第15話 僕らは刃を向け合って
しばらく歩き、僕たちは小高い山の方へと来た。息切れはとりあえず治まった。山の上へ続いている石段があったので上ってみる。石段は細く長く、ところどころで段が崩れて、むき出しの土から丈の長い草が生えている。段の両側から覆いかぶさるように木の枝がせりだしていた。
上り切ると、神社の境内に出た。板壁造りの社は小さく、四畳半くらいの面積。手入れする人もないのだろう、屋根の瓦は黒くくすみ、割れた隙間から草が顔を出していた。
境内には何もない。石畳ですらない、草がまばらに生えているだけの地面。充分動き回れるだけの広さがあった。
僕は社の前に荷物を下ろし、バッグだけを持った。
「ここでいいね」
「ああ」
イヌイも五メートルほど離れて荷物を置く。タバコをくわえ、オイルライターで火をつけた。
「運動前にタバコってどうなのかな」
僕がそう言っても、イヌイは何も言わなかった。
その態度が、僕の頬を引きつらせた。
僕はバッグから鞘ごと刀を出した。イヌイを見すえたまま、素早く無造作に刀を抜く。刃が鞘の内側を滑る軽い音。右手に感じる硬い質量。
背中ごしに鞘を放り捨てる。後ろの方で乾いた音がした。その音に、僕の背中が震える。それが腕に伝わり、力がこもる。両手で、柄を固く握りしめた。
イヌイはバッグに鞘を収めたまま、刀だけを抜いた。それを僕の顔へ向ける。くわえたタバコの先を上げ、笑う。
「敗れたり、ってな。生きて帰るつもりならなんで鞘を捨て――」
僕はさえぎるように強く息を吐いた。小さく首を横に振り、うんざりした顔を作ってみせる。
「宮本武蔵か、君は。そう言うんなら、君にはその邪魔っけな鞘を持ったままやることをお薦めするね。僕は遠慮する、後でゆっくり拾って帰るさ」
イヌイの顔が笑った形のままこわばる。
「……いーコト言うねオマエ」
僕も固く笑った。
「自分でもそう思うよ」
「ふぅン……」
イヌイはバッグを捨てた。タバコを左手でつまみ、口から離した。下を向いて、ため息のように煙を吐き出す。足元の石を蹴飛ばすと、手応えを確かめるように右手で軽く刀を振っていた。
僕も、両手で持った刀を小さく振った。頼もしい重みが腕に伝わる。これなら殺せる、きっと殺せる。当たりさえすれば斬れる。そう、それだけ。簡単なこと。
今度こそ。今度こそ殺るんだ、この刀で。あいつなら殺せる、きっと殺せる。
そう思ったとき。イヌイが左手で何かをこちらに放った。放物線を描いて僕の顔に向かうそれは、火のついたタバコだった。
反射的に身を引いたそこへイヌイが走り込む。左手を顔の前に掲げ、右手の刀は溜めを作るように背後に下げている。ちょうど、テニスのサーブを打つ格好。
「おおおぉ・らッ!」
イヌイは左手を振り下ろし、その勢いのまま右手を振り上げる。全身のバネを利かせて真っすぐ打ち下ろす。地面をも叩き割るような勢いで、風を切る音を立てて。僕の顔面へ向けて。それは刀というより、巨大な獣の爪に見えた。
刀で受ける暇はなかった。必死に横へ跳ぶ。まなじりが裂けるかと思うほど目を見開き、振り下ろされる刀の動きを追いながら身をのけ反らす。
目の前を銀色の流れが通り抜ける。鼻先に、刀が起こした風圧を感じた。
巨大な爪は僕の横を通り抜け、軽い音を立てて地面に当たった。衝撃に刀身が小さく跳ね返り、土を散らす。
「ととっ……」
イヌイが前のめりに体勢を崩し、片足跳びで何歩か跳ねる。
僕はその隙に、全力で跳びすさっていた。構え直してつぶやく。
「危な……、あ、っぶねえ……っ!」
腕がどうしようもなく震えていた。息が荒くなって、唾を飲み込むのに苦労した。
イヌイが体勢を立て直し、バットのように刀を肩の上へ構えた。
そのとき、僕は気づいた。イヌイの刀がなぜ爪のように見えたのか。
イヌイの刀は僕に向かって反っていた。手の内側へ向けて曲がった、獣の爪みたいに。つまり、峰打ちをするように構えていた。
「……何のつもりだよ」
イヌイは片手を上げ、肩をすくめた。息をこぼして笑う。
「そりゃオマエ、当たってもだいじょぶなようによ。うっかり当たったら死んじゃうもんなぁ」
僕は頬に力がこもるのを感じた。
「やる気あるのか。バカにしてるのか」
イヌイは笑ったままかぶりを振る。
「テメェこそ殺る気あンのかよ? フツーさっきの隙に斬りかかるだろ」
言った後、刀を下ろして笑う。
「つーか、よ。危ねぇ、とか言ってよぉ。当たり前だろ、斬り合ってんだ。ビビってンじゃ――」
最後まで言わせず、僕は跳びかかっていた。両手で持った刀を背中につくほど振りかぶり、全身の力で斜めに振り下ろす。
目を見開いたイヌイが慌てて刀を掲げる。
二人の刀は、かち合って乾いた音を立てた。
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