第14話  そして僕らは殺意を抱く


 どこをどう走ったのかも分からない。喉がかすれて、早歩き程度の速さしか出せなくなって、それでもまだ走っていた。

 倒れるようにして道端の草むらに座り込む。地面に手をついた。喉が焼き切れそうに熱く、口の中にさっき以上に濃い鉄の味がした。


「だいじょぶかよ」

 いつの間に追いついていたのか、イヌイが荒い息の下から言った。リュックからジュースのボトルを出し、差し出してくる。


 僕はその手を払った。ボトルが重たい音を立てて転がった。

「うるさい……うるさい、うるさいっ!」


 目をつむった。乱れた呼吸のままに肩が大きく上下して、顔じゅうから流れた汗が滴り落ちる。空気を吸っては胸に詰まり、息を吐いてはむせる。まるで、泣いているみたいだった。

「畜生……畜生、畜生畜生畜生っ! 畜生が! 畜生……っ」


 イヌイの声が頭上から降る。

「さっきの、知ってる奴? ま、そりゃいーけどよ。やんなくて正解だぜ、あそこじゃ。どっかでテレビの声聞こえてたろ? 近くの家に人いたンだろーよ、殺ってたら見つかってたかもだぜ」


 僕はさらにきつく目をつむる。

 黙れ。そんなもの聞こえなかった。僕の鼓動しか聞こえなかった。


 イヌイはため息をつく。

「ま、アレだ。今日はここまでってコトでいンじゃね? まだどーしてもってンなら日を改めてだな――」


「黙れ」

 僕は目を見開き、歯をむいてイヌイをにらんだ。

「……黙れ。君にそんなこと言われる覚えはない」


 君にそんなことを言う資格はない。今さら降りた君には。僕は違う、絶対に違う。降りてなんかいない。殺すんだ、誰でもいい、そうでなきゃ……壊れそうだ、僕が。僕という城が、粉微塵に。誰でもいい、殺すんだ。今。


 そう、殺すんだ、殺すんだろう、そう言ってきたろう、僕たちはずっと。今日殺すって言ったんだ、それを何だ、つまらない? 延期だ?

 ふざけるな。


 そう思ったとき、胸の奥から息が込み上げた。それはすぐに笑いに変わった。

「ふ……はは」

 そうか、ふざけているのか? ふざけているのか君は。そうか。


 僕は笑顔で言った。満面に固い力のこもった、不自然な笑顔。

「ふざけるな」


 無表情でイヌイは返した。

「ふざけちゃいねーさ」

 笑ったまま僕の顔が引きつる。

「死にたいのか?」

 言った後で息をついた。笑い声がそれに続いてもれた。

「そうか、そうだった。前に言ってたね君は。……死にたい、って。殺すのはその代わりだって」

 僕の顔から笑みが引いた。


「……死ねよ。僕が殺してやる」

 意外とすんなり言えた。鼓動は大きくなったが、さっきほどではなかった。

バッグの中に手を突っ込む。音を立てて、ゆっくりと刀を抜いた。バッグを落とす。中の鞘が軽い音を立てた。


 イヌイは口を開けて僕を見ていた。それから思い出したように笑った。

「ちょ、オマエさ、何言ってンだよいきなりよ。そりゃあ、オレそんなコト言ったかもしんねーけど――」

 僕は何も言わず、イヌイの目を見た。にらみはしなかった。





 オレはウサミの目を見た。あの目だ、底のない穴のような目。濁った光すらない、真っ暗な目。

 なぜか嫌な気はしなかった。むしろ落ち着きさえした。ウサミの目をのぞいても、落ちていってしまいそうなあの感覚はなかった。


 オレは微笑んでいた。

「言った、っけな。そうだ、言ったな」

 うつむいて頭をかく。小さく息をついて続けた。

「確かに言った。……しゃーねぇ、やるか。タダじゃ殺られねーけど」

 手の甲でバッグの中の刀を叩く。


 さっきまでは見届けようと思っていた。オレは殺らないが、それでもコイツが殺るんなら、ジャマだけはしたくなかった。そしてコイツは殺らなかった。だから、もういいと思った。とりあえずやめさせていいと思った。

 で、コイツはムチャなことを言い出した。だから止めようと思った。とはいえ、言って止まるワケもねぇ。なら、力づくで止めるしかねぇ、な。

 見た感じ、ウサミの運動神経は大したことなさそうだ。オレもスポーツの経験とかはないが、別にインドア派ってワケでもねぇ。オレの方がマシなはずだ、たぶん。体力もウサミの方が少ないだろう、特に今は息切れしている。オレも息が切れてはいるがコイツほどじゃない、と思う。


 バッグと荷物を背負い直し、先に立って歩き出す。

「ここじゃマズい。人のいねぇとこ探そうぜ」

 まあ、何とかするさ。ちょっとぐらいケガさせるかもしれねぇけど。

 妙に落ち着いた気分でそう思った。


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