第2話
少年、七野一正は机に突っ伏して深いため息をついていた。
「はぁ、昨日は疲れた」
この近辺を支配している裏の世界の男達と衝突して不干渉を認めさせたのは昨日の事。ようやく回りが落ち着くかと思うと心底嬉しかった。しかし朝にいかにもな男達とすれ違う瞬間に緊張した顔で深く頭を下げられたときはどうしようかと思ったものだった。つまり周りの視線的にだが。
「えっと…何かあったかしら?」
今朝の事を思い返していると遠慮がちな声をかけられる。その声の主は一正のクラスの担任である南濃恭子先生だ。今年から教職に就いたばかりの新米教師なのだが、不運と言うべきなのか一正の所属するクラスの担任になってしまったのだ。
「あっすみません。何でもないです」
「そ、それなら良いんだけど授業を続けてもいい?」
「はい、勿論です」
一正は素直に謝る。そもそも今は授業の真っ只中でありその途中で盛大なため息をついた一正にこそ非があるはずなのだが、かけられた言葉は注意ではなくご機嫌を窺うようなものであり、声も若干震えていた。それに人知れず一正はまた深いため息をつく。
このような反応をするのは南濃先生だけでなくこの学園の教師共通のだったりする。裏世界を締めるような人間なのだから畏れられるのは仕方ないかもしれないがその評価は一正当人にとって不本意なものである。絡んできた相手を倒してきただけで別にそのような思惑ではないのだ。
「すみません、具合が悪いので保健室に行かせてください」
「分かったわ、えっと保健委員は…」
「いえ、俺一人で大丈夫です」
手を上げて具合が悪いと言った一正は一人で教室の外へと向かう。出る瞬間に視界のすみにほっとしたような表情を浮かべる南濃先生が見えた。一正が完全に教室から出た後で気配を消して少し待つと教室の中は騒がしくなった。
「何だかな…やってられないな」
一正を畏れているのは教師だけでなく生徒も同じことである。教師と同じ理由で畏れられている彼には巻き込まれることを恐れて話し掛けてくる生徒はほとんどいない。彼が教室にいるあいだ学校のクラス特有の騒がしさはなく常に緊張感が漂っているのだ。それゆえに今のように彼が姿を消した途端に本来あるはずの騒がしさが戻ってくるのだ。
「ちっ屋上の鍵が閉まってるじゃないか…仕方ないマジで保健室に行くか。あの人が居ないと良いんだがな」
最初、保健室でなく屋上へと向かった一正だったが扉が施錠されてあったために渋々保健室へと進路を替える。
体調不良を理由に教室を飛び出してきた一正であったが実は別に具合が悪くなどなかった教室の雰囲気に耐えられなかっただけである。今朝から教室の雰囲気がいつも以上に緊張に包まれていたのだ。どうやら昨日の件がすでに噂として広まっていたらしく誰も彼もが一正を避けていた。教室を出る際に南濃先生が保健委員を付き添いとして付けようとした際に、保健委員である同じクラスの女生徒の佐藤環が小さく悲鳴を挙げていたことにも一正は気づいていた。正に彼に対する周りの感情が如実に現れた件と言えよう。
◆
「失礼しまーす…とやった誰もいないな」
声をかけてそっと保健室のドアを開ける。保健室の中は照明が消されておりベットにも人の姿はない。人の気配は感じられず、どうやら一正が懸念していた相手は不在のようだった。思わず小さくガッツポーズをとった彼は一眠りしようとベットに近づく。だが靴を脱ぎベットに潜り込もうとしたその瞬間にガラリとドアが開く音が聞こえてきた。
「あら? 誰か来てるのかしら」
「ゲッ」
聞こえてきた声は妙齢の女性の声。その声は一正が聞きたくなかった相手のものでもあった。
「誰かと思えば一正じゃないの…貴方また授業から抜け出してきたの?」
「いや…本当に調子が悪い…んです」
一正の前で仁王立ちをするこの美人と言って良い女性の名前は一宮響。この学園の保険医である。本来の年齢は結構いっているはずなのだが20代後半くらいにしかみえない。また漫画などに出てくるような本来の学校の保険医にあるまじきフェロモンを撒き散らすセクシーさで男子生徒に大人気の女性でもある。しかも女生徒の相談にも良くのっており女生徒の人気もある学園でも人気者の保険医だ。
「ふーん。どうせ嘘っぱちなんでしょう? 大方教室の雰囲気に耐えきれず逃げ出したところかしら。」
「うっ」
響女史の指摘は全くその通りであり一正は言葉につまる。反論しようにも言葉が見つからない。だからこそこの女性が一正は苦手なのだが、それと同時にこのように恐れずにズケズケ物を言ってくる学園でも数少ない人物でもある。
「まったく評判なんてあてにならないわよね。学園一の問題児がこんな小心者だなんて」
「そんなことを言われても響さん、実際にあの状況に直面したら誰だって逃げ出したくなりますよ。何て言ったって先生もなんですから」
一正にとって苦手ではあるが畏れられずに普通に会話を出来る響女史は話しやすい相手ではあった。その彼女は一正の話を聞くと少しの苦笑を浮かべる。
「恭子先生に関しては仕方がないでしょ。周りの誰もが貴方のクラスの担任をしたがらずに新任の彼女に押し付けられた形なんだから」
「…」
その言葉に一正は押し黙るしかない。もしやとは思っていたのだがその嫌な予測が正に当たっていたとは出来れば知りたくなかった情報だった。
「生徒から教師が逃げるっていうのはどうなんでしょうか?」
「押し付けた先生達を擁護するわけじゃないけど気持ちは分かるのよ。生徒はともかく教師にとっては畏れているって理由だけじゃないのだから。そのことで貴方自身が助かっている面もあるのだし」
その言葉は言外に「貴方も分かってる筈だ」と言っているようでもあった。その事は無論一正も分かっている、ただ認めたくはなかったが。
「なんと言っても貴方は今この国有数の…いえ国を牛耳っていると言っても過言じゃないわね、あの大企業七瀬グループの御曹司なんだから。ちなみにこの学園の理事でもあるから教師私達は逆らえないわよ」
そう、一正の祖父の名前は七瀬源三郎、この国有数の大企業である七瀬グループのトップなのだ。
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