第3話
七瀬グループの取り扱っている事業は様々なものがあり、関連会社を含めれば鉄鋼、薬品、精密機械、食品、IT、など国内の全ての業種に関わっており少なくない影響力を持っていた。また単独でもの製造・運輸・流通・販売までのノウハウや特許を獲得しているために簡単に揺らぐことはない。そのために国も無下にはできず影響力をもつ。故に影ではこの国を真に牛耳っているのは『七瀬』だと囁かれているのである。
「御曹司って…俺は七野であって『七瀬』ではないんですがね」
一正が不満げに言葉を漏らす。一正の祖父は確かに七瀬のトップであるが今の彼の姓は七野である。これには少し厄介な事情があった。
七瀬源三郎は一正の父方の祖父である。その父親、七瀬誠心は長男でありグループを継ぐのが当然の立場だった。その父は本来であれば『七瀬』以外の姓に変わることなどありえないはずなのだが、その『まさか』が起こってしまう。
当初、父子の関係は良好であり誠心自身の能力的にも問題なかったために周囲は勿論当人達も誠心がグループを継ぐものだと思っていた。だがそれは誠心が大学に通っていた頃のある出会いによって崩れ去ることになる。
その出会いとは一正の母となる一ノ瀬 雅との出会いである。一目惚れしたのは誠心の方であり猛アタックの末にようやく二人は付き合うことになった。周囲の妨害を恐れてひた隠しにしていた交際であったが結婚を考える時点となりとうとう源三郎に伝えることになる。その結果は身分違いと隠し続けていたことでの源三郎の激怒と猛反対。それを受けての大喧嘩。今まで源三郎に逆らうことなどなかった誠心であったがこの時ばかりは一歩も譲らなかった。
最終的には溝は埋まらずに誠心は七瀬の姓を捨てて一族から飛び出すことになる。そして名乗った姓が七野。その二人の息子が一正なのである。
「まあ、貴方の考えも分からなくはないんだけどね。雅が…あの二人が今も生きていたなら七瀬との関係はなかったかもね」
目を伏せるように呟く響女史。その言葉通りに一正の両親はもうこの世にはいない。一正がまだ小さかった頃に事故によって亡くなっていた。ちなみに両親に関しては意に沿わなかったための祖父や一族からの妨害などはなく中流の一般家庭を築いていたようだ。事故は純粋な不運である。一正の記憶は薄れてきてはいるが幸せな生活を送れていたというように記憶している。
「雅が生きていたら今の貴方の生活を見て嘆いていたかもね」
「それは言わないでくださいよ」
実はこの響女史は両親の古い頃からの知り合いであり。特に母とは親友の関係であったようで一正のことも幼い頃から知っていたりするのだ。だからこそ頭が上がらない。
「ハイハイ。話を戻すわね。確かに貴方は七野だけど、貴方の祖父である源三郎会長が直々に貴方を後継者に指名したのだからやっぱり貴方は御曹司なのでしょう。しかも公衆の面前で公にね。それに雅達が亡くなったあとに源三郎さんに世話になっているのだから無関係なんて言えないわよね」
再び一正は何も言えなくなる。両親が亡くなったあとの一正を間接的にではあるが援助してくれているのは祖父の源三郎であるのは間違いなかった。
その源三郎が今から2年前、一正が15の時にグループの今後を決める有力者会議に一正を呼び出すと皆の前で一正を自分の後継者に決めたと宣言したのだ。一正本人にとっても青天の霹靂であったその宣言以降、彼は御曹司として扱われるようになった。
それから当時すでに力により有名であった一正は二重の意味で畏れられるようになったのだ。
「口では否定してるけど、継ぐための英才教育は嫌々ながらもちゃんと受けているみたいじゃない」
突然にニヤニヤしながらかけられた言葉に一正は呻く。確かに御曹司となってから課せられるようになったスパルタ式の教育は受けている。だがそれに関して言うならばーーー。
「あの化物爺さんに逆らえる訳がないじゃないですか…逃げても絶対に捕まります。追っ手を叩きのめしても爺本人に来られたら終わりですよ」
「それは確かにね」
あの時間は本当に地獄である。考えただけでも寒気が襲ってくる。週5日決まった時間から始まるそれは教育という名の拷問だ。どこにいようと時間になれば何処からともなく黒ずくめの男達が現れて連行されるのだ。そいつらであれば返り討ちにしてやるのは簡単なのだが…一番最初にそれをやった時に最終的に爺が現れてコテンパンに伸されたのだ。その時のことは思い出したくもない。ともかくそれ以降一正は逆らうことをやめたのだった。
「さてと、悪いのだけど私はこれから出掛けないとならないのよ。具合が悪いのは嘘でしょうけど少し休むくらいなら認めましょう。あと少しで午前の授業は終わりだし、午後からはちゃんと授業を受けること。分かった」
「…はい」
「よろしい」
荷物を持ちヒラヒラと手を振り、部屋から出ていく響女史を見送ったあとで今度こそ布団へ潜り込む。約束を破ったら後が恐いので寝れる時間は一時間ほど。念のためにアラームをかけた一正は目を閉じた。
◆
がさごそという物音で一正が目を覚ました。時計を見れば予定してた時間よりも少しだけ早い。
隣のベットに誰かの気配がある響女史とは違うようだ。物音はそちらから聞こえてきている。仕切っていたカーテンを少しあけて様子を盗み見る。どうやら女生徒のようだ。具合が悪いのか頭を抱えてベットへと腰をかけている。ただその女生徒の着ている制服は一正の知るこの学園のものではない。他校の生徒だろうか制服に詳しくない一正ではどこの学校なのかなど分からない。何故他校の生徒がいるのだろうか。今日は特に何らかの行事があるなどとは聞いていない。一正が首を傾げていたその時だった。
「あっすみません。起こしてしまいましたか? 起こさないように注意してたつもりだったんですけど…」
一正に気づいた女生徒が顔をあげると申し訳なさそうに謝る。どうやら誰かがいるのには気づいていたようだ。
「…いえ大丈夫です」
一正の返事はワンテンポ遅れてしまう。なぜならば。
(やっぱり他校の生徒か…つかこれほどの美人は初めて見るな)
顔を上げたら女生徒の容姿に不覚ながらも見とれてしまっていたからだ。腰まで届くかと思われる綺麗な黒髪に二重瞼の綺麗な目、全てが整った容姿をしている。十人に聞けば十人が美人と答えるであろう美少女だった。声も透き通るような綺麗な声でありこれほどの完璧な美少女がいることに一正は驚いた。
「ちょっと学校見学の途中で具合が悪くなってしまって…少し休ませてもらってたんです。ーーーっ貴方は!」
キーンコーンカーンコーン
顔を上げた少女の瞳が一正の顔をを捉えると同時に見開かれる。今までは話しているのが一正だとは解っていなかったようだ。言葉が続けられる前に授業開始のチャイムが鳴り言葉は書き消される。
「悪い授業が始まる!」
「あ!」
予想以上に時間が経過していたようだ、慌てて保健室を飛び出す。響女史の言葉を破るわけにはいかないのだ。走りながら先ほどの少女の事を思い出す。
「髪と同じ綺麗な黒い瞳だったな」
何か言いたげにしていたが何だったのだろうかと考える。大方噂の人物である一正だと気づき驚いたのだろうが、最後に向けられた視線は畏れとは違っていた。一正の予想では近いのは敵意のようであった。だが考えても答えは出ない。そうこうしているうちに教室の前に到着する。一度深呼吸してドアへと手をかける。
「失礼します。遅くなりました」
集まる視線、固まる空気。
「あれ、七野君。君は具合がわるいから保健室に言っているときいたんだが、大丈夫なのかね?」
「はい、体調が戻ったので午後からは参加します」
「そ、そうかね? それなら席につきたまえ」
この時間は世界史の授業だったようだ担当である男性教諭がひきつりながらも一正に声をかけてきた。それに答えて自分の席につく。
(やっぱり変わらないよな)
朝と変わらない緊張感を保ったままで授業が再開される。
◆
ようやく学校が終わった放課後。一正は自宅へと向かって歩いていた。例の英才教育は今日はない。滅多にない休養日である。
「しかし、今日はいつも以上に疲れたな。授業の内容なんて今から聞いても意味ないし。ただ堪えるだけだからな」
一正の言葉通りに実は授業の内容を聞くことに意味はない。何故ならば今やっている授業内容など例の英才教育によって既に学習済みであるからだ。聞いたところで全部知っている内容だ。逆に最新の情報を教え込まれている一正は何度か教師が言った内容を修正したい衝動に駆られたことがあった。
「ん?」
ポケットに入れていたスマートフォンから音楽が流れてくる。その曲は一正が密かにハマっているとあるアニメのものだったりする。ただかなり昔のアニメであるためにこれだけでそれだと分かる人間はまずいないだろう。
「電話か? いったい誰からだよ…げっ」
ディスプレイに表示された相手の名前をみてうめき声をあげる一正。それは最も関わりたくない相手。
「…爺かよ」
そこには『化物爺』と表示されていた。
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