序章 心の在りか

闇ニ咲ク花

第1話 車中の2人

 心はどこにあり、どうあればいいのだろうか。

 土砂降りの雨が荒れたアスファルトの十字路を打ち付ける様子を眺めながら、チャップマンはマットブラックのラングラーの運転席からそんな事を考えていた。


(いかん。何を考えてんだ俺は)


 心の中で自分を戒める様に呟くと、大きな手で金のソフトモヒカンをかき、堀の深い自分の顔をゆっくりと、まるで自分の存在を確かめるような緩慢さで拭って自分の目に映る情報に神経を研ぎ澄ます。

 体に埋め込んだサイバーウェアによって、現在の日時や気温、メールか電話が来れば通知さえしてくれる。その全てが西リクドーシティのスラム街の景色と共に彼の目に映る。


【21時54分。32度。通知無し】


 左上の隅に表示し、通知無しの部分だけを見て表示を消す。

 もう何年も修繕されていない道路はひび割れ、街灯も点いたり消えたりそもそもへし折れていたり。だが、景観美化計画で植えられた彼岸花だけがコンクリートを突き破ってまばらに咲いている。


「何でこう、待ってる時って嫌に1分1秒が無駄になげぇんだろうな」

「言ってもしゃーねーだろチャップ」


 後部座席から褐色の肌の女性が、気だるげに言葉を吐き出す。


「てかアタシのタンクトップが汗だくで、革ジャン着たアンタが汗一つ流れねぇ事の方がイラつくぜ」

「知らねぇのか?このTシャツに編み込まれた冷却繊維が―」

「知ってるっての・・洗濯すんのに専用のネットに入れるのがクソめんどくせぇアレだろ?そういうチマチマしたの嫌いなんだよアタシ」

「チマチマとか言わず、繊細って言えって」

「雨の音でなーんも聞こえませーん」


 タンクトップをつまんで空気を入れ替えつつ、自身の豊満な胸の谷間に指を突っ込む。上は赤いタンクトップで下はワークパンツという動き易さだけを求めた適当な服装だが、実際ガラムの顔立ちはシャープで、黒いベリーショートも中々似合っている美人だ。

 対してチャップマンは武骨な風貌で、街を歩いている時は向こうが勝手に避けていく有様なのだが、週に2日は車を磨いたりお気に入りの革ジャンの手入れをしたり部屋の掃除だってこまめにしている。

 仲間と何の変哲もない会話をしている内に、チャップマンは自分が最初、何を考えていたのかもすっかり忘れたようで、気晴らしにとサイバーウェアの信号をラングラーに送ってラジオを点けた。





『―そうで、本日の22時までの死亡者数は52人!中々の数だな!』


 夏の蒸し暑さがどろりと漂う車内に響き渡る、心底楽しそうな男性の声。何の気なしに聞いているチャップマンとは対照的に、ガラムは眉間に皺を寄せてラジオに背を向ける。


『なんでも、週7日勤務は当たり前で残業も含めれば2週間分は余裕で働ける、平凡な工場が西リクドーにあったみたいでさ?勇敢な愚者たちがデモを起こしたら、どこからともなく男が現れ!軍用サイバーウェアでデモを木端微塵にしたそうだ!いいよなぁ自動追尾グレネード!』

「あの誘導ドローンはそのせいかよ・・旧工場地帯を迂回すんの大変だったってのに」

「いいからラジオ切れよ・・うるさくてかなわねぇ」

「でも、バックで流れてるレゲェは良いだろ?」


 晴れ渡る青空の下で穏やかに波を寄せる海、陽射しに照らされた黄金の砂浜、極彩色の建物や健康的な人たちの楽しそうに白い歯を覗かせあう。そんな景色を彷彿とさせる呑気で明るいレゲェは、実際ガラムが好む音楽だった。


「レゲェは良い、ワーズがうるせぇ。それに、死亡者数はRCPDが確認した数だけだろ。実際は・・その倍の数が毎日消えてる」

(いつもの事だろ・・)


 チャップマンは、面倒くさそうに口を曲げてから溜息を溢した。


「だからなんだ?デモを起こしたらそれを鎮圧する動きぐらい起こる。高望みしなきゃこの街だって住みやすいもんだ。それをアイツらは、実力も意思も考えもないのに望んだ」


 これ以上彼女の機嫌が悪くなるのを嫌ってラジオを消し、チャップマンは革ジャンのポケットからオイルライターと煙草を取り出す。

 細かい傷はあるが綺麗に手入れされている、星のマークが刻まれたオイルライターを見て、彼は難しそうに顔を歪め、その歪みを吹っ切るように頭を軽く振ってから煙草を咥えた。


「とにかく、苛立とうが正義感燃やそうが勝手だが、仕事には持ち込むなよ」


 鬱陶しそうに舌打ちをし、ガラムも煙草を咥えて火を点ける。


「どっちでもねぇよ」


 虚しく車内を泳ぐ煙を目で追う彼女は、ゆるんだ表情をしているが目には、確かな光を灯していた。


「・・来たぞ」


 彼の一言でスイッチを入れた電球のように、ガラムが起き上がった。

 十字路の奥からヘッドライトの明かりが見えて、それが次第に近づいて来る。夜で、雨も激しく降っているので、見て分かる情報はそこまでだった。


「さてさて・・」


 慣れた仕草でレザーパンツのポケットからサングラスを取り出したチャップマンは、まるで品定めでもするかのように、黒いレンズ越しに車の方を覗き込む。

 途端、彼のサングラスの丁番から青いランプが光った。

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