第8話  殺人を誓い合って、僕らは今さら名前を聞いた


「で、だ」

 僕はとりあえずそう言った。

「……間抜けな話なんだけど。忘れてるだけなら悪いんだが、君、何ていうんだ。名前だよ」

 イヌイ、と男は名乗った。僕が宇佐見と名乗ると、男は何か言いたそうな顔をした。


 僕は深く息をつく。

「言っておくよ。ウサギだとかなんだとか言ったら、軽蔑する」

 イヌイは引きつった顔で首を激しく横に振った。

「おまっ、ンな、誰も言わねーってそんなベタベタな。なァ、ウサミ?」

 僕は目をつむり、指で眼鏡を押し上げる。

「ならいい。それで、だ。イヌイ、君は殺すの誰でもいいんだったな。どうやって殺すとか考えてる?」

 え? と言って僕の顔を見た後、天井の方を見ながらうなった。

「そー、だな。考えてるぜ、ズバッ! とやって、ザクッ! みたいな? で、速攻逃げる」

「それは何も考えてないっていうんだ」

 小さく息をついて続ける。

「ま、僕も考えてないけどね。とりあえず刃物でやりたいんだね?」

 イヌイは人差し指をこちらに向けて何度も小さくうなずく。

「そーそー、それそれ。こう、絞め殺すとか突き落とすとかよりさ、殺ったッ!っつー感じじゃん。そういうのイイよな」


 想像する。たとえば朝の教室、永塚に後ろから近づく僕。肩を叩き、永塚がけげんそうな顔で振り向いたところで。刺す。ナタみたいに大振りで、それでいて鋭いナイフ。下腹へ向け、何度も何度も。血が吹き出て永塚があえいで僕が笑って血に濡れて……それから、周りに悲鳴。


「楽しそうだなオマエ」

 イヌイの声で我に返る。笑っていたことに気づいた。固く力のこもった笑顔。たぶん、すごく嫌らしい顔。

「楽しいからね」

「そりゃよかった。オレも楽しいね」

 言って、イヌイは笑った。僕とは違う、からりとした笑顔だった。





 オレは想像していた。ババアを殺すところを。

 いつものように酔って、玄関の傘やらゴミ袋をひっくり返しながら帰ってくるババア。自分が転んだことに対して、世の中だとか国だとかオレだとかが悪いみたいに、ワケ分かんねーこと言ってわめくババア。手ぇ貸して起こしてやったのに、ノラネコみてえに引っかいてくるババア。

 畳の上に寝転がって、しつこくオレに話しかけてくるババア。適当に相手してると、どこで地雷踏んだか全然分かんねーけど、ブチ切れるババア。そこから急に立ち上がって、ホウキ持ってしばいてくる。そうでなきゃ空き缶や灰皿を投げてくる。


 そこへ、だ。オレは隠し持ってたナイフを抜く。小振りの剣みたいに長くて真っすぐで、よく切れそうなナイフ。

 とたんにババアの顔色が変わる、ホウキを捨てて後ずさる。オレはさらに距離を詰める。バカめ、流しに突き当たってやがる。後ろ向いたってもう後はねぇぜ。


 死ねよボケ、消えろよバカ。テメェのことは親だとも思ってねェ、テメェの血なんぞ全部突っ返してェんだよ!

 ズバッ、と肩から斬り下ろし、胸を一突き、ザクッ、とやる。ババアは震え

ながらうなだれて、血だまりの中で動かなくなる。その目の中に、オレにわびた様子はあったか? なくてもいい、っつーか、いらね。


 そう考えて、オレは鼻息を長く吹き出した。

あぁ、すンげぇスッとするね。殺るのは別の奴だとしても、そんぐらいスッとするといい。





 僕は言った。

「ところで、僕はないんだけど。ナイフとか使えそうな刃物、何か持ってる?」

「ねえな。どっかで買う? っつか、どこで買えんだ? ミリタリーの専門店とか? 軍用ナイフとかたぶんあるよな」

「あとはアウトドアショップとか、ホームセンターかな。それとネットで通販」


 僕はスマホを出す。通販サイトを探そうとしたところで、イヌイがスマホを取った。

「いーなオマエ、スマホ持ってんだ」

「返せよ、通販サイト見るんだから。だいたい持ってないのか、君」

「この家見てから言えよ。ってか、ちょっと貸してくれねー? オレも使ってみてーし。コレか、検索で、えーと『武器』と」

「武器って……君、もっとありそうなので検索かけなよ。『ナイフ』とか『通販』とか」

 スマホをいじりながらイヌイは言う。

「つーか、こんなこと言うのもアレなんだけどよ。今時百円ショップでも包丁売ってんだろ、それでよくね?」

 僕は首を横に振る。

「ずいぶん安っぽいんだな、君の殺人は。もっとちゃんとした刃物にすべきじゃないのか」


 とはいえ、イヌイが言ったようなことも悪くはない。値段ではなく、むしろそのショボさが。

 殺すことは見下すことだ。これ以上なく、徹底的に、実際に二度と立ち上がれないほど、踏みにじることだ。その相手が存在するという事実も、存在する必要性そのものをも嘲笑い、侮辱することだ。

それをショボい武器でやるというのも面白い。お前の命は僕のこの手と、たった百円の刃物で奪われたのだ、その程度のものだ、と。


僕は薄く笑う。

 どこかの見知らぬ誰かの命を。バカにして、嘲って、見下してやろう。心の底から。


「お! コレどーよウサミ、コレよくね? っつかスゴくね?」

 イヌイが見せてきた画面に映っていたのは日本刀の画像だった。

「そんなもん買えるわけないだろ」

「や、オマエそれがよ、なんとお手ごろ、六千八百円ってよ」

 どう考えてもケタ数を見間違えている。そう思って画面を確認するが、確かに六千八百円。ただし、亜鉛合金製の模造刀だった。模造武器専門の通販サイトらしい。


 イヌイは笑う。

「カッケーなコレ、イイじゃん! コレにしよーぜ。金属製なんだろ、砥石とか買ってきてムリヤリ研いだら刃つけられんじゃね?」

「そうだな……」


 想像する。白昼堂々、街中で刀を構える僕。実にあり得ない光景。それを振り下ろす。目の前にいるのは永塚だ。研いだにしろ、たぶんほとんど切れ味のないニセモノの武器は、服を裂き肌を引っかいて中途半端な傷をつけるだろう。そこへまた振り下ろす、何度も何度も。最後に刀を逆手に持ち、倒れた永塚に無理矢理突き刺して終わり。ニセモノの武器で終わる人生。


 喉の奥から笑いが込み上げる。それをこらえながら言った。

「……最高じゃないか」


 イヌイは顔全体で笑った。

「だろ? ヤッベ、面白っ! カッケーぜ、ファンタジーだなこりゃ」

 僕は唇の端を吊り上げて笑った。

「まったく、ファンタジーでヒロイックさ。……言うんだろうねぇ、みんな。これが世間に知れたら『ゲームと現実の区別がどーのこーの』ってさ」

 声を上げてイヌイが笑う。

「アホだな」

 僕も小さく声を上げた。

「アホだ。僕らもなかなかに狂ってるが、それ以上にね。ふるってるよ」


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