第16話 課外授業②
草が短くなるにつれ、だんだんと火が安定してきた。
微風程度では揺らぎもせず、そればかりか多少火の勢いが増したような気さえする。
「へぇ、いい感じじゃん」
アッシュもその変化を感じ取る。
無気力っぽいその表情は興味なんてなさげだが、視線だけはしかとその様を眺めていたらしい。
草を燃やす火が安定してきたということはすなわち自然以外の力が働いているということ。
イグナーツの魔力が少しずつ流れ始めている証拠だ。
先ほどの何もないところから魔法を出す方法は合わなかったようなので、今度は目に見える形で魔力の放出先を示してあげた。
これはイグナーツが火属性であると仮定した上でのことだが、たとえ属性が違ったとしても、また別の属性に合わせたモノを用意してあげればいい。
どういう形で魔法が出るのかをイメージできるだけで、魔力の扱いは随分としやすくなる。
この方法は、魔力操作が苦手だったり、魔力を魔法に変換させるイメージがうまく持てない場合に有効な手段だ。
そもそも魔導書には魔法を強化させる方法は載っていても、その前段階である魔力を魔法として放出させるためのプロセスを省いたものがなんと多いことか。
それは一般論として、魔導師ならば魔法が使えて当たり前と考えられているからだ。
だからその前段階で苦戦している魔導師にとってはあまりにも易しくない。
そのことを落ちこぼれだなんだと嘲る輩もなんと多いことか。
どのみちほとんどの魔導師がどこかしらの段階で魔法鍛錬に苦戦するのだから、それが早いか遅いか、あるいは多いか少ないかという問題に過ぎないというのに。
魔法を使えない魔導師を笑うのはそれを理解していないだけ。
魔法というものを真に理解していないだけだ。
先ほどよりもさらに大きくなった火は着々と草を燃やしていく。
もう少しでイグナーツの手にも火が降りてきそうだ。
「うん、いいね。熱い?」
「いや、熱くねえ……俺の手も燃えそうなのに別に火も怖くねえな…」
話しかけても火に揺らぎが出ないということは、すでに魔力の供給が自然にできているということだ。
「その火はイグナーツの魔法の分力みたいなものだからね。自分の力だから熱くもないし怖くもない」
「ってことは、これって俺の魔法なのか!?」
「うん。まだ半分ってところだけど」
見たところ、初めから点いていた火の力が半分、イグナーツの魔力が半分といった感じだ。
それでも微量ではあるが、イグナーツの魔力が火として放出されていることに変わりはない。魔法が使えたと言えるようになるまであと一歩だ。
「じゃあイグナーツ、残りの草を一気に燃やしてみようか。大丈夫、自分の魔法なら火傷もしないし傷もつかないから。ちゃんとイメージして、大きな火を出すところを想像してやってごらん」
「おう」
ひとつ大きく深呼吸をしたイグナーツの顔に真剣味が増す。
それをエルシアとグレイも固唾を飲んで見守っていた。
「……燃えろ、燃えろ…」
草を握る右手に魔力が集まっていく。
そして、ひときわ大きく、力強くイグナーツが叫んだ。
「……燃えろっ!!」
直後、イグナーツの右手が真っ赤な炎に包まれた。
その勢いで草は一瞬にして燃え尽き、一拍おいて役目を終えた炎も消えた。
おそらく瞬間的に多量の魔力が送り込まれた結果で、持続時間は短かった。
それでもあの大きさ、炎の密度。
なるほどなかなかにいいモノを持っているのかもしれない。
いまだに自分のしたことが信じ難いらしく、イグナーツは手のひらを握ったり開いたりを繰り返している。
「うん、上出来」
「……おいルベル……俺ってこれ、もしかして……」
「魔法、ちゃんと使えたみたいだね」
「…っっっしゃ!!!」
大きくガッツポーズをして喜びを前面に押し出すその姿を見ていれば、教えたほうとしても冥利に尽きるというものだ。
「やったじゃない」
「これで俺たち全員クリアだな」
「おう! やったぜっ!!」
まるで自分のことのように喜びを分かち合う三人。
魔法が使えるという事実が彼らにとってどれほど嬉しいことなのか、彼らの表情を見ていればよくわかった。
「三人ともいい感じだね。魔力を魔法に変換させることができたらあとは魔法を磨くのみ。魔導書でもこの学校でもそれは存分に教えてくれるだろうから、ちゃんと学べば君たちも立派な魔導師になれるよ」
「マジでありがとな! メキメキ上達してやるぜっ」
「本当に助かった。付き合ってくれてありがとな」
「どういたしまして。まあ、大変なのはここからだけどね」
「気合いでなんとかしてみせる!」
メラメラと燃えているイグナーツやグレイは再び魔法を放出してみたりと嬉々として試していた。
覚えたての魔法を使ってみたくて仕方ないようだ。
その気持ちはよくわかる。
それと同時にはしゃぎすぎて魔力切れで倒れるところまで想像してしまい、ついつい微笑ましく思ってしまった。
「ルベル」
そんな二人を目で追っていれば、名を呼ばれた。
最初はあんなに刺々しく嫌悪を隠しもしない声だったというのに、今ではこんなにもあたたかみのある声で己の名を口にしてくれる。
「どうしたの、エルシア」
意志の強そうな赤みがかった瞳がパチリとルベルを映す。
綺麗に笑った彼女はこちらに手を伸ばす。
何事かとその様子を見ていれば、ふわりと、次の瞬間には抱きしめられていた。
背に回った腕はぎゅうっと力が込められ、こちらの肩に頭を預けたエルシアは小さな声で、しかししっかりと耳に届くように声を落とした。
「本当にありがとう。あなたがいてくれてよかったわ」
もう一度ぎゅうっと抱きしめられ、離れていく。
「どういたしまして」
抱擁はほんの一瞬だった。
それでもエルシアの心からの感謝はしっかり伝わってきた。
好奇心のままに魔法を放出するイグナーツとグレイのところにエルシアも加わり、それぞれ使えるようになった魔法を見せ合っていた。
魔導師としてはまだまだ生まれたてのヒヨコだが、互いに切磋琢磨し合える仲間がいれば魔法の上達も早い。
きっと彼らは今後メキメキと力をつけていくことだろう。
「なぁ」
三人が木から離れたということは、必然的にここにはルベルとアッシュの二人だけとなる。
「なに?」
アッシュに借りた着火具をくるくると手の中で弄びながら横目に見れば、アッシュは木にもたれたまま、怠そうに空を見上げていた。
相変わらず何を考えているのかわからない。
否、もっと真剣に考えれば言動や表情からその思考も読み解けるのだが、なぜだか今回に限ってはルベルが考えることを放棄していた。
見上げた空は今日も快晴だ。
雲ひとつない青空。やがて日も暮れはじめ、その青も茜色に変わってくるだろう。
ふっ、と小さな呼吸音。
隣に視線を戻せば、いつの間にかこちらを見ていたアッシュと視線が絡む。
その目は、笑っていた。
「オレはオマエにその正体、訊いてもいいか?」
持ち上げられた口角も、金髪の奥に見える瞳も、心底楽しそうに好奇心をのぞかせる。
(そうだよなぁ…)
投げかけられた問いに、真っ先に感じたのは納得だった。
驚きとか焦りとか諦念とかそんなものではなく、ただ純粋な納得、感心。
今さっきの魔法指導の一部始終を見ていて、なおかつ魔法に関してある程度の知識があれば誰だって疑問に思うだろう。
なぜお前はそんなに魔法について詳しいのか、と。
ただの一学生が、しかもこれから魔法を学ぼうという魔導師が、どうして魔導書にも載っていないようなことを知っているのか。
そう疑問を持つのは当然のことだった。
(まあ、そもそもぼく、今さら魔法なんて学ぶ必要ないんだけどね)
普通の魔導師であれば抱いた疑問はそこまでなのかもしれない。
ただ、アッシュに関してはもっと深く、その裏に隠されたこちらの背景までもを感じ取っていそうだ。
ふふ、と思わず笑みがこぼれた。
「じゃあその質問、ぼくも訊き返していい?」
「ダメ」
間髪入れずにニヤリと笑ったアッシュに、この男も大概だなと思ってしまった。
「ふふ、そう。ぼくのことはちょっと便利なお助けアイテムくらいに思ってくれればそれでいいよ」
「お助けアイテムにしては高性能すぎんだろ」
「とか言いつつ、お前には必要ないんじゃない?」
「言ってろ」
話をはぐらかしたことに対してアッシュは何も言わなかった。
これ以上を追求したところでルベルに話す気がないことを理解しているからだろう。
「まあ、ぼくのことなんて知ってもきっと後悔するだけだろうから。やめといた方が賢明だね」
「ハッ、物騒だねェ」
短い付き合いながらも賢くて鋭くて引き際まで心得ているアッシュのことだ。
これ以上を詮索するなという言外に込めた意は伝わったことだろう。
「ところでなんでこんな場所なんだよ。校舎に行けばもっと適した施設もあんだろ」
「わかってるくせに訊かないでよ。ぼくは無闇に目立つのが嫌なんだよ。人目があるところでこんなことしてたら誰が何を勘繰るかわからない」
「勘繰られることは前提なのな」
「現にお前だって勘繰ったよね? 不特定多数の視線には晒されたくないってだけ」
「ククッ、そうかよ」
互いに殺伐とした腹の探り合いは望んでいないのでこの話題はこれで終いだ。
アッシュに着火具を返し、魔法に夢中な三人の様子を眺めながら、もうしばらくは他愛もない雑談に興じていたのだった。
◇ ◇ ◇
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