第2話
「お姫様が来たぞーっ!」
父と四歳になる甥っ子の拓海がはしゃいで、大騒ぎとなる……
わたしの家は大家族で、祖母に父と母、兄夫婦と甥っ子、妹の真由美で八人家族だ。
オンボロの小さい家に家族ギュウギュウ詰めで暮らしている。
帰宅すると、ちょうど普段より遅れて食事を始めたところだった。
雅美は遠慮がちにわたしの隣に座り、家族から質問攻めにあった。
「女優さんの娘さんかぁ、どうりで違うわぁ」
「オーラが出てるよ、こう、七色の……」
などと晩酌中の父や兄が赤い顔をして言い、全員でうんうんと感心していても、ちょっと歯切れがわるいのは、女優「永山ゆりえ」という名前を聞いても、なんとなく聞き覚えがあるという程度で、顔もよくわからないからだった。
雅美のお母さんは主に舞台で活躍している女優さんで、わたしの家は芸術方面とはとんと縁がなく、テレビもバラエティー専門だった。
わたしも、友達に本屋で「これが永山さんのお母さんだよ」と雑誌の写真を見せられ、初めて顔を知った。
雅美が、今、母は仕事で地方を回っている、と言ったら、
「あぁ、ドサまわりか」
と、ばあちゃんが言い、みんなであわてて、違うよ!ばあちゃんっ、と突っ込み、
「シェークスピアだよ、シェークスピア!……だろ? 雅美ちゃん」
父が得意げに言ったので、雅美はあやふやに微笑んでうなずいた。
クーラーはつけているのだけれど、狭い居間に人口密度が高いせいか、頬をピンク色に染め、何度も救いを求めるように、潤んだ瞳をわたしに向けてくれるのがうれしくて仕方ない。
「雅美ちゃんも将来は女優さんだぁ」
ビールグラスを持ち上げて父が言うと、
「いいえ、なりません」
と、きっぱり答えたので、みんなが、アラーもったいない、と声を上げた。
お父さんも俳優さん?、と兄が聞くと、お父さんは雅美がまだ赤ちゃんのときに病気で亡くなった、と話し、一瞬座が静まり、そのあと、
「父は物書き、脚本家でした」
と、ちょっと誇らしげに答えた。
彼氏はいるの?、と兄嫁のしのちゃんが、拓海が畳に落としたご飯粒を拾いながら聞き、雅美はいいえと小さく首をふり、えーっ絶対いるよ!いるでしょーっ!と、家族に内緒にしているけれど、中二のくせに最近彼氏ができた妹の真由美がテンション高く突っ込み、コラ箸先を人様に向けるな、と兄が真由美に注意した。
台所から追加の揚げ物を持って来てくれながら母が聞いた。
「お母さんがお留守で、ご飯は毎日どうしているの?」
自分で……と雅美は言いかけて止め、
「ほとんど近所のデリカテッセンで買って済ませてます」
と、肩をすくめた。
母がデリ?とわからなそうな顔をしたので、兄が、惣菜屋のことだと教えた。
数年前まで近所に、お母さんの妹にあたる叔母さんが住んでいて、食事の面倒を見てくれていたけれど、転居してしまったとのことだった。
一人ご飯を食べ終えた拓海がトランプを持ってきて、ババ抜きしよう、と雅美の腕を引き、大人たちに、まだお姉ちゃんご飯食べてるでしょっ、と叱られ、ふてくされてしまった。
そんな拓海に、父が、拓海!、拓海!、と、だみ声で呼びかけ、
「ほら見ろ、お姉ちゃんの顔とおんなじだ!」
メンチカツを箸でぶっ刺し、日に焼けた腕を伸ばし、雅美の小さい顔の横にぶら下げた。
「ほんとだーっ、おんなじだーっ」
拓海と父はゲラゲラ笑い転げ、雅美がそれを不思議そうな表情で見ていた。
「雅美、ちゃんと食べてね。取っておかないとなくなっちゃうよ」
わたしは雅美の取り皿にカニクリームコロッケとメンチカツを載せた。
ありがとう……と雅美は小さくうなずいた。
ごはんのおかわりをしに台所に立ったわたしに、ついてきた母が、
「なんでお友だちが来るなら電話で言ってくれないのよ」
と、ぶつぶつ言った。
この日の夕食は母の手づくりコロッケとメンチカツで、家族の大好物のメニューだったけれど、一家の料理長としては、女優の娘が来るならもっとしゃれたメニューを出したかったらしい。
「珠美に真由美に雅美で、三人姉妹みたいだなぁ」
酔っぱらって恥ずかしいほどテラテラと赤い顔をした父がうれしそうに言った。
雅美も赤い頬をして一生懸命自分の顔と同じくらいの大きさのメンチカツを箸で千切っては頬張っていた。
食後、母が腰を上げたのを合図に、みんなで一斉に食卓の食器を重ね始めたとき、雅美の手首を見て思い出した。
「お母さん、湿布ある?」
「あると思うけど……」
スカウトオバさんの話をしたら、「誘拐未遂だ!」と大騒ぎになった。
雅美が、両手をふって一生懸命「違います、違います」と言っていたけれど、聞く者はいない。
「綺麗だから、ねらわれたんだよ!」と、口をそろえた。
「気づいたお前が、交番行って、警官連れて、駆けつければよかったんだよ」と、兄。
「あ、そっか!」
「そっか、じゃねぇよ、バカだな!」と、父に怒られる。
雅美は、女三人…母と真由美としのちゃんに、大人しく腕を差し出して、三人が家中あちこちから発見してきた湿布を、これがいいよ、それじゃだめよ、あっちのがいいんじゃない?……などと言うのを、赤い顔をして聞いていた。
そのまわりを、拓海が「ボクにもはってぇ!」と、まつわりつき、ばあちゃんはいつも通り、座椅子におさまってお茶を片手に、口をモクモク動かしながら大好きなテレビを見ていた。
そしてその後、雅美へ、家族からの「泊まっていけ」コール攻めが始まった。
「そんな怖い目に遭ったのに、黙って、誰もいない家になんか、帰せないわよ」と母。
雅美は、「大丈夫です、本当に大丈夫です」と、頑固に首を横にふり続ける。
わたしも家族に加勢する。
「そういえば、雅美、オバさんがどっか行ったあとも、しばらく手ふるえてたよね」
「ほら、見ろ!」
父の天下でもとったような、もの言いに、雅美が思わず、笑った……
ビバ!お父さん!
うちの家族!グッジョブ!……
永山雅美が、わたしのTシャツとスウェットを着て、わたしの狭い部屋の狭いベッドの端に座っている。
細い手首には、真っ白い大きな冷湿布……
少し距離をとり、壁に背をつけベッドに座り、彼女のまっすぐな背中を眺めた。
うちには客間などなく、部屋も狭いので、友達が泊まるときは、私のベッドでいっしょに寝ていた。
「なんかごめんね、こんなことになっちゃって……。うちの家族、ほんとおせっかいだから」
あふれてくる喜びをこらえて言う。
「ううん……、楽しかった。食事もとてもおいしかった」
「ほんと?」
雅美が横顔を見せうなずいた。
ベッドの端に浅く腰かけ、なんだか不思議そうに部屋を見まわしている。
「あんまり見ないでよ。汚なくしてるから」
「いいね、にぎやかで……」
雅美がわたしのほうを見ずに言った。
「やっぱり……、お母さんいないと、寂しい?」
「ええ?……別に……」
いつものクールな声を出したあと、「いてもいなくても同じだし……」と、低い声でつけたした。
「今日いた、あそこらへん、よく行くの?」
「……うん。洋服見たり、本屋のぞいたりして、時間つぶしてから帰ってる」
わたしは少し笑った。
雅美が、肩越しに、わたしを見た。
「クラブ行って、芸能人の友だちと夜遊びしてるんじゃないんだ」
「ああ、なんかそんな話らしいね。クラブなんか行ったこともないし、芸能人の知り合いもいない」
「ふうん……」
雅美がつと立って行って、壁のコルクボードに顔を近づけた。
「ああ、それ、集めてるの。わたし、綺麗な顔が好きなの」
「え?」
困惑した表情をわたしに向けた。
子どもの頃から、アイドルやモデルなどの綺麗な顔の写真の切り抜きを集めていて、それをコルクボードに一枚一枚小さなマップピンで留めていた。
今では、コルクボード一枚では足りなくなり、買い足して、買い足して、狭い部屋のほとんどの壁を占領していた。
「女の子ばっかり……」
雅美がつぶやいた。
「うん、綺麗な女の子の顔が好きなの。だから雅美の顔も好き」
雅美がふり返って、わたしの顔を真顔で見た。
「松田さんて変わってる……。正面切って、そんなこと言われたの初めて……」
そして、からだを二つ折りにして笑い出した。
彼女の笑顔がうれしくて、わたしも涙を流しながら笑い、タマって呼んでよー!、とお願いした。
背中がやけに熱くて……早朝、目が覚めた。
雅美がわたしの背中にくっついてからだをまるめて眠っていた。
立てつけのわるい雨戸のすき間から、朝の光の帯がまっすぐ雅美の顔を横切っていた。
その光はすでに今日の暑さを感じさせる熱を持っていて、カーテンを閉めに一瞬起き上ったが、雅美の寝顔を見て止めた。
白い肌が光に溶けていた……
一本一本の睫毛の上で光の粒がきらきらと光り、むきだしのまるい耳がふんわりとピンク色に染まって、寝息がもれるうっすらと開いたピンク色の唇が清潔に乾いていた。
気持ちがとろけた……
ふいに、昨日の夜の誘拐未遂事件の記憶がよみがえる……
横断歩道を思いっきり駆け上がって、雅美のバッグをつかんだ。
大きな目を見開いて、まるでわたしにとびこむように、からだを寄せてきた。
うれしかった!……
あわてて、まるで間違いに気づいたように、わたしから離れたとき……
悲しかった……
とても、悲しかった……
右手の薬指でそっと唇に触れた。
雅美がほんの少し首を動かし唇を閉じた。
わくわくと抗いがたい気持ちが湧いた。
唇にそっと唇で触れた。
雅美は目を覚まさない。
その寝顔がまたわたしを誘った。
もう一度ゆっくりと唇を重ねた。
彼女の温度を感じるまで……
唇を離すと、変わらず天使か眠り姫みたいな顔で規則正しい寝息を立てていた。
「くぅーっ……」
超かわいいんですけどーっ!……と心の中で叫び、タオルケットを抱きしめて身もだえた。
わたしは透明な尻尾をブンブンふりながら、雅美の寝顔に見とれたまま、いつの間にか二度寝した。
「ほらっいつまで寝てる!お天道さんに笑われるぞ!」
いつものように、松田家の人間目覚まし時計、ばあちゃんにたたき起こされる。
雅美が大きな瞳をぱっちり開けて即起き上がったので、朝から大笑いした。
雅美はこの日以来、クラスの中で、「わたしたち」に心を開いてくれるかに見えた。
わたしたち、と言っても、休み時間や放課後、四人になったり五、六人になったりしてつるむようなゆるいグループだったけれど、そこに雅美も加わるようになった。
みんな雅美といっしょに遊べることを始めとても喜んだ。
わたしたちは噂話の一人歩きの怖さを知った。
雅美はクラブどころか、ファーストフード店にも入ったことがないような子で、わたしたちはとても驚いた。
「どこの国の留学生だよ」
美和っちがあきれて、手取り足取りメニューの説明や注文の仕方を教えていた。
しかし、しばらくすると、留学生に気を遣うことにみんな疲れてしまった……
雅美はいつまでも無口なままで、とても楽しんでいるようには見えなかったし、彼女は勉強もスポーツも何でも卒なくこなすのに、人づきあいに関しては恐ろしく不器用な子だった。
人といっしょに笑ったりふざけたりすることに本当に慣れていなかった。
めずらしく口を開けば、一刀両断するようなきついことを言ってしまうことが多く、彼女を嫌って離れてしまった子もいた。
雅美もみんなとのコミュニケーションを早々にあきらめてしまった様子で、わたしが声をかけても一人でいたがり、わたしからも撤退しようとする様子が見えた。
が、そうは問屋が卸さない……
彼女にどんなにきつい態度をとられても言葉を投げられても、わたしは平気だった。
よけいに彼女が魅力的に見えるだけだった。
「タマはMなんじゃない?」
と、絢菜が笑った。
「タマ、わたしと無理してつき合わなくていいよ」
放課後、しつこくあとを追うわたしに、雅美はイライラと下駄箱の前でそう言い、自分のローファーを音を立てて床に落とした。
「無理なんかしてないよ」
「みんな今日買い物行くって言ってたよ。タマも行ってくれば」
雅美は上履きを下駄箱に突っ込むと、わたしを待たずにさっさと外に出ていった。
「みんなと遊びたいときは、ちゃんとあっちに行くよ」
待ってよ、と言うと、少し歩く速度を落とした。
「わたしといたら、タマまで友だちいなくなるよ」
「じゃあ雅美がいればいいよ」
雅美が校門の前で立ち止った。
「今のセリフどーお?……泣いちゃった?泣いちゃった?」
わたしは雅美に背後から抱きついて顔をのぞきこんだ。
「泣くわけないでしょ!止めてよ、もうっ……」
雅美は顔を真っ赤にして、からだをよじらせ嫌がった。
「キャー雅美が泣いちゃったーっ!超かわいいんですけどぉーっ……」
「……だから、泣いてないっ!」
下校中の生徒たちがわたしたちを見ていた。
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