第10話

「うぇ……。今日は一段と苦いです……」


 調合したばかりの薬をちょびっと飲んだラルフ様の第一声が、これである。


 有効成分を溶かした液体薬が飲みにくいのは認めよう。でも、薬に求められるのは効能であり、味ではない。不味いのは薬の常識であって、飲みにくいのが当たり前なのだ。


 頑張って作った身としては、我慢して飲んでもらわないと困る。


 しかし、ラルフ様は嫌そうな顔をするだけで、残りの薬を飲もうとしない。逃げ道を模索するようにコップを見つめていた。


 基本的にラルフ様は素直でいい子だが、苦いものを飲む時だけは我が儘になる。こうして黙り込み、飲まなくてもいいと言ってもらうのを待つことが多かった。


 つまり、このままでは絶対に飲まないので、背中を押す必要がある。


「魔力を落ち着かせる薬は苦いものです。我慢して飲んでください」


 コップを持つラルフ様の手に私の手を重ね、口元へと持っていく。


「ちゃんと飲まないと倍の量を作りますよ~」


 などと適当なことを言い、こぼさずに飲めるように誘導した。


 薬師の治療とは、時に強引さも必要なのである。


 当然、不味い薬を飲まされたラルフ様は、反抗的になってしまうが。


「うぅ……、ニーナ先生は鬼ですぅ……」

「はいはい、飲めて偉いですね~」


 と、頭を撫でるまでがセットだ。飴と鞭は使い分けなければならない。


 子供扱いしすぎている気もするが、この薬を飲んだ後は満腹感を得て眠くなる。そのため、ほどほどに甘やかすくらいがちょうどいい。


 あまり機嫌を損なわせてしまうと、悪い夢を見て起きる子も多いから。


 横になったラルフ様に布団をかけてあげると、すぐにトローンとした目になり……、眠ってしまった。


 赤ちゃんみたいで可愛らしく、寝顔が一段と癒される。この子の婚約者になるかもしれないというのは、実感が湧かなかった。


 音を立てないように部屋を後にすると、いつもメイドさんが見送ってくれるのだが、今日は違う。


「ご苦労だったな」


 律儀にアレク様が待ってくれていた。


 公爵家の屋敷で接待されるのは、VIP待遇みたいで、だんだんと気が重くなってくる。


 薬師訪問の際は、いつもメイドさんや執事さんに案内してもらい、患者さんとしか話さない。それなのに、今日はメイドさんに注目されているのだ。


 アレク様が接待してくれている影響か、ラルフ様の婚約者候補になった影響かはわからない。ただ、影が薄い私が注目されるケースは少ないので、被害妄想が膨らんでしまう。


 アレク様の労いの言葉に対してなんて返すのか、期待されていないだろうか。

 ラルフ様の婚約者候補なら礼儀正しく振る舞うと思われ、仕草を確認されていないだろうか。

 今日着てきた薬師の白衣をチェックされていないだろうか。


 考えれば考えるほど、胃が痛くなってくる。影が薄い小心者の私には、注目がツライ。


「ご、ご、ご……」

「ん? どうした?」

「ごきげんよう」


 その結果、貴族令嬢が言いそうな言葉で誤魔化してみたが、失敗した気がする。


 無駄に注目度が高まってしまった。


「気のせいだといいんだが、なぜか緊張していないか?」

「ちょっと……周りの視線に耐え切れず……、自分を見失いました」

「何のプレッシャーがあったんだ。弱すぎるだろう」

「心の準備ができていなかったんです。公爵家の屋敷で仕事を終えたばかりなのに、注目されるとは思わなかったので」

「メイドが数人いる程度だが、まあいい。ちょうど昼時だったから、軽食を用意させた。持っていけ」


 そう言って差し出してくれた箱は、私の小さな両手では収まらないほど大きかった。


 興味本位でパカッと開けてみると、色鮮やかなサンドウィッチがいくつも入っている。


「ここで中身を確認するなよ」

「すいません。好奇心を抑えられませんでした」


 正確にいえば、食欲を抑えられませんでした。世界で一番好きな言葉は、タダ飯です。


 メイドの視線よりも、タダ飯の方が心に響きます!


「本当に簡単な軽食で申し訳ないな」

「いえ、とても豪華で驚いています。ベーコンが入っていますよ」

「どう考えても普通だろう」


 しまった。食事に関しては、普通に話すと価値観が違い過ぎる。まともに肉が食べられない私にとって、ベーコンは高級食扱いだから。


「深く気にしないでください。ベーコンが好きというだけです」

「そうか。それはよかったな」

「はい。とても嬉しく思います」


 頂戴したサンドウィッチを箱ごとカバンに入れた後、代わりに封筒を取り出す。


「アレク様に言伝をお願いするのは恐縮ですが、こちらをグリムガル公爵に渡してください」

「構わない。先ほど話していた治療方針についてだろ?」

「はい。料理長様に向けたものもありますので……」


 と話している間に、アレク様は封筒を開けて、中身をチェックしていた。


「ここで中身を確認しないでください」

「すまんな。好奇心を抑えられなかった」


 グリムガル公爵宛に書いたものなのに、まさかアレク様が最初にチェックするとは。こんなことなら、昨日のうちに見せておくべきだった。


 失礼のないように、細心の注意を払って封筒に入れたのに。


「何か問題があったか?」

「……いいえ。グリムガル公爵によろしくお伝えください」

「不貞腐れるな。ちゃんとしていたと伝えておく」


 言質が取れたので、よしとしておこう。


「では、私は仕事がありますので、これで失礼します」

「王城に戻るまでが仕事だ。気を付けていくんだぞ」

「私は子供じゃありません。宮廷薬師ですから、大丈夫です」


 まだまだ薬師訪問で向かう場所があるため、これ以上はのんびりしていられなかった。


 書類を立ち読みするアレク様に見送られ、グリムガル公爵の屋敷を後にするのだった。

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