第16話


 未踏破ダンジョンだった地獄の釜で起きた大悪魔ラウムとの激闘から一夜明けて、俺は寮に用意された豪華な自室で目を覚ました。


 ちなみにだが、婚約者という事も考慮してか隣がエルトフレイスの部屋になっており、そちらの方もやはり目が飛び出るような調度品の数々が飾られた超豪華な一室となっているはずである。


「おはようございます、レジェス様。今日から奥方様が共に朝食をとるために早朝から顔を出すそうですよ」


「ああ、おはよう……今なんて?」


「……やはり寝起きは少し様子がおかしくなられるのでしょうか……。ですから、奥方様がいらしております」


「…………ほんとだ」


「え……誰……なんかレジェスのキャラがいつもと全然違う……っ!!」


「ん??」



 あらまびっくり、朝からとんだサプライズである。

 いつも通りティロフィアに起こされてみれば、なんと既に身嗜みをバッチリ整えたエルトフレイスがポカンとした顔でこちらを見ているではないか。


 つーか珍しく謎変換が仕事してない!!

 そういえば初日も普通に喋れたのは朝だけだったな……。もしかしてだけど、謎変換が働く基準が分かったかもしれない。

 今日あたり、少し夜更かししてみよう。


「おはよう、エルトフレイス! 今日も抜群に可愛いな!!」


「めちゃくちゃ爽やかッ!? お、おはようレジェス……どうしたの、頭でも打っちゃったの……?」


「変なレジェス様も、慣れてみればこれはこれでアリ寄りのアリかもしれません……」


 謎変換がサボっている状態の、素の俺を初めて見たエルトフレイスがポカンを通り越して泣きそうな顔になっている。いかん、キャラが違いすぎて心配させちゃってるな。


 なんか新しい扉を開きかけているティロフィアはスルーで。迂闊に触れると何かがヤベー気がする。


「安心してくれ、俺は至って正常さ! とりあえず風呂入ってくるから待ってて」


「う、うん……ねえティロフィア、どうしよう……レジェスが壊れちゃった……」


「すぐに戻りますのでご安心ください。さ、わたくしは朝食の準備をして参りますね」


「ええ……? あたしがおかしいのかなぁ」



 どうやらティロフィアも勘付いているみたいだが、俺の予想が正しければ一風呂浴びればいつも通り謎変換が仕事を始めるはずだ。



 そして──。


「今戻った」


「おかえりなさいませ、レジェス様。本日の朝食はこちらとなっております」


「ああ、ご苦労。では頂こうか、我が妻よ」


「あっ元に戻ってる。ギャップがありすぎて何がなんだか……」



 やっぱり謎変換が働き始めたか。

 なるへそなるへそ、そういえば初日は状況の整理だったりで頭が忙しかったから朝は風呂にも入ってなかったっけ。


 朝メシを食っている間もエルトフレイスはちらちらとこちらを見て先程の痴態を聞きたそうにしていたが、メシを食っている時にあれこれ喋りまくるのはお行儀が悪い。そういうのに関しては厳しく躾られているおっぱいプリンセスなだけに、聞きたくても聞けないようだった。



 朝食後、登校する道すがら。


「結局、さっきのはなんだったの?」


「最近、朝はああなる」


「嘘だぁ。携帯家屋で泊まった時は普通だったじゃない」


「あの時は急に何かが起きてもすぐに動いてお前を守れるように気を張っていたからな」


「…………そ、そうなんだ。もう、朝から不意打ちはズルいよ」


 今回のように謎変換が仕事をしていない状態の俺をエルトフレイスが見る機会は、恐らくそうそう無いだろう。

 まだ確定とまでは言えないが、きっと俺の中にいる本来のレジェス・バランドールの意思……のようなものが起きて表層に出ている間は、謎変換が働くのだろうから。

 近くにエルトフレイスが居ると知っていれば、たとえ眠っていても彼女を守るために動く。それがレジェス・バランドールという男なのだ。


 この説が当たっていれば、つまり俺はほぼ永久に謎変換からは逃れられないという事をも意味するのだが。まま、ええやろ。


「そういえば、結局例のアーティファクトはどうするの?」


「まずは黒毛猿に念押ししておく。絶対に紛失なんぞするな、と」


「わかってんよ、うっせーなーとか言いそうだね。あいつのことだし」


「まあな。だがきちんと誰かに奪われる事の危険性を教えておけば話は分かるだろう」


「んー、それもそっか」



 さすがよく分かってる、絶対そう言うよなあいつなら。精神年齢が小学生あたりで止まってそうだし。



「で? それだけではい、終わりーじゃないんでしょ?」


「それはそうだ。ギルドマスターとの話し合いでも触れたが、あのアーティファクトの有用性は遅かれ早かれ露見し、様々な方面から狙われる事になるだろう。黒毛猿が守り切れるとはとても思えん」


「で、あなたに泣きついてくる……かな」


「……だろうな。その様子がありありと想像できる」


 ワイトもそう思います。

 まず最優先で狙ってくるのが手段を選ぶわけもない悪魔どもだろうからな。学生であると同時に冒険者でもあるライトは関わる人間が多いし、人質を取られてアーティファクトとの交換を要求される……なんて事も普通にあるだろう。そうなれば奴の性格なら手放す事を選択するはずだ。


「万が一に備えて、ティロフィアに例のアーティファクトの保管場所を探らせ、見つけたらこっそり守るように命令してあるが……」


「ティロフィアでも守りきれないかもしれないって、思ってるの?」


「まあ、な。街の中では奴も使える手段が限られる。少なくともラウムに使ったような劇毒の類は使用禁止だ」


「それもそっか……」


「万が一の際は一旦アーティファクトを忘れて逃げてこいと伝えてある。時が経てば経つほど、荒れるぞ。この一件は」


「……大丈夫かな……」


 アーティファクトはどれも危険で有用な代物ばかりだが、夢幻の聖杯はその中でもやれる事のスケールが大きい。それだけに様々な陣営が欲しがり、刺客を寄越すだろう。


 この時期に外国人を多く見かけるようになったら、要注意だな。


 そして──。




「ん、おーっすおはよう二人とも! 聖杯のおかげで絶好調だぜ俺は!」


「あっ、おはようライト」


「黒毛猿か。貴様、間違っても例のアーティファクトを紛失なんぞするなよ」


「わかってんよ、うっせーなー」


「やっぱり言った!」


「ああ、予想通りだ」


「な、なんだよ!? 何が!?」



 朝からやたらと元気なライトが返した、寸分違わず予想通りな言葉に、パァっと顔を明るくして笑うエルトフレイス。そんな彼女を見て思わず俺も笑みを浮かべる。


 肝心のライトは、いきなり二人して笑い出す俺たち夫婦を前に若干引いていた。


「その様子だと、やはりアレの所有者は貴様になったか」


「なんだよやはりって。まあそうだけど」


「所有者だったラウムが消えた事によって地獄の釜がただの洞窟へと一変したあの光景を見れば、アーティファクトの力も予想がつくというものだ。魔力を溜め込む性質もおまけで付属するだろう、ともな。となれば所有者はおのずと貴様かラピスという女のどちらかという事になる」


「実験の様子を見てたんじゃねえかってぐらい正確で気持ち悪ぃなおい……その通りだよ畜生、もっと驚け」


「こら、ライト!! あたしのレジェスに気持ち悪いだなんて言っちゃダメでしょ!」


「いやお前のもんでもねえだろ」


「ふっ……」


「そしてなんでお前は勝ち誇った顔してんだよ。別に競ってねえからな」


 怒涛のツッコミご苦労様です。

 バカのくせにツッコミはキレキレだなお前な。


 ……まだ時間はあるし、今のうちに言うべき事を言っておくか。


「いいか黒毛猿。貴様が思っている以上にあのアーティファクトは危険だ。悪魔だけではなく、今後は様々な陣営がアレを欲するだろう。つまり、所有者の貴様が狙われる可能性が極めて高い」


「な、なんだよいきなり」


「お願いライト、真剣に聞いて。できれば安全のためにレジェスに預けて欲しいぐらいなんだから」


「エルトフレイスまで……やっぱり返せは無しっつっただろ!」


「例えばの話だバカが、貴様が断ることぐらい分かっている。万が一盗まれるような事があれば、その時はすぐに俺に知らせろ。ともすればアレは戦争の引き金にすらなりかねん代物だ」


「……え、そんなにやべーのかアレ」



 お。

 地獄の釜で好感度を稼ぎまくった甲斐あってか、思ったより好感触。

 何ならここで喧嘩別れする事すらも覚悟していたけど、案外すんなりと話はつきそうだぞ。


「アレの話は迂闊にするな。たとえ自宅であってもきちんと防音に気を使え。それができないのならば俺に預けに来い、使いたい時は言えば返してやる」


「いい? これは決して大袈裟なんかじゃないの。正真正銘、あのアーティファクトは歴史を一変させうる力を秘めているわ。使いようによっては、ね」


「わ、わかった……あーくそこういう時に限って授業かよ……怒鳴られるの覚悟でサボっちまおうかな……」


「何なら俺とエルトが誤魔化してやってもいいぞ、学院側はな。仲間たちは貴様で何とかしろ。そこまでは面倒を見きれん」


「う……サボりに協力……いや、でもこればかりは仕方がないというか……はあぁ……まさかあたしがこんな非行に協力する事になるなんてぇ……」


「マジか? じゃあお願いしよっかな! つーかここまで言われたら聖杯が気になって気になって授業どころじゃねえっつーの! そんじゃ頼んだぜー!」



 おお、誠心誠意説得した甲斐あってさすがのキングオブバカでもある程度は事態の深刻さを理解できたらしい。


 原作では突発的に始まって、ライト御一行は色々な意味で振り回されっぱなしだったアーティファクトの奪い合い……。

 聖杯争奪篇の始まりも、こちらに有利な状況で迎える事ができるだろう。



 ちなみに。



「ん、ライトはどうした? いつもきっちり授業に出てるあいつが欠席とは珍しいな!」


「それはそうでしょう。実はつい昨日、奴は俺やエルトフレイス、そして奴の仲間たちと共に二日かけて未踏破ダンジョンを攻略しまして。その時に魔力を使いすぎたせいで未だにダウンしているのですよ」


「ほぉ、そうなのか!? あいつが冒険者をしているとは聞いていたが……お前たちもだったのだな!」


「この人の従者が実は冒険者で、あたしたちは先導される形をとって参加したってだけですけどね。だから最前線で頑張ってたライトは殊更消耗したみたいで」


「……そうかそうか、本当に仲が良くなったなぁお前たち! 先生は嬉しいぞ!!」



 とりあえず上手く誤魔化せた……かと思いきや、授業後メゾバルド先生にこっそりと耳打ちされた。曰く──


「アーティファクトに関する事だろう? 先生もギルドには伝手があってな。何かあれば協力する、覚えておいてくれ」


 ──との事だった。

 あっ、これサボったのしっかりバレてますねえ!! でも事情が事情だしたぶん大目に見てもらえるやろ。たぶん、きっと。


 大丈夫大丈夫、先生いい人だから。

 先生“は”いい人だから。

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