第57話 俺がそばにいる

 草柳があと少しでキスができる距離まで詰めた時。


「お、おい! 何やってんだよ!」


 物陰で隠れていた俺の体は、無意識に動いていた。

 草柳のゲスい行動に、体が黙っていられなかった。

 俺の登場に草柳は目を見開き、一瞬動きが止まる。

 そして俺の目をジッと見た後、ひなみから手を放し、距離を取った。


「草柳さん、あんた今……」


 俺はギリッと草柳を睨みつける。

 だがそんな俺を見た草柳は……鼻で笑ってきた。

 俺を見下すようにクスッと笑った。


「冗談だよ。ちょっとひなみちゃんをからかっただけだよ。そんな怖い顔しないでくれ」


「いや、でもあんた今本当に……」


「からかおうとしただけだって。ひなみちゃんって、結構天然だし、どんな反応をするのか、興味本位で知りたかっただけだよ」

 

 そう言うと、草柳は少し怯えているひなみの方に目を向けた。

 そして優しく微笑む。

 俺に見せた笑みとは真逆だ。人を安心させるような笑みだ。


「ごめんね、ひなみちゃん。ちょっと驚かせちゃったかな。さて、皆も待っているだろうし、そろそろ部屋に戻ろうかな」


 草柳はその言うと、そのままこの場を去っていった。俺がいるから、もう手を出すことを諦めたのだろう。

 草柳は一人で店の方に向かって歩いていく。

 だが俺とすれ違った瞬間。耳元でこう囁いた。


「邪魔をするなよ、慶道」


 その声はトイレで聞いた時とまったく同じだった。

 冷たくて感情が一切ない。人を見下し、馬鹿にしている。

 そんな声だった。




「いや~、久々にたっくさん歌ったな~。もう超楽しかったよ!」


「そうね。友里が一番盛り上がっていたんじゃないかしら?」


「えへへ~。カラオケ行ったらテンション上げないとね~」


 俺の目の前を歩いている友里と古井さんは、今日のカラオケの感想を言い合っていた。

 路地裏で件以降、草柳は目立った動きはせず、他の皆と楽しそうに歌ったり、盛り上げるためにお得意のダンスを披露していた。

 純粋に楽しんでいるように見えた。

 俺に見られたから、さすがに今日は手を引こうと考えたのかもしれない。

 何事もなく時間いっぱいまで楽しんだ後、俺達はそのまま解散となった。

 そして今、時乃沢高校組の四人全員で、最寄り駅へと向かって夜道を歩いている。


「古井っちだいぶ歌上手くなったよね~。前は七十点ぐらだったのにさっき九十点ぐらい出してたよね?」


 友里は隣を歩いている古井さんに言葉を飛ばす。


「ま、練習の成果が出たのかしらね。前カラオケで採点した時、友里に負けたのが悔しくて、結構練習したのよ」


「なるほど~。古井っちは負けず嫌いなところあるもんね~」


 カラオケのことで盛り上がる二人だが、その後ろを歩く俺とひなみは、静かだった。

 ひなみは草柳のあの行動にショックだったのか、表情が暗い。

 元気がなくなっている。

 しょんぼりと、萎れた花の様になっている。


「大丈夫か、ひなみ」


 心配になった俺は、ついひなみに声をかけた。

 見過ごせなかった。このまま家に帰したら、今日のことを引きずるかもしれない。

 だから、何もせずにはいられなかった。


「……え? うん。大丈夫だよ」


 俺の言葉が届いていなかったのか、ひなみはやや遅れて反応した。

 この様子から察するに、さっきのことを結構考え込んでるみたいだな。

 まあ、いきなりキスを迫られたら、動揺するのが普通だ。

 こうなっても無理はない。


「さっきのこと、気にしているのか?」


 ひなみは下を向き、コクリと頷いた。

 そしてそのまま口を開く。


「またさっきみたいなことが起きるのか少し不安なの。草柳さんだけじゃなくて、他の人にもされるのかなって……。正直、ちょっと怖い」


 ひなみは俺の隣で震えだした。

 ネット民から『千年に一人の美少女』と呼ばれているが、その性格は天然でピュア。さらにちょっと幼いところもある。

 そんな彼女だからこそ、あの出来事にひどく動揺したのだろう。

 この先の将来、どんな男と関わるのか分からない。また似たようなことをされる可能性がある。

 だからひなみは、一人で不安になっているのかもしれない。


「ちゃんと冗談でも断れるような人にならないとね……。あの時私は、動揺して体が動かなかった。ダメだよね、本当……」


 ひなみの声がどんどん暗くなっていく。

 隣でひなみが一人苦しみ、不安そうになっているのを見た俺は……。


「大丈夫だ」


 自然と言葉をかけていた。無意識に口が動いていた。

 そして俺は彼女の頭にそっと手を置き、こう言った。



 その言葉を聞いたひなみは、顔を上げ上目遣いで俺を見つめる。

 彼女の顔はほんのり赤くなっており、また目が少し涙ぐんでいた。

 

「心配すんな、ひなみ。何か困ったことがあれば俺に言ってくれ」


 俺は最後に笑顔を見せた。

 安心させつつ、俺が本心で言っていることを伝えたかった。

 ひなみはこの現代社会で屈指の美少女として有名人だ。

 何かしらトラブルに巻き込まれる。だからひなみが困っていたら。不安そうにしていたら。

 俺が傍で必ず守る。

 そう誓ったから。


「あ、ありがとう涼君。う、嬉しい。安心する」


 俺の笑顔を見た後、ひなみはスッと視線を再度下に向け、ボソッと呟いた。

 だが何故か口角が少しだけ上がっていた。

 んん? にやけているのか? でも何で?

 俺は疑問に思いながらも、ひなみの頭からそっと手を放す。

 そして、ちょっとだけ無言になった時。


 ひなみがそっと手を握ってきた。


 小さくて柔らかい感触が俺の右手から脳に伝わる。

 指先を絡みつける様に手を握るひなみ。

 俺は思わず隣を歩く彼女の方を見ると……。


「ちょっとだけ怖かったから……。手を握らせて……」


 顔を熟れた林檎の様に真っ赤にし、オドオドしながらひなみはそう呟いた。

 恥ずかしそうにしているが、勇気を振り絞って言ったのが何となく伝わってきた。

 だから俺は……。


「お、おう。安心するまでこうしているか……」


 目を泳がせながら、ひなみの小さな手をギュッと握った。

 目の前で友里と古井さんが歩いているから、ちょっと見られたらマズいけど、それでも。

 

 ひなみを安心させることができるなら、しばらくこうしているか。

 最寄り駅に着くまでの間。

 俺とひなみはこっそり手を繋ぎながら歩いたのだった。

 


 そしてついに、いよいよ。

 体育祭本番を迎える。

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