「ぼかさずにはっきり答えてください」

 すかさず遥奈から追撃が飛んでくる。この調子だとはっきり答える以外の選択肢はなさそうだ。

 将也は一度大きく息を吐くと、

「好きに決まっているだろ。努力家で、可愛くて、俺には勿体ないくらい魅力的で……そんな女の子を嫌いになれるわけないだろ」

 本音を包み隠さず遥奈に打ち明けた。

 もちろん心の内をそのまま話すことに抵抗があったが、変に取り繕ったところで遥奈には見破られてしまうだろう。そう考え、将也は赤裸々に正直な思いを語った。

「よろしい。合格です」

「……え?」

 先程まで自分を尋問していた時とは打って変わっていつもの調子の遥奈の声が聞こえ、将也は遥奈に視線を向けた。雰囲気も、いつもの遥奈に戻っている。

「……合格ってどういうことだよ?」

 発言の意図が分からず将也が尋ねると、

「三代さんは今私の家にいます」

 遥奈は両手を腰に当て、得意げに言う。

「は? ……まさか」

 里奈の居場所を知らないと言っていたはずなのに家にいると言われ、将也の脳裏に1つの答えが導き出された。

「すみません。私朝倉さんを試してました」

 遥奈はウインクをすると、両手を顔の前で合わせた。

「な、なんでそんなことする必要があるんだよ!」

 緊張感から解放され、2人の距離にしては大きい声で将也が尋ねた。

「私は三代さんから2人を仲直りさせる任務を受けてここに来ました。ですが、三代さんから話を聞く限りでは朝倉さんが三代さんの事をどう思ってるか分かりませんでした。なので一芝居打つことにしたんです」

「で、俺の回答は合格ってことか」

 将也はうんざりした表情で首の後をかいた。

「その通りです!」

 遥奈は満足そうにやや大げさに頷き、遥奈の感情と連動するようにツインテールが揺れる。

 そんな遥奈を見て将也は大きなため息をついた。本当によく分からない女の子だ。どうしてここまで里奈の事を慕うのだろう。もはや慕うというレベルを超えている。

「というわけで、三代さんに朝倉さんの気持ちと、仲直りしたいと思っていることを伝えてきます。明日の朝迎えに来てくださいね?」

「ちょ、ちょっと待て!」

 家を出ていこうとする遥奈を将也は呼び止めた。

「俺の気持ちってどういうことだよ?」

「それはもちろん、朝倉さんが三代さんの事を『好き』って言ってたことですよ」

「おい、待て、やめろ!」

 しかし遥奈は白い歯を見せて笑うだけで、何も答えることなく家を出ていってしまった。

「どうすりゃいいんだ……」

 取り残された将也の口から思わずぼやきが漏れる。里奈や遥奈とこれからどう接していくべきなのか、そして自分はどのような仕事を探すべきなのか。どうしたらいいのか分からないことが多すぎて、もう一杯飲みたくなってくる。

 しかし冷蔵庫に手をかけようとしたところで、

「いや……今日はやめよう」

 飲みたい欲求よりも飲まないほうがいいという自制心が上回り、冷蔵庫の取っ手から手を離した。酒のせいで里奈とは言い合いになってしまったし、このままではダメだ。代わりに水をグラス1杯飲むと、将也は部屋へ向かっていった。

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