066:ヤベーやつが来る②


「その声……師匠?」


 良く見ればその黒猫の瞳には見覚えがある。

 水色と紫色が溶け合うような、不思議で特徴的な眼だから間違いない。


「うむ、ワシだ」


 黒猫の姿をした師匠は当たり前みたいに言う。


「どうしたんですか、猫になったりして……」


「これは魔術で作った使い魔だ。まぁ、ちょいと厄介な事になっていてな。お前の力を借りに来た」


 連絡するとはこの事だろうか。

 脳内に直接呼びかけて来るよりは驚かないな。


「ということはもう起きたんですか? 俺で良ければ力くらい貸しますし、話なら聞きに行きますけど。ちょうど俺からも相談したい事があって……」


「いや、まだ寝てるが」


「え?」


 ん…………?

 さっき魔術で作った使い魔って言ってたよな?

 聞き間違えではないと思うのだが。


 もしかしてこの人、寝ながら魔術を操ってる……?


 意味不明だ。

 やっぱり規格外だな、この人。


 俺の肩から立ったままウトウトしているスーの方に飛び乗ってプニプニほっぺにスリスリしているその姿には威厳の欠片もないのだが、やはり偉大なる魔術師なのだ。


「ていうか敬語やめろって」


「あ、うん。すまん」


「いや相変わらず切り替えはやいな……まぁ良い。お前の相談は後にしてくれ。そんなことより……」


 黒猫姿の師匠は空を見上げた。

 明け方の空は澄み渡っていて雲一つない。


「ヤベーやつが来る」


 いたって真面目な口調で呟くように言った。


「ヤベーやつ?」


「ワシが昔に封印したヤベーやつ。ワシが転生する前の時代の魔人だからマジでヤベーぞ」


「へぇー……え? 魔人?」


 とんでもない単語がさらりと飛び出してきた。


 魔人はモンスターの上位形態として知られる存在だ。

 一般的なモンスターよりも遥かに危険で強力だと言われていて、その危険度はSランクすらも超える。


 カテゴリー自体が別なのだ。

 まさに別格の存在である。


 俺もその存在は知っているが、見たことは一度もない。


「実在したのか、魔人なんて……でも魔界にしかいないんじゃ?」


 魔人は膨大な闇の魔力によって生まれるとされており、それを満たす環境は人間界にはない。


「この時代ではな。昔は普通に人間の国まで侵攻してくるヤツもいたぞ。だからワシがそれを封印したんだ」


 それ、いつの時代なんだ?

 この人の転生前の時代って、もしかして……


「どこのバカか知らんが、その封印を破壊したみたいだな。やれやれ」


「それマジなら確かにやべーな」


 どういう理由か分からないが、魔人がここに向かってきているということらしい。

 それが本当なら町への被害はとんでもない規模になるだろう。


「そう。マジ。魔人マジやべーのよ」


 マジなら韻を踏んでる場合ではない。


 だが今の所、空に怪しい気配なんてない。

 強力な魔人ならその気配も強大なハズだが、そんな気配はないのだ。


 モンスター1匹すらいないように感じる。


「何も感じませんが……」


 そもそもそんな危険な存在を封印しているなら厳重に管理されているハズなんじゃないだろうか。

 簡単に解かれるとも思えないし、わざわざ魔人の封印を解く人間なんていないと思うのだが。


「アイツは隠れるのがうまいからな。ワシくらいうまい。やべーだろ?」


 それはヤベー。


 もしそうなら俺には感じ取れない。

 師匠の魔力制御はすさまじいレベルに達しているからだ。


「……完全には信用していない顔だな」


「え? いや……信じたい気持ちはあるが」


 なんといっても俺にとっての師匠だからな。

 師匠が言うのなら基本的には全面的に肯定する構えである。


 のだが、師匠のカンチガイという可能性もゼロではないわけで……


「まぁ信用しにくいのも無理はないか。魔人なんてこの時代では都市伝説みたいなもんだからな」


 師匠も現代の感覚は理解しているようだ。


 魔人の存在は都市伝説だと良く言われる。

 なぜなら魔人を見た者のほとんどは生きて帰る事がないからだ。


 だから噂話は多くとも、それを本当に見たことがあるなんて証言する者は極めて少ない。


「わかりやすく見せてやるか。力を借りるのだから、信用してもらわないと困るしな」


 師匠は再び俺の肩に飛び乗ると、さらに頭の上まで登って来た。


「目を閉じろ。少しだけ未来を見せてやる。このままアイツが来たら町がどうなるのかをな」


 そして師匠は詠唱を始めた。

 俺には理解できない知らない言語大系だ。


【演算開始】オペレーション


 真っ暗な瞼の裏に光が走り……そこに真っ黒な空が見えた。

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