第7話 告白するときって、こんな感じだ
金髪の男は、驚異的な勢いでチーズバーガーセットと百円のハンバーガー三個を平らげた。見ているだけで気持ちのいい食いっぷりというか、エサをもらった野良犬みたいというか。
「さてと、だ」
コーヒーを飲み干した後、僕はそう切り出した。
胸が裂けそうなほどに心臓が打ち響いている。声はどうにか震えなかった。手が、足の先が冷たい。押さえようとしても呼吸が荒く速くなる。
ここでやめたらいい、そうも思う。強く思う。不自然じゃあない、今日礼をして、明日服を返してそれで終わり。全然普通。そして普通に、そっちが正解。
でも、それは違う。僕の望みとは違う。
鼓動が胸からせり上がってくる。頚動脈を通り、喉に響き、頬を熱くし、鼓膜を打って、こめかみを流れ、脳を満たす。
ああ、これは。知ってる。告白するときって、こんな感じだった。
そのときのことを思い出して。頭の中に、杭を打たれたような痛みを感じる。ひどい風邪をひいたみたいに、肩を、指先を寒気が走る。そのくせ頭はひどく熱い。頭の後ろの方から湧き出した墨のように真っ黒なものが、脳をじわじわと染めていくような、そんな感覚を覚えた。
――四か月前、夏休みの前のことだ。僕の籠城戦にも、ようやく終わりの時が来ていた。敗北ではなく勝利として。いや、勝利とは言えないまでも、脱出として。
あの日、下校しようとして靴箱を開けたとき。僕の手が止まった。その中が予想もしていないようなことになっていたからだ。
靴箱の奥にも下にも上にも横にも、ふたの裏にも。下卑た
そして靴の上に、いつもなら雑巾や虫の死骸が置かれているそこに、封筒があった。水色の地にやウサギのキャラクターや花が描かれた、女の子が使うようなかわいい封筒。
辺りを見回してから封筒を取り、手の内側に隠してポケットに突っ込んだ。早足で帰り、部屋に入って中を確かめる。封を切る前に、指先が震えた。
頭の大部分では考えていたのだ、新手の罠だと。それ以外はあり得ない、そんなことは分かっていた。なのに、胸の高鳴りを抑えられない。
封筒と同じ柄の便せんには、細くきれいな字が並んでいた。男子の字ではないが、女子がよく書く、妙に丸っこい字とも違っていた。心をこめてゆっくり丁寧に書いた、そんな字に見えた。
思い出したくない思い出したくない、糞思い出したくもないのだが――「正直に言います、宇佐見くんのことが好きです」「あなたのこと、すごく辛いことになっているみたいですが……すごく、心配しています」「でもそんなときでも、泣き言も言わないあなたが、ステキだと思います」「よろしければ、あなたのことを支えさせて下さい。付き合ってほしいと、そう思っています」「返事を待っています。明日の放課後、体育館の裏、裏口の外で待っています」――そんなことが書かれていた。
「永塚 美樹」と書かれていた名前には覚えがあった、クラスの女子。前に、隣同士の席になったことのある子だった。小学校でも一時期同じクラスだった。だからといって、何か会話したことも無かった。割とかわいい子だった、一度も別の色に染めたことのないだろう黒髪を、頭の両側に分けてくくっていた。スレた様子もなく、男子よりは女子とよく喋っている子だった。
だから、僕は油断した。
その夜は久々に時間をかけて自慰をした記憶がある。いつもは何かに追いかけられているかのように手早く済ませないと気が済まなかったのに。最初は永塚のことを思い浮かべてしようとしたのだったが、それはやめておいた。なんというか、できなかった。
次の日の放課後、僕はのこのこと体育館の裏に行っていた。一応辺りを見回したが、誰もいる様子はなかった。はにかんで、うつむいているその子以外は。
「来て、くれたんだ」
うつむいたまま永塚は言った。
僕は何も言えず、鼓膜に響く自分の鼓動を聞いていた。
小さく笑って永塚は言う。
「返事、聞かせて? ダメなら、ダメでいいから」
僕は口を開けた、言葉が出てこなかった、息をする余裕もなかった、耳たぶが熱かった。一度口を閉じ、唾を飲み込んで、ようやく言った。
「……一度しか、言わない。つき合って下さい、僕と」
永塚は、ふわりと笑った。一秒の間を置いて、僕も同じ表情になった。
どこからか、鼻息を吹き出すような音がした。それはすぐにいくつもつながり、やがて複数の笑い声になった。
体育館の裏口がゆっくりと開かれる。クラスで見知った顔がいくつもそこから出てきた。
男子の一人が、力のこもった真剣な表情を作る。
「一度しか言わない、つき合って下さい、僕と」
「うわ、
また吹き出す息の音が聞こえ、それから笑い声が起こった。
女子の一人が永塚に言う。
「付き合って下さいってー。どうする?」
永塚は困ったように笑った。
「んー、ごめんけど……ちょっとなかったことにしてほしいなー、と」
それでまた笑い声。
ひとしきり笑った後、男子の一人が僕の肩を強く叩く。
「まーまー、でもさー。思ってたよりかはカッコよかったって。もっとヘタレてショボいこと言ってくれんの期待してたけどさ。どーよウサたん、
僕は何も言えなかった。何も考えられなかった。口を半ば開けてうつむいていた。
何がおかしいのか、また笑い声が上がる。しばらくしてそいつらは僕を残し、
歩き出した。
男子の声がした。
「ここでノーリアクションかよ。やってくれるね」
小さな笑い声の後、女子の声がした。永塚の声だった。
「ショボっ」
誰もいなくなって、さらに時間が経ってから、僕は歩いて帰った。泣きはしなかった。
部屋に帰ってベッドに倒れこみ、少し眠った。目が覚めて、その日のことを思い出した。拳を握り、きつく目をつむった。噛みしめた唇から血がにじんだ。
その鉄のような味、生臭い匂いを感じながら、下着の中に手を突っ込んだ。泣きはしなかった。睾丸が枯れて性器がちぎれそうなほど、何度も自慰をした。これほど数をやったのはこのときだけだったし、心の底から誰かを犯したいと思ったのもこのときだけだった。ブチ犯したいと、体のすべてでそう思った。全身が一つの男根になったかのように、僕は力に満ちていた。――
そして今、僕は思う。犯すのは無しだ。さすがに無し。それでも、それなら……殺してやりたい。
的外れもいいところだとは分かっている。永塚だけが考えたことではなさそうだし、それを原因として別の人間を殺す、というのもまったく筋は通っていない。
それでも。止まらない。ブチ殺したい。はいつくばらせたい。踏みしだいて踏みにじってやりたい。誰でもいい、そうさせたのはあの子だし、あいつらだ。そして、僕に殺されていたかも知れないのも。
大きく息を吸い、同じ時間をかけて吐いた。男の目を見すえる。もう一度息を吸う。吸い込んだ空気と同じ量の吐息を、言葉にして絞り出した。
「……もう一度だけ言う、二度とは言わない。殺そう。僕と」
言い終えて息をついた。全身の筋肉がひどくこわばる。歯を噛みしめて目をつむっていた。祈るように。
「あ……」
オレはそれだけつぶやいて、メガネの男を見つめていた。何度もまばたきをする。
鼓動が高い、酔っているせいだけじゃない。全身に血が通っているのが分かる。胸から腕、手、足からつま先、頭に鼻先、髪の先まで。いや、髪は違うけど。ともかく、そんな気がした。
言うべき言葉は分かっている、分かっているのに。それが胸から浮かび上がってこなかった。
喉が渇く。ハンバーガーのせいだけじゃない。ツバを飲み込んで、それから笑った。我ながら、乾いた変な声だった。
「オマエ、さ。何言ってンのオマエ、マジにそんなこと言っちゃってさー」
そう、そうだ。マジになるなんてガラでもねぇ、ましてこんな話に。
「だーかーら、言ったっしょ? 殺るの殺らないのッて、ありゃ全部――」
男は鼻で長い息をつく。目を開けた男は前と同じ、穴のように黒い目でオレを見ていた。
「僕をなめるな。……嘘はいいんだ」
男が拳を強く握るのが見えた。頬を引きつらせ、見開いた目でオレを見すえ、
早口で言う。
「引っ込めてんじゃない、引っ込めてんじゃないぞ、引っ込めてんじゃねぇよ君が差し出した手だ! 僕は言った、言ったんだ、君はどうなんだ!」
男は息をつき、ひざを組んだ。その上で手を組み、身を乗り出す。
「……聞かせなよ。マジなところを」
その声があまりに低くて、その目があまりにギラついていて。オレは、ケツの穴が締まるのを感じた。
背筋が震えた。それを追いかけるように、エンジンがかかったみたいに、心臓の音が大きくなる。内臓に直接ラム酒をぶっかけられたみたいに、胸の中が熱くなる。顔も、頭も。
なんだろう、コレ。なんなんだよコレ。
座ったままなのに、とんでもないスピードで飛んでるみたいな風圧を感じた。グングンと自分が高いとこに押し上げられるような、この感じ。否応なしに月までブッ飛んでいきそうなこの感じ。なんだよ、なんなんだよコレ。
一度つばを飲み込んだ。オレはまるで、無口な女の子みたいにうなずいていた。
きっと。
「……
言った後で、オレは拳を握った。どうにも、震えてしょうがない。
男は何も言わずうなずいた。
オレは胸から息をついて、笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます