👕 × 👹
嗅ぎ慣れない妙な匂いを感じ、僕は覚醒した。
これは畳の匂いだ。
僕は今まで街道で雨に打たれていたのに、いつのまにか座敷で座布団に正座している。
畳も座布団も座敷も、全て僕が名前すら知らないはずのものだった。
だけどどうしてか、すんなり受け入れることが出来た。
「不必要なストレスを感じないように、知識を少し付け足した」
声がした方を見る。
全身真っ黒のスーツを着込み、首からボロボロの荒縄をぶら下げている。
先程僕を連れ去ったスーツの男だった。
そしてその隣には、大柄な女が不満そうな表情で黙っている。
「どこだここは!」
僕が叫ぶと
「京都だ」とあっさり告げられたので、二の句が続かず言葉に詰まってしまった。
キョート。キョートとはどこだ。
僕の沈黙を確認して男は話し出した。
「突然だが、お前らには殺し合いをしてもらう。
今から伝える二人組を殺せ。慣れてるだろ?殺人鬼なんだから。
ああ、どうも」
カチャと男の前にお茶が置かれる。そして大女、僕の前にも。
渡し手を見ると着物を着た子供だった。その顔面にはもじゃもじゃと髭が生えている。
僕と目が合うとニッコリ笑い、その口元からは折れた牙が顔を覗かせた。
ずいぶん奇妙な外見をしているが、場違いに愛嬌があり、可愛らしい子だ。
突然の闖入者に毒気を抜かれていると、男は続けた。
「お前の相棒はこのガキだ。
相手は『皆勤賞』と『世界最強の足の裏』。
どちらかが全滅すればおしまいだ」
「ま、待ってくれ」
「待たない、聞きたいことがあるならこれに訊け。ジャズガスキー君」
男はそう言って、革で綴じられた手帳を僕に投げてよこした。
紙は古びていて、所々擦り切れている。表紙には不気味な顔面が印刷されていてとても悪趣味だ。持ち歩きたくない。
「お前も」
男は、子どもに竹筒のようなものを手渡す。
「“端末”だ。分からないことはこれが答えてくれる。
状況把握能力も実力の内だからな」
スラスラと早口で続けるが、全く頭が追いつかない。殺し合い?
「なんで…そんなことしなくちゃいけない?!殺し合い!?
リングに上げてデスマッチでもさそうってか?!僕は喧嘩だってしたことがないのに!?」
男はククッと声を上げる。
「リング?そんな生易しいもんじゃない、この仕事にルールなんてないんだ。
いいか?何を。やっても。いい」
男は細かく言葉を区切り、強調する。
「お前は…そうだな…。確かに弱い。“参加者”の中で、結構悲惨な方だ。
俺はお前なんて嫌いだが、そのガキ」
男はクイと顎で子どもを指した。子どもはキッチリと正座をただして一生懸命に目を見開き、一言も聞き逃さまいとしているように見える。
「その子のことは気に入っている、愛嬌もあるし性格がいい。生き残って欲しいと思うよ。だから一つアドバイスだ」
アドバイス。男は続ける。
あいもかわらず早口で、一才の淀みもなく。
「その“端末”を質問責めにしろ。この仕事はな、情報がなさすぎる。知っていることが多い方が勝つ」
「強い方が勝ちます」
急に大女の方が口を出してきて、僕は意表を突かれる。
「強い方が勝つ、それだけです。あなたでは殺し合いは勝てません」
─あなたとは、僕のことだろう。
沈黙が訪れる。
勝てないだと!?失礼な!いや失礼でもないか、殺し合いなんて。
言い返したいけれど、色んなことが起こりすぎてどう口を出せば良いか分からなくなってる。
静寂を破ったのは、場違いに明るい子どもの声だった。
「おらがやるだ!」
体を前のめりにし、着物の子どもがやる気満々といった顔をしている。
一瞬、黒スーツの2人が相貌を緩めた。優しい目をした。
「がんばれよ」
言った後、2人はそのまま煙のように消えてしまい、僕と子どもが残された。
一体なんなんだ?いくらなんでも説明不足すぎる。溢れ出る情報の洪水で、僕は息も出来ない。指先が冷える、目蓋が重くなる。
頭を抱えていると、子どもが口を開いた。
「おらは山姥の娘だ。
お前様がおらの助けを必要としてるってきいて、連れてきてもらっただ。
精一杯お役に立ちますだ」
そういって、頭と手を地面につける奇妙な格好をした。
「…こんな子どもを」
なにかとてつもない理不尽が、僕らを襲っているような気がする。
二人組で殺し合いだって?なぜ僕がそんなことをしなくちゃならないんだ?何も悪いこともしてないのに!
僕は冷える指先を脇の下に挟み、深呼吸をした。子どもが不思議そうに首を傾げている。
とにかく打破だ。
このまま手をこまねいては、よくわからないうちに運命にひねりつぶされてしまいそうな、そんな焦燥感があった。
「僕はBB・ジャズガスキー。何の説明もなくここに拐かされた、罪なき一般市民だ。殺し合いなんて、したこともない。
助けてくれるってことだけど、君は何者だい?名前は?一体どこから来たんだ?」
「え、おら。おら…」
矢継ぎ早の質問に子どもが狼狽するのが伝わる。
僕は内心で慌てた。まずい、先走りすぎたか。
すると、子どもが持っていた竹筒状の“端末”から、にゅるりと細長い体をした獣が顔を出した。
美しい白い毛並みの持ち主で、顔はキツネに似ている。
「このこは、まだ子どもの山姥だ」
「山姥っちゅうのは山に住んでいて、人とか動物とかを食べて生きとる女の化け物だよ」
「大岩動かすような怪力だとか、火や突風を噴き出すこともできるもんで、殺し合いでは役に立つだ」
「名前の文化はないでな、呼び名はとにかく「山姥の娘」だあ」
「兄さんとは違う世界からやってきただ。うんと遠くの、一生行くことのない国って考えれば、間違いないだな」
かわいらしい声で、全て綺麗に答えてくれた。
「…なるほど、“端末”か…」
解決したい疑問点は山のようにあった。僕は端末に質問を重ね、状況把握に努めるよう努力する。
「質問責めにしろ」
男がくれた唯一のヒントだ。
僕の問いかけに、手帳の不気味な顔面が動き、しわがれた声で答える。
……僕もあのきつねみたいなのがよかったなあ!
そして小一時間たったところで、以下のことがわかった。
・参加者>様々な世界や時代から集められた戦士
・選ばれる基準>強さ以外の条件は特になし
・自分が選ばれた理由>運が良かっただけ(良かっただって?)
・対戦相手>二つ名と外見以外、不明
・戦闘場所>不明
・開始時間>明日の朝
・終了条件>どちらかの二人組のその両方の死
・相手の死以外の勝利条件>なし
・反則>なし
・スーツの男の正体>運営スタッフ、それ以外は不明
・殺し合いの意味>不明
・元の世界には帰れるか>勝ち続ければ可能
・どれだけ勝たなければいけないのか>不明
・勝負に勝つメリット>生存できる
・ここはどこか>京都
・この場所の安全性>試合が始まるまでの命は保障される、何があっても
そして、手帳に挟まっていた、対戦相手二人の写真も確認した。
それは白黒ではなく、世にも珍しい色のついた写真だった。僕はその技術に感嘆する。こんなのあるんだ。
一人はまだ顔立ちのあどけない少年で、目つきの異常な悪さをのぞけば特に変わったところはない。なぜか頭に、軍人がするようなヘルメットを被っている。
「皆勤賞」というんだから、きっと見かけによらず真面目なんだろう。全くなんの役にも立たない知識だけど。
もう一方は妙齢の女性で、美しい金髪を肩口まで伸ばし、毛先が
針金みたいに四方八方に散らばっている。
こんな場所でなかったら僕の恋人になってほしいくらい、綺麗な女の人だった。
「世界最強の足の裏」が一体なにを意味するのか、皆目見当がつかない。
足の裏までは見えないけど、特に何の変哲もない足に見える。もしかしたら
ものすごい悪臭でも放っているんだろうか。
「はえー、綺麗な絵だやなあ!」
感心している子どもに写真の概念について説明しようとしたところで、突然僕を悪寒が襲った。
僕はその場でうずくまり、頭を抱える。おかしい、朝にしか起こらないはずなのに。
連続する非日常体験に、過度なストレスがかかったためか。雨に濡れた体が冷え切ってしまったためか。
僕はまだ、あの醜悪な殺人鬼の肉を着こんだままだったことを思い出す。
心配して覗き込んだ子どもに、僕は恥をしのんで頼んだ。
「君を着させてくれないか」
僕は急いで薄汚い殺人鬼の肉を脱ぎ捨てて、子どもの肉を着込む。
子供の肉を着るのは初めてだったが、多少窮屈だけど実にしっくりな着心地に驚いた。だけど何より驚いたのは、子どもが快く受け入れてくれたことだった。
「どうじゃあ、寒いのはおさまっただか?」
僕に着られながらも心配してくれる彼女が、とても愛おしく感じた。(女の子だと分かった時はすごく驚いたけど)
そして、この子の肉を感じることで、この子自身のこれまでの記憶にも触れることができた。
村人達と仲良くしたかったこと。実のおっかあと別離してしまった悲しみ。孤独。
体内がサウナのように熱かったので、ずいぶん汗をかいてしまった。
胃袋に溶鉱炉でもついているのだろうか?
僕がそれを伝えると
「じゃあ温泉いくだ」と言って、僕に着られたままずかずかと歩き出した。
あっという間すっぽんぽんになると、彼女は温泉の中に飛び込んだ。
僕は汗を流すために、彼女の肉から脱皮する。
先ほどまで温泉というものを言葉ですら知らなかったが、これが実に具合のいいものだった。
二人でつかっていると、まるで大切な恋人の肉を着ているみたいに穏やかな気分になった。僕の国にもこれがあったなら、あんなに苦しまずに済んだのかもしれない。
「君は、あの黒服の2人を知ってるの?」
「お話しただ、やさしい人たちだった。おらをここに連れてきてくれた…」
優しい人たちが、殺し合いなんてさせる訳がない。だけど確かに、あの2人の子どもに対する態度は柔らかかった。
2人の言葉を思い出す。
何を。やっても。いい。
強い方が勝つ。
横で穏やかな顔をしている彼女の顔を見る。
自分が死なない為に誰かを殺すなんて、それは人の道に外れたことだ。
僕一人なら、無抵抗に相手に殺されることを選んでいたかもしれない。
「ねえ、君は人を殺せるかい?」僕が尋ねると、
「やるだ」女の子は短く穏やかにそう答えた。
それで僕の気持ちは決まった。こんなことは間違っている。
でも間違ったことをしてでも、僕はこの子を助けたいと思った。
温もりをくれ、受け入れてくれた、この化け物の女の子を。
僕は彼女の髪を綺麗に切りそろえ、お髭もお洒落に整えてあげる。
そしてこの小さな淑女のことを、おひげちゃんと呼ぶことにした。
「僕のことはBBと呼ぶんだよ」
「へえ、びいびい」
殺し合いのことなんて全部嘘っぱちなんじゃないかと思えるぐらい平穏な時間だった。
でもきっと最悪の明日はやってくる。こういう予感って、大体当たるんだ。
何をやってもいい、殺せるのならば。
空には綺麗な満月が浮かんでいる。
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