👕 殺人嫌いの殺人鬼

史上最も行方不明者が多い街、ヘケランテ。

そこでは恐ろしい切り裂き魔の噂が、まことしやかに囁かれていた。


男の話をしよう。


名前は、BB・ジャズガスキー。

彼はある時から、人の肉をきる不思議な能力を持つようになった。


彼はごく一般的な家庭で兄と妹を持ち、両親からの愛情を受けてすくすく育った。

子ども時代は明るく活発で、ひとを驚かせることが好きな少年であったという。


変化は、思春期に訪れた。

朝目覚めると、ひどい孤独感とどうしようもない焦燥感に襲われたのだ。


彼は体を抱きかかえ、激しい寒さから身を守るようにうずくまった。

家族には風邪と伝え(彼自身もそう思っていた)学校を休んだ。

一晩明けると悪寒は嘘のように消え、いつも通りの朝を迎える。

信じがたいほどの苦痛ではあったが、一過性のものとしてその時は大して気にも留めなかった。


しかしそれからというもの、謎の悪寒は度々彼を襲うようになる。


悪寒はいつも突拍子もなく、朝のベットの中で訪れ、一日を終えると嘘のように晴れていった。

その間はまるで、光のない海の底で圧縮されているような、深い孤独と絶望を感じた。

また、自身がどうしようもなく無価値な人間に思えて、激しい虚脱感に襲われるのだった。


家族や親しい友人、恋人との語らいも、絶望を取り払うことはできなかった。

表情を作ろうとすると顔が引きつり、声がうまく出すこともままならない。

朝を迎えるのが恐くなり、不眠症になった。


この謎の孤独感のことを、誰にも打ち明けることができなかった。

明るく社交的な自身のイメージダウンを恐れたのである。


それを別にすれば順風満帆な人生を送り、やがて成人して就職した。


しかし成長と共に、訪れる悪寒の周期が短くなっていっているのを感じていた。

この謎の症状に対してなんとか避ける方法はないか、彼は傾向をつぶさに記録した。

結果、不規則であると思われた現象に、ある一定の規則性を見出すことに成功したのである。


孤独感は、前日と比べて激しい温度差を感じる朝にいつも顔を出すのだ。

温度差。自らの体が世界とずれている感覚。


そこで色々と対抗策を試みた。


寝る前にホットミルクを飲み、朝は軽いストレッチで汗を流し、高級羽毛布団を買ってきた。

部屋にストーブを置き、明け方に一度起きて部屋を暖めたり、

また、安心して就寝できるように、恋人の使っている香水を布団に吹きかけたりもした。


その内のどれが効果があったのかまではわからない。

だが悪寒に襲われる回数は、目に見えて減ってきていた。


しかし、新たな問題が浮上する。

数は減ったが、一度に感じる悪寒の苦しみが、何倍にも感じられるようになったのである。


仕事も休み、誰とも会わずに一日をやり過ごす。

堪えがたい地獄が過ぎ去るのを、息を潜めて待つことしかできなかった。

有能で社交性もある真面目な彼がどうして無断欠勤を繰り返すのか、周りの人間は首を傾げた。


そんな調子だったので、男はすぐ職を失うこととなった。

新しく職を見つけても、またいつかは「あれ」がやってくる。

どんなに頑張っても、幸福にはなれない。

日ごとに増す悪寒の苦しみもまた堪えがたく、彼は自死を考えるまでに追いつめられていた。


そして、彼は当時付き合っていた恋人を手にかけることとなる。


彼は呆然としていた。

いつものように引き籠る自身を心配して様子を見に来た恋人。

彼女を衝動的に殺めてしまった理由が、どうしてもわからなかった。

ただ、彼女の死体をジッと眺めていると、もう一つの謎の衝動が湧き上がってきた。


ここで彼は初めて、人の肉をきることを覚える。

気がつくと彼は、なんの道具も知識もなく、まるで熟練の職人のようにその行為を実行していた。


それは初めての感触。

彼女の肉の温もりを肌で感じ、彼女自身と溶け、混ざり合っていくような感覚。

そして、気づく。

自分の中の孤独感が、嘘のように晴れていることに。


彼は丁寧に、恋人の死体を保管した。

そして、孤独と悪寒に襲われるとそれを持ち出し、きるようになった。

それだけで嘘のように爽やかに一日を過ごすことができるのだ。

不思議なことに死体はいつまでも腐敗することなく、死んだ直後の温もりを保ち続けていた。


肉をきると、自分は一人ではないと強く感じることができた。

出会う人々に感謝の念を覚え、世界が輝いて見えた。

木漏れ日の優しい光、夜に降る雨の音、コーヒーの温もり。

世界はこんなに美しかったのか、ふとした時に涙を流すことが増えた。

恋人を失ってしまった悲しみはなかった。

彼女の肉をきると、生きていた時よりも親密に、彼女を感じることができたからだ。


しかし。

彼は考える。

今こそ満ち足りているが、もし彼女を失くしたら、その時はどうすればいい?

不安は日ごとに増す。

以前のように、眠りにつくのが恐くなる。

目覚めると恋人の肉が消えている悪夢を、何度もみる。


彼は色々と努力をする。

野良犬を捕まえてきて代わりとなるか試す。

犬はすぐに彼に懐き、彼もまた犬を愛した。そして、きる。


しかしこれは解消にはならなかった。それにいささか窮屈だったのも、気になった。

墓場で死体を漁ったりもした。

しかし、肉はどれも酷い腐臭を放っており、これを部屋に置くことは難しいようだった。

また、愛を育んだ仲でなければ、彼の悪寒を癒すことはできなかった。


万策つきた彼は、ついに死体を増やす決心をする。

街に出て自分の新しい「恋人」となってくれる女性を探し求めるようになったのだ。


彼は別に、殺人が好きなわけではなかった。

むしろ愛するものを手にかける行為は、彼の精神に大きな苦痛を与えた。


生きたまま人をきることを試みたこともあったが、これは成功した。

殺さずとも、人の肉をきることは出来るのだ。

だが、結局泣き叫ぶ恋人に静かになってもらうために、やむなく命を奪うこととなった。

彼はこの結果に、ひどく傷ついた。


そうして部屋にある“恋人”の数は、日に日に増す。

男の話は一旦終わる。




雨が静かに降っている。

男は死体をテーブルの上に置いてから、舌打ちをした。

愛用の万年筆を、職場に忘れてきたことに気づいたのだ。


「これからって時に・・・」


男には不思議な力があった。

道具として認識したものであれば、釣り竿であろうと、ハンマーであろうと、写真立てであろうと、

どんなものでも肉を切り裂くことができるのだ。


別に万年筆である必要はなかった。

だけど、やっぱり肉を切る時は、あの万年筆が一番心が落ち着く。

こういった類のルールを破ることを、男は好まなかった。


最近恐ろしい噂のせいで街の人通りはめっきり絶え、肉を調達しづらくなっていた。

だからこそ、一回一回のこの行為を大切にしていきたいと、男は考えていた。


「“切り裂き魔”かあ、余計なことをしてくれるよなあ。」


ぼやいてから、思い出したように付け加える。


「まさか俺のことじゃねえよな?」


とにかく、手間だが万年筆を取りにいこう。

小雨なため、小傘をコートの懐にしまい、職場に向かう。


力に目覚めてから、もう半年が経つ。


肉を切るこの力は、彼に得も言われぬ安らぎを与えてくれた。

しかし対象は誰でもいいわけではない。

彼が好意を感じた女性、とりわけ若く美しいものでないと、その気持ちは訪れない。


万年筆を回収した頃にはもう日はすっかり落ちて、こうもりが飛び始めていた。

殺人鬼の噂のため人気がなくなってしまった暗い街道を、急ぎ足で進んでいく。

と、少し先で人影を見止め、男は警戒して足を止めた。


まさか自分が殺人鬼なんぞに後れを取るとも思えなかったが、どうせ頭のおかしいやつだろう。何をされるかわかったもんじゃない。

街灯の明かりで照らされた相手の顔をみて、ほっとする。まだ年若い女であったからだ。

向こうの方もまた警戒しており、不安そうにこちらの顔を覗きこんでいるようだった。


男は口笛をふいた。

女が地味ながらも整った顔立ちで、男好みであったからだ。


男は思案する。


考えてみれば、この物騒な街をよくも女一人で歩けるものだ。

いささか不用心が過ぎるのではないか。

まるで殺してくれとでも言わんばかりではないか。


であれば。


「本物の」恐ろしい“切り裂き魔”の手にかかる前に、自分が手にかけてやった方が親切というものだろう。


よかった、男は安心する。

どうやら良心の呵責もなく、欲望を満たすことができそうだ…。


「おねえさん・・・。」


話しかけながら懐に手を伸ばす男を見て、女は一瞬ギョッとした。

しかし、続いて取り出したのは小さな傘。今度はキョトンとした顔をする。

男は、傘の持ちての部位を伸ばしきり、50センチ程度の長さにすると、

軽い調子で女の首のあたりを払った。


女の顔はキョトンとしたまま、首から落ちて地面を転がった。


切り口から噴水のように激しく血潮が噴き出し、男は目を細める。

さて、楽しみが増えてしまった。これは嬉しい誤算。

しばらくは遊びに不自由しなさそうだ。

鼻歌を歌いながら女を回収しようとして、ふと違和感を覚える。


なにかがおかしい。


自分が切った女の「首から下」が、直立不動のまま停止している。

普通であれば、支える意思がなくなった体はバランスを失い、地面に崩れ落ちるはずである。

さらに深く観察をするため一歩死体に歩み寄ると、突然死体が喋りだした。


「…なにをするんだ…」


否、死体が喋っているのではない。

彼女の顔は、少し後ろを転がったまま沈黙している。

声がするのは、死体の首の断面からだ。

そしてその声色は、明らかに女のものではなく男のそれであった。


「彼女に傷をつけたな…」


声は怒りで震えていた

。男は強い恐怖を感じ、後ずさる。


「ば、化け物…」


すると、死体の首周りの肉が盛り上がり、中から男の顔が生えてきた。

青白い顔をした若者の顔だった。


「僕の大切な恋人に、傷をつけたな…!」


顔を出した男の名は、BB・ジャズガスキー。

彼は男と同様に不思議な力を持っていた。


人を服のように「着る」ことのできる能力である。


BBはいつものように悪寒をおさめるため、恋人の肉を着こんで街を歩いていたのだ。


「静かな雨の街を彼女と散歩して、とても、とても満ち足りた気持ちだったのに…。」


怒りに顔をゆがませ、嗚咽をもらす。愛する恋人を失ってしまった悲しみに打ち震える。

最も彼女の肉体自体は、元々死んでいるのだが。


「苦しんで死ね・・・」


ひとしきり涙をながした後、男を睨み、ずかずかと詰め寄った。

男は悲鳴を上げて持っている傘を投げつけるが、あっさりと手で振り払われてしまう。


いかな道具でも人を切り裂くことができる彼であったが、その手から離れてしまうと効力も失ってしまう。

腰を抜かしてしまった男の前でかがみこんだBBは、男の腹のあたりに両手をかける。

そして、まるでシャツを扱うような様子で、衣服ごと腹の肉を左右に押し開いた。

開け口からは、脈打つ心臓が、肝臓が、胃腸が、多くの臓物が、顔を覗かせる。

男は悲鳴を上げた。


「やめてくれ…。」


BBは構わず腹の中を覗き込むと、嫌な顔をした。


「随分とタバコをやってるな。肺が黒ずんでいる。居心地が悪そうだ。」


そう吐き捨てると、よいしょ、と言った感じで足をかけ、男の腹の中に入り込んだ。

そして、「内部から」開いた肉をピッチリと閉じる。

すると不思議なことに、男の腹部は傷一つなく元どおりに戻ってしまう。

出血した様子もなく、衣服までシミひとつない。

静寂が流れ、男は生唾を飲み込んだ。


「………夢、か?」


キョロキョロと見回すが、BBの姿はどこにも見えず、女の死体が転がっているのみである。


「夢じゃないんだ」


内部から響く声で、男は飛び上がった。


「君の中の居心地は最悪だな。肉食ばかりしているだろう、タバコと体臭が混じり合って吐き気がする」


「お、俺の中にいるのか?!出てこい・・・。くそっくそっ!!!」


男は叫びながら、自らの腹部を先ほどのように開こうとするがびくともせず、ひっかき傷で赤くなるばかりである。


「君は、噂になっている“切り裂き魔”だろう・・・」


ぴたりと男の手が動かなくなり、緩慢な動きで自らの首に手をかけた。


「!?よ、よせ。俺の体を勝手に動かすな・・・」


男は必死であらがおうとするが、全く体が動かない。

ただ表情のみが、恐怖で歪んでいく。


「僕だって、正しい人間ではない。後ろ暗いことだってあるさ。

ただ、正しくありたいと思っている。悪を憎む気持ちがある…。

さっきの彼女のように、たくさんの人を手にかけたんだろう?自らの欲望の為に。

…おぞましい殺人鬼め!!」


首にかけた手に、徐々に力が入っていく。

男は呻きながら、やっとのことで言葉を絞り出す。


「…俺は、殺人鬼なんかじゃ、ない…。」


男の顔は真っ赤にうっ血し、そしてある瞬間から青くなった。

口からは泡を吹き体を痙攣させた後、


もう何も反応しなくなっていた。


「これで街もよくなる…」


男は、否、男を「着こんで」いるBBは、男の声でそうつぶやいた。


「切り裂き魔はいなくなった。彼女の仇はとれた…!」


雨脚が強くなってきたのに気づき、足元の傘を拾い、広げる。

そして、転がっている恋人の首に歩み寄り、そっとその目を指で閉じる。

BBは、45番目の恋人の冥福を祈った。


突然暗闇から声がした。


「全く治安が悪いったらないね」


BBが驚き振り返ると、いつからいたのか、街灯の影から奇妙な男が顔を出した。

くたびれた表情。目は落ち窪み、首元にはネクタイではなく荒縄が巻かれている。


全身をダークスーツに包み、ともすれば夜の闇に溶けてしまいそうに見えた。

さらに強くなる雨にも無頓着な様子で、傘もささずずぶぬれで突っ立っている。


「先日読んだ本に書いてあった。

『真の邪悪とは、自らの正義を全く疑わぬものである』

なかなかうまいこというじゃないか」


BBは、自身の体が一切動かないことに気づいた。そして声が出せないことにも。


「この街には23人の殺人鬼がいるが…」


何がおかしいのか、嬉しそうに男はくくっと笑った。


「お前が一番邪悪だったよ。」


そういってスーツの男はBBの瞳を見つめ、続ける。


「なにせ23人もいたからね。ああ、今は22人か…。誰を選ぼうか考えあぐねていたんだ。

それこそ全員『回収』してバトルロワイヤルでもしてもらおうか、とかね。

でももういい、お前でいいよ。お前がいい」


雨はもはや土砂降りとなり、路上に広がる血を洗い流す。

やがて雨が止み、静寂の中で女の死体のみが取り残されている。

男どもの体は、どこにも存在しないのだった。













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