真夜中の侍たち

上野蒼良@作家になる

 許せね悪とは……。

 明治時代――廃刀令などによって侍は姿を消し、政府の推し進める四民平等の理念によってその立場でさえもなくなってしまった。


 これは、世の中が完全に明治政府の思想に染まり切る前。明治という時代がまだ始まったばかりの頃の日本で起きたとある物語である。











        *



「お侍様……おねげぇだ。オラ達のてぇせつな人達を殺したあの男を殺してけれぇ……」


 ボロボロの着物を身に纏い、ガリガリに痩せこけた1人の農民が、目の前に見える散切り頭の男に向かって言った。


 男は、そんな悲しげな農民の顔を見て困った顔で答えた。


「すまねぇな。じっちゃん……。拙者、もう侍じゃあござらんのじゃ。昔は、確かに警察でもねぇのに正義の味方ぶってこの町の悪を成敗していた身だが……もう、そうはいかねぇ。刀だってもう、何年も振っちゃいない。それに見てくれ、この情けない散切りを……。こんな拙者にじっちゃん達の仇を討つ事なんざ……できやしない。警察の所へ行ってみてくれ」



 そう言うと、農民の爺さんは急に泣き出す。



「……そんな、そんな! オラの妻と子供達は、もう戻って来やしない。それは分かってる。でも、仇さえ討てやしねぇんだなんて……」


 男は、そんな農民の爺さんを見て優しい声で言った。


「じっちゃん。……時代は、変わっちまった。今じゃ、もう許せねぇ悪を始末する事だって許可がいる……いや、もっと言うと今じゃどんな悪だってある意味許されちまう。……どんな悪人にも彼らなりの思想があって……とかいう思想があるからなぁ。今となっちゃ、拙者らのような存在はもう時代に合わないんだよ」



「お侍様……」


「……すまねぇ。今日は、けえってくれ」



 そう言うと、農民の爺さんは涙を流しながら男の住む小さな豚箱のようなボロ家から出て行った。



 じっちゃんが、いなくなると男は1人溜息をついて、しばらくしてから外に出て夜の空を見て独り、言った。


「……人殺しか」




 その日は、北極星でさえ見えない曇り空だった。










       *



 それから数日後、男が外を散歩していると目の前に暗い顔をした人の群れがあった。


その中に、いつぞやの農民の爺さんが立っていた。彼は、とても悲しそうな顔で下を向いており、男が話しかけるまでその存在に気づかない程に暗く落ち込んでいた。


「……どうしたのだ? いつぞやのじっちゃんや」



「あぁ、お侍様。こりゃあこりゃあ……。実は、その……さっき……例の殺人鬼に関してオラと同じ被害者を集めて警察の所へ行って来たんでさ。けんどよ、全然取り合っちゃくれねぇんだ。それで、オラ達……悲しくて……うぅ」



 それを聞いて、男の中で何かがブチンッと切れた感じがした。彼の心の下から徐々に炎のような熱くて、どうしてもほっとけないような感覚。



 ――警察が、どうして困っている人々を無視するんだ? 俺達の代わりに悪を成敗するのが役目じゃないのか?




 男の怒りは、農民の爺さんやその周りにいる同じくボロボロの服を着ていて痩せこけた農民達の悲しい顔を見れば見る程、増していった。









「……じっちゃん。、ちと行ってくるぜ。察どもの所へよ」










        *



 警察署の中は、入ってみると思っていたようなのではなかった。男は当初、正義の味方としてふさわしい質素なのを想定していたが、そうではなかった。


 ――流行りの西洋もどきの装飾と、まるで会社のような事務室の数々……彼の理想とは、大きく異なっていた。


 そんな警察署のとある一室で、侍の男とこの町の警察の代表――が話していた。


「なぜ、彼らの言う事を無視した?」


 男の鋭い眼差しが、警部を捉える。


「あっ、あはは。いっ、いやぁ……そりゃあ、しょうがない事なんだよ。お若いダンナ。……実はな最近、謎の無差別殺人鬼が警察の所に、”果し状”と書かれた紙を送りつけて来てよ、そこに今日は、どこどこに住む誰々を殺しに行く。つって、本当に殺しちまうんだ。最初は、ただのいたずらだと思っていたが、まさか本当に死者が出るとは思わなかった。おかげで、我々のは丸つぶれだよ」



?」


 男が、言った。



「……だってそうだろう? 我々は、国に雇われているんだ。だから国民からは、政府の犬だの言われている。んで今、政府は西南戦争やら板垣とのいざこざやらを処理するのに忙しくて、なかなか国民達からの支持を得られない。それどころか、地租の件なんかもあって、信頼はガタガタ。……こんな状況で、殺人鬼が出ました。警察はいまだに処理できていません。なんて世に知られたらたまったもんじゃない。我々としては、この問題はべきだと考えているんですよ」



 男は、それだけ聞くとすぐに立ち上がった。



「その殺人鬼、次は何処の人間を殺しに行くって?」



「え? いやいや、教えるわけにはいきません! 機密事項ですよ!」



 しかし、そんな慌てた警部の元に近づいて来て、男は彼の胸ぐらを掴んで、ドスの利いた低い声とサバンナにいる獅子のような鋭い眼差しで警部を威嚇するように見つめて来た。



「教えろ……とっとと言え。さもないと、テメェがさっき言った事を世間にばらす」




 警部は、しばらく黙っていたが、とうとう彼の耳元へ小さく言った。


「……3丁目の金田さん。今日の夜8時」



 男は、それだけ聞くと警部をおろして素早く部屋を出て行こうとした。――しかし、その直前。


「待ってくれ! アンタ」


 警部の声が男の耳を貫く。彼が振り返ると警部は心配そうに言った。



「何を、する気だ? 変な事は……」



 男は言った。



「……20時に、警察を集めてその場所まで来な。死体が1つ転がってるからよ」



















       *



「へへへ! さぁて、そろそろ時間かなぁ? あぁ、早く斬りたいものだ。人を斬る感触というのは、山菜や魚なんかとは比べ物にならん。極上だ。まさに極上。……んひひひっ! さぁて、今日は……あぁ、ここだ! 金田一家を皆殺し~。ふんふ~ん、み~なごろし~」



 その男は、鼻歌を歌いながらまだ明かりの1つもない夜の暗い道の中を下手くそなスキップしながら進んで行った。



 男が「金田」と書かれた家の前へ来てそのドアを軽くノックする。




 すると、家の中にろうそくの小さい明かりが灯って、中から低い男の声が聞こえてくる。



「はい……」




「金田さ~ん! お手紙届いてますよ~」



 すると、ドスッ……ドスッ……という音を立ててドアの前へとその男が近づいてきた。


 ――そして言う。



「……すまないが、ドアを開けてくれんか? 鍵はかかっていない。両手が塞がっていてな」







 ――刹那、ドアが勢いよく開かれて外にいた男が蔓延の笑みで現れる。



「さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぷぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!」




 闇夜より、1人の男が小型の包丁のようなものを懐から出して斬りかかる。








 しかし、その攻撃はかわされてしまう。



「へ?」



 月明かりに照らされた男は、目の前にいるそのの男の姿と彼が自分の包丁を白羽取りしているその状況に驚く。



 散切りの男は、そのまま両手で掴んだ包丁を投げ捨てるようにして、もう1人の男の事を睨みつけた。



「ヒッ!」





「……悪いが、人違いのようだ」




 ――瞬間、男は懐から勢いよく一筋の閃光のように長く輝く刀を引き抜いて、男へ斬りかかった。







「んぐぅぅぅぅぅぅ!!!!」



 男は、胸と腹の辺りを切り裂かれて、悲鳴をあげる。――そして、地面に倒れ込んで、苦しそうに悶えた。



 散切りの男が刀の先を倒れている男の方に向けて言った。


「……すまんが、金田さん達には逃げてもらった。おめぇが来るってあらかじめ知ってたからな」



 すると、今度は倒れている男の方が言った。


「……お、お前! 警察の……」





「いや、違う。ただの偽善者だ。……けどな、おめぇみてぇなのよりはマシだぜ? なぁ? おい……コイツはな、俺が昔愛用してた刀なんだ。切れ味も抜群。……わかるだろ? もうこれっきりでやめにしな。……さぁ、一緒に察のとこまで行こや」



 散切りの男がそう言うと、倒れている男が、息を切らしながらゆっくりゆっくり立ち上がる。



 そして、ジーッとその散切りを見つめていたその刹那、男の瞳に再び狂気が宿る。




「ウヘヘへッッ!! ウハハハァァァ!!」




 男が切り掛かってきたその瞬間、彼は手に持った刀を勢いよく振り下ろしてバッサリと斬り捨てた。









 強烈な勢いで体を地面に叩きつける……そんな音を立てて男は倒れた。頭から股にかけて真っ直ぐ一閃の切り筋ができて、そこから魚の骨のように血が左右の滲んでいき、そのまま男の呼吸だけが止まった……。







 ──散切りの男は、刀をしまう事なくピーピーと笛の音が鳴り響く夜の外へと飛び込んでいった。



 彼が夜空を見上げると丁度、雲から北極星が現れる。




 ──なぁ、北極星よ。お前は、今何処の方角を照らしているんだ……。お前の照らす北は、何処にあるんだ……。







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