喫茶グレイビーへようこそ series 11

あん彩句

KAC202211 [ 第11回 お題:日記 ]


 その店で占うと、全てがうまくいくらしい。


 あほくさい噂だ、と鼻で笑ってやった。馬鹿らしい。そもそも占いなんて信じられない。だって、人の運命を名前やら誕生日やらで決めつけるんでしょ? もしくはタロットカードとか、手相とか、星の位置とか?


 初めましてで何がわかる? きっと目の動きとかの心理的な何かを究極に学んだ詐欺師みたいなやつだよ。それで座って金儲けしようなんて、ほんとに心底あきれる。



 その店はとてもわかりづらい場所にあった。金儲けしたいなら、大通りに看板を引っ提げて道案内したらいいのに、わざわざ誰も入らないような路地裏のさらに人が通るなんて皆無な道を抜けた先の細くて高いビルの四階。

 看板もない上に、ビルの一階は駐輪場になっていて、階段の上り口には『小林』って表札がある。前の週に探索に来た時にチラッと見たけど、「個人宅か」って通り過ぎていたビルだった。


 ここまでして探して、本当に詐欺師だったらどうするつもりなんだろう。上手いことお金を巻き上げられて、よくわかんないローンを組まされたりして、変なクレジットカードとか作らされる羽目になったら?

 どんなに最悪な事態を想定して警鐘したところで友達はめげなかった。


 そう、私がこんなにも疑う占いの店を一生懸命に探したのは友達のため。そうじゃなければ付き合うはずがない。こんなことに時間を割いているなんて絶望感でいっぱいだ。



 私の友達は、いわゆる『いけない恋』の真っ最中だった。付き合っている人がいる、ならまだいい。その男はその人と結婚するつもりだった。友達はそれをちゃんと知っていて、その男はそれを隠しているわけじゃない。全てを曝け出して、私の友達に寄りかかる。


 迷っている、いつもそうやって不安をこぼす。このままでいいのかなって、自分の気持ちもうまくわからないんだって、今度こそ離れるんだと意気込んだ友達のところへ連絡をよこす。


 私はもう慰めも激励も叱咤も同情も全部使い果たしていた。私の感情は既に、友達にとっては『いつもの母親の小言』くらいの価値になっていて、文字通りのお手上げ。だからって見捨てるわけにはいかない。いかないからこその、今だ。



 私の友達はとうとう他人の助言を求めることに決めたらしい。それもどこで聞いたのか、『この店で占うと、全てうまくいく』なんて胡散臭い噂話のある店を探すと言い出した。

 その店の名前は『喫茶グレイビー』。SNSで検索してみたら、どれがほんとよってくらい様々な写真と情報が出てきて途方に暮れた。パブみたいな内装だったり、和風だったり、コーヒーがうまいとか、店員がいないとか、どれもこれもあてにならない。


 誰かがゲーム感覚で作り上げたでっち上げなんじゃないかと結論を出そうとした矢先、友達が実際に占ってもらったという人にバイト先で出会ってしまった。

 友達のバイト先は、ファミレスだ。ピザをテーブルへ運んでいったら、女の子たちが盛り上がっていたのだという。彼女は思わず話に割り込んだ。割り込んで、場所を聞き出した。



 なんという執念だろう。その執念があるのなら、さっさとあんなムカつく馬鹿男と別れられるだろうにと思ったけど、それはちゃんと胸にしまった。せっかく前向きになったのだから、その猛進の足元をすくうことは憚られた。

 とにかく私は別れてほしかった。もう愚痴を聞くのはごめんだ。きっぱりさっぱり縁を切って、これからの私の青春に付き合ってほしい。一緒に合コンに行ってほしい。私と一緒に遊んでくれる友達は、彼女くらいしかいないのだから。



 駅から歩くこと二十五分。夏の真っ只中、ギラギラした太陽に焼かれるように歩いた。やっと辿り着いた路地裏もムワッとする。さらにビルの一階は熱気がこもっていた。四階まで上がるのかと思うとうんざりする。これで本当に水も出なかったら死ぬ。駅前で買ったペットボトルの水はもうすでに空っぽだった。


 ようやく辿り着いた鉄の扉のノブには、申し訳程度に小さく『喫茶グレイビー』と書かれた札がぶら下がっていた。友達はその札を確認して振り返って私を見て、また札を見る——ここにきて躊躇している。

 っていうか早く入ってほしい。水がなくてもきっと冷房がかかっているはずだから、早く中に入りたい。このままじゃ干からびるか溶ける。なんで迷うわけ?


 もういい、と私が彼女の前に立とうとした時、全速力で階段を駆け上がってくる足音が聞こえて飛び上がった。こんな暑い日に全速力で占いの店に向かうなんて只事じゃなさすぎる。

 私も友達も壁にぴたりと貼りついた。狭い階段はお互い体を横にしないとすれ違えないくらいだった。その靴音の騒々しさに負けたのだ。でも、背中がコンクリートの壁に触れたことでひんやりと気持ちよかった。ホッとする。それも束の間。


 足音の主が顔を見せた。小学生の男の子だった。汗でぺっとりと前髪を額にくっつけている。その子は私たちの前をするりと抜けて、ドアノブに手をかけた。そしてきな臭そうに私たちを眺めた後にドアを開けた。


「たっだいまー!」



 店の中はこざっぱりしていた。真っ白な壁に黒いソファとテーブル、余計なものはとことん排除したような店だ。

 奥にあったカウンターには、胸まである巻いた髪を毛先だけグレーに染めている女の子が座っていて、カウンターの中には赤い髪の男の人がいた。女の子が振り返って目を吊り上げた。


「ただいまじゃねぇよ、クソガキ!」


 飛び上がったのは私たちで、男の子はしらっとリュックを下ろして手近の椅子に腰を下ろす。


「帰れ! 何座ってんだよ!」


宇宙そら、アイス食うか?」


 カウンターの中から赤髪の人が聞くと、男の子は嬉しそうにぴょんぴょん跳ねた。


「さっすがあくた、かき氷!」


「ブルーハワイ買っといたぞ」


 大きな業務用の冷蔵庫からかき氷のシロップを取り出して、『芥』と呼ばれた男の人がにこっと笑った。女の子が今度は『芥』を睨む。


「甘やかしてんじゃねぇよ。給料減らすぞ、てめぇ」


 女の子がどんなにケンケン騒いでも、『芥』は鼻歌混じりで氷を削り、『宇宙』はテーブルにリュックから色々と引っ張り出して宿題らしいものを広げてはじめてしまった。

 そして私たちはドアの前に立ち尽くして、ひんやりした風に救われたものの居場所がない。


 しばらくそうやって立ち尽くしていると、『芥』がカウンターの中から出て来てかき氷を運んできた。綺麗な四角い透き通ったガラスの器に山盛りの氷。そこへたっぷり鮮やかな青いシロップをかけたかき氷を三つ。


 それを『宇宙』のテーブルに一つ、その横のテーブルに二つ並べた。『芥』が私たちへにこっと笑みを向ける。


「どうぞ、サービスです。せっかく来てもらったんですけど、今日は占い師がいないんで」


 え、と顔を引き攣らせた私の友達に、『芥』がもう一度にこっと笑う。


「あ、でも、全部うまくいくって言ってたんで、安心してください」


 ぽかんとするしかない私たちに、『芥』は溶ける前にどうぞとかき氷をすすめた。なんだか狐につままれた気分でテーブルへ着く。隣で『宇宙』が、絵日記を書いていた。学校の宿題だろう。


 ちらりと盗み見る。



『動物園へ行った。あやとあくたは悪いやつにしか見えないので、どこへ行ってもみんながいなくなって動物がよく見えた。動物園のレストランはまずいからいやだとあやがだだをこねたので早く帰らなくちゃいけなくなって、ぼくがおこったら、あくたが花火を買ってくれた。施設のみんなでやるには少なかったからトムが花火を追加したので、火事になりそうだった。楽しかった。』


 思わず「施設」と呟いてしまった。『宇宙』が顔を上げて私を見る。私の心中が恥ずかしくなるくらい、『宇宙』があっけらかんと頷いた。


「おれ、孤児院にいるんだ」


 そう言って絵を描き始めたけど、残念ながらその絵心は壊滅的。私の友達はもっとひどく同情して『宇宙』を見つめている。


「あやとあくたがおれを誘拐したんだよ。それからずっと孤児院にいるけど、ムリヤリ塾に行かされてる。夏休みなのに週5! 最悪だよ」


 え、と疑問を持つ前に、女の子がこちらを振り返って怒鳴った。


「お前がバカだからだろ、悔しかったらあたしに勝ってみろ!」


「あやは大人なんだから、おれに勝つのはあたり前じゃん!」


「そんな言い訳してっからバカなんだよ! バーカ!」


 まるで兄弟喧嘩だ。姉と弟ではなく、年の近い男兄弟。続く言い合いに呆れてかき氷を食べる。『芥』が笑っているところを見ると、いつもこうなんだろう。



 せっかく探し当てた占いの店は、肩透かしだった。兄弟喧嘩をBGMにかき氷を食べただけ——でも、私の友達はそのことで何も後悔している様子はなくて、ただ私に付き合ってくれてありがと礼を言っただけだった。


 そう、それで終わるはずだったんだけど——数日後、友達から電話があった。あの男が婚約者と別れたのだと言う。迷っていたことは嘘ではなくて、その関係に揺れていた。そして、私の友達を選んだのだ。

 騙されないぞ、といつまでも引きずっていた私の健闘も虚しく、あの男はすっかり私の友達に一途になった。全て言われた通り、うまくいってしまった。



 こんなことってあるのだろうか。会ってもいない人を占い、お金を取らないどころか、かき氷をご馳走してくれるなんて。

 ありえない、でも本当の話だ。あれから彼女はとても穏やかに平凡に暮らしている。



 喫茶グレイビー。その後店に行ってみたけど、ビルは空っぽ、『小林』の表札の代わりに『売物件』の看板が掲げられていた。

 もしかして流してしまった『宇宙』の話も本当なのかもしれない。本当なら大問題だけど、誘拐された子があんなに楽しそうに誘拐犯のことを絵日記に書くんだろうか。


 わからないことだらけ。

 でも確かなのは、あの店で占うと、全てうまくいくってこと——あの人たちがまだどこかで店をやっていて、それを見つけることができればの話、だけど。




[ 喫茶グレイビー 完 ]



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