第8話
今後の治療方針について話を進めていると、ラルフ様が顔をしかめ、お腹を手で押さえた。
「そんなに食べられるかなー……」
最終的に食べる食事量を聞かされ、胸焼けがしたみたいだ。同年代の男の子が食べる量と大して変わらないが、病弱なラルフ様にとっては考えられない量だったんだろう。
「一気に量を増やすわけではありません。様子を見ながら、徐々に食べる量を増やしていきましょう。無事に全部食べられるようになったら、外出も許可しますよ」
「条件が厳し過ぎませんか? せめて、普段から午前中だけでも許可をもらえると……」
「ダメです。中途半端なことをして、また発作を起こしたら元も子もありません」
ガクッと肩を落とすラルフ様と同時に、私もガクッと肩を落としている。
お金があって食べられない人と、お金がなくて食べられない人という対極の存在なのだ。こんな提案をしているだけで、私はお腹が空いてしまう。
しかし、患者に気遣ってもらうわけにはいかないので、何とか気持ちを立て直した。
「料理長様やメイドさんにも相談させていただきますので、出されたものは食べ切る努力をしてください。でも、無理はしないでくださいね」
「わかりました。体調が悪化しにくくなるのなら、頑張ってみます」
ラルフ様が提案を受け入れてくれて、私は胸をなでおろした。
治療方針を変更する時は、良くなると思ってもらえる根拠がなければならない。納得してもらえるように何週間も前から考えていた身としては、大きな仕事を成し遂げたような気持ちだった。
しかし、まだ不安なことでもあったのか、ラルフ様の表情は険しい。
何か言いにくいことでもあるみたいで、私の顔色をうかがうように上目遣いになっている。
「話は変わりますけど、ニーナ先生が僕の婚約者になるんですよね?」
そういえば、ラルフ様と縁談の話をしたことがなかったっけ。双方の家同士で話し合いが終わり、私の耳に入ったのも最近のことだったから。
「縁談の話をいただいているのは事実です。でも、まだ婚約者ではありません。婚約者候補ですね」
「あの……本当にいいんですか? ニーナ先生なら、もっと素敵な人がいると思うんですが」
なんだろうか、この不穏な雰囲気は。遠回しに断られている気がする。
まあ……仕事ができる以外で私の良いところを探す方が難しいので、気持ちはわかる。でも、私から下りるつもりはない。
「男爵家の私にとってはありがたい話ですので、断る予定はありません。あまり言いたくはありませんが、私と婚約したくなければ、ラルフ様が断る以外に道は――」
「ち、違います。ニーナ先生は優しいし、素敵な人だと思います。でも、その……僕と婚約しちゃったら、再婚しなくちゃいけないし」
「再婚、ですか?」
「だって、長く生きられないと思うから」
うつむくラルフ様の言葉を聞いて、何が言いたいのか理解した。純粋に私のことを心配してくれているのだ。
恋愛結婚ならまだしも、どちらかといえば、今回は政略結婚に近い。貴族にしては心がピュアすぎると思うが……それは彼の良いところでもある。
どう話したらいいのかなーと悩みつつ、ラルフ様の頭に軽く手を置き、安心させるために撫でることにした。
「考えすぎですよ。これから元気になるんじゃないですか」
「元気になれるかもしれませんが、無事に生きられる保証はありません。僕を担当したというだけで巻き込むのは、申し訳ないです」
「巻き込まれたとは思っていません。先程も言った通り、断ろうと思わないほどありがたい話なので」
周りに迷惑をかけて生きてきたと思うラルフ様は、少し考えがズレている。婚約者になる女性は、自分の一番の被害者だと思っているのだろう。
薬師の事情を患者に聞かせたくなんだけど、あぁー……今回ばかりは仕方ないか。今は薬師ではなく、婚約者候補として話そう。
「私は宮廷薬師という立場ですが、実家はとても貧乏なんです。いつ没落しても不思議ではありません。この間だって、穴の空いた靴下を自分で縫ったばかりですから」
「家庭的、なんですね」
「無理やりポジティブに変換しなくても大丈夫です。今のはドン引きするポイントでしたよ」
裁縫もできる女です、とアピールしたわけではない。ラルフ様が思い描いているような素敵な女ではないということだ。
「何が言いたいかというと、薬師としての姿は立派に見えているのかもしれませんが、中身は違います。金銭を目的に婚約したい、そう考える汚い女です。ラルフ様が気に病む必要はありません」
紛れもない事実を伝えた今となっては、ピュアな心を持つラルフ様に幻滅されたかもしれない。それでも、このまま私が被害者だと思われるのは納得がいなかった。
後ろめたい気持ちはよくわかる。金が欲しいという不純な動機で、私もこの子の大切な未来を奪おうとしているのだから。
「やっぱりニーナ先生は素敵な人ですね」
しかし、私の話がうまく伝わらなかったみたいで、ラルフ様は優しい言葉をかけてくれた。
もはや、どっちが慰められているのかわからない。
「私の話、聞いてました? 金目当てで婚約したがるような女ですよ」
「そうは思いません。本当にお金が目的だったら、自分に不利なことは隠すはずです。なんだかんだで僕の心を軽くするために話してくれた気がします」
ラルフ様にとても可愛らしい笑顔を向けられると、不思議と晴れ晴れとした気持ちになっていた。
なんだ、この優しく心をつかまれるような感覚は。五つも年下の男の子に口説かれている……だと!?
アレク様といい、ラルフ様といい、このようなことを無意識でするとは、罪な人たちめ。
いや、ラルフ様とはそういう仲を推奨されているから、良いことなのか。
「僕にとっては、薬師のニーナ先生も、貴族のニーナ男爵令嬢も、素敵な人に変わりありません。とても思いやりのある素敵な人だと思います」
キラキラと輝く純粋無垢な笑顔と、恥ずかしさが限界突破しそうな甘い言葉をちょうだいし、私は冷静でいられなくなった。
勝手に体が反応して、目も合わせられなくなってしまう。
「他にも隠している悪いところはいっぱいありますよ」
「聞いてみたいです。ニーナ先生が自分のことを話すのは、珍しいですから」
「残念ですね。思わせぶりな態度を取って話さない、という一面もあります」
「あっ、それは本で読んだことがあります。照れ隠しってやつですね」
「……しばらくは読書禁止です!」
「ええーっ!?」
年下の男の子に弄ばれかけた状況を強引に打開した私は、ベッドから立ち上がる。
「冗談はさておき、キッチンを借りて薬を調合してきます。このまま待っていてもらえますか?」
「はい」
ラルフ様との関係が薬師と患者に戻った後、どうしても引っ掛かっている言葉があったので、部屋を出る前に伝えることにした。
「病なんかで死なせはしませんよ。それは薬師として保証します。もっと前向きに生きてください」
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