第6話
薬草菜園の手入れが終わると、宮廷薬師の仕事に戻って、夕日が差し込む時間まで患者と向かい合った。
「敏感肌用のクリームが欲しいのよ~ん。前に使っていたのは、どこで買ったかわからなくてねぇ~」
マダムの肌荒れ相談を受けている時が、一番平和だと思う今日この頃。とても解決しやすい悩みを相談されている。
どこで買ったかはわからない、と言っている時点で、私から買ったと言っているようなもの。
この簡単な問題を解決するため、机の引き出しから薬用のハンドクリームを取り出すと、マダムの顔がパアッと明るくなった。
「それよ、それぇ~ん。随分と探したのよ~」
「よく言われます。顔と名前は覚えるのではなく、宮廷薬師から買ったことだけを覚えてください」
「あなた、こんなに良いクリームが作れるのに、とても謙虚なのね。心配しなくても、顔と名前くらいはしっかり覚えてあげるわ」
うっふん、と不気味なウィンク攻撃をされてしまったので、ダメージを負わないように全力で体を捻じってかわす。
影が薄い人間にしかできない、鳥肌対策である。
「こちらはバラのフローラルウォーターを混ぜて作った薬用のハンドクリームです。かゆくなる前に塗ってくださいね。念のため、二つ出しておきます」
「あら、やだ。気が利くのね。ちょうど余分に欲しいと思っていたところだったのよ~。ありがたくいただくわ」
このマダム、何かしらの理由で毎月来る常連さんであり、必ず余分に購入する癖がある。
そして、すぐに商品が購入できた喜びで胸がいっぱいになり、一向に私の名前と顔を覚える気配はなかった。
「はぁ~ん、この香りで間違いないわ。私に相応しく、とっても良い香りがするのよね~」
ハンドクリームをスーハーして香りを楽しむこのマダムとは、きっと来月も同じようなやり取りをするだろう。でも、私はなんだかんだでこの人を気に入っている。
純粋に私を覚えられないだけであって、人柄はとても良い。貴族特有の横柄な態度がなく、話すことが好きな優しい方なのだ。
不気味なウィンクと奇行だけは、本当にやめてもらいたいが。
上機嫌になったマダムを見送った後、今日も一日終わったなと思い、グッと伸びをした。すると、アレク様が紅茶の入ったカップを差し出してくれる。
「今日はこれで終わりだな。ご苦労だった」
「私の分もいれてくださったんですか?」
「頑張って仕事した人を前にして、呑気に一人で飲めるわけがないだろ。仕事終わりの紅茶くらいは、何も言わずに付き合ってくれ」
当然のように紅茶のお誘いを受けているが、公爵家ともなれば、普通はメイドや執事がいれてくれるはず。
いくら助手になってくれたとはいえ、アレク様にいれていただいた紅茶を飲むのは、さすがに気が引ける。いや、普通に飲むけど。
ありがたくカップを受け取り、早速紅茶を口にすると……自分でいれたものよりもおいしかった。
「紅茶をいれるの上手なんですね。とてもおいしいです」
「グリムガル領で採れる茶葉でいれただけだ。これくらいなら誰がやっても同じだろう。あと、素直に礼を言うな。気味が悪い」
「私、今までそんなに反抗してます? まだ出会って二日目ですよ」
「自分の胸に聞いてみろ」
なんて失礼な。影が薄い私は、誰とも喧嘩にならないように周囲に溶け込むことを得意とする。自分の胸に聞いたところで、反抗していた事実なんてあるわけが……。
どうしよう! ちょっと思い返すだけで、めっちゃ突っかかってる気がしてきた!
「素直な気持ちを話していたら、反抗していたみたいです。申し訳ございませんでした」
「いや、特に気にしたことはない。変に気を使わず、今まで通りに接してくれ」
本当に気にしていないみたいで、アレク様は優雅に紅茶を嗜んでいる。
私からしたら、反抗は不可抗力みたいなものだ。部屋に不法侵入してくるアレク様のせいであり、突っかかる意思はない。
でも、男爵家の言い分など通るはずがなく、公爵家のアレク様が反抗していたと認めた時点で、私は圧倒的に不利な立場に立たされてしまう。
まだ冗談で済まされているうちはいい。でも、アレク様の逆鱗に触れでもしたら、一瞬で没落しかねない。私みたいな下っ端薬師を解雇するなど、造作もないことなのだ。
それなのに、グリムガル公爵家の領地で採れる茶葉で紅茶までいれさせてしまったなんて!!
「一応言っておくが、弟の婚約者になるかもしれないなら、味を知っておくべきだと思っただけだぞ」
「き、気遣い上手なお兄さんですね」
「変におだてるな。お前を陥れるつもりはない」
「ギクッ。どうして考えていたことがわかったんですか?」
「わかりやすく顔に書いてあったからな」
嘘だ……。影の薄い私から表情だけで心を読み取るなんて、なかなかできることではないのに。
「俺は弟の婚約者に相応しいか見定めに来ただけだ。普通にしていれば、危害を加えるつもりはない」
「じゃあ、お言葉に甘えて、普通にします」
「それでいい。変に気遣われる方が不愉快だ」
ムスッとしたアレク様は、この話は終わった、と言わんばかりに紅茶を口にした。
弟の婚約者候補というだけで、とても親切にしてもらっているのは事実だ。ここまで言ってくださるのなら、今まで通り普通に接するとしよう。
それに、聞きたいことがある。
「気になることがあるんですけど、聞いてもいいですか?」
「改まってどうした。弟との縁談の話についてか?」
「いえ、アレク様はお仕事大丈夫なのかなと」
婚約者に相応しいか見定めに来た、と言っていたが、何日も私を観察する予定はイレギュラーなはず。このままアレク様が魔術師の仕事を休み続けることは、恐らくできないだろう。
時間に制限があるのなら、予め知っておいた方がいい。時間切れで婚約者候補から落とされたら、たまったもんじゃない。
「俺のことは気にしなくてもいい。数か月前に大きな仕事をこなしたんだが、他の魔術師たちがついてこれなくてな。バランスを取るために、一年ほど臨時で有給休暇を取ることになったんだ」
「それは休職の規模ですよ。イジメられているんですか?」
「馬鹿なことを言うな。一人で突出した結果を出せば、国も大きな報酬を出さざるを得なくなる。俺が普通に働こうとしたら、魔術師のレベルが上がるまで待つしかないんだ」
もしかして、国からの提案で有給休暇を取得したのだろうか。
多大なる功績を上げ続けるアレク様は、すでに何度か特別報酬を受け取っていると聞く。更に功績が積み重なったとなれば、国はもっと大きな報酬を渡さなければならない。
そんなことをするくらいなら、魔術師たちの能力を引き上げることに力を注いだ方がいい。特定の個人の功績ではなく、魔術師全体の功績にしてしまえば、軽い臨時ボーナスで処理できるはずだ。
「一人だけ功績を上げ続けると、国が困るというわけですか」
「諸外国にも情報が行きわたるからな。国も見栄を張るしかないんだ。さすがにこれ以上は俺も貰えん」
公爵家とはいえ、納得して身を引くあたりはさすがだ。報酬の一割でもいいから分けてほしいと思う私とは、もはや住む世界が違う。
でも、本当にお金や領地以外に欲しいものはなかったのかな。
他にアレク様に必要なものといえば……。
「ちなみに、報酬で美人のお姉さんとかはもらえないんですか?」
「夢見るオッサンか。普通に考えて、そんなものを記録に残せないだろ」
「ほほお。記録に残らなかったら、報酬で要求していたと?」
今まで通り接してもいいと許可をもらった私は、臆することなく切り込んだ。単純に興味があったから。
アレク様は二十七歳なのにもかかわらず、妙に『愛』と関わる単語に敏感なのだ。思春期の子供みたいに顔を赤く染めることもあり、恥ずかしがる一面を持つ。
その証拠に、やっぱりこういう話は苦手みたいで、私から目線を逸らしていた。
「報酬には、地位や名誉、金や土地が多い。人が関わる場合は、縁談の話を持ちかけるものだ。貴族には貴族のやり方がある」
政略結婚、ということか。
他国の上位貴族と縁談の話が出ている噂は、どうやら本当みたいだ。断り続けているらしいから、女性に嫌な思い出でもあるのかもしれない。
意外に一人の女性に惚れて、振り向いてもらえずに執着してたりして。いや、さすがにそれはないか。
「あまり言いたくないが、ニーナへの縁談話も似たようなものだろ」
「公爵家の後ろ盾を与える代わりに、弟の命を保証しろ、ということですね」
「ついでに幸せも保証してもらおうとしたら、こういう形になった。すでに担当薬師としての腕は買っているし、あとは愛があれば成立する契約だ」
アレク様は簡単に言うが、公爵家の求める愛の定義があやふやすぎる。どうするべきなのか色々と考えていても、まだ何もアイデアが思い浮かばなかった。
弟を愛することが条件……か。
「愛せるように努力はします。でも、私にとっては第一に患者ですから、正しく愛せるかはわかりませんよ」
「構わない。こればかりはどうこう言っても仕方ないだろう。それに、ニーナなら大丈夫な気がする」
「何ですか、急に。こんなところでおだてないでくださいよ。……一応、理由を聞いても?」
「愛情が何かを探す努力をしているからだ。適当に、愛がある、などと答えていれば、すでに縁談の話は破棄している」
ちょ、怖ッ! 知らないところで勝手に審査が行われていたなんて!
クリアしていたからいいものの、過度な期待はやめてください。ハードルは低い方がありがたいので。
でも、ちゃんと見てもらえているというのは、嬉しいことである。影の薄い私が認めてもらえるなんて、滅多にないことだから。
「期待に応えられるようには頑張りますよ。来週は薬師訪問もありますから」
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