真夜中は雨の匂い

磯風

初めまして、猫です

今日が、何度目の朝かわからない。

昨日まで腹が減ったり、眠かったり、痛かったりといろいろな事があったが、今朝は全然なんともなくなっている。

そして、明日も、明後日も、きっともう昨日までのような事は、全く無くなるのだと理解している。


あ、初めまして、猫です。

名前?

なんで猫が、人間なんかに名前を教えてやらなくちゃいかんのです?


気持ちの良い朝っていう奴なんでしょうね。

別に私にはどうでもいい事なんですけどね。

ああ、なんか変な声が聞こえますねぇ……

多分人間の声なんですけど、どうにもカンに触る声ですよ。


あれ、こんな所に子供……いや、ここまで小さいと『赤ん坊』って言うんでしたっけ。

と、すると親がいるはずなんですけど……見当たりませんね。

やれやれ、この声はどうも好きになれません。

それにしても、ここは人通りがないですね。

私には良い場所ですが、この赤ん坊にはあまり良くないでしょう。


よいしょ……っと。

え?

なんで二本足で立てるのかって?

あなた、猫を馬鹿にしてますね?

なんだって出来るんですよ、猫だから。


赤ん坊くらいならこうやって……ひょいっと……ひょひょひょ…っ!

……人間って自分で動けないくせにこんなに重いなんて、迷惑な生き物ですね。

仕方ない。

ちょっと引き摺りますか。

ああああーっ!

何でまた大きな声になるんですっ!


おっと、他の人間がこの赤ん坊に気付いたみたいですね。

ふぅ、これで私の周りから不快な音がなくなりましたよ。



昼はぽかぽかと日差しが心地良いですが、昨日ほど良い気持ちではありません。

嫌な事がなくなっただけでなく、良い気分も感じにくくなっているのでしょうか。


……おかしいですね。

さっき連れて行かれたはずの赤ん坊の声が、また聞こえてきましたよ。

少し歩くと……ああ、またあんな所に置きっぱなしにされていますよ。


でも、なんでしょう。

さっきとは違いますね……

泣き声も、そんなに嫌じゃなくなってます。

ああ、この子も私と同じ『昨日とは別のもの』になったのですね。

だけど、どうやらこの子は私とは違って、ここには居られないみたいです。


あそこに見えているのは……さっき赤ん坊を連れて行った人間ですか。

……雨の匂いがしますね。

濡れるのは困りますから、どこかへ避難しましょう。



陽が落ちて、少し寒くなってきましたね。

どうやら真夜中のようですね。

とても静かでいい夜です。

雨は……降っていないみたいですし。


あれ?

なんでしょう……ちょっとムズムズします……

誰かに呼ばれているような。


「嘘……本当に猫が来たわ」

なんですか、この人間。

さっきまでいた所と……違う場所みたいです。


「ねぇ……願いを聞いてくれるって本当?」

きくわけないでしょう?

何を……いや、手助けくらいなら……してあげてもいいですよ?

は?

いやいや、別に目の前に差し出された食べ物に釣られたわけじゃあありませんよ?


「赤ちゃんを捜してるの。あたしの赤ちゃんなの。一緒に捜して?」

「赤ん坊の事ですかにゃ」

……にゃ?

ちゃんと話しているはずなのに、なんで変な接尾語が付くんですか?

「しゃ、喋った!猫又っ?」

「にゃんですか、それ。猫、ですにゃ」

また変な音が……どうも人間の言葉だと、ちゃんと喋れないみたいですね。


「赤ん坊は……もう、捜せないですにゃ」

「え?」


「そこで何をしているんだ!」

「あ……!返してよっ!あたしの赤ちゃん、連れて行ったのあんたでしょうっ?」

おお、正解ですよ。

そいつが赤ん坊を……あれ?

あの赤ん坊の声が、また聞こえましたよ。


えーと……こっちですか?

あ、いました、いました。

私は声を出して呼ぼうと思ったら、なぜだか声が全く出なかったのです。

そして、雨の匂いがしました。


「あっ、こんな所にいたのね!ああ、可哀想に、寒かったでしょう?もう平気よ。一緒に行きましょうね」

あっちにいたと思ったのに……人間のくせに素早いですね、この人。

「見つかって……良かったですにゃ」

「ありがとう!猫ちゃん」


もう赤ん坊は泣いていませんでしたし、抱き上げて微笑んだ人間も……

『昨日と違うもの』になって、赤ん坊と一緒に行ってしまいました。


後ろを振り返ると、昼間赤ん坊を連れて行った人間の姿はなくなっていました。

ただ、雨の匂いだけを残して。

暫く、その場に留まっていた私の前に、またあの人間が姿を現しました。

やれやれ……この人間は……悪臭がします。

雨の匂いより、嫌な匂いです。


土を掘り返しています。

あの赤ん坊がいた辺りですが……かなり深く掘って、もうひとつ、別のものを入れました。

何だか無性に腹立たしかったので、後ろから蹴り飛ばしてやったらあっけなく転んじゃいましたよ。

おやおや、人間もなかなか面白い格好が出来るのですね。

首があらぬ方向に曲がっています。


……悪臭も、雨の匂いもなくなりました。


その夜はなんだかとても疲れて、眠った時に変な夢をみました。

誰かの声が聞こえ、こう言っていたのです。

「今回の事で、君にはもう少しそっちに居て貰わなくちゃならなくなった。まぁ気持ちは判るから、ちょっとオマケしておくね。判りやすくお金で換算するから、頑張って稼いでね」


稼ぐ?

何を?


そして、毎夜、夜中になると雨の匂いがするのです。

でも、呼ばれる事は……滅多にありません。

たまに呼ばれるとやっぱり『ネコマタ』とか言われるので、ムカついて堪りません。

名前?

教えるわけないでしょう?


だから、こう言っています。

「初めまして、『猫の手屋』ですにゃ」


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真夜中は雨の匂い 磯風 @nekonana51

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