第23話

 テントの外が明るくなり、外から足音が聞こえ始める頃、私は目を覚ました。


 野営地は何とも言えない緊張感に包まれていて、王城の朝みたいにワイワイと賑わうことはない。魔物を刺激しないようにするためか、話し声もあまり聞こえてこなかった。


 こういった状況に慣れていない私は、どうやら熟睡できなかったみたいだ。まだ頭がボーッとして、動きたくない。


 一方、同じテントに眠ったセレス様は、すでに身支度を終えている。シャキッとしているだけでなく、キビキビと動いて私の方にやってきた。


「随分とだらしないのね」

「私、朝に弱いんですよ」


 セレス様と比べたら、確実にだらけているのは間違いない。本当は目上のセレス様より早く起きなければならないが、体が素直に動いてくれそうになかった。


 しかし、そんなことがどうでもいいと感じるほど、衝撃的な出来事が起こっている。


「すごいですね。同じテントで寝たとはいえ、私の存在に気づくとは」

「どこの暗殺者の台詞よ。そういう趣味でもあるの?」

「単純に周りから認識されないタイプなので、普通に話しかけられていることに驚いています」

「あんた、本当に変わっているわね」

「影が薄い自慢、聞きます?」

「不幸自慢にしか聞こえないわ。やめてちょうだい」


 不便なこともあるけど、良いことだっていっぱいあるのになー。


「そうですか。では、もうひと眠りします」

「待ちなさい。もう集合時間の三十分前よ」


 またそれですか……。貴族という生き物は、本当に早起きが好きですね。


「安心してください。余裕を持って行動するタイプですから」

「どこがよ! 早く起きなさい!」


 アレク様よりも厳しいセレス様は、二度寝しようとする私の毛布をガバッと一気に取っ払った。


 せっかくの二度寝チャンスが……と思っている間に、セレス様が肩に手を回して優しく起こしてくれる。それだけでなく、流れるような手つきで私の髪を解かし始めた。


「どうして私があんたの世話をしなきゃいけないのよ」

「頼んでないんですが……」

「何もやりそうにないからでしょ、まったく。世話が焼ける子ね」

「これでも私にとっては余裕があるんですよ」

「普通に考えてギリギリじゃない。いつもどうしてるのよ」

「さすがに五分前には起きます。でも、最近はアレク様が起こしに来るので、三十分前に起きるようになってしまいました」


 褒め殺しで起こしてくるアレク様より、こうして朝の準備をやってくれるセレス様の方が楽だ。


 メイドさんみたいな仕事をしてくれているので、大変恐縮してしまうが……、あまり気にしてないように思える。


 むしろ、アレク様に起こされるという特殊環境に興味を持っているみたいだった。


「二人はどういう関係なの? 本当にアレクと付き合ってないのよね?」

「関係性だけで言えば、完全に赤の他人ですね」

「その割には仲が良すぎるわ。アレクは誰かの下に就くような人間でもないし、身分が違いすぎるもの。あ~ん、なんて、私でもされたことなかったのよ」


 唐突に変なことを言われて、うまく理解できなかった。私は子供扱いされて、あ~ん、をしてもらっただけにすぎないのだが。


「どういう意味ですか?」

「ああー、知らないのね。私、アレクの元婚約者なのよ」


 セレス様の言葉を聞いた瞬間、胸がズキッと痛み始める。


 思わず胸に手を当てるが、傷を負った気配はない。心臓や骨も異常がなさそうなので、また心の虫歯が原因のようだ。


 どうして今の言葉で心が痛んだのだろうか。急にソワソワして落ち着かないし、心がモヤモヤする。うーん……魔力に異常はなさそうだけど。


 何とも言えない感情に支配されていると、セレス様がニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。


「アレクと恋仲ではなかったとしても、片思いではあったりするのかしら」


 セレス様は大きな勘違いをされているみたいだ。いくらアレク様が距離感を間違えてこようとも、私が彼に恋をするはずがない。


 なんといっても、婚約者予定の兄なのだから。


「誤解されないように言っておきますが、アレク様の弟の婚約者候補という立場になったら、兄という監視がついただけです」

「……いや、余計に話が見えなくなったわ。言葉の意味が一つも理解できなかったもの」

「そう言われてもですね、実際そうなんですよ」

「気になるじゃない。流動食になるくらい話を嚙み砕いてから説明しなさい」


 とても細かい経緯まで要求されている気がするが、うちの実家の状況は話したくないので、かいつまんで話す形にしよう。


 まだまだ時間があったので、今までの経緯を簡単に説明すると、セレス様は納得するように頷いていた。


「結局、弟の婚約者に相応しいか見定める、ということになりました。そこから話が進みそうで進まないんですよね」

「そういうことね。確かにアレクならやりかねないわ。昨日あんたが怒った理由も、これでようやくわかったわね」


 出発前、城門でいざこざを起こした時のことを気にしてくれていたみたいだ。


 セレス様の方が目上だし、本当は私の方が気にしなければならないはずなんだけど。


「私としては、セレス様が怒らないことに驚きました。普通に失礼な行為だったと思います」

「まあ、ニーナにも立場があった上での話でしょ? 怒りたくなる気持ちがわからないでもないわ。私もラルフくんのことは気になってるし」


 アレク様の元婚約者だけあって、家族ぐるみのお付き合いをしていたのは、当然のこと。今も気にしているのは、それの名残かもしれない。


 それにしても、ラルフくん、か……。


 婚約者候補として距離を詰めた方がいいだろうから、私も今度、同じように呼んでみようかな。


「ラルフと呼ぶなんて、随分と仲がよろしいんですね」

「……あんた、嫉妬深い女って言われない?」

「一度も言われたことはありません。友達がいないので」

「ごめんなさい。心の傷をえぐった気がするわ」


 失礼ですね。生まれて一度も友達ができていないだけで、どうして傷を負うというんですか。


 そんな悲しそうな目で見ないでくださいよ。不便なことはありませんから。


 何かを察したように頷いたセレス様は、過去を思い出すように遠くを眺めた。


「ラルフくんの体調が悪化した時、最初に処置したのが私なのよ。魔法で命を取り留めただけで、後は薬師に丸投げしたんだけどね。それ以来は一度も会っていないわ」

「様子を見に行かないんですか? ラルフ様なら、助けていただいたお礼を直接言いたいと思いますよ」

「薬師と魔術師の違いかもしれないわね。治せないとわかっている人に会いたくないの」


 魔法で治療する魔術師は、外傷の治療を専門とすることが多く、短期的な治療ばかり。治せるかどうかはハッキリとしていて、治療に何時間も費やすことはない。


 一方、薬師は内臓や毒といった体の内側に作用する病を対象とするため、長期的な治療を目的としていた。


 だから、意見が分かれることも多い。


「悪気はないのよ。耳に入ってくる情報だけなら、まだ厳しいと思うもの。もしものことがあったら、アレクも責任を感じてしまうから」


 昨日言った言葉はトゲがあったものの、アレク様を思ってのことだったんだろう。もしも溺愛している弟がいなくなったら、アレク様は……。


 ううん、考えるのはやめよう。そうならないように治療しているし、そんな未来はやってこない。


 話題を変えるためにも、私は気になっていることをセレス様に問いかける。


「アレク様のこと、今も好きなんですか?」


 妙に気にされているので、未練があるのかと思っていたんだが……そうでもないらしい。セレス様に笑われてしまった。


「冗談はやめて。元々アレクに恋愛感情なんて抱いてないわ。普通に元婚約者の心配をしている程度のものよ」

「そうですか。お二人の関係性が見えてこなかったので、気になりました。仲が良いような悪いような……」

「まあ、私とアレクは付き合いが長すぎたのよ。子供の頃から顔を合わせる度に喧嘩してただけで、昨日の衝突もそんな感じだわ」


 なるほど。本人たちにとっては仲の良い喧嘩でも、周りから見たら仲の悪い喧嘩に見えるのか。


 そんなことを思っていると、セレス様が目を細めて顔を近づけてきた。


「元婚約者の身から言わせてもらうと、ニーナと付き合ってると思ったんだけどねー。アレクは抜けてるような子が好きだから」

「私、抜けてるように見えます?」

「仕事以外はポンコツなイメージしかないわ。放っておいたら、知らないうちに消えてしまいそうだもの」

「後者については、納得せざるを得ませんね。私の特性です」

「たぶん、意味合いが違うわよ。あっ、もうそろそろ時間ね。行くわよ、


 不意に名前を呼ばれて、私は意表を突かれてしまった。


 たった一度しか自己紹介をしていないのに、まさか覚えていてくれるとは。


「私の名前まで、よく覚えていましたね」

「当たり前のことを言わないでよ。の名前くらいは忘れないわ」


 そんなことをサラッと言われて、何とも言えない気持ちが芽生えてくる。


 今まで友達がいないことを悲しいと思ったことはない。でも、友達と呼ばれると……心がかゆい。なんで最近はこう、心がかゆくなる出来事ばかり起こるんだろうか。


 なんとなく心の距離がグッと近づいたセレス様と共に、テントの外へ歩いていく。


「ところで、どうして我が儘姫と呼ばれてるんですか?」

「子供の頃にアレクに言い負けるのが悔しくてね。メイドに八つ当たりをして、我が儘ばかり言っていたのよ」

「じゃあ、実話なんですね」

「昔の話じゃない。その時のメイドたちとは、ちゃんと和解しているもの。周りがどうこう言う問題じゃないわ」


 我が儘姫を脱して、今は立派なお姫様になったんだなーと、私は思うのだった。


 いや、姫ではないか。

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