コロと過ごした200日

丸子稔

第1話

「なあ、池本いけもと。今からオレが言うこと、みんなには内緒にしてくれない


 昼休みの教室で、さほど仲が良いわけでもない山下が、唐突に言ってきた。


「いいよ」


 俺はとくに何も考えることなく、そう答えた。


「あのさ、オレ、加藤美幸かとうみゆきのことが好きなんだ」


「ふーん。で、加藤とどうしたいんだ?」


「まあ、最終的には付き合えれば一番いいんだけど、まだ話すらまともにしたことないからな……とりあえず、気楽に話せる間柄になりたいと思ってな」


「それで、俺に言ってきたわけか」


 俺は加藤とは小学校5年の時からずっと同じクラスで、気心が知れた仲だった。


「わかった。じゃあ、それとなく、お前のこと言っといてやるよ」


「悪いな。この恩は、今度必ず返すから」


 そう言うと、山下はホッとしたような表情で自分の席に戻っていった。

 俺はさっきはああ言ったけど、彼の頼み事を聞くつもりはなかった。

 なぜなら、俺も加藤のことが好きだったから。


 しかし、俺は加藤が自分のことを好きでないことはわかっていた。

 彼女は、まじめで頭の良いやつがタイプで、俺はそれとは真逆のタイプだった。

 成績優秀で女子とあまり話をしたことのない山下は、もしかすると彼女の理想のタイプかもしれない。

 そう思うと、とても山下のことを紹介する気にはなれなかった。


 俺は山下との約束を破り、加藤のことを好きなのをクラス中の男子に言いふらし、その結果、間接的に加藤がそのことを知ることになった。

 その前に男子たちに散々冷やかされていた山下は、加藤が知った時にはもう、彼女への心は冷めていた。

 結局、二人の仲が進展することはなかったのだが、噂の根源が俺であることを突き止めた彼女は、激しい口調で俺をののしった。

 目に涙を浮かべながら罵倒する姿に、俺は彼女も山下のことが好きだったんだと確信した。


 その後、俺はクラスの女子たちから無視されるようになり、やがてそれは男子たちにも広がった。

 自分で蒔いた種とはいえ、一日中誰とも話さずに過ごすのはきつくてたまらなかった。

 夜もなかなか寝付けず、やっと寝れたと思っても、夢の中にまでいじめられている場面が出てきて、俺はそのたびに飛び起きた。

 一度目が覚めると、その後なかなか眠ることができず、俺は夜中にもかかわらず、家を出てその辺を散歩することが多くなった。


 そんな生活が一ヶ月くらい続いたある日、真夜中に悪夢にうなされながら目を覚ました俺は、いつのように散歩に出掛けた。

 コンビニでお菓子とジュースを買い、そのまま帰途に就いていると、空き地にダンボール箱が置いてあるのが目に入った。


──なんであんなところにダンボール箱があるんだ? もしかして、誰かが古本でも捨てたのかな。


 そんなことを思いながら中を覗いてみると、そこには生後まもない子犬が瀕死の状態で横たわっていた。


──やばい。早く病院に連れていかないと。


 俺はすぐさま子犬を抱きかかえ、家まで全速力で走った。

 家に着くなり、俺は子犬を自転車のカゴに入れ、夜間救急動物病院まで必死にペダルを漕いだ。


 やがて病院に着くと、俺はかごの中の子犬を抱きかかえ、中に入った。


「すいません! この犬診てくれませんか!」


 俺は誰ともなく叫んだ。すると、先生らしき人が奥の方から出てきて、子犬を見ながら、「これはいかん! 早く処置しないと手遅れになる」と言って、俺から子犬を奪い取った。


「君はちょっと外で待っててくれ」


 先生にそう言われ、俺は心配ながらも待合室で待つことにした。

 

 それから何分経ったかわからないが、とにかく長い時間待ったような気がした。


「今、落ち着いて寝ています。様子見に2,3日ここで入院した方がいいでしょう」


「ありがとうございます!」


 先生の言葉を聞いて、俺はまるで自分が飼い主であるかのように、感謝の言葉を吐いた。


 病院を出ると、空が不気味な赤みを帯びて、明るみ始めていた。

 俺は疲れた体にムチ打ちながら、家に向かってペダルを漕いだ。


 ようやく家に着くと、母はもう起きていて、俺の顔を見るなり「こんな時間にどこへ行ってたの?」と訊いてきた。

 俺は子犬を病院に連れていったことを言ったついでに、思い切って学校でいじめられていることを告白した。

 さぞかし驚くかと思っていると、母は意外にも「それなら無理して行くことはないわ」と言ってくれた。


「じゃあさ、犬が退院したら、ウチで飼っていい? 俺がちゃんと面倒見るから」


 ダメ元でそう言うと、母は「いいわよ。あなたも一人で家にいても退屈でしょうから」と、あっさり承諾してくれた。


「ありがとう。じゃあ、明後日病院に行って、犬を引き取ってくるよ」


 





 二日後、病院から連れ帰った俺は、子犬をコロと名付けた。

 コロは最初ミルクを飲んでくれなかったり、辺り構わずおしっこしたりと大変だったけど、俺が辛抱強くしつけしたことで、三ヶ月もすると、おしっこはちゃんと所定の場所でするようになった。

 ツメを切ったり、風呂に入れたりするのは未だに嫌がったりするけど、それ以外は俺によく懐き、不登校ながらも幸せな日々を過ごしていた。


 そんな生活が半年ほど続いたある日、父が交通事故に巻き込まれて死んでしまった。

 相手は飲酒運転で、横断歩道を渡っていた父に、信号を無視して突っ込んだらしい。


 お通夜、葬式と、母は悲しみのあまり、人目をはばからず泣いていた。

 無論、俺も悲しかったけど、ここで俺まで泣いてしまったら、父が安心して天国に行けないんじゃないかと思って、ぐっと我慢した。

 

 その後二週間が経過し、ようやく家の中が落ち着いてきた頃、母が「ねえ高志、本当はこんなこと言いたくないんだけど、父さんが死んで、かなり家計が苦しいの。だから、コロを飼ってる余裕なんてないの」と打ち明けた。


 無論、俺は抵抗し、バイトでもなんでもすると言ったんだけど、不登校の中学生がバイトなんてできるわけないでしょ、と跳ね付けられた。

 なおも抵抗する俺に、母は「どのみち、あなたが学校に行くようになったら、コロの世話をする人はいなくなるのよ。それともあなた、この先ずっと学校に行かないつもりなの」と、強い口調で言ってきた。

 そこまで言われると、さすがにもう抵抗できなかった。


「わかったよ。じゃあ後で、ネットで飼い主を募集してみるよ」


 





 その後、応募してきた家族の中から、俺は優しそうな一家を選び、一週間後にコロを譲渡することになった。

 その日俺は、しばらく見ていなかった夢を見た。

 それは俺がいじめられていた頃の夢ではなく、コロが新しい家でいじめられている夢だった。

 真夜中にうなされながら目を覚ました俺は、すぐにコロのところに駆けつけた。

 ゲージ越しにコロが寝ているところを見ていると、俺はこの姿が見れるのもあとわずかだと実感し、それから一週間、俺はゲージの横に布団を敷いて、コロと一緒に夜を過ごした。


 




 そして、ついにコロと別れる日がやってきた。

 コロを引き取りにやってきた斎藤一家は、写真で見た通り、みんな優しそうな顔をしていた。

 俺はコロを飼い始めてから毎日書いていた日記を差し出し、「これ、コロの特徴とか習性が書かれているので、今後の参考にしてください」と言いながら渡した。


「ありがとうございます。でも、いいんですか? これって、コロとの思い出が書かれてるんでしょ」


「いいんです。俺が持ってても仕方ないし、コロを飼ううえで、これはきっと役立つはずですから」


「わかりました。では、遠慮なくもらっておきます」


「じゃあ、今からコロを連れてきます」


 そう言うと、俺はコロをゲートから出し、玄関へ連れていった。


「わあ! 可愛い!」


 コロを見た瞬間、小学生の娘さんは歓喜の声を発した。

 喜ぶ斎藤一家に、コロは戸惑いの表情を浮かべながら、俺の方を見てきた。

 その不安げな表情に、俺はコロがこの家に来た頃を思い出し、涙が出そうになった。


──落ち着け。ここで泣いたりしたらコロも不安がるし、斎藤家の人たちにも気を使わせてしまう。


 俺はなんとか堪え、「じゃあな、コロ。この人たちに幸せにしてもらえよ」と、別れの挨拶をした。


 それが別れの挨拶だと気付いたのか、コロは「ワン!」と吠えながら、突然暴れ始めた。


「早く車に乗せましょう!」


 俺はお父さんとともに、激しく抵抗するコロを無理やり車に押し込んだ。


「早く出してください!」


 俺がそう言うと、車はけたたましいタイヤ音を残しながら、去っていった。


「コロ! 元気でな!」


 俺は届かないと思いつつ、ありったけの大声で叫んだ。

 そうすることで、コロへの思いを断ち切ろうとしたのかもしれない。


 車が見えなくなるまで見送った後、俺は家の中に入り、コロがいなくなったケージをずっと見つめた。


 ──半年あまりしかいなかったけど、俺にとっては何ものにも代え難い時間だった。今まで生きてきた中で、間違いなく一番幸せな時間だった。


 そんなことを思いながら、センチな気分に浸っていると、母が「高志、あなたよく堪えたわね。でも、もう我慢しなくていいのよ」と言った。

 その言葉を聞いた瞬間、今まで堪えていたものが、雪崩のように一気に崩れ落ち、俺は泣いた。





 声を出して泣いた。

 

 


 


 翌朝、俺は「今日から学校に行くよ」と母に宣言した。


「どうしたの、突然?」


「なんか、このままだと、また変な夢を見そうだからさ。前みたいに、真夜中に家を出て、空き地で捨て犬を拾ってきたら困るだろ? それに、コロだって知らない家でこれから頑張っていこうとしてるのに、俺だけ逃げ出したままじゃ恰好悪いもんな」

 

 俺はこのまま家に閉じこもっていると、毎日のように見ていた悪夢がぶり返して、真夜中にうなされながら目を覚ますのが怖かったのかもしれない。


「あまり無理しないでね」


 心配する母に、俺は「いってきます!」と元気よく挨拶しながら、玄関のドアを勢いよく開けた。




  




 


 

 

    


 

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