第16話「女神様の願望」

 家に帰ると、すぐに僕が着替えてその後に美桜が着替える方法を取った。


 脱衣所には扉もついてるし、そこで着替えもらうってこともあったけど異性が1つ扉を挟んだ向こうで着替えてるとか……僕が危ないのでやめておいた。昨日の風呂の二の舞になりかねない。

 なので現在、僕は玄関先の更に奥、外の扉の前で待機中だ。


「……それにしても、日が延びたな」


 ほんの1ヶ月前まで、日が落ちるのが5時前だったと言うのに、5時を過ぎている今でもまだ日は高いところにある。

 季節は巡り、夏となる頃には19時前まで明るいんだろうな。


「……、ってか思ったけど、これって僕1人で買い物に行けばよかった話なんじゃ……」


 ふと思ったことを口にする。

 そうだ。何も『2人で』出掛ける必要なんてないのだ。どちらかが買い物を済ませれば、それで万事解決だったのだ。


 ……盲点だった。

 どうしたら目立たずに『2人で』買い物を済ませられるのか——そればかりを考えて、肝心なことが抜け落ちていた。そうじゃん。なんで気づかなかったんだ?


 たとえ家庭料理しか作らない僕でも、買い物メモさえあれば十分だ。

 更に今はネット環境が豊富な現代社会だ。レシピを知らない僕でも、ネットで『お赤飯、作り方』で検索をかければその件が何百件と出てくる。

 一緒に行く必要なんてどこにもないじゃないか。


 ……よしっ! それで断ろう。現在進行形で準備してもらっている美桜には悪いが、これは僕のアイデンティティもかかっている重要問題だ。


 今回ばかりは、僕の勝ちとさせてもらう——


「すみません。お待たせしました」


 前方の扉が開き、そこから私服姿の美桜が出てきた。


 腕には鞄袋を下げ、長い髪はサイドポニーにまとめられている。

 変装らしい変装ではないが、これでいい。何しろ、シンプルにまとめてほしいと提案をしたのは——僕なのだから。


 仮にも目立つ容姿だ。

 何を着たところでお似合いになってしまうだろうし、何なら少しボーイッシュにすればいいのでは? とも思ったが、僕の服を美桜に貸すのは……結構恥ずい。


 ので、僕の方で出た最終的な案。それが『シンプル』な服装だ。


「少々着慣れない服なのですが、似合ってますか?」


「あ、ああ……」


 僕はあまり合わせられていない顔を、更に背けながら答えた。

 しかし——背いた僕でもわかるほど、美桜は『微笑み』と呼ぶに相応しい、凛々りりしい笑みを浮かべながら言った。


「ありがとう、ございます。それでは行きましょうか」


「あ、美桜——」


 今こそが最大の好機。言うのであれば出掛ける前。後からでは美桜のことだ、また拗ねてしまうだろう。


 僕はそう決意を固め、美桜の名を呼ぶ。

 案の定美桜は「どうしました?」と言い、僕の方へと振り返る。


「あ、そ、その……」


「ん?」


 ……どうしてだろうか。

 さっきの微笑みを見た後に、この言葉を言うことは果たしていいのだろうか?

 そもそも疎遠気味だった僕達の関係を修復したいのが女神様のご志望だ。


 けれど『幼馴染っぽいこと』というのは、家の中ですればいい。……そう、思って美桜に今日のことは僕一人で行きたいと言うはずだったのに。どうしてだろうか。声が、口元が言うことを利いてくれない。


「どうかしましたか? 何だか顔色が悪いようですが」


「そ、そんなことない……!」


 僕は左腕で顔を隠すようにして少し距離を取る。

 ただでさえ察しのいい美桜のことだ。

 僕の様子がおかしいことにもいち早く気がついてたし……これ以上悟られるわけには!


「そ、その……きょ、今日の夕飯は、何にするのかなと、思って……」


 絞りに絞って出した言葉が、まさかの夕飯メニュー。

 買い出しは1人でいいと気づいてからの、共同作業を前提とした質問することはなかったのでは……。

 美桜はこれが僕の訊きたかったことと思い「そうですね」と考え込む。


「……春と言ってもまだ寒さは残りますし、シチューにしたいです」


「え、シチューって、洋食だろ? お前のレパートリーに入ってんの?」


「違いますよ。湊君に教えてもらいながら作りたいんです。本当は、買い出しぐらい1人でよかったと思ったのですが……」


 うぐっ……! 針の穴に容赦なく糸通されたみたいな痛感がっ……。


「けど、嫌だったんです」


「えっ?」


「湊君と、家でしか『同居生活』を許されていないみたいな感じで。外では、ただの幼馴染みたいな扱いになるのが、嫌なんです」


「……そっか」


 何も反論することが出来ない。否、反論しようにも言葉が出ないのだ。


 この甘えん坊な女神様に逆らえる人間なんて、きっとこの世にいないんだろう。けれど、その数多の数いる人間の中から、僕だけがその対象で。いつもであれば、周囲の視線に怯える僕だが、何故か今日は……それに耐えてあげたい気分になった。


「それじゃ、その願望叶えに行くか」


「願望じゃありません。これから実現することですから、未来図と言ってください」


「それ……絶対他の奴に言うなよ? 在らぬ誤解をされるぞ」


「言うも何も、湊君相手にしかこんなに話しません。他の人には、適当に愛想振り撒いてるだけですから」


「……いつからこんなに性悪になったのやら」


「何ですか」


「いや、ちょっと面白くて……! ぷぷっ——」


「い、今の話のどこに面白い要素なんて」


「全部だよ。全部」


 今までが疎遠気味だった分、いやそれ以上に、今の同居生活を満喫させてあげたい。

 美桜が家出したことにもきっと、この生活は関係している気がするから。

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