第9話 信じること
「満足か?やったなアンタ、8000メタルで花1個売れたぞ」
「ったく、ほら行くぞ」
「ったりめぇだボケカス。まだ何も説明して貰ってねぇんだからよ」
トランクに麻袋を仕舞い、ラングラーに乗り込んで走り去る様子を浮浪者はじっと眺める。帽子のせいで目元が見えないが、彼の目の奥には温かな光が灯っていた。
ヘッドライトが照らす道路はくぼみや亀裂が多く、損傷の古さからずっと前から放置されていた事が推察出来る。時には瓦礫や粗大ゴミが路上に放置されているが、自動運転はそういった障害を避けて走ってくれていた。
浮浪者から貰ったアルメリアを指で挟んでくるくると回しながら、ガラムは後部座席で横になってチャップマンの言葉を待っていた。
当の本人は、薄暗いスラム街を見るでもなく眺めながら言葉を選んでいる。
廃ビルの一階部分を破壊し、車を乗り入れて騒ぎ立てているチンピラたち。どこかで拾った服を身に纏った汚らしい浮浪者が廃人のようにふらつきながら歩いたり、死んだように横たわっていたり。この世の終わりという言葉が相応しい光景だった。
おもむろに咳払いをして、彼はバックミラー越しにガラムを見つめた。
「・・今日は、すまなかった」
「なにが?」
朧な声は宙を漂い、彼女の視線の先にある天井にぶつかって消える。だが表情は厳しく、曖昧な謝罪の言葉など寄せ付けていない。
「あの子のことだ」
彼女の態度や言い方に、怯まず苛立たず、ありのままを受け入れる。
次第にフロントミラーに眩い光が差し込みだす。遠巻きだが、スラム街の先にある区画が見えてきていたのだ。
「あの子は、ただのアナログじゃない」
声に重みを持たせ、チャップマンはポケットの中に手を入れた。オイルライターに刻まれた星のマークを指でなぞるためだ。線をなぞっていき、指で星を描いてから今度は指の腹で全体を撫でていく。次第に、彼の胸中にあった重たい感情が軽くなったのか、彼女に振り返った。
「俺たちにとって。ケジメであり、手掛かりなんだ」
彼の言葉を真剣に考えるため、ガラムは目を伏せて静かに呼吸をしていく。
「えっと、まず俺たちっていうのは・・誰と誰なんだ?」
「俺とバイスだ」
バイス。今回の仕事を斡旋した人物で、ガラムがあの一室で頭に浮かんだ人だった。
「それは、あの時から?」
「・・いや、その前からだ」
ガラムが彼と賞金稼ぎを始めて3年。だが彼女が彼に会った時、既にチャップマンは賞金稼ぎとして仕事をしていたのだ。
「じゃ、最初っからアタシを切るつもりだったのか」
「・・・そうだ」
西リクドーの歓楽街に差し掛かる。ビル群が乱雑に立ち、蟻の巣のような細かい道が多いが多様な飲食店や風俗、アミューズメント施設がネオンをギラギラと光らせて自己主張している街は、サングラスをしなければ目が潰れるとまで評されている。
「でもよ。お前はまだ若い、一生オシャレや化粧に時間を割いて人間性がクソの女なんか嫌いだって言うけど・・ガラムは、温かい家庭を築いていける人間だと思うぜ」
彼なりに気を遣って言ったのだが、ガラムには届いていない。彼女は今、ドアに頬杖を着いて歓楽街をぼんやり眺めていた。
眩いネオンの下で電子傘を着け、男性たちが楽しそうに笑い合ったり、可愛らしい化粧をした女性たちが道行く男性に声を掛ける。一方、すぐそばにある細い路地では暴行窃盗強姦などあらゆる犯罪が野放しになっていた。
歪なまでに人の欲望に応える街。それはそのまま、巨大都市リクドーシティを現していた。
「歓楽街・・過ぎたな・・・」
車はいつしか歓楽街を過ぎ、付近に設置されたハイウェイの入り口を登り始めていた。巨大な都市間を繋げるハイウェイは、区画ごとに設置されて頭上や建物の間に伸びている。
「あぁ・・後2時間もすればアジトに着く」
自分で口から出た生返事に肩眉を上げ、その原因を掻き消そうと煙草に火を点ける。
片側4車線の大きな道路には、自動運転のため誰も乗っていないトラックや乗用車が走り、眼下には西リクドーの乱雑な街並みや、遠くには光り輝く都心と反対側には、黒い海が一面に広がっていた。
ガラムが見ていたのは黒い海だった。
「アンタはさ」
しばらく窓の外を眺めていた彼女だったが、夜空の星が海に映って輝く様を見た途端口を開いた。急な声掛けにチャップマンは煙を楽しまず直ぐに吐き出した。
「ん?なんだ急に」
「この街で、信じてることって・・あるか?」
彼女の問い掛けに訝しみ、一瞬眉間に皺を寄せる。
「なんだ藪から棒に」
「この街はさ、欺瞞と悪意と理不尽に満ちている。そう思わないか?そこに住んでいる人もそういう奴らしかいなくて。街も人もまるで、ケダモノみたいだなって」
考えてから、チャップマンは慎重に答えた。
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