幕間 秘密のティータイム





 とある地の、とある洋館にて。


 

 大きな本を抱えた少年はひとりソファに腰かけ、つまらなさそうにそのページをめくっていた。


 まだ成長しきっていない体躯は小柄で小さく、庇護欲をくすぐる幼さを残す。

 しかしその瞳に差す深緋こきあけの色はどことない仄暗さも宿し、可愛らしい容姿とその雰囲気とのアンバランスさがまたなんとも言えずに目を惹く。


 ところどころステンドグラスが嵌め込まれた窓の外はすでに夜の帳が下り、人の住む世界とは隔絶された不気味な宵闇が広がる。

 室内を照らすのは天井から下りた暖色のペンダントライトのみ。

 それが余計に夜の神妙な怪奇を連れてくる。


 しばらくは本を開いていた少年だったが、不意にパタンと閉じた。





───コン、コン、コン。



 直後、ドアノッカーが三度響く。


 森の中にあるこの屋敷に人が訪ねてくることはまずない。

 たとえ人里の中にあったとしても、それは同じことだろう。この少年の元に、ただの人が訪ねてくることはない。


 唯一、この屋敷に気まぐれにやってくる人物がいる。

 だが少年の記憶にあるその人物はわざわざ来訪を告げるようなこともしなければ、律儀に玄関から入ってくることもない。


 少々不思議に思いつつも少年は腰を上げ、来客を告げる玄関へと向かった。



 人と魔物が入り混じるこの世界では、常に危険と隣り合わせにある。

 扉の向こうにいるのが人間である保証はないし、安全である保証もない。

 とくにこんな人気ひとけのない森の中では、内側から扉を開いた瞬間に”なにか”を招き入れることも往往にして起こりうる。


 それでも少年は躊躇なく扉を開ける。

 それは少年が紛れもない強者であることの表れだった。



「……?」


 とはいえ、恐怖はなくとも驚きはある。

 扉の向こうにいた人物に、少年は大きな深緋の瞳をぱちくりと瞬かせた。



「やあ、久しぶり。遊びに来たよ」



 そう言ってにこりと笑った相手は、やはり少年もよく見慣れた人物だった。

 







 少年の向かいのソファに座った人物は優雅にカップに口をつける。

 それは今しがた少年の奴僕が淹れてきたものだ。もちろん家主である少年の前にも同じものが置かれている。


 他にもテーブルには甘い香りが漂うさまざまな甘味をのせたケーキスタンドや軽食が綺麗に並べられている。これも少年の奴僕に用意させたものだ。

 有能な奴僕は少年と、それから先ほどやってきた客人の好みは熟知していた。



「それにしても珍しいじゃないか。オマエが玄関から入ってくるなんて」


 それらをパクパクと頬張る少年。

 その出来にふっと瞳を緩めつつ、同じようにフォークを伸ばす相手に問うた。


 いつ見ても変わらぬ笑みを浮かべるその人物は、緩く小首を傾げる。

 その拍子にさらりと特徴的な白髪が揺れた。


「ぼくにだってそれくらいの常識はあるよ?」


「それを今まで発揮してこなかった理由を是非とも聞いてみたいものだね」


「話せば長くなるから遠慮しとくよ。ああ、それとこれ、おかわり」


「相変わらずオマエはなんの遠慮もなく寛ぐよね」


 少年がパチンと指を鳴らせば奴僕は音もなく現れ、相手が持つカップに琥珀色の液体を注ぐ。

 「ありがとう」と短く礼を言い、再び口をつけた相手。

 カップの中に広がる波紋が、液体と同じ色をした瞳にゆらゆらと映る。その様はよく見慣れた少年からしても一瞬目を奪われるものだった。


「ああ、そうだ。今日来たのは別にお前と雑談に興じようと思ったわけじゃないんだよ」


「ボクのティータイムに合わせて来たくせに、よく言う」


「お前の従者は腕がいいからね。ぼく好みで嬉しいよ」


 にこにこ笑う相手はソファに深く背を預け、足を組み替えた。


「さて、本題だ。召喚魔法にも造詣が深いお前の見解が聞きたくてね」


「へぇ」


 魔法のこととなると少年は目の色を変えた。

 キラリとその眼光を光らせたのを正面から見ていた相手は、何かを思い出すような、どことない苦笑を浮かべて少年に問いかけた。


「そうだなぁ……例えば、精霊召喚の魔法陣を不可欠なく描いて間違いなく手順通り召喚したのに、そこから悪魔が現れる可能性ってあると思う?」


「ボクの屋敷に無銭飲食をはたらきに来た対価となるくらいには興味深い議題じゃないか。もっと詳しい状況説明を求めようか」


「特筆すべき点としては、複数の魔導師で魔力を混ぜて召喚したことかな。魔法陣描き上げの段階から召喚に至るまで、複数人の力が介入していたよ」


「ふむ、なるほどな」


 顎に手を添えてしばし考え込んだ少年。

 やがて三本の指を立てた。


「ひとまずボクが考えられる原因としては主に三つだ。だがその前にひとつ、どうしてもオマエに訊きたいことがあるんだけど」


「いいよ。なに?」


「オマエのその格好は、どうしたんだ?」


 純然たる好奇心から、少年は問いかけた。


 その間にも空いた皿の代わりにまた新しい菓子をのせた皿がテーブルに置かれていく。

 それを運んできた奴僕は主人の意に従って素早く、それでいて決して二人の会話を邪魔せぬよう音と気配を空気に溶け込ませてテーブルを飾っていく。


「ボクの記憶にあるものとは随分雰囲気が違うようだ。さっきから違和感を覚えてしょうがないよ」


「うーん、なんていうか、イメチェンみたいな?」


「印象操作でも図っているのかい?」


「ぼくがそんな酔狂な暇人に見える?」


「見えるから訊いているんじゃないか」


「こっちにもいろいろ事情があるんだよ」


 ふふ、と笑みを多分に含んだ笑い声がそれぞれからもれる。

 見る人が見れば不気味でしかないその光景に、しかしこの場においてはそれを指摘する者など誰もいなかった。


「まあいいさ。今のところボクに害はないようだし。オマエのことだ、どうせまた面白そうなことでもやっているんだろう?」


「そんなところかな」


「なら本題に戻るとしようか。オマエに恩を売っておいて損はないからね」


「相変わらず生意気なお子様だなぁ」



 夜も更けるなか、彼らの会話はまだまだ続く───。




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