第9話

 ラルフ様の部屋の扉を閉めると、銅像のように立ち尽くす人が視野に入ったので、小声で問いかける。


「立ち聞きとは趣味が悪いですよ、アレク様」


 追い出されたはずのアレク様が、闇のオーラを纏って待っていたのだ。


 まさかこんなに存在感のある人が魔法で気配を消せるとは。魔法の力は偉大である。


「いつものように観察していただけだ」

「都合のいい言葉ですね」

「そう言うな。今回は大幅に加点してやろう」

「アレク様は大幅に減点です。もう少しラルフ様の前では落ち着きを持ってください」

「俺は何の採点をされているんだ?」

「良いお兄さん検定です。家族や恋人を溺愛するあまり、束縛する方もいらっしゃいますので」


 プイーッと目を逸らすあたり、アレク様も自覚があるんだろう。


 誰もが憧れる天才魔術師に、こんな弱点があったなんて。どうりで私の助手になり、しっかりと観察してくるわけだ。


 そういった意味では、薬師の仕事に戻った方がいい。早く薬を持って行かないと、減点される恐れがある。


「薬を調合したいので、キッチンに案内してもらってもいいですか?」

「なぜだ。王城で用意してこなかったのか?」

「毎日飲んでいただく薬は用意してきましたが、月に一度だけ別の薬も飲んでいただいています。体に負担がかかるので、体調を見てから薬草の配合を変えているんですよ」

「なるほどな。いいだろう、こっちに来てくれ」


 冷静になったアレク様の後ろを歩き、キッチンにたどり着くと、すぐに薬を調合する準備に取り掛かる。


 持ってきたカバンから材料と道具を取り出し、机に並べた。


「俺にできることはあるか?」

「材料も準備してきましたから、今日は大人しく待っていてください」

「遠慮するな。薬草を洗うくらいはできるぞ」

「残念ながら、洗ってきたものを持参しています。少しでも余分な水が混ざると、効果が変わりますから」

「そうか。じゃあ、どうすればいい」


 待っていてくださいって言いましたよね……と言いたいところだが、珍しくアレク様がソワソワしている。


 ラルフ様の力になりたいんだろう。でも、今回の調合は繊細で難しいため、手伝ってもらうわけにはいかない。


「薬の調合に関しては、薬師の資格が必要です。ジッと待てないのであれば、話し相手にでもなってあげたらどうですか?」

「なるほどな。弟の婚約者を見定めるのは、俺の役目だ。弟のことで何か知りたいことはあるか?」

「私の話し相手になってどうするんですか。ラルフ様の話し相手になってあげてくださいよ」


 何とも言えない表情を浮かべるアレク様を見て、私は察した。


 溺愛する弟の前では、思考がまとまらないほど取り乱してしまうのだ、と。


「恥ずかしい話だが、年が離れすぎていて、なんて声をかけていいのかわからないんだ」


 アレク様とラルフ様の年の差は、なんと十五歳。溺愛してしまう気持ちも、接し方に迷う気持ちもわからなくはなかった。


 しかし、意識しすぎではないだろうか。私とアレク様も年齢が十歳も離れているのに、普通に会話ができている。


 話しにくいと感じたことはなく、むしろ話しやすい方だった。


「いつもあんな感じで接しているんですか?」

「どうだったか覚えていない。ここ数年は魔術師の仕事が忙しくて、時間が取れなかった。手紙のやり取りをしていた程度で、年に一度会うか会わないか、といったところだったな」


 私が担当薬師になった二年間、アレク様と顔を合わせることがなかったのは、単純に忙しかったからか。


「もしかして、魔術師の仕事を一年も休むことにした理由は……」

「弟との時間を作っただけだ。ちょうど縁談の話があったから、今はこうしている」


 間違いなく弟を中心に世界が回っているタイプだ。天才魔術師として称賛されることになったのも、弟のために頑張りすぎた、とかいう裏話がありそうで怖い。


「さすがに呆れますね。必要以上に干渉して、ラルフ様に嫌われても知りませんよ」

「……ニーナもそう考えるのか?」

「すでに注意されているんじゃないですか。適切な距離感は保ってください」

「魔術のことなら簡単なんだが、人との距離感が難しくてな」


 毎朝、乙女の部屋に不法侵入してくるくらいですからね。これほど説得力のある言葉は初めてですよ。


「思い当たる節しかありません。よくそれで愛を語れましたね」

「お前には言われたくないぞ」


 うぐっ、それはそうだ。勉強と仕事だけの人生で途方に暮れている私とでは、どんぐりの背比べである。


 私には兄弟の仲を取り持てそうにないなーと思っていると、アレク様が真剣な表情で見つめてきた。


「だが、今日見た限りでは、縁談の話を前向きに進めようと考えている」


 まさかの急展開である。


 婚約の条件をクリアしていないのに、グリムガル公爵側から歩み寄ってくれるとは。


「正直なところ、ラルフ様がよく思ってくれているみたいで驚きました。今までは患者と薬師の関係だったので、少し複雑な気持ちです」

「患者に愛情を持って接しているのは、見ている側からも伝わってくる。二人が嫌でなければ、早く婚約を結ぶべきだと思うところもあるが……もう少し様子を見させてくれ」


 当然、急かしたい気持ちはある。でも、折り合いがつかなくなり、婚約破棄騒動が起こるのは避けたい。


 なんといっても、他の貴族令嬢が羨むほどの話なのだから。


 あどけない心と大人っぽい考えも併せ持ち、アレク様を幼くしたみたいで、可愛くもありカッコよくもある。


 それだけに……押されると正気を保てないというか、もう少しグイグイ来てほしいというか。


 いや、私は患者を相手に何を考えているんだ。今は薬の調合に集中しなければ。


「前にも言った通り、私は断るつもりがありません。グリムガル公爵家が納得するかしないかの問題です」

「そうか。見た限りでは、順調に進んでいるように見える。これで、よかったんだろう……」


 一瞬、アレク様が切なそうな顔をしているように見えたが、気のせいだろうか。


 ちょっぴり疑問に思いながらも、私は薬の調合に集中するのだった。

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