第四章 秋時雨

 初夏の候残暑もようやく和らぎ秋の訪れを感じるようになった。

 ここ数日晴天だったが、今日は柔らかい糸の様な細雨だった。

 朝、学校に行くときに傘はいらないかな、と判断したのが間違いだった。

 午後から急に大雨が降ってきた。

 やってしまった。これはびしょ濡れコースか?

 放課後、下駄箱で突っ立っているオレの肩を叩いたのは雫だった。


「一緒に帰ろ。あれ、傘は? 」

「自分と晴天を信じて外に出たのが間違いだったんだ… 」

「ふふ、何言ってるの。…じゃぁ、傘、一緒に入る? 」


 *


「相合傘だね」

「恥ずかしいから声に出さないでよ、…嬉しいけどさ」

「あれ?最後の方聞こえなかったよー?」


 わざとである。ばっちり聞こえていてるに違いない。


「でもキミが忘れるの珍しいね。ボクの方がいつも忘れるのに」

「それは天気予報見てないからでしょ」

「雨男は大変だね『時雨』くん」

「あーっ、言ったな!帰ったら覚えとけよ!今日うち来る約束だろ?」


 そう、今日はオレの家に彼女が遊びに来る日だ。

 毎週金曜日は家にやってきては一緒に読書をしたり、日記を書いている。

 徐々に雨は止んできた。と言うよりは小雨というべきか。


「あ、小雨になってきたね」

「ああ、そうだな」

「 …ペトリコールの匂いするね」

 それは彼女とっても、オレにとっても合図だった。

 二人だけが分かる合図。【ペトリコール】それがこれから起きる出来事の合言葉。

 もうすぐオレの家に着く、その時だった。

 外からでも聞こえた、けたたましく鳴り響くブレーキ音、耳鳴りがしそうになる程大きなクラクション。

 オレはそれしか理解できなかった。後の事は覚えてない。

 最後に見たのはこっちへ滑ってくるトラックだった。


 雨はもう止んでいた。


 *


 目を覚ました時にはオレは病院にいた。

 母親と父親が大層心配していて、その後ろに知らない女の子がいた。

 なんでオレの病室に知らない女の子がいるんだろう。


「なぁ、後ろの人、誰? 」


 場が凍りついたような雰囲気だった。

 え、オレ何か変な事言った?

 するとその女子はみるみるうちに顔が青冷めていった。


「ボクのこと、覚えてないの? 」

「そんな…」

「落ち着け陽太、ゆっくり思い出してみろ、誰か分かるだろ? 」


 みんな口々に「思い出せ」と言っている。

 もしかして、オレはこの子を知ってるのか?

 でも、なんでそもそもこんな所に可愛い子がいるんだ?


「ごめん、思い出せない…。キミは誰? 」

「 …本当に覚えてないの? 」

「うん、クラスメイト…かな? 」


 彼女は涙を必死に堪えているような顔をしていた。


 母が、「この子、アンタの彼女なのよ」と口にした。


「ええ⁉︎こんな可愛い子がオレの彼女なの⁉︎なんで⁉︎オレには勿体無いくらいだよ⁉︎」


 オレがびっくり仰天していると彼女少し微笑んだ。

 良かった、少し落ち着いてくれたみたいだ。


 医者曰く、オレはどうやら記憶喪失になっているらしい。

 こんなの漫画の世界だけかと思っていたが、トラックと衝突して、その時に頭を強くぶつけたらしい。確かに頭には大きなたんこぶができている。

 でも、なんで彼女のことだけ忘れてるんだろう。


「っていうか、もう七月入るのに肌寒いね。夏休みどこ行こうかなぁ」


 なんて呑気なことを言ったら母は衝撃の事実をオレに突きつけてきた。


「何言ってんの⁉︎もう十二月よ⁉︎」


 オレは言葉を失った。何、これタイムスリップでもしてる?オレ大丈夫?


「な、なんで…そんな…オレの夏休みの計画が…」


 すぐに医者に状況を説明したら、オレはおよそ半年分くらいの記憶が無い事がわかった。

 なんてことだ。いや、待てよ。ワンチャン冬休みでも満喫できるか?

 そんなことを話していると、いつの間にか彼女はいなくなっていた。


「あれ、さっきの子帰ったの?…なぁ母さん、あの子の名前、なんて言うの?」


 母は気まずそうな顔をして「茉莉雫ちゃんよ」と呟いた。

 あんな可愛い子がオレの彼女なんていまだに信じられない。でお親が言うくらいだから本当なんだろう。なんてオレはラッキーなんだ。一生分の幸せが訪れたみたいだ。


 一日検査入院をして、翌日の日曜日にオレは無事家に帰ることができた。

 ふと机を見てみると日記帳なものが置いてあった。


「日記…?オレ日記なんてつけてたかな… 」


 中を見てみるとそこには彼女とオレの写真や、お洒落なコラージュと共に日記が綴られていた。なんだか無性に胸が切なくなった気がした。


『20××年 9月3日

 今日から雫と一緒にこの日記をつけることにした。二人だけの思い出の証として。

 遊びに行った時や、家に来たりした時は、その日の事を綴ることにした』


 これは彼女との共同日記だった。

 ページを捲るたびにオレの知らないオレがいて、彼女がいる。

 こんなの絶対幸せだったに違いない。なのにオレはそれを覚えていない。

 思い出そうと頭を回転させるも、当然そんな簡単に上手くいくはずもなく、今オレは日記のページをパタリと閉じた。


 寝る時も日記のことで頭がモヤモヤして、その日は寝つくのに時間がかかった。


 *


「おはよ!」


 朝、彼女は可愛らしい笑みを浮かべて迎えに来てくれた。

 なんとも、オレたちの関係は親公認らしく、仲がいいようだ。

 それは喜ばしいことだが、なんだかむず痒いような、そんな感じがする。


「お、おはよう。茉莉さん」


 オレが彼女の名前を呼ぶと一瞬彼女の顔が曇ったように見えた。


「いつもは『雫』って読んでくれてたんだよ」

「そ、そうだったんだ。じゃぁ、これから雫って呼んでもいい? 」

「うん!ボクは陽太くんって呼んでるよ」


 彼女の透明感ある儚い声で呼ばれると、不思議と心が温かくなる。

 それじゃぁ行こうかと、彼女は踵を返して学校へ向かった。

 投稿中、彼女はいろんなことを話してくれた。

 オレは日記のことを話した。彼女はそれ関することを楽しそうに話してくれる。


 いつしかそれは学校の行き帰りの時間の日常になった。

 今日はそんな話をしてくれるのだろう。

 オレはそれが楽しかった。オレが知らないことを前のオレは知っていて、経験している。

 それがきっかけかは分からないが、懐かしいような、不思議な気持ちになる。


 今日も空は快晴だった。

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