第9話 僕たちは刃に頬ずりをして
五日後。僕はあえて無造作に、その荷物をイヌイの前へ突き出した。全長一メートルぐらいの細長い段ボール、それが二つ。
「これか」
イヌイは笑い、僕も笑う。
「これさ」
二人して、せかされるように箱を開けた。
そっと中身を取り出し、感慨深げにイヌイは言った。
「これだなぁ……」
捧げ持つようにイヌイが手にしているのは、赤鞘に納められた刀だった。鍔は黒い金属製で、柄は灰色のプラスチック製。時代劇で見る刀と同じように、そこには赤い柄巻きの布が複雑に巻きつけられている。
僕も黒鞘の刀を手にした。思ったよりは軽い。鞘は木でできている。鍔はイヌイのと同じデザインで、龍の姿が浮き彫りにされている。柄巻きは黒い。
ゆっくりと鞘から抜いてみる。澄んだ銀色の刀身に顔が映った。鍔元から切っ先まで、霧のように白い刃紋が美しく波打っている。
片手で小さく振ってみる。鞘ごと両手で持っていたときとは違い、手首にぎしりと重量がかかった。思っていた以上に重く、僕の腕力で自由に扱うことは難しいかもしれない。それが逆に頼もしかった。
イヌイは刀身を打ち返し打ち返し眺め、やがてそれにキスをした。
僕は刀身を納め、鞘ごと抱きしめた。
「僕さ……帰ったら今日はこれ、こうして寝るよ」
イヌイは笑う。
「オレもそーしようと思ってた」
僕は刀に頬ずりをする。鞘の硬さと、冷たさが心地よかった。
次の日から、僕たちは必要なものを集め始めた。ホームセンターで砥石と、研ぐための水を入れるバケツを、釣具屋で釣竿用の細長いバッグを買う。刀を隠して持ち歩くためだ。
イヌイの基地にこもり、研ぐ。ぞり、と低い音を立て、表面のメッキがはがれ、鈍い灰色の地金があらわになる。そこから研ぐ、研ぐ、研ぐ。鍔元から切っ先、裏返してまた鍔元から切っ先へ。少しずつ、何日もかけて。地味で、単調で、楽しい作業。自分自身が研ぎ澄まされていくような、そんな感覚。僕らは二人とも、そのときだけは無口になった。
そして三日目。指を強く押しつければ血がにじむくらいの刃が、刀身全体についていた。切っ先は特に入念に、鋭く。
僕らはそれぞれ、刀を掲げて眺め回した。メッキの刃紋ははがれ、ついた刃はいびつだったが、それらはまぎれもない武器だった。カーテンの隙間から入る西日を、それらは鈍く反射していた。
僕らはお互いの刀に目をやり、何も言わないまま称え合った。
その次の日、僕らは計画について話し合った。
「殺して、逃げる。それでいーじゃん」
イヌイはそう言った。
いくらなんでも無計画すぎる。もっと考えるべきだ、人目につかず実行できる場所と時間、逃走の方法、死体はどうするのか。誰かに目撃されたらどうする? 捕まったら? というか、捕まらない方がおかしくないか?
イヌイは笑わずに言う。
「オマエ、さ。将来のこととか、具体的なビジョンある系の人?」
僕が首を横に振ると、イヌイは座席に寝転がって言った。
「考えたいか? 先のこと」
僕は首を横に振って答える。
「ごめんだね。マジで勘弁、今のことで手一杯さ」
そう、手一杯。今ではないいつか、ここではないどこか。そこへ行ければ、先のことなんてそれでよかった。
僕らはスーパーに出かけた。計画はないにしろ、ある程度の準備はしておきたかった。やったならどうせそのままではいられないはずだ。最初はバレなかったとしても、やがては逃げなくてはならないときが来るだろう。
リュックや着替えはすでに用意し、基地に置いている。買わなければならないのは主に食料だ。買い物カートを押し、必要そうなものを手当たり次第放り込む。カンパンやビスケット、缶詰、ジュース、栄養食品、菓子。コレうまそうじゃね? そんなもん必要ないよ、もっと日持ちするものにしなって。そんなことを話しながら。
ワクワクした。小学校の遠足の前よりも。
そして準備は整った。炭火の色をした太陽が沈みかけた頃、秘密基地の僕らの前には、荷物を詰め込んだリュックと、人を殺せる武器があった。それらは置かれているというよりも、うずくまっているように見えた。薄闇の中で眠ったふりをして、獲物に跳びかかるときを待っている猛獣のようだった。その獲物は見知らぬ誰かの人生であり、また僕ら自身の人生であるように思えた。
イヌイが、置いた刀に目を落としたまま言う。
「いつやるよ?」
「いつでも。……明日は」
明日は休日だった。人出は多いだろうが、獲物も多い。チャンスを待つ時間
もたっぷりある。
「じゃ、明日な。朝飯食ったらすぐココ集合で」
イヌイはタバコを取り出す。ライターがないのか、タバコをくわえたまま上着やズボンのポケットをさぐっていた。
僕はリュックからライターを取り出し、火をつけてやった。スーパーで食料と一緒に買ってあったもの。カーテンの引かれた車内で、小さな火はまぶしく揺らめいた。
イヌイが静かに息を吐く。ゆっくりと、白い煙が天井に昇っていく。煙は天井に当たると迷うように揺らいで、すぐに消えた。
イヌイがタバコの箱を差し出す。
「吸う?」
「いい」
僕は荷物から棒付きの飴玉を取り出し、口に入れる。棒をタバコのように口の端から突き出した。
刀を入れたバッグをかつぎ、外へ出る。
イヌイが基地から顔だけ出す。
「置いてったら?」
「抱いて寝たいんだ。荷物だけ頼むよ」
イヌイは小さく声を立てて笑った。
「あー、分かるわソレ。っつかソレよりさ、今日はたーっぷりヌいとけよ。シャバでできる最後のオナニーかもよ?」
笑うイヌイの右手は宙をつかみ、股間の前で激しく上下に動かされていた。
僕も笑う。
「言われなくても」
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