第3話 仕事と家族

「う~ん、そこら辺はそっちでうまいことやってくんないかなぁ?」


 電話対応をしている鈴木を佐藤はじっと見つめる。


(—またあいつあんな適当なこと言って…)


「じゃあ悪いけどよろしく」


 鈴木は業者との電話を終え、受話器を置いた。


「鈴木、今の大丈夫なのか?」


 佐藤は電話の内容が気になって鈴木に問いただす。


「うん?あぁ大丈夫だよ。悪いけど、俺もう帰るね」


 そう言って鈴木はさっさと家に帰ってしまった。


「チッ!」


 どこかいい加減な鈴木に佐藤は腹を立てた。


 ―午後7時—


 1本の電話が鳴る。

 佐藤が受話器を取り、電話対応をする。


「あ、佐藤さんですか?お疲れ様です、斎藤です」

「はい、お疲れ様。どうしたの?」

「鈴木さんって…もういらっしゃらないですよね?」

「あぁ、終業時間になったら速攻で帰ったよ」

「そうですか…あの、佐藤さん、すみません。鈴木さんの工事の件なんですけど…もう材料発注かけないと間に合わないのにまだその数量が出てきてないんですよ」

「えっ!?もう時間ないじゃん!」

「そうなんですよ」

「ごめん、明日の朝一番に電話させるよ」


 そのとき電話の外から声が掛かる。


「鈴木さん、明日休み入れていますよ。次来るのは土日挟むから…月曜ですね」

「あ゛~ん!?」


 佐藤はしかめっ面し、その後大きくため息を吐く。


「斎藤さん、ちょっと待っててくれる?」

「すみません…」


 佐藤は一度受話器を置き、目の前の鈴木の汚いデスクから作りかけの書類を見つけ出し、自分の手元へと持ってくる。


「斎藤さんお待たせ。え~っと、図面くらいはそっちに届いているのかな?」

「はい…図面だけはあります」

「この図面から材料拾えないこともないけど…この図面もきっとまだ仮だよね?」

「…そうだと思います」

「じゃあさ、俺1時間以内にこの図面から分かる範囲で材料を拾うから、とりあえずそれで材料発注かけてもらっていいかな?で、申し訳ないんだけど、発注する会社には「材料の数は多少前後します」って一報を入れてもらっていい?週明けには絶対にちゃんとした材料表を送らせるからさぁ」

「ご迷惑おかけします。すみません、佐藤さん」

「いやぁ謝るのはこっちの方だよ。ごめんねホント。で、斎藤さん今日夜勤なんでしょ?」

「は、はい」

「じゃあ材料拾ったらFAXしとくから。休んで休んで」

「すみません、ありがとうございます」

「いいよ、いいよ。じゃあね」


 佐藤は受話器を置いた。

「あ゛ーーー!!もう!!」


 佐藤はたまらず貧乏ゆすりをするのであった。

 その様子を見て、後輩が声を掛けてくる。


「鈴木さん、もうちょっとしっかりしてほしいですよね」

「ほんとそうだよ。別に早く帰るのはいいけど、やることやってから帰ってほしいよ」


 佐藤は必要な材料の数を算出するために見づらい鈴木の図面とにらめっこするのであった。


「ただいまぁ~」


 疲れた声を出して佐藤は帰宅する。

 時刻は夜の11時。

 鈴木の尻ぬぐいをし、その後自分の仕事を片付けていたらこんな時間になってしまった。


「おかえりなさい」


 妻が温かく迎えてくれる。

 その優しい言葉に佐藤はホッとする。


「ご飯食べるよね?」

「うん。こんな時間にあんまり食べちゃいけないんだけど…食べたいな」


 佐藤はため息を漏らすように笑った。


「じゃあご飯少なめにしておくね」


 食事をしている最中、妻が佐藤の前に座ってしゃべりかけてくれる。

 この時間だけが憩いの時間である。


「ねぇ、日曜日の遊園地。やっぱりあなたは行かない方がいいんじゃない?」


 妻は佐藤の体のことを心配していた。なぜなら目に見えて佐藤が疲れているのが分かるからだ。正直、風邪を引いていないのが不思議なくらいだ。


「いや、大丈夫。なんとかするよ」

「私とタカシの2人で行くから。あなたはちょっと休んだ方がいいわ」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど…タカシも遊園地行くの楽しみにしていたからさ。大丈夫、明日と明後日で終わらせるさ」

「明日って夜勤じゃない?それに明後日は非番でしょ?非番って休むためにあるのよ」

「大丈夫、大丈夫。ご飯、ごちそうさま。おいしかったよ」

「もうっ!」


 佐藤は会話を早々に切り上げ、お風呂に入りに行ってしまった。


 ―翌日―


 佐藤の妻は朝のゴミ出しをしているときにバッタリと鈴木の妻と鉢合わせた。

 佐藤と鈴木は社宅に住んでいたのだ。

 佐藤と鈴木の関係は若干微妙だが、奥様同士は仲が良い。


「鈴木さん、おはようございます」

「あら、佐藤さん。おはよう」


 2人はさわやかに挨拶を交わす。


「ねぇ、佐藤さんところの旦那さん。今日の朝、ものすごく疲れた顔をしていらしたけど、大丈夫?」

「う~ん、このところ何か忙しいみたいで」

「そうなの?うちの人ったら今日も休み入れているけど、大丈夫なのかしら?」

「きっと鈴木さんの旦那さんは仕事が早いのよ。すごいわ」

「いや、そんなことないと思うんだけど…旦那さん、体には気をつけてね」

「なんか心配かけて申し訳ないです。どうもありがとう」


 ゴミ出しを終えた鈴木の妻は鈴木に問いただす。


「あなた、今日会社休んで大丈夫なの?」

「えぇ!?なんだよ急に」

「だって、今ものすごく忙しいみたいじゃない。佐藤さんの旦那さん、ものすごく疲れた顔をして出社されていたわよ」

「あぁ~…あいつは要領悪いから」

「本当に大丈夫なのね?」

「大丈夫、大丈夫」


 そう言って鈴木はソファに寝転びながらテレビを見るのであった。


 ―日曜日—


 佐藤は家で1人布団に寝転がっていた。遊園地に行くことができなかったのだ。

 夜勤を終え、会社で仮眠を取ってからそのまま夜まで働いていた。その結果、疲労が限界を迎えたのか、家に帰ってから佐藤は熱を出してしまった。そのため家で療養をせざるを得なかった。

 妻は心配で遊園地に行くのを別の日にしようとしたのだが、それじゃあ息子のタカシが余りにもかわいそうだと、佐藤が妻に訴えかけ、2人で遊園地に行ってもらったのだ。

 幸い、熱もそれほど高くなく、夕方にはすっかり下がった。佐藤は気分転換に外に出て、ちょっと散歩することにした。


 赤い夕陽が西の空へと沈んで行く。

 こうやって景色を見たのはいつぶりだろうか?毎日、毎日会社と家の往復。四六時中考えることは仕事のことばかり。


「はは…こんな景色見ながらまた仕事のこと考えてる」

 

 佐藤は家に帰ろうと来た道を戻ろうとしたとき、夕日に照らされる鈴木とその家族を見た。

 鈴木もそして鈴木の家族もみんな幸せそうに笑っている。その姿を見ると、佐藤は心がギュッと締め付けられた。


 鈴木は確かに仕事がいい加減だ。でも、その代わり家族との時間を何よりも大切にしている。家族が起きている間に家に帰るし、休日は絶対に仕事をしない。家族のために時間を割いている。

 それに比べて自分はどうだ?家族を養っていくために一生懸命働くのはいい。でもその反面、家族と過ごす時間を犠牲にしている。

 家族のことを大切にしたいはずなのに…自分はどこか家族を大切にしていない気がしてならない。


「鈴木と俺、一体どっちが正しいんだろう?」


 佐藤は俯きながら家に戻るのであった。


 ―半年後—


 それは急な話だった。

 ここ最近、会社の業績が悪いのは分かっていた。でもこれほどとは…。

 その日、鈴木はリストラを言い渡されたのだ。鈴木は茫然としていた。もちろんその周りも。

 リストラ対象となるのは勤務態度が悪い者だ。しかし鈴木の勤務態度は悪くない。遅刻や無断欠勤することは絶対にない。


 しかし、業務実績や周囲の評判は?と問われたら、決していいものではなかった。鈴木に対し、佐藤も含め多くの者が不満を抱いていた。そう考えると、リストラは当然の結果であった。

 鈴木の他にも部署で数名がリストラを言い渡された。

 いつも懸命に働く佐藤が言い渡されることはなかった。


 その日も、鈴木は終業時刻と同時に家に帰った。しかし、いつものような元気は無かった。

 佐藤もこの日は仕事が手に付かなかったのだが、鈴木と社宅で顔を合わせるのが嫌だったので、いつも通りの時間まで会社に残ることにした。


 帰り道、佐藤は鈴木のことを考えていた。思い出すのは鈴木のいい加減な仕事ぶりばかり。同期ということもあり、なぜか鈴木の仕事ぶりに無性に腹が立った。他の人なら、しょうがないなと思えるのに…鈴木に対してはいつも腹を立てていた。

 でも今はどうだろう?あんなに腹を立てていた相手なのに…今は誰よりも彼のことを気の毒に思う。他のリストラを言い渡された者より同期の鈴木に対して、ずっと同情の念を抱いていた。

 佐藤は後悔していたのだ。みんながいる前で鈴木の不満を漏らしたことを。もっと鈴木のフォローをしていればリストラを言い渡されることがなかったんじゃないか?佐藤は自分を責めていた。


 そんなことを考えている内に佐藤はいつの間にか社宅にたどり着いていた。


「お、帰って来た、帰って来た。お疲れさん!」

「————!」

 

 声を掛けてきたのはなんと鈴木だった。

 ちょっとだけ吹っ切れたような顔をしていた。


「鈴木…」

「おせぇなぁ。こんなに遅くまで仕事してたのか?」

「…今日はほとんど仕事が手についてない。お前がいる社宅に帰って来るのが嫌だったんだ」

「お、言うねぇ!」


 鈴木が佐藤に近づき、顔色を伺う。


「な~に暗い顔してるんだよ、お前のことだからどうせ俺がリストラされたのは自分のせいだと思ってるんだろ?」

「………」

「おいおい、図星かよ~!」


 鈴木は軽く笑った。

「…ほれっ!」

 

 鈴木はポケットから缶コーヒーを取り出して投げてきた。

 佐藤は慌ててそれをキャッチする。

 缶コーヒーは生温かかった。

 佐藤の帰りを待って、ずっとポケットの中へ入れていたのだろう。


「俺からの餞別だ」

「餞別って…逆だろ」

「じゃあ、いつも俺の尻ぬぐいをしてくれているお礼ってことで」

「…ずいぶん安いお礼だな」

「これから金が要るんだ。それで勘弁してくれ」

「まぁしょうがないな」


 2人は黙って缶コーヒーを飲む。

「…これからどうするんだよ?」

「どうするって…就職活動するしかねぇじゃねぇか。ここも出で行かねぇといけねぇし。あぁ、金がかかるなぁ」

「………」

「だから俺より暗い顔すんなって!」


 鈴木は佐藤の背中を叩いた。


「…なぁ、佐藤」

「うん?」

「お前は俺よりずっと真面目に働いてる。自分だけでなく、周りの人も気にかけて仕事して…本当にすごいよ、お前は。俺もずいぶん助けてもらった。甘やかさせてもらった。だから今日俺がリストラされたことを気に追わないでくれ。佐藤…いつもありがとな」

「…なんだよ…止めろよ」

「と言ってもまだ引継ぎもあるし、後1カ月はいろいろ頼るけど、よろしくな」

「はは…分かったよ。最後まで付き合うよ」

「そんなお前に1つだけいいか?断れる仕事は断らなきゃダメだぞ」

「どうしたんだよ?」

「佐藤…仕事も大事だけど、家族も大事だ」


 この言葉は誰よりも家族を大事にしている鈴木だからこそ出てきた言葉なのであった。

 それを聞いて佐藤は頷く。


「…あぁ、反省してる。家族にはいつも我慢ばかりさせちゃっているから。このままじゃダメだって分かってる。だから出来る範囲で家族の時間を作るようにするよ」

「それを聞いて安心したよ…さぁ明日も仕事だ。早く寝よう!」

「あのさぁ…奥さんには話したのか?」

「あぁ、帰ってすぐに言ったよ」

「どうだったんだ!?」

「それがよぉ~、「しょうがないわね」だってさ」

「…はは、そうか」

「それにこんなこと言われたよ。「今まで家族に時間を割いてきたんだから、今度は家族のことを忘れるつもりで全力で働きなさい!」だってよ。女って強ぇよなぁ~」

「それはお前が頼りないから、奥さんがしっかりするしかないんだろう」

「おっ…言うねぇ!」


 2人は笑ってそれぞれの家に入って行った。

 その後、鈴木は遺漏のないよう、きっちり引継ぎを終えて会社を去って行った。


 ―1年後—


「佐藤さん、すみません。この書類ちょっと見て頂いてもいいですか?」

「悪い。今日息子の誕生日でさぁ、書類見るのは明日でもいいかなぁ?」

「あっ、そうでしたね、ごめんなさい。早く帰ってあげてください」

「ありがとう。じゃあ皆さん、すみません。今日はお先に失礼しま~す!」

「お疲れ様でした~!」


 佐藤は家族の元へ走って帰って行くのであった。


 仕事も大事。家族も大事。

 世界中の人々がずっと悩んできて、そしてこれからもずっと悩むのだと思う。

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