第7話
「えーっと、次の訪問場所は……グリムガル公爵の屋敷っと」
大勢の人が行き交う街の中、肩から大きな鞄を斜め掛けにする私は、地図を片手に次の目的地へ歩いていた。
今日はいつもの診察部屋ではなく、外で仕事をしている。宮廷薬師が貴族の家を訪れる薬師訪問というものがあり、私の順番が回ってきたのだ。
予め訪れる場所は決まっていて、体が不自由だったり、自宅療養していたり、病気で弱っていたりと、理由があって来れない人の元へ診察に向かうだけ。
場合によっては、街の薬師さんにお願いすることもあるが、私はできる限り足を運ぶようにしていた。
さすがにこの日ばかりは、ゆっくり朝を過ごしたい私でも一人で早起きしている。マダムたちの悩みを聞かない分、薬師らしい仕事が多く、気合いを入れて挑まなければならなかった。
当然、アレク様についてきてもらうと騒ぎになりそうなので、事前に仕事内容を伝達。今日は助手の仕事を休んでもらい、一人で患者の元を訪れている。
そして、昼前にたどり着いたのは、貴族の中でも一段と豪華なグリムガル公爵の屋敷だ。ここには、私の担当患者であり、婚約者候補の少年が暮らしている。
わざわざ玄関まで出迎えてくれた人物を見ると、ちょっぴり頭を抱えたくなってしまうが。
「よく来たな、待っていたぞ」
「なんでアレク様が迎えに出てくるんですか。普通はメイドの役目でしょう」
「メイドよりも俺が早かっただけのことだ。何も問題はあるまい。気にせずにあがってくれ」
「奥で苦笑いを浮かべるメイドさんの気持ちにもなってあげてください。このままお邪魔しますけど」
屋敷に入れてもらい、アレク様の後ろを歩いていくと、日当たりの良い二階の一室に案内される。そこには、幼気な少年がいた。
ベッドから体を起こして、窓の外を眺めるその表情は、どこか儚い。日焼けしていない色白い肌に、少し長い金色の髪が風でなびいていた。
公爵家の次男ラルフ・グリムガル様、年齢は私より五つ下の十二歳である。
この二年間、ずっと担当してきた私にとっては、体が起こせるほど調子が良くて安堵するが、アレク様は違う。青ざめた表情でラルフ様の元へ走っていった。
「ラルフ、寝ていなきゃダメだろ。また発作が起きたらどうするつもりだ」
「兄さんは大袈裟だよ。心配しなくても、もう平気だから」
「クソッ……これが反抗期というものか! そうだ、ニーナも何か言ってやってくれ!」
「大袈裟です。過保護です。もっと落ち着いてください」
放っておくと騒がしくなりそうだったので、遠慮なくアレク様を一刀両断して黙らせた後、私はラルフ様の元へ近づいていく。
いつもと同じようにベッドに腰を下ろすと、ラルフ様も何をするのかわかっているので、すぐに身を委ねてくれた。
上から順番に、目・舌・脈・魔力など、体の状態を把握するため、直接肌を触りながら診察。今は婚約者候補の人間としてではなく、一人の薬師として向かい合っていた。
「思ったより安定していますね。順調に回復していて何よりです」
「じゃあ、もう外に出ても大丈夫ですか?」
「随分と顔色も良くなりましたが、もう少し様子を見ましょう。まだ動き回れる状態ではありませんし、魔力も少し乱れています」
「これくらいなら平気です。小さい時はもっと乱れていましたから」
「悪い状態に慣れないでください。無理をしてしまっては、治るものも治りません。今度は発作が起きないように、しっかりと回復させましょう」
私が担当してから、ラルフ様の症状は落ち着いたものの、何度か良くなったり悪くなったりを繰り返している。元々体が弱いこともあり、今は二ヶ月前に引いた風邪をこじらせて体調が悪化していた。
小さい頃より体調が良い本人からしてみたら、ベッド生活をしいられるのは心苦しいだろう。動きたくて仕方がない気持ちが伝わってくる。
でも、まだ我慢してほしい。今までの努力が水の泡になり、またベッド生活が長引いてしまう。
「休むのも治療のうちです。今は体を起こす程度に留めてください」
「……わかりました。ニーナ先生がそう言うなら」
「ありがとうございます。我慢できて、いい子ですね」
ラルフ様の方が身分が高いとはいえ、まだまだ小さな子供なので、頭を軽く撫でて褒めてあげる。
大事なことを守ってもらうには、しっかり褒めないと本人の記憶に残らない。影の薄い私にとって、こういうスキンシップは非常に重要であった。
そんな光景をアレク様にキョトンッとした表情で見られるのは、少し複雑な心境だが。
「随分と弟の扱いに慣れているんだな」
「二年ほど付き合いがありますから、これくらいは普通ですよ。時間がある時は雑談することもありますし、関係は良好ですね」
「なるほど、それもそうか。どうりで……」
ブツブツと呟き始めたアレク様を見て、私とラルフ様は顔を合わせて、互いに首を傾げた。
「何を考えているんでしょうか」
「さあ……僕も兄さんの考えはよくわかりません」
弟でも何を考えているのかわからないとは。天才というのは、孤独な生き物なのかもしれない。
少し話が反れてしまったので、本題に戻すためにラルフ様と向き合う。
「今後の治療方針について、少し迷っているのですが――」
「おい、本当に大丈夫なのか? 詳しく聞かせてくれ。何に迷っているんだ」
さっきまでの姿はどこへ行ったのやら。唐突に焦り始めたアレク様が詰め寄ってきた。
しかし、そんな兄の対処法はわかっているみたいで、ムッとした表情を作ったラルフ様が手で制する。
「兄さんは向こうに行ってて。ニーナ先生が困るから」
「し、しかしだな」
「兄さん……?」
「な、なんだ。その……わ、わかった……」
しょんぼりと肩を落としたアレク様は、哀愁が漂う背中を見せ、部屋を後にしていった。
「ニーナ先生、続きをお願いします」
これがグリムガル公爵家の日常なのだろう。いくら天才魔術師でも、溺愛している弟には逆らえないみたいだ。
まあ、過保護のアレク様はいない方が、治療の話がしやすくて助かる。
「改めまして……。今後の治療方針についてですが、従来の方法とは違う形を取りたいと考えています」
「このまま薬で治療するのではダメなんでしょうか」
「そういうわけではありません。ただ、小さい頃から常に薬を服用されていますよね」
「はい。五歳の時から、だったと思います」
「では、薬の量を少しずつ減らしていき、代わりに食事の量を増やしていきましょう」
まったく考えてもいないことだったのか、ラルフ様がキョトンッとした表情になってしまった。
こうして兄弟のキョトン顔を比較すると、本当にそっくりだ。幼いアレク様としか言いようがない。
あどけない印象が残り、カッコイイような可愛いような……いや、こんなことを考えている場合じゃない。ちゃんと仕事しろ、私!
「強い薬で体に負担をかけ続けるより、食事の量を増やして、健康的な体を作りたいんです。始めのうちは自由に外出できませんし、行動制限がかかるので、ちょっとツライとは思いますが」
今まで担当していた薬師のデータを見直すと、完治するまで強い薬で治療してばかり。大人ならそれでいいかもしれないが、小さい子供には頭を悩ませる治療法だった。
五歳の頃からベッドで寝たきりの生活を繰り返していれば、免疫力が足りないのも当然のこと。二か月前の発作で、私はそれを学んだ。
あとはラルフ様が協力してくれるかの問題だが……。嫌だという気持ちを隠す気もないみたいで、口を尖らせて膨れっ面になっている。
「ニーナ先生がそう言うなら……別にいいですけど……」
「はいはい、いい子ですね。機嫌を損ねないでください。もう少し嫌なオーラを抑えていただかないと、変なお兄さんに気づかれますよ」
「それは困ります。兄さんは心配症ですから。あと、もっと詳しい話を聞かせてもらってもいいですか?」
「わかりました。具体的な内容や理由を含めて、説明させていただきます」
冗談を折り交ぜつつ、担当薬師の責務を果たすため、ラルフ様と今後の話をするのだった。
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