第4話
アレク様と一緒に薬を調合して、患者さんを迎える準備が終わると、いつもより時間にゆとりができていた。
軽く手伝ってもらっただけなのに、ここまでスムーズに調合できてしまうとは。国王様が助手の許可を出したのも、アレク様なら当たり障りなく何でもできる、という信頼があった影響かもしれない。
「手順さえ守れば、俺でも作れそうだな」
本人が謎の自信を持ち始めるほどには上手くいっていたが、それを認めることはできない。私の大事な仕事が奪われる恐れがある。
「絶対に調合はしないでくださいね。繊細な力加減が必要になりますし、薬師の資格を持つ者の立場がなくなります」
「心配するな。少しくらいならやっても問題は――」
「い・い・で・す・ね・?」
「……仕方ないな」
「当然です。世の中には魔草と呼ばれる毒草だってあるんですから。いいですか、そもそも資格とは……」
あまり納得していなさそうなので、調合の難しさをこんこんと語っていると、予約していたマダムの患者さんがやってきた。
「ええっ!? ど、どうしてアレク様が
「薬師の私も認識してもらっていいですか?」
影が薄くて気づかれない問題である。圧倒的な存在感を放つアレク様の影に隠れてしまったのだ。
これには、影が薄いことを疑っていたアレク様も驚愕の表情を浮かべた。
ふっ、見ましたか。私の影の薄さを。男爵令嬢が宮廷薬師をするなら、圧倒的に目立たない方がいいんですよ。
どうやらまだ納得できないみたいで、私の頭を両手でガシッとつかんだアレク様は、恐る恐るマダムに視線を向けていた。
「一応、薬師はここにいるんだが」
「……あ、ああ。いつの間にか薬師さんもいらしていたのね」
迷うことなく私を薬師と言いきるあたり、この患者さんとは友好的な関係だといえる。影の薄い私をしっかり覚えてくれていたのだ。
さすが常連のマダムである。
現実を目の当たりにしたアレク様は、お前は本当に人なのか、と言わんばかりに驚いているが。
「私、実は心が綺麗な人にしか見えない妖精なんですよ」
「そうか。俺は妖精の姿が見えるほど、心が綺麗だったのか」
「疑わずに信じるあたりは、心が綺麗だと思います」
「軽い冗談を言っただけだ、ひねくれるなよ。少し信じた程度だろ」
「信じないでください。私は純粋な王国民です」
ひとまず、このままでは仕事になりそうにないので、アレク様を裏の調合スペースに隠すことにした。
不満顔で「それでは観察できない」とボヤいていたが、こればかりは仕方ない。「私の影の薄さを見ましたよね?」と言ったら、しぶしぶ折れてくれた。
接客されるところを見られるのは緊張するし、私としても一安心だ。これで普通に仕事ができる。
よし、気持ちを切り替えて診察していこう。
***
順調に診察が進み、今日の仕事が終えようとしていると、貴族の急患を見ることになった。
部屋に入ってきたのは、伯爵家のマダムと、グッタリとした小さな息子さん、そして、申し訳なさそうな表情を浮かべる執事さんだ。
「お金ならいくらでも出すわ。うちの子を早く診てちょうだい。大変な病気かもしれないの」
「落ち着いてください。いつ頃からこんな感じですか?」
冷静に話せそうにないマダムをなだめつつ、執事さんに目を向けて話を聞く。すると、昼すぎから体調を崩したことがわかった。
頭の中で情報を整理しながら、すぐに息子さんの診察を始める。
脈を測り、目を見て、魔力を確認して、喉をチェック。バリバリの仕事モードに入っている私は、どんな病が潜んでいるのかすぐに確信した。
風邪だ! これはとても軽度の風邪である!
今すぐ帰って寝てください、と言うのが正しい判断なのだが……貴族を相手にしていると、こういう時に厄介だった。
患者の家族が命に関わると思っている場合、とにかくイチャモンを付けられやすく、納得してくれない。宮廷薬師の言葉であっても、聞く耳を持たない人が多いのだ。
しかし、二年間も宮廷薬師を勤めている私は、すでに対処法を確立している。
これより、大袈裟に言った方がうまくいく作戦を実行する!
「大変です。今すぐ適切な処置を施す必要があります。場合によっては……」
「なんですって!? どうすればいいのよ! あなた宮廷薬師でしょ!? 何とかしなさい!」
「落ち着いてください。ちょうど入荷したばかりのこちらの薬を飲んでいただければ、三日ほどで元気になりますから」
そう言って私が机の引き出しから取り出したのは、中が見えないように密封された小さな瓶だった。
中身はハチミツであり、栄養補給を目的としている。これくらいの風邪であれば、十分に薬の役目を果たしてくれるだろう。
「こちらの液体薬を三日に分けて舐めさせてください。一気に接種しすぎると危険ですので、執事さんに指示書を渡しておきます」
グイッと顔を近づけて「いいですね?」と、患者に圧をかける。意外にこういう演出が効果的だった。
「ほ、本当にこれで治るのね?」
「安心してください。絶対に完治します。お子様が舐めやすいように甘い薬となっておりますので、何一つ心配いりません」
「甘い薬なんて、珍しいわね。初めて聞いたわ」
「国に特別認可されたばかりの新薬で、とても効果が高くて人気なんですよ。この機会を逃すと、すぐには手に入らないかもしれませんね」
どんな状況であったとしても、マダムは特別な商品や限定品に弱い。手に入らない、なーんて言葉は、喉をゴクリッと鳴らすほど効果があった。
この方法を使うことで、とても良い薬を処方してくれたと錯覚させ、まずはマダムの信頼を勝ち取る。その後に正しい対処法を指示すれば、素直にこちらの言うことを聞いてくれるのだ。
本当にそんな貴重な薬をいただいてもいいの? と言わんばかりの表情をマダムが作ったところで、私の作戦勝ちである。
「そ、そう。それなら間違いなさそうだわ」
「まだ安心はできません。お子さんの精神状態も大きく状況を左右します。一刻も早く家のベッドに運び、温かくしてゆっくり眠らせた方がいいでしょう。汗をかいたら水分補給も忘れないようにしてください」
「わかったわ。ほらっ、急いで帰るわよ」
息子を連れたマダムが急ぎ足で退室したので、執事さんに二枚の指示書と薬を手渡した。
指示書といっても、大した内容ではない。『ただの風邪です』と書いた紙と『大丈夫だよ』と息子さんを安心させる言葉を書いた紙である。
親には親の対処法があり、子供には子供のケアが必要なのだ。
執事さんが深々と頭を下げた後「いつもありがとうございます」と小声で言ってくれたので、どうやら私の顔を覚えていたらしい。
あまり多くはないが、たまにこういう人が出てくると歯がゆい気持ちになってしまう。
朝からアレク様に褒め殺しされたばかりだし、執事さんにもお礼を言われるなんて……今日は変な日だな。まあ、こういう日があっても悪くないけど。
ちょっぴり機嫌を良くした私が後片付けをしていると、不思議そうな顔をしたアレク様が姿を現す。
「薬師の判断を否定するつもりはないが、さっきのはなんだったんだ?」
「子供に無茶をさせて、風邪を引かせた大人への対処法です。あんな形で言っておけば、しばらく安静にしてくれるでしょう」
「どうりで様子が変だと思った。特別許可された新薬なんて話、聞いたこともなかったからな」
「あれは市販のハチミツを瓶に入れ替えて渡しただけですね」
「……本当にそれだけでよかったのか?」
どうやら適当にあしらったと誤解されているらしい。
しっかりと魔力の乱れを診察したし、手を抜いたつもりはないのだが……、薬師の知識があるかないかの問題で、印象は変わってくるんだろう。
「問題ありません。体を温めて免疫力を上げるのは、風邪対策の基本です。発汗して失われた栄養をハチミツで補い、水分補給させれば、すぐに治りますよ。魔力の乱れからいっても、明日には落ち着くでしょう」
「わざわざ新薬と偽らなくても、そのことを本人に直接言えばいいだろう」
「素直に言うことを聞くとは思えません。風邪を引いた子供を連れ回している時点で、使用人の声を無視しているはずです。普通は屋敷に薬師を呼びますからね」
執事さんが申し訳なさそうな顔をしていたのは、マダムの説得に失敗したからで間違いない。
身分の高い人ほど融通が利かない一面があるし、トラブルになりやすい。他の宮廷薬師の元を訪ねたら「ただの風邪です」と一蹴されかねないので、わざわざ私の元へやってきたのだろう。
「なるほどな。ニーナは仕事に真面目に取り組んでいると理解した」
「今まで何だと思っていたんですか」
「言っただろ。弟の婚約者に相応しいか見定めに来た、とな。事前情報が正しいと再認識しただけだ」
昨夜、弟のラルフ様の治療を褒めてもらった私は、そんな言葉で納得しない。
なんといっても、婚約者の条件に仕事のできる薬師も含まれているのだ。少しでも評価してもらわないと、観察されている意味がない。
そのため、どうしても評価してもらうべく、ジトー……と、ジットーーー……と目を細めて見つめてみる。
「……ちょっと言葉選びを間違えただけだ。素直に感心した。加点しといてやる」
「ありがとうございます。納得しました」
「
「……相変わらず?」
「いや、愛もわからずに、と言っただけだ。愛がわからないと言っていたのに、よくアピールしてくると思ってな」
「当たり前じゃないですか。こっちは真剣に縁談の話を進めたいんですから」
アレク様の言葉に少し違和感を覚えたが、それも褒め言葉として受け取っておこうと思い、今日の仕事を終えるのだった。
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