錬筋術士はくじけない~「プロテインしか作れない無能め」と錬金術士ギルドを追放されたが、筋トレをして成り上がる!いまさら逆三角形の肉体に憧れてももう遅い~

瘴気領域@漫画化してます

錬筋術士はくじけない

「このプロテインしか作れない無能め! 今日をもってアミノ、貴様を錬金術士ギルドから追放する!」

「は、はい……」


 錬金術士ギルドの長、ファットが太い指を突きつけて少年に告げた。

 少年の名はアミノ。でっぷりと肉のついたファットとは対照的に、ガリガリに痩せ細って青白い顔をしている。


「くくく、アミノのやつ、ついにクビだってさ」

「5年も働いていまだに蛋白質抽出プロテインしかできねーんだもん。当たり前だろ」

「せめて腰痛用の湿布くらいは作れねえとなあ」


 がっくりと肩を落とし、錬金術士ギルドの工房を立ち去ろうとするアミノを、ほんの少し前まで同僚だった男たちがあざ笑う。

 何か言い返してやりたくもなるが、喉元まで出かかったそれは、口から出る前にしぼんで消えてしまった。


 彼らの言うことは間違っていないのだ。

 錬金術士ギルドの主な収入源は医薬品の販売である。

 この学術都市では腰痛や生活習慣病に悩むものが多く、その治療薬が売上の大半を占めている。

 ほとんど売れないプロテインしか作れないアミノは、自分の給料分も稼げていたのか怪しいところだったのだ。


「とにかく、次の仕事を見つけなきゃ……」


 アミノは力なくつぶやいて、12歳から5年勤めた錬金術士ギルドを後にした。


 * * *


「おいおい、あんたみたいなヒョロガリ坊やが冒険者ギルドに入りたいだって? 冗談はほどほどにしてくれよ」

「す、すみません……」


 錬金術士ギルドを追放されたアミノは、翌日から仕事を探して歩き回った。

 この街ではほとんどの商売がなんらかのギルドに属しており、職を得るためにはギルドに加盟して、そこから仕事を斡旋してもらわなければならない。

 そのため、さまざまなギルドを訪ねて回ったのだが――


 錬金術士ギルドと仲が悪い魔術士ギルドでは、元錬金術士であるアミノは門前払いをされ、調理師ギルドや洗濯ギルドでは体力がなさそうだと断られ、物乞いギルドでは「まだ若いんだからちゃんと働け」と説教をされてしまった。


 思いつく限りのギルドを回って全敗したアミノは、いよいよ「自分の名前が言えれば入れる」と噂の冒険者ギルドまでやってきたのだが、そこでもあっさり追い返されてしまったのである。

 風が吹けばポキっと折れてしまいそうなほどひ弱で、これといった特技もないアミノは、どこのギルドからも必要とされなかったのだ。


「うう……ボクを雇ってくれるところなんてこの世にはどこにもないのかな……」


 もはや当てのなくなったアミノがふらふらと街を歩いていると、奇妙なものが目に入った。

 筋骨隆々たる男をかたどった銀色の彫像が道端に立っていたのだ。


 見れば真新しい建物の前に置かれており、客寄せ用の看板のように思われた。

 ガラス張りの入り口には「新規オープン! 会員募集中!」と大きく書かれた張り紙がある。


「新しく設立されたギルドかな? 何のギルドかわからないけど、とにかく行くだけ行ってみよう」


 アミノは、一縷の望みをかけてその建物の入り口をくぐった。


 * * *


 アミノが建物に入ると、中にはスクワットをしている女性が一人だけいた。

 大きなバーベルを担いでおり、その重さはアミノの体重を軽く超えていそうだ。

 場違い感をおぼえたアミノが回れ右をしようとした寸前、女性が気がついて声をかけてきた。


「やぁやぁ、いらっしゃい! 私はここの代表のルチンだ。新規入会を希望の方かな?」

「は、はい。ボクはアミノです……」


 ルチンと名乗った長身の女性はバーベルを床に置き、真っ白い歯をきらきらと輝かせながらアミノに向かって歩いてくる。

 ルチンの身体は無駄のない筋肉に覆われており、肌は健康的に日に焼けていて、彼女が歩く姿はまるで大型の猫科動物のようだった。


「それはよかった! アミノ君、きみはツイてるよ! いまはちょうど他の会員もいないからね。無料体験コースをすぐに試してもらえるよ!」

「体験コース……試験のようなものですか?」

「ははは、そんなに堅苦しく考える必要はないさ! ウェアは貸し出せるものがあるからね。さっそく着替えてはじめてみよう!」

「は、はい」


 いまだに何のギルドなのかさっぱり見当がついていないアミノだったが、門前払いをせずに試験をしてくれたのはここが初めてだ。

 なんとかこのチャンスをものにしようと、アミノは心の中で闘志を燃やした。


 ――が、まるでダメだった。


 まずは基本の自重トレーニングからはじめてみようと言うルチンに従い試験を開始したのだが、腕立て伏せは6回で撃沈。腹筋は2回。スクワットは12回で足が震えて立ち上がれなくなってしまったのだ。


(ああ、これは何日か筋肉痛で動けないな……。試験も落ちただろうし、無駄な努力をしてしまった……)


 アミノが床に腰を下ろしたまま、どんよりとした気持ちでうつむいていると、ルチンがパンッとアミノの肩を叩いた。


「ナイスガッツ! 限界までよくがんばったね!」

「え!? あ、はい、ありがとうございます……」


 あまりの体力の無さにさぞ呆れられているだろうと落ち込んでいたアミノだったが、予想に反してルチンは満面の笑顔のままだった。


「さて、トレーニングの直後はマッサージだ。私がやってみせるから、アミノ君もやり方をおぼえてくれよ」

「ひゃっ、ひゃいっ!?」


 突然、太ももをつかまれたことに驚いたアミノは思わず声が裏返ってしまった。

 ルチンの細い指がゆっくりと動き、アミノの足を優しく揉んでいく。


「あああああああのっ!? なななな何をされてるんですか!?」

「筋肉の緊張をほぐして、血行をよくしているんだ。こうすると筋肉痛にもなりづらいし、怪我の予防にもなるんだよ」

「そそそそそそそうなんですね」 


 この歳まで恋人はおろか、母親以外の異性に触れられたことのないアミノにとって、ルチンのマッサージは刺激が強すぎた。

 顔が真っ赤に染まり、うるさいくらいに心臓が高鳴り、ルチンに聞こえてしまうのではないかとありえない心配までしはじめる始末だった。


「よし、これでマッサージは終了。次からは自分でできそうかな?」

「ひゃっ、はいっ!」


 細い指先に触れられる感触が終わって、アミノはようやく正気に返った。

 だが、いまだに心臓の高鳴りはおさまってはいない。


「それじゃあ次は栄養補給だね。ちょっと待ってて」


 奥の部屋へとルチンの姿が消えて、アミノは大きく息をついた。

 筋トレの疲れを取るためのマッサージだったはずなのに、余計に疲れてしまったような気がする。

 そして何より、あのマッサージがこれっきりだと言うのが残念で――


 そこまで考えて、アミノは自分の頬を両手で叩いた。


(いけないいけない、何を考えてるんだボクは……。万が一、採用してくれたら上司になる人だぞ。こんなよこしまな想いは持っちゃいけない)


 じんじんとする頬の痛みに耐えながら、先ほどの別のことに意識を移そうと必死に努力をする。


(そうだ、そういえばここが何のギルドなのかまだ確認できてないな。ギルド長が組合員のマッサージをしてくれるギルドなんて聞いたこともないし……新しく按摩士あんましギルドでもできたのかな?)


「待たせたな! さぁ、これを食べてくれ!」


 アミノが考えごとに没頭していると、ルチンがいつの間にか戻ってきていた。

 アミノの目の前に、大皿に乗った大量の肉が盛られている。


「こ、これはなんですか?」

「鶏のササミさ! 蛋白質豊富で低脂肪。トレーニーには欠かせない食材だよ。残さず食べてくれよ!」

「こんなにいっぱい、ですか?」


 もともと食が細いアミノである。

 そのうえ今は、激しい運動の直後でまるで食欲がわかない。

 山盛りの肉を見ているだけで、胃液がせり上がってくるようだった。


「ははは、そこまで慌てて食べなくても大丈夫さ。少し休憩すれば食欲もわくだろうし、先に入会金や月謝の説明をしておこうか」

「えっ? 入会金に、月謝?」

「ああ! 体験コースは無料だけれども、次回以降からは有料になる。まず通い放題のタイプとチケット制の2種類があって……」

「まままま、待ってください!」


 ここへきて、ようやくアミノは自分の勘違いを悟った。

 ここはギルドなどではなく、有料の運動施設なのだ。

 この学術都市では運動をするものが少ないため1軒も存在しなかったが、他の街では流行していると小耳に挟んだことがある。

 アミノは必死に謝りつつ、自分の事情を説明していた。


「……というわけでですね、ボクはいま無職で……とても月謝を払って通えるような状況じゃないんです……」

「なんだ、そうだったのか……。いや、私こそよく確認もせずにすまなかった……」


 それまで満面の笑みを浮かべていたルチンの表情が曇った。

 アミノは罪悪感で胸がきゅっと苦しくなる。


「恥ずかしい話だがね。この街で開業して1週間たつんだが、会員の伸びが想定よりも悪くてね。蓄えはあるから当座は問題ないんだが、入会希望者かと思って、ついがっついてしまったんだ……」

「いえいえ、ボクの方こそちゃんと確認せず申し訳なかったです……」


 二人は同時に深い溜め息をついた。

 その間には、茹でたてのささみ肉がほかほかと湯気を立てている。


「まあ、済んだことは仕方がない。お詫びにこのササミを食べていってくれ。何より栄養を取らないとせっかくのトレーニングの効果が半減してしまう」

「え、ええ……」


 未だに食欲はわいていないが、こうまで勧められては断りづらい。

 アミノはササミを一切れ手に取り、口に運んで咀嚼する。

 だが、いくら噛んでも薄い塩味しかしないし、パサパサしている。


「む、まだ胃が受け付けないかい?」

「すみません、正直なところ……」


 さすがに不味くて食べたくないとは言えず、アミノは口を濁した。


「本当ならプロテインがあると飲みやすくていいんだがね。この街では需要がないのか、品揃えも悪いし値段も高いんだよ」

「えっ、プロテインでもいいんですか?」

「ああ、もちろんさ。良質なプロテインなら消化吸収もいいし、食事以上に効率的に筋肉に栄養を与えることができる」

「それなら、ちょっといいでしょうか」


 アミノはササミの一切れを小皿に移し、それに向かって手をかざし、蛋白質抽出プロテインの錬金術を発動する。

 ほんのわずかの間、ササミが白い光に包まれる。錬金術に伴う発光現象だ。

 そして光がおさまると、小皿の上には真っ白な粉だけが残されていた。


「あの、ボクは元錬金術士でして……。といっても蛋白質抽出プロテインしか使えな……」

「こ、この白い輝き。ちょっと失礼するよ!」


 ルチンはアミノの手元から小皿をひったくると、白い粉を指先につけてぺろりと舐めた。


「これは……蛋白質純度99.9999%以上! SSSランク級のプロテインじゃないか!」

「あ、ありがとうございます。蛋白質抽出プロテインだけはほとんど毎日やってましたから」


 少し舐めただけで蛋白質の純度を当てるルチンに、アミノはほんの少し引いた。

 しかし、ルチンはそのアミノの手を両手でつかんで引き寄せた。


「謙遜することはない。これはすごい才能だよ、アミノ君!」

「ひゃ、ひゃり、ありがとうございます!」


 息がかかるほどに顔が近い。

 ルチンの整った顔立ちに迫られて、アミノの心臓が再びバクバクと音を立てる。


「よかったら、うちで働いてくれないか。この高品質なプロテインはうちのジムの武器になる!」

「それはうれしいですけど……」


 つい先ほど、経営がうまく行っていないという話を聞いたばかりなのだ。

 従業員を雇う余裕などあるのだろうか。

 何よりこの学術都市には運動が習慣として広まっていない。

 良質のプロテインを提供したところで、それを魅力に感じる人間が果たしてどれくらいいるものだろうか。


「ふふふ、心配は無用さ。もうひとつ、秘策がある」

「秘策、ですか……?」


 ルチンが指差した先には、ある大会の参加者を募集するポスターが貼られていた。


 * * *


 1年後。

 ルチンが経営するフィットネスジムは大勢の会員で日々にぎわっていた。

 手狭になってきたため、2号店を開設するべく不動産ギルドに候補地を探すよう相談中である。


「きゃー! アミノさーん! 握手してくださーい!」

「ええっ!? あのアミノさんが来ているのか!? 俺にもサインください!」

「アミノさんのおかげで腰痛がすっかりよくなってのう」

「はは、みんな押さないで。順番だよ、順番」


 ジムの前で老若男女に囲まれているのはアミノであった。

 しかし、その姿は1年前とは見違えている。


 色白を通り過ぎて青白かった肌は浅黒く日焼けし、ススキのように細かった手足は大木を思わせる太さに、胸板は厚くなり、両肩は小さな馬車でも乗せているのかの如き三角筋で盛り上がっている。


「アミノくん、入会希望者が来てるから対応お願いねー」

「はい、ルチンさん! いま行きますね!」


 取り囲む人々からようやく抜け出して、アミノはジムの中へと入った。

 ジムの目立つところには、立派なトロフィーと大きな写真が飾られている。


「ええと、入会希望の方ですね。まずは料金の説明から――」


 パンフレットを見せながら、ジムの規定についてあれこれと説明する。

 1年ですっかり慣れたものだ。

 筋肉が生み出す幸せホルモンセロトニンの効果により性格も前向きになったため、以前のようにおどおどしたところもなく、堂々たる接客を見せている。


「これで一通りですが、何か質問はありますか?」

「あ、あの、オレみたいのでもアミノさんみたいになれますか……?」

「もちろんなれますよ! あの写真を見てください!」


 アミノが指差したのはトロフィーの横に飾られた2枚の大判写真だ。

 左の1枚は1年前のアミノ。ガリガリに痩せ細って、いかにも不健康そうだ。

 右の1枚は現在のアミノ。見事な筋肉を身にまとい、自信たっぷりの笑顔を輝かせている。


「オ、オレ、アミノさんみたいに筋肉的マッスルビフォー・アフターで優勝したいんです!」

「それは素晴らしいね! ボクも全力でサポートしますよ!」

「よろしくお願いします!」


 入会手続きの対応を終えたアミノの元に、会員の指導が一段落したルチンがやってきた。


「ふふふ、アミノ君もすっかり慣れたものだね」

「ルチンさんの指導のおかげですよ」

「きみはいつまで経っても謙遜屋だな。この繁盛はきみの手柄だっていうのに」

「いえいえ、それこそルチンさんの指導のおかげじゃないですか」


 二人の言葉はどちらも謙遜ではなく、事実であった。

 ルチンが1年前に閃いた秘策――王都で開かれるボディビル大会「筋肉的マッスルビフォー・アフター」でアミノを優勝させること――は見事に成功したのだ。

 わずか半年のトレーニングでそれだけの成果が出せたのは、ルチンの的確な指導とアミノの創り出す高品質なプロテイン、そして何より、アミノ自身の努力がなければなし得ないことだった。


 筋肉的マッスルビフォー・アフターの優勝効果は大きかった。

 学術都市出身の人間が優勝したことは過去に例がなく、アミノは街の英雄として大いに人気を集めたのだ。

 これにより、ジムへの入会希望者も爆発的に増えたのである。


「ここがあの無能が働いているというジムか!」

「ええ、アミノのやつはここにいるはずですよ」


 アミノとルチンが話していると、肥満体の男が痩せぎすの男を引き連れ、大声を上げながら入ってきた。

 醜い脂肪を震わせながら汗を拭いているのは、1年前にアミノを追放した錬金術士ギルド長のファットであった。


「おお、アミノ。久しいな。元気でやっていたか? んん、お前本当にあのアミノか? なにかデカくなっている気がするのだが……」


 ファットは1年ぶりに会ったアミノを見て首を傾げた。

 運動にまったく興味がないファットは、アミノが筋肉的マッスルビフォー・アフターで優勝したことを知らなかったのだ。


「お久しぶりです、ファットさん。入会希望ですか?」

「何が入会希望か! ありがたく思え、貴様を連れ戻しに来てやったのだ」

蛋白質抽出プロテインしかできないボクを、錬金術士ギルドに連れ戻しに……?」

「そうだ、うれしいだろう。どういうわけか最近プロテインの引き合いが増えてな。増産したいのだが手が足りんのだ」


 ファットの言葉は半分は本当で、半分は嘘だった。

 小売店からの引き合いが増えたのは事実なのだが、錬金術士ギルドの作るプロテインは品質が悪く、それを見抜かれると取引を止められてしまうのだ。

 一方、アミノが作るプロテインは市販も開始されており、筋肉的マッスルビフォー・アフター優勝者が作ったというブランド力も相まって、圧倒的一番人気のプロテインとなっていたのである。


「それに最近はどういうわけか、腰痛や生活習慣病の薬も売上が悪くてよう。それでお前みたいな無能に声がかかったってわけさ」

「バカモン! お前は黙っとれ!」

「ひっ、ご、ごめんよパパ……」


 ファットは連れの痩せぎすの男を叱りつけた。

 この男はファットの息子で、錬金術士ギルド時代は同僚たちを煽り、先頭に立ってアミノを馬鹿にしていた人間である。


「薬の売上が悪くなったとは、うれしいような、困ったようなお話ですね」

「うれしいわけがあるかっ! 錬金術士ギルドの売上の柱なのだぞ!」

「でも、病気の人が減ったってことですし」

「病人など多い方がいいに決まっとるだろ! 大事なのは儲けだ!」


 喚き立てるファットを、ジムの会員たちが「うわぁ……」という目で見ている。

 アミノ自身も気がついていなかったのだが、実は医薬品の需要が減ったのもアミノに原因があった。


 筋肉的マッスルビフォー・アフター優勝により、街全体でスポーツブームが巻き起こっていたのである。

 適切な運動により腰痛に悩む人間は激減、血圧や血糖値も安定し、薬に頼らずとも健康を保てるものが増えたのである。


「というわけでだな、お前のような無能が役に立てる日が来たのだ。昇給もしてやるから、錬金術士ギルドに戻ってこい」

「そう言われても、ボクにはいまの仕事があるのでお断りします」

「な、なんだとぉ……!?」


 ファットの顔が赤黒く変色し、額に血管が浮く。

 あの気弱だったアミノが、ギルド長たる自分の頼みに対して毅然とした態度でノーと言ったのだ。


「き、き、貴様……無能のアミノの分際で! これがどれだけいい話なのかわからんのか!」

「お気持ちはうれしいんですが、ボクはいまの仕事にやりがいを感じています。それに2号店ができたときは責任者を任せていただけることになっているので、いまこの仕事を放り出すわけにはいかないんです」

「み、店の責任者だとぉ……!?」

「嘘だっ! あの無能に店長なんかできるはずがねえだろっ!」


 今度はファットだけでなく、その息子も口を開く。

 学術都市で新たに店を開くには、かなりの資金と信用が必要だ。

 その店長といえば、錬金術士ギルドの役職に例えるなら部長にも匹敵する地位であった。


「そういうわけなので、今日はお引き取りください。ここで騒ぐと他の会員のみなさまにも迷惑なので。せっかく復職のお誘いをいただいたのにご期待に添えず申し訳ないです」

「ワシらが迷惑だと! もう我慢ならん!」

「アミノごときが調子に乗ってるんじゃねえ!」


 ファットと息子が、公衆の面前にも関わらずアミノに殴りかかった。

 いままで下に見ていたものに素気なくされて、プライドを傷つけられたのだ。


 二人の拳がポカポカとアミノに降り注ぐが、ろくに筋トレもしていない二人の拳はアミノの鋼鉄の筋肉の前にはまるで無力だった。

 アミノはまるで意に介せず、悠々と両手を胸の下で組み、前傾姿勢を決める。


 するとどうしたことか、膨張した筋肉がアミノのTシャツを吹き飛ばし、黄金色の光がジム全体を照らし出したのである!


「すげえ! 生でこれが見られるなんてツイてるぜ!」

「なんて素敵な大胸筋……あの胸に、一度抱かれてみたいわ……」

「ありがたやありがたや……」


 興奮する会員の男に、恍惚とした表情を浮かべる女、老人に至っては両手をすり合わせて拝みはじめている。


「な、なんなんだそれは……?」


 腰を抜かしてへたり込んだファットが、震える声で訪ねた。

 アミノはにっと口角を上げ、白い歯を輝かせながら答えた。


「これは聖なるモスト大胸筋マスキュラーの輝きポーズです。正しく筋肉を鍛え育て、筋肉を愛したものだけが発することができると言われています」

「わ、わけがわからん……」


 運動に興味がないファット親子は知らなかったが、筋肉の信仰者トレーニーたちの間では常識である。

 正しきトレーニングを重ねたものの筋肉には聖なる力が宿る。

 そしてこの技こそ、アミノの筋肉的マッスルビフォー・アフター優勝の決め手であった。


「今日もキレてるじゃないか、アミノ」

「いえ、まだまだですよ。未熟な技を見せてお恥ずかしいです……」


 ルチンの称賛に、アミノはぽっと頬を赤く染めた。

 なお、「キレている」とは怒っているという意味ではなく、見事な筋肉を称える最上級の賛辞のひとつである。


「どうだいあんたたち。この筋肉を見て、何か感じることはないのかい?」


 ルチンは床にへたり込んでいるファット親子に声をかけた。

 その姿勢は、両手を背中に回し、膝を軽く曲げたサイドトライセップスポーズである。


「どうも何も……わけが……いや、なんだこの感覚は。胸のうちからほんのりと温かいものが上がってくるような……」

「パパ……俺もそうだよ。なんだか心臓がポカポカする感じがするんだ……」

「ふふ、あんたらも芯から腐っていたわけじゃないんだね」


 ルチンは両腕を広げて上に曲げたフロントダブルバイセップスポーズで上腕二頭筋の盛り上がりを存分にアピールしつつ、言葉を続けた。


聖なるモスト大胸筋マスキュラーの輝きポーズから発せられる光は、視床下部を刺激して幸せホルモンセロトニンの分泌を促し、人間の邪悪な心を払う効果があるんだよ」

「そうだったのか……まるで心が洗われるようだ……」

「ううっ……俺たちはなんて恥ずかしい真似をしていたんだ……」


 ファット親子は滝のような涙を流しながら、アミノの足元へすがりつくように土下座をした。


「「こちらが間違っていた! どうか許して欲しい! それから、そんな見事な逆三角形の肉体を手に入れるのはどうしたらいいんだ!?」」


 アミノは決まりが悪そうに、二人を抱え起こした。


「謝ることなんてないですよ。でも、いまさら逆三角形の身体になりたいといってももう遅いんです」

「「そ、そんな……」」


 ファット親子は、絶望のあまりその場に崩れ落ちそうになった。

 アミノはその二人の身体を再び支える。


「でも、諦めるのはまだ早いんです。今日の身体を作ったのは過去の積み重ね。1年後、2年後に逆三角形の身体を目指すのなら、いまさら遅いなんてことはないんです!」

「「そ、そうなのか!」」

「そうなんです! いますぐ入会して、来年の夏を目指しましょう!」

「「わかった!!」」


 そしてファット親子はアミノの太い両腕にぶら下がってくるくると回った。

 その姿はまるで、父親の太い腕にぶら下がる幼子のようであったという。


 なお、これは蛇足であるが、かつて学術都市として知られたその街はいまでは筋肉マッスルの聖地サンクチュアリとして有名であり、王国でも屈指の長寿命と、医療保険費の低さを誇っている。

 聖地中央の広場では、錬筋術士の二つ名で知られる青年の彫像が、いまでも見事な聖なるモスト大胸筋マスキュラーの輝きポーズを披露しているのだ。


(了)

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