第一章

桜舞う入學祭

 空は雲一つなく、青が薄く広がっている。ほんの少し視線を落とすと満開の桜がそよ風に揺れる。舞い散る桜の花びらが青空に彩りを加えた。

 小豆色の長着に灰色の袴を着た袴姿の少年が眩しそうに見上げる。

 この季節でしか見られない天気模様に、柚子島藍司ゆずしまらんじはみたらし団子を頬張りながら満足げに頷いた。


「花と団子、うーん贅沢。店のおっちゃんも気前がいいよなぁ。新入生だからっておまけしてくれてさ」


 藍司は歩きながら辺りを見回す。大通りであるこの道の地面が見えないほど、自分と同じ新入生であろう真新しい学生帽を被った男女、その傍に静かにたたずむ影守がひしめき合っていた。


「ここにいる全員におまけしたらあのおっちゃん破産するな」


 それもそのはず今日は入学式。国立魔術学校の新入生を祝おうと街全体がお祭り騒ぎ。魔術学校への一本道であるこの大通りも例に漏れず、屋台が立ち並んでいる。


 そよ風が運ぶのは桜の花びらだけでは無い。食べ物の美味しい香りも漂わせ、学校へと向かおうとする人々の足を止めさせる。ちらほらと美味しそうに食べ物を口に運ぶ新入生が見られた。


「良きかな、良きかな。星蘭も団子食べるか? 美味しいぞ」


 藍司は隣で一緒に歩く水色の着物を着た女性に問いかける。

 豊穣の麦畑を思わせる金髪に無機質な金の瞳。水色の着物には白い燕が描かれている。清廉で人間離れした雰囲気を持つ影守。


 藍司の言葉に耳を貸してはいないのか。前を向いたままなんの反応も示さない。


「美味しいのに」


 星蘭と食の楽しみを共有出来ないことにしょんぼりしつつ、最後のひと串を食べようと口を開ける。


「あっ」


 後ろから押された衝撃で手から団子がすっぽ抜けた。くるくると落ちていく団子を藍司は見ことしかできない。


 横から手が伸びて団子の串を掴む。すらりとした白い手は星蘭のだ。地面に向いた団子を藍司のほうに近づける。


「ありがとな。星蘭」


 団子を受け取って、背中を押した相手にひとこと言おうと振り返る。少女が覚束無い足取りで歩いていた。


 新品の学生帽を被り、帽子からはみ出て肩にかかる程度の茶髪。汚れひとつ見られない、おそらく新品の薄い桃色の着物。気合いを入れて着てきたのであろうそれらはどこかくすんで見えた。


 そう印象抱かせるのは少女の顔が原因だろう。どこか焦点の合ってない目、大きな隈に半開きの口。歩きながら寝ているようで、頭で船を漕ぎながら時々白目になっていた。


「おい、おい!」


 藍司は少女の顔の前で指を鳴らす。ぱちんと子気味いい音が響く。それが眠気覚ましになったのか、少女は背筋を伸ばして声を張り上げる。


「問題ありません! ご当主様」

「問題大ありでしょーが」


 条件反射で答えたのであろう少女の言葉に、藍司は突っ込みを入れる。


 少女が藍司に顔を向ける。大きな二重の瞳に、赤みが差した頬、口紅が走った薄い唇。先程の印象と打って変わって、初々しい少女がそこにいた。


 お互い視線を交差させること数秒、先に口を開いたのは少女のほうであった。


「……どちら様で?」

「寝ぼけてんのか。そっちがぶつかってきたんだろ」

「私にはそのような記憶はございませんが」


 少女は胡乱気な視線を藍司にむけて首を傾げる。


「白目向いて寝てたらそうだろうよ。あんた、直前までの記憶あるか?」

「新入生に相応しい態度で学び舎に向かっておりました」

「嘘つけぇ!」


 とぼけた返答をする少女に思わず言葉を荒らげる藍司。その声に何事かと周囲の人間が見つめる。


「……はぁ、とりあえず歩きながら話すぞ。立ち止まるわけには行かないしな」

「なぜ私があなたと?」

「そんなふらふらの状態の奴ほっとけるか。とりあえず校門の所まで送ってやる」

「お気遣いなく。影守がおりますので」


 そう言って自分の後方を少女は指さす。陶器のような白い肌に艶やかな長い黒髪。紅色の桜が描かれた黒い着物を着た女性が、無表情に藍司を見つめていた。


「そうかい。じゃあな」


 影守の仕事を奪う気は無い、と団子を持っていない方の手をひらひらさせて歩き出す。


 ぐぎゅるるると音が鳴り響く。立ち止まり、振り返ると鳴らしたであろう本人は首筋まで真っ赤になっていた。


「団子食べるか? 美味しいぞ」


 藍司はまだ口のつけてない団子を少女にひと串差し出した。


「……いただきます」


串を受け取り、恥ずかしそうにもそもそとみたらし団子を食べる少女。俯きがちだった顔が上を向いて口元をゆるめた。


「美味しいですね。これ」

「だろ! 行きつけの店になりそうだ。自己紹介がまだだったな。俺の名前は柚子島藍司だ」


少女は目を丸くして一瞬動きが止まる。喉奥に串が当たったのか、えづきそうになった。

「えほっ!!けほっ!? 気狂い乱人きぐるいらんじ?」

「失敬な。初対面の人を蔑称で呼ぶんじゃねーよ」


 藍司は不貞腐れながら訂正を求めた。少女はあたふたしつつ謝罪の言葉を口にする。


「ごめんなさい。まさか噂の張本人が目の前にいるなんて驚いてしまって。ここにいるということは新入生でいいんですよね? おふざけでもなく?」

「大真面目に新入生だ。当然、試験も合格してここにいる」


懐から合格通知書を取り出して見せる。紙にはきちんと柚子島藍司という名前があった。


「それは……すごいですね。噂が本当なら無謀な挑戦と言っても過言ではないでしょうに」

「家の外に流れている俺の噂ってどんなもんなの?」

「あんまり聞いていいものではないですよ」

「俺の予想は超えないだろうな」


彼女はすこし逡巡したがゆっくりと口を開いた。


「国宝造形師を有する柚子島家の落ちこぼれ。魔力を持たない出来損ない。下女と駆け落ちしたとかですね。って大丈夫ですか!?」

「そっかあ、そっかあ。全部漏れてるじゃん」


藍司は項垂れながら話を聞いていた。噂には尾ひれがつくものだが、藍司の噂は正しく周りに伝わっているらしい。星蘭は落ち込んだ様子の主の背中をさする。


「全部が全部、本当なわけではないんでしょう?」


少女の問いに猫背のまま歩きながら藍司は答える。


「いや全部本当だぜ。魔力を持たない落ちこぼれってことも。下女というか魔動人形と家出したのもな。」

「まさか! じゃあどうやって試験を合格したんですか!? 筆記試験が満点でも合格は出来ないはずです」


少女は驚いた顔で詰め寄る。少しのけぞりながら藍司は少女の疑問に答えた。


「筆記というか知識はからっきしだからなぁ。だから実技で結果を出した。魔術学校は頭のでかさよりも自分の影守をどこまで行使できるか、そこを重点的に見てるからな。なんとかなった」


藍司は自分の頭を指で小突く。藍司の言う通り国立魔術学校は知識よりも実技、影守をどこまで動かせるかに重きを置いている。いくら知識を得ても人間が魔術を会得することは出来ない。自由自在に動く


「じゃあその隣にいるのって」

「その噂の下女。魔動人形『星蘭』」


藍司が星蘭の肩に手を置く。相変わらず視線を宙にさ迷わせ反応を示さない。だが、歩く速度は藍司達に合わせて一定のまま。


「私が知っている魔動人形と見た目が違いますね。金髪に金の瞳なんて見たことないです」

「普通の魔動人形とは違うさ。だからこそおれは星蘭と二人で家を出たんだからな」

「普通とは違うってどういう」

「さて、着いたな。話はここで終わりだ」


さらに話を聞こうとした少女の言葉を遮る。約束通り彼女を校門まで無事に送り届けた。目の前に聳え立つ黒い四脚門に目を向けながら藍司は言葉を紡ぐ。


「俺の階級は四級。一般人と同じだ。この魔術学校在学の三年間で俺は国宝級造形師になる。そっちは?」

「寝ぼけているのはどっちですか、全く。年齢を重ねる訳じゃないんです。普通は階級一つ上げるのが精々でしょうに。私の階級は二級です。この三年間で一級に上がり、ご当主様の側仕えとして恥じない人間になります」


藍司は視線を黒い影守に向けた。女性の着物には、花弁が幾重にも重なっている八重桜が描かれている。


「その桜の着物は伊達じゃなかったか。あんた八重桜の側仕えか」

「冠木家当主瀬里様の側仕え、加苅香かがりかおる。影守の名は紅玉こうぎょく。もうあなたと関わることは無いでしょうね。立場も階級も違うのですから」

「すぐに追い抜いてみせるさ」

「大言壮語でないことを祈っています」

「ああ、それと」


先を行こうとする香を藍司は呼び止めた。振り返って見ている香の前に片手を広げる。閉じてまた広げると一本の薔薇がその手にはあった。


「気狂い乱人なんて呼んでくれるな。どうせ呼ぶなら花咲小僧とそう呼んでくれ」







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