第一章

第一部

第1話「女神様がぼっちの家にやって来た」

 その日は雨が降っていて、その影響で傘をささずに走っている人もちらほらと見かけた。

 幸いにも朝の情報番組を信じたために、僕は傘をさしてゆっくりと歩いて帰宅中だ。


 時刻は夕暮れの時間帯になっていて、もうすぐ市役所から帰宅のチャイムが鳴る。

 僕は本日の買い物を済ませ、早く家に帰りたいと足早になる。


 住んでいる近くには、昼間には賑わう公園があるのだが、雨が降ってきたこともあって、もう人影の形すら残っていない。放置されている、バケツやシャベルは忘れ物だろう。


 そんな呑気な感想を心中で述べていると、家に到着し階段で2階へと上がる。

 僕が住んでいるのは、安いアパートの2階の一室。

 広さはそこそこだけれど、大人数でたむろするにはむいていない。まさにこじんまりとしたところが好きな僕にはピッタリな空間だ。


 まぁ欠点があるとしたら、壁の強度が薄いところだろうか。アパートあるあるだとは思うけど。とはいえ、僕にそんな欠点が弱点になってしまうことはない。何しろ、僕には家に招くような『友達』がいないから。

 ……自爆した感じだな、今の台詞。


 一応、いることにはいるんだけどな……。別にあいつのことを招く理由もないし、居たら居たで惚気話しかされないから余計に嫌だし。


 そんなこんなで家の前に着き、僕は懐から家の鍵を取り出そうとする。

 すると——僕の目にある1人の少女が映った。腰まで伸びたロングヘアーに栗色の瞳を持った少女が、僕の家の扉に背中を預けていた。


 手には濡れた傘。どうやらこの雨の中を歩いてきたらしい。

 ……何でこの人が僕の家の前に、しかも僕の家の扉に背中を預けているんだ。


 彼女の容姿は、同じ学校の者ならば知らないはずがない。僕は少なくとも、彼女のことを知っている。


 さて……僕はどうしたらいいんだろうか。

 彼女は頭上を見上げてぼーっとしているように見える。誰かを待っているのだろうか。


 まぁ、僕の家の前で待機している時点で、彼女の用はきっと僕にあるのだろう。

 意識的にそう捉える他なかった。

 もしそうだとしたら、僕が取るべき行動は限られている。


 ——声をかけるべきか否か。


 僕の詠みがハズレて、僕に用があるものだと僕が自己中心的に捉えているだけかもしれない可能性がある以上、さぁて……どうするべきか。


「…………遅いな。……早く帰って来ないかな、みなと君」


 完全に僕への用事で来たみたいですねはい。

 ……まさか、本当に僕に用事があることだったとは。


 予感的中……といえば、ラッキーなことかもしれないけど、僕からしたらかなり嫌な的中だった。

 本人もまさか、うわごとだった台詞を壁越しに隠れた本人に聞かれているとは思うまい。


「……聞いてやるか」


 これ以上隠れていても時間の無駄だし、僕の家の前で待機されているのだから僕が家に入れなくなる。それは非常に困るし、時間の無駄だしな。大事なことだから2回言おう。


 僕は「はぁ…」と軽く息を零して、壁から背中を離して家の玄関口へと進む。


「……何してるんだよ」


「——っ!!」


 前置きを取るまでもなく、僕は上の空状態だった彼女に話しかけた。


 僕の声量か、それとも聞き慣れた声に無意識に反応したのか定かではないが、彼女は僕の姿を見た途端に、僕の胸の中へと飛び込んできた。


 咄嗟のことで僕は十分な構えをすることが出来ず、彼女の軽すぎる体重によって若干後ろへと足が後退する。


「おっとっと……」


「…………」


「……どうしたんだよ。お前がここに来るなんて、珍しいじゃん」


 僕の胸に顔を埋めて動かない彼女に問いかける。


「…………家、出てきました」


「はっ? ごめん……なんて言った?」


「……家出してきました。ですので、私と同棲してください!」


 要求が増えてますよ! ってか、話が飛躍しすぎて状況の把握が追いつかないんだが!?


 ここまでの会話からわかるように、僕と彼女は知り合いだ。

 とは言っても、お互いに学校で話すようなことはしない。彼女の容姿は特に目立つ。冬は洞窟を掘ってそこで冬眠したいほどに、相手と積極的な関係を持たない僕とは真逆に、彼女は天の使いみたいな存在だ。


 立場の差は歴然。だからこそ、僕は進んで彼女と関わろうと、行動を起こすようなことはしない。そして——彼女の場合も同じ。


 彼女の名前は、真城ましろ美桜みお。僕こと和泉いずみ湊の幼馴染である。


「……悪い。まず、経緯から説明してくれないか?」


「え、あ……ご、ごめんなさい。本題を飛ばしてしまいました……」


「気にしてないけど。……家出って、何があったんだよ」


 美桜の家は少々、厳しい家庭だった。学問、生活、運動における全てにおいて、人並み以上のものを美桜に求めている。


 とは言っても、そこまで厳しくしている裏では、実は美桜のことが愛おしくてたまらない家族がある。厳しい反面、美桜にとっては苦痛になるようなことは決して無かったはずだ。……だというのに、どうして家を出る必要があるのか、僕にはわからなかった。


 容姿端麗、頭脳明晰。美桜の両親が望んだ女子に成長した彼女だ。よっぽどの理由があるのかもしれない——


「……実は——くしゅんっ!」


「寒いのか? よく見たら制服濡れてるじゃんか。一体、どのくらい待ってたんだよ」


「……1時間ぐらい、でしょうか。覚えていません」


 そんなに待ってたのか。そりゃあ、こんな雨の日に肩の部分が濡れた制服なんて着てたら、冷え込んで当たり前だ。


「ったく……少しは健康に気を使えよ。お前が休んだりしたら、学校中大騒ぎなんだからな? 学校の女神様なんだからな、美桜は」


「……周りがガヤガヤ言っているだけです。私には関係ありません」


「……本当、肩書きに興味ないよな」


「肩書きなんて、周りがどうこう言って出来るものです。大事なのは、自分自身が自分のことをどう思ってるかですから。違いますか?」


「大人な意見なことで」


 まぁ彼女の意地っ張りな部分は、ひとまず置いておくとしよう。

 僕は着ていたパーカーを美桜にかけてやる。美桜は少し驚いたようにして僕のことを見上げた。


「薄めのものだが、無いよりはマシだろ?」


「……あ、ありがとう、ございます……」


 俯きながら僕のパーカーを両手でギュッと握る。……可愛いな本当に。性別や老若男女問わず、お前のことを好いている人達の気持ちがよくわかる。


 けど、そうなるとますます疑問に思って仕方がない。

 何故、美桜が家出なんてしてきたのか。……複雑な事情がないことを祈るばかりだ。

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