第8話「女神様との初めてのお出掛け」
翌日——5月5日、子どもの日。
日本における国民の日の祝日の1つ『
端午の節句とは、昔から行われている行事であり、元々は病気や災い(悪いもの)を避けるための行事らしい。
1948年にこの日を「子どもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝をする」と、お休みの日と決められた頃に、端午の節句と呼ばれるようになったとか。
昔のことなど覚えてもいないが、要するに『男の子』である僕には関係があった日だ。
……今更思い出しても、全てが良い思い出だったとは、到底言えない行事だが。
母さんに感謝、か……。
「……もう、無理なんだろうか」
僕はそうぼやく。誰も聞いていない、僕にも聞こえないほどの音量で。
今日という日だからこそ、こうしてぼやいているのだが。
何しろ今日は、同居生活をしてから初めてのお出掛け。しかも、近所の公園で。
目立たず、周囲に
昨日は名案のように思えたが、純粋に考えてみれば謎の光景にさえ思える。
中学生でも、ましてや小学生でもない。
わんぱく時代などとうに過ぎ去った高校生の男女が、昼間からこうして公園内をぶらぶらしているのだから。
まぁ、僕がこんなことを考えているということも知らない美桜は、少しはしゃぐようにしてサンダル姿で辺りを見渡している。
どうやら公園もあまり来たことがないらしい。
いや、下手をすれば来たことすらないとか言いそうだな。
僕は選択ミスをしたかもと内気になっていたが、誘った本人様は大変満足のようだ。
「湊君!
「子どもの日だからな」
「いっぱいありますね。知ってますか? 鯉の中で最も大きいのは
「へぇ、鯉にも名前があるんだな」
「当たり前じゃないですか。魚にもワカサギやカレイという種類があるのと同じように、魚は種類名こそが名前なんです。でなければ、ワカサギもカレイもただの『魚』とでしか認識されないじゃないですか」
「何でその2匹で例えたんだよ……。もっといい例えがあったと思うんだが」
言わんとすることはわからないでもないんだがな。
飼い主がペットに名前を付けるのと一緒だ。
犬に名前を付ければ『ポチ』とか名前で呼ぶことが出来るが、名前が無ければ犬の種類を言うしかない。『ポメラニアン』っていう感じで。
その前提は動物や生き物だけじゃない。——人間にだって、名前が必要だ。
見上げれば公園の先にある小川の上には、たくさんの鯉のぼりが飾られている。
そもそも、鯉のぼりを子どもの日に飾るのにも理由はある。
『鯉』という魚は強く、流れが速く強い川であっても元気に泳ぎ、滝をも登ってしまうという。そんな逞しい鯉のように、子ども達が元気よく成長できるようにお願いする意味が込められているそうだ。
昔、僕がまだ小さかった頃に、物知りな姉さんがそう話してくれたのを思い出した。
元気よく強く……果たして僕は、そんな逞しい人間になることが出来たのだろうか。
「……こうして見ていると、本当に泳いでいるみたいですね」
「……そうだな」
美桜のその言葉に僕は頷く形で返答する。
春の陽気と暖かな風が彼女の茶髪で
「小さい頃、家に鯉のぼりを飾ったときのことを思い出します」
「へぇ。お前、男の子じゃないだろ?」
「まぁそうなのですが。端午の節句という貴重な日だからと、お母さんもお父さんも必死になって鯉のぼりを飾ってくれました。1日で片付けも行いましたけど」
「……何日も飾っとくもんでもないからな」
せめて五月に入ってから飾るのが一般的なんだろう。この場所も5月に入ってから自治会の人達が飾ってくれてるみたいだし。
当日に飾って片付けるなんて労力の必要なこと、本当にする家あったんだな……。
しかもそれが幼馴染の実家ときたものだ。縁というのは本当に恐ろしい。
こんな立派な鯉のぼり、後何十年持つのだろうか。本物の鯉のようにこいつも逞しくなれることを願う他ない。
「そういう湊君はどうだったんですか?」
「何がだ?」
「鯉のぼりです。端午の節句は元々『男の子』の健康を祝うものですし。湊君はやられたんですか?」
「……えっと……それは」
結論から言おう。——端午の節句の祝い事は、小さい頃に既に済ませている。
躊躇う必要がないと思うかもしれないが、そうもいかないのが僕の事情。
——家を出て、単身で暮らしている僕の退いた過去だからだ。
だが、そうなってしまった原因の魂胆は中学時代にある。つまり、幼少期の頃から仲違いが起きていたわけではなかったのだ。
……あの頃は、純粋に、何もかもが新鮮で楽しかった。
家族で和気藹々としていたあの頃には……もう戻れないのだろうか。
「……やったことにはやったよ。けど、僕自身まだ小さい頃だったから記憶にはあまり残ってないけど」
「そうでしたか」
そこで一旦、僕達の間に会話は無くなった。
けれど、不思議と居心地は悪くない。会話もない、相槌もない。気まづい空気が染み渡るはずの条件だというのに……寧ろ心地良い。
風の影響かもしれない。
もしくは、この生暖かい空気の仕業かもしれない。
どちらにせよ、そんな公園ならではの環境が、僕達の間に心地良さを生み出してくれているのだろう。そんな空気に応えるように、美桜は視線を合わせずにこう言った。
「いいですね」
「何がだ?」
「湊君とこうしてゆっくりと出掛けるなんて、初めてなので。新鮮というか、とっても居心地が良いです」
「…………っ。……そっか」
……そういえば、そうだったっけ。
幼馴染であれば当然、外での付き合い方もあるだろうと思うかもだが、僕達は小学生からの付き合いのくせしてそんな体験は1度もなかったりする。
そう、1度もだ。
別に嫌ではなかったけど、美桜は休日はいつも稽古稽古で、僕と遊んでいるような時間はなかった。稽古に収まりがつき始めたのが中学生になってから。その頃は……僕がそんな暇がなかった。疎遠気味になったのも、確かこの辺りからだ。
「……
「人あんまりいないからな。それに僕達は、多くの人間が
「そんなこと私に訊きますか? 湊君、私が世間知らずって言ったじゃないですか」
「まぁそうだな。現代JKにしては珍しい素材だよな」
「……ひょっとしてですが、バカにしてますか。今すごくバカにされた気分なんですが」
「んなことないって。本当に」
「……まぁいいです。こうして私との時間を作ってくれただけで」
2人だけの時間……か。
美桜は日常生活の中と学校生活の中とで、2つの生活の中で僕との関係を深めようとしている。それは決して悪いことじゃない。現に僕も、最近はそう思うことがあるぐらいだし。
でなければ、あんな庇う真似を、陰キャを貫きたい僕がするはずがない。
けどな美桜、それと同時に、僕は思うことがあるんだ。
こうして2人の時間を作り続け終えることがあれば……お前は、全てを話して僕の家から出ていくのだろうか。
それだけが——僕の中の、最大の疑問なんだ。
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