🐛 強虫

「僕は何の取り柄もない弱虫だから…」


それがあいつの口癖だった。

嘘だ。

あいつは頭も顔もいい上に、家も金持ちだった。

どうしてあいつがそんなに卑屈になるのか、俺にはわからなかった。


我が国は軍事国家だから、徴兵の義務がある。

8つになると軍学校に入学し、そこでお国のお役に立つように色々と鍛えられる。

あいつとは、チーソンとはそこで出会った。


最初は女子と見違えたくらい、綺麗な容姿だった。でも学校には当然、異性はいない。


そんな顔なので、学校内でも有名人で、しょっちゅうラブレターを貰っていた。

あいつはいつも困ったように笑いながら


「僕なんかのどこがいいんだろうね」

と言っていた。


俺はそれにただ肩をすくめて返した。

気恥ずかしくて、あいつの魅力を上手く伝えることが出来なかったのだ。


そんなあいつの魅力が、まさか「蟲」にまで通じるとは思わなかった。




蟲というのは、我が国が世界に誇る生物兵器。

虫に似た形をしていて、人の体を這い、共に闘ってくれる生物の総称だ。


蟲の種類は多岐にわたるが、持ち主は蟲を選ぶことは出来ない。蟲が持ち主を選ぶ。

軍から割り当てられた蟲と対面し、蟲に認められたものだけがパートナーを得る。


割り当ての日、チーソンだけ何故か別室に連れて行かれた。

帰ってきたあいつは困った顔をしながら、俺にあるものを見せてきた。


「うわっ」


思わず声が出た。

それは気味の悪い、こぶし大のナメクジだった。


「うん、僕の蟲」


そう言ってあいつが背中を撫でると、ナメクジは嬉しそうに体を震わせた。

そいつは実験の過程で偶然生まれた新種の蟲らしく、姿かたちや硬度を自在に操ることが出来た。


餅のように柔らかく、鋼鉄のように硬く。

平面にも球体にも、かなり複雑な形まで再現することも可能だった。


強力な蟲なんだが気難しい性格らしく、今まで誰を会わせても、その体に這うことがなかったのだそうだ。

しかし、チーソンを一目みた途端張り付いて離れなくなってしまったのだと。


更にチーソンは俺だけに、俺にとんでもない秘密を教えてくれた。

あいつが呼びかけると


「ちー、そん」


なんとナメクジが喋り出したのだ。


「うわっキモッッッ!」


反射的に正直な感想を述べると、ナメクジは小さく縮こまった。


「やめてあげてよ、メンタルが弱いんだ」


チーソンが慌ててフォローをする。

なんでも体を自由に変形できる特性から、人間の口内を再現したそうだ。

言葉の喋るナメクジ。なんて気持ち悪い。

俺は吐き気を堪える。


ナメクジは滔々と語り出した。


「おで、ちーそん選ンだの、ひとめぼ、レ」


俺は吐いた。

でも続きが気になるので、チーソンに背中をさすられながら話を聞いた。げえげえ。


ナメクジはまだ慣れない人の言葉で懸命に説明を続けた。

今まで会わされた兵士は、皆一様に自分のこの姿を見て嫌な顔をしたこと。

しかしチーソンだけが、自分を嫌がらなかったこと。

あと顔がすごく可愛いくて好みだったこと。


…蟲も顔で選ぶのか…。


俺は思わず言ってしまった。


「え、チーソンはナメクジ、キモくないのか?」


「いや、キモいけど」

即答だった。


「いマは嫌われテテっも」ナメクジが、たどたどしい発音で言った。


「ソのうち、愛、が芽生エるか、モ」


粘液を垂れ流しながら、おぞましい言葉を口にする。


「そうだねえ」

チーソンは困ったような笑みを浮かべ、ナメクジに「コエダメ」という名前を付けた。


…いや、嫌ってるだろ。


気味の悪い蟲にすら好かれるほど、チーソンは魅力的であったのだ。




その魅力ゆえ、厄介な先輩に目をつけられたことがあった。


その先輩は、何かにつけてチーソンに嫌がらせをした。

それが、小さな子供が好きな子に構って欲しくて虐めるのと、同じような具合なのである。


先輩は醜いあばた面で頭を丸坊主にしており、十円ハゲがある。

行き場のないコンプレックスが歪み、正常な愛情表現もできないんだろう。

俺がそう言うと


「すごい分析力だね!」

他人事のようにチーソンは褒めた。


ある日、些細なことで俺はその先輩に絡まれて突き飛ばされ、軽い骨折をした。

それが随分チーソンの気に障ったらしい。あいつはコエダメにヒソヒソと指示をした。


「夜中に先輩の部屋に忍び込んで、彼の蟲を食べてきてくれないかな」


自分の蟲を死なせてしまうことは、たとえそれが事故であっても、重罪である。

蟲も管理できない無能として、一生日陰者として暮らすのだ。

新しい蟲も割り当てられない。


「オレ、いやだよ」

コエダメは拒否をした。

余談だが、このころにはすっかり人の言葉に慣れ、流暢な発音になっていた。


「寝込みを襲うなんて卑怯だよ…。それは人の道に反することじゃないの…?」


気のいいナメクジなのだ。(俺はその頃にはすっかり奴と仲良くなっていた)

チーソンはニッコリ笑ってこう返した。


「人じゃないから大丈夫」

なんのフォローにもなっていない。


なおも渋るコエダメだけど、結局その指示に従うことになる。

仕方のないことだ。基本的に蟲は、一度這った人間には逆らえない。

というか、惚れた弱みだった。


蟲を失くした先輩は、いつの間にか見かけなくなっていた。


「あちこちから恨みを買ってたからね。虐め殺されちゃったのかもしれない」

無感情に語るチーソンを見て、その本性に触れた気がした。


すると俺の表情に気づいたのか

「ごめんね」


と申し訳なさそうに、謝った。




溢れんばかりの歓声と、蝉の声。

『ぞわわグランプリ』の決勝戦が、始まろうとしていた。

観衆は、「奇襲のアイドル チーソン VS 百足の巨人 タアシイ」の試合が始まるのを心待ちにしている。

俺はこれから試合であるチーソンの身を案じながら、ここまでのことを回想した。




チーソンが『ぞわわグランプリ』に参加したのは、ある意味必然だった。


ぞわわグランプリとは蟲を使った、兵の研鑽を積むための競技である。

選手は蟲を体に這わせ、相手のKO、あるいは降参を受けるまで試合が終わらないデスマッチ。

ルールは、試合中に蟲を体から離さないこと、それだけ。

目つぶし金的その他禁じ手一切なしの、世界で一番勇敢な格闘技である。

いや、それは格闘技と呼ぶことすら憚られる、純粋な暴力であった。


上官たちから推薦されグランプリに進むこととなったチーソンは、

「親の七光りだよ」と言いつつも、やけに嬉しそうだった。


「人を殺してもいいって聞いたから…」

チーソンは、恥じらいながらそう言った。

確かに、リングの上での死亡は事故として片づけられる。


俺が黙っていると慌てたように


「実際に殺すつもりはないよ、ただ全力で暴れたいだけなんだ」とつけたした。


そうして言葉通り、チーソンは決勝まで誰も殺さなかった。

しかし「それ以外」は、全てやった。




「騙し討ちのアイドル チーソン」。それがあいつについた異名だ。


全国から集められた5000人超の参加者の中で、ナメクジを使うのはチーソンただ一人だった。

蟲は、その多くが甲殻類、爬虫類系。変わったところで両生類などだ。


変幻自在に姿を変えるナメクジは、対戦相手の視界からすぐに姿を消し、そして死角から一撃を見舞う。

大抵の相手は初めての経験に戸惑い、あたふたしている内にマットに沈む。

チーソンは、相手の想像の外から攻撃をするのが本当にうまかった。


ただ、それだけでは「騙し討ち」などという不名誉な名前はつかなかったろう。

しかしチーソンは、勝利の為ならなんでもやった。

一例を紹介する。


・試合中にわざと相手に背を向けたり、ダウンしたりして相手を誘い、コエダメがカウンターを仕掛ける

・相手の蟲をコエダメに絡ませ、蟲を強引に引きはがす(蟲が体から離れると、反則負け。ただしこの戦い方は卑怯と言われ、誰も使わない戦法だった)

・試合前に相手にラブレターを送り、動揺させる

・潤んだ瞳で相手に上目遣いを送り、動揺させる

・試合前の握手時にほっぺにキスをし動揺させる


どれもルール上は一切問題のない行為だが、大いに反感を買った。

そして何より異常だったのは、リングの上で奴の凶暴性だった。

雄たけびを上げ、相手の蟲を噛みちぎり、戦意喪失した相手にも容赦なく殴りかかる。


彼には多くのアンチと、それより多くのファンが付いた。




コエダメが、妙なことを言い出した。

ぞわわグランプリを優勝したら、チーソンと結婚するというのだ。


「人間は蟲とは、結婚できない」

とだけ言っておいた。コエダメには悪いけれども。


するとチーソンは

「僕は人間なのかな」

と言った。

俺は肩を竦めて返事をした。




「みんなは僕のことを、凶暴だというけれど、本当は違う。

僕は、とても臆病なんだと思う。


負けるのが怖いんだ。


僕は何をやっても駄目で、たくさん負けて来て。

何かに一つ負けるたびに、居場所を一つ失ったような気分になるんだ。

失って、失って、自分が誰からも許されてない気持ちになっちゃうんだ。

勝たないと、誰にも喜びを与えない虫ケラみたいになってしまう。

そんな気がして恐いんだ」


普段は言葉少ななチーソンは、俺と2人だけの時は、よく喋った。


「君はいいよね。コエダメとも仲良くなって。

君は、なんていうか、相手を見ない。誰であっても平等に受け入れる懐の深さがあると思う。


だから僕は、君の隣だととても安心できるんだ。

こんな僕でも、弱虫の僕でも、人と同じように温かく接してくれる。


正直言うとね、明日の決勝戦。僕はあまり勝つ自信がないんだ。

でも、それでもいいと思ってる。

君になら負けても、いいかなって。


だから手なんて抜かずに全力で来てほしい。約束だよ、タアシイ!」



試合の朝、目覚めると、胸元に俺の蟲のオオムカデが張り付いて動けなくなっていた。

接着剤だ。



控え室のチーソンの下を訪れると、あいつはいつもと変わらない笑顔で俺を迎えた。


「ちゃんとくまなく塗ったはずなんだけどな。どうやって抜け出したの?

無理やり剥がしたら、脚とかちぎれちゃうと思うんだけど」


俺は静かに答えた。


「脱皮の時期だったんだ」


そっかあ、ムカデって脱皮するもんね。あいつはバツが悪そうに笑った。


「やっぱり僕はダメだなあ、暴力以外は。どうにも詰めが甘いや。

ね、コエダメ」


その頃にはコエダメはすっかり成長して、人の頭ほども大きくなっていた。

しかしその巨体を縮こまらせて、部屋の隅で震えている。


「ずっと君に失望されるのを恐がってたよ。

ああ、コエダメの話さ。


でもわかってほしいのは、これはぼくの独断でやったことだ。

コエダメはずっと止めてたよ。

それは人の道に反することだーってね。

なんだか笑えない?だって僕たち2人共、人間じゃないのにさ。

あの子はナメクジ、僕は弱虫」


目を大きく見開いて、おどけた仕草をする。

それは確かに、アイドルみたいにチャーミングだった。


「…僕は別に構わないよ。

君に失望されたって、嫌われたって。

そんなこと、君と闘うことに比べたら、何倍もマシだ。

僕は。君と闘うのが、恐い」


そして試合が始まる。




変幻自在、予測がつかない動きのチーソンとコエダメ。

しかしその動きを1番身近で見てきた俺には、2人の奇襲を手に取るように読むことができた。


思うように攻めが通じず、チーソンの焦りが伝わる。

俺は、わざと2人のリズムが狂うように、不要な動きを混ぜる。

コエダメとのコンビネーションがチグハグになっていく。


すると、チーソンはやおらコエダメを掴み、俺の顔面に投げつけてきた。

俺が提案した必殺技、平面の地獄(グランドデスマスク)だ。


「コエダメってさ、どんな形にでも変形できるんだろ?」

「うん、オレはどんな形にも変形できるよ!」

「じゃあさ、相手の顔面に張り付いちゃえば、何もできなくなるんじゃね?」

「え?」

「鼻と口塞いだら息できない。視界も奪える」

「…なんか残酷…」

「技名は、平面の地獄(グランドデスマスク)!相手は死ぬ」

「やだよ、えぐい!!第一、鼻水と涎でべちゃべちゃになるじゃないか!!」

「もともと粘液でべちゃべちゃだろ!!!」


俺たちのやり取りを黙って聞いていたチーソンは、口を挟んだ。


「ぞわわグランプリって、体から蟲離すと失格じゃなかったっけ?」


俺は得意げに答える。

「そう!だからこれは、失格になっても殺したい相手がいた時に使う。親の仇とか」

「いないよそんなの」

「魔王とか…悪の」

「仮にいたとして、素直にグランプリに参加しないよ!」

こんな馬鹿話をしては、3人で笑ってた。




そうか、ここに来て使うのか。

しかしコエダメは俺の顔面に張り付かず、そのままポトリと地面に落ちた。


おい、どうしたコエダメ。

俺に勝って、チーソンと結婚するんじゃなかったのか?


ゴングがなる。

チーソンの反則負けなんだから、試合終了だ。


しかしチーソンはゴングなど意に介さず、俺に突っ込んできた。

俺は反射的に、ムカデを繰りカウンターを放った。




目が覚めると、薬の匂いが鼻を突いた。


それに気づいた医務室の人間が、俺に教えてくれた。


俺が優勝したこと。

しかしカウンターは、間一髪間に合わなかったこと。

チーソンの一撃が顎にヒットし、のされてしまったこと。

その後チーソンは逃亡し、今も見つかっていないこと。


それだけ告げると、退室していき、俺は一人残された。




俺は静かに呟いた。

「出てこいよ」


壁の模様の一部が、みるみるナメクジの体に変わっていく。

コエダメはカメレオンのように体表を変化させることが出来る。


薄く延ばしたコエダメをコートのように羽織ったチーソンが、姿を現した。


あいつは静かに話し出した。

「僕はね、タアシイ。後悔はないよ。

君が考えてくれたあの技のおかげで、反則負けになれた。

君の事を、殺さずに済んだ」


「殺す…?」俺が呟いた。


「そう、僕はね、君を殺したくて殺したくて、たまらなかった。

でもね、それをすると、もう君に会えなくなっちゃうだろ?

それだけが、僕は恐かった。


君は強い。僕よりも。だから、抑えることが出来なさそうだった。

君だけは、殺したくなかったんだ」


そして、最後にこう言った。

「ねえ、僕はまだ、人間に見えるかい?」


俺は、答えることが出来なかった。

チーソンはいつのまにか消えていた。

コエダメは最後まで、喋らなかった。


軍学校からの脱走は、極刑だ。

俺は二度と、彼に会うことはできないだろう。

ただどうしてあの時、あいつが人間だと言ってあげられなかったのか。

それだけが悔やまれる。


蝉が騒がしく鳴き出す季節になるたびに切ない初恋の思い出がよみがえり、俺の胸を締め付けるのだ。


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