海の見える、山の上の喫茶店

紫栞

海の見える、山の上の喫茶店

ここは老夫婦の営む喫茶店。長年憧れだった喫茶店を退職してから趣味程度に開店させた。

場所は海の見える山の上。駅からも比較的近く立地は最高だった。

でも広報力が足りずこんなにいい場所なのに穴場も穴場、いつも閑古鳥が鳴いていた。


「なんか穏やかではあるけどもう少し人に来てもらいたいもんだね。」

「そうねぇ、猫の手も借りたいなんて言ってみたいわ。」

夫婦はのんびり海を見ながらそんな話をしていた。


ある日、全身真っ黒のスーツを着た男性が店にやってきた。

内装はどちらかと言うと可愛い雰囲気の喫茶店に、駅から近いとはいえ山の上の駅にスーツ姿で来る人は珍しい。


「いらっしゃいませ。」

メニューをじーっとしばらく見つめ、あのぉと申し訳なさそうに呟く。

「はいはいっお決まりですか?」

「えーっと、このコーヒーとショートケーキを」

その男はぼそぼそと指をさしながら注文をする。

「以上でよろしいでしょうか?」

対照的に店員さんとして張り切るおばあちゃんは明るく振舞った。


ショートケーキとコーヒーを届けると静かに男は食べ始めた。食べ終わりしばし海を眺め、席を立つ。

「いい、景色ですね。ごちそうさまでした。美味しかったです。」

お金を払い店を出る。夫婦は静かな人だったなぁと思いつつ片付けをしていると忘れ物に気づく。

それはまるで魔法のランプのようだった。


「あらおじいさん、行けない、忘れ物だわ。」

「まだ電車は来る時間じゃないしそう遠くへは行ってないだろう。少し探してみようか。」

大慌てで2人は外に飛び出すが周りには誰もいない。そこに居たのは悠然と歩く黒猫だけ。


「大事なものなら取りに来るかもしれない。」

2人はそう考え大事に保管することにした。


それからしばらくして、女子高生が店に来た。見かけない制服だなぁと感じつつ今どきの制服にはめっきり疎くなってしまった老夫婦は近くの子かもしれないと深く考えなかった。

そしてその女子高生も前の黒いスーツの男同様にコーヒーとショートケーキを注文した。


「月に2人しか来ないんじゃ猫の手を借りるどころか店が潰れちまうなぁ」

のんきにおじいさんが話す。趣味で開いた店とはいえ維持するのだってお金がかかる。そう長く閑古鳥に鳴いていてもらっては困る。


この時2人は忘れていた。魔法のランプの存在を。


のんきにおじいさんがそんな話をしたあと、1匹の黒猫が店に入ってくる。

艶がよく、可愛い目をした猫を夫婦はすぐに気に入った。その猫も触られても逃げることなく、すぐに懐いた。2人は喫茶店で猫を飼うことにした。

「対してお客さんも来ないわけだし猫がいてもいいだろう。」

「そうねぇ、なんだかとっても懐いてるみたいだし、かわいいわ。」


しかしこの猫がとんでもない猫だった。

猫が家に来て1ヶ月が経った。子供連れのお客さんが来店した。猫がいることを気にする様子もなく、むしろ猫が見えたから入店したと言う。

黒猫は嫌がるどころか擦り寄って撫でられたりしていた。


この家族を皮切りに1週間で6組のお客さんが来た。てんてこまいとは言わずとも、こんなにお客さんが来るのは初めてだ。

その次の週には、黒猫に会いに来ただの、ショートケーキが食べたいだのと、口コミを聞きつけた20組ものお客さんが来た。


徐々に夫婦は慌ただしくなり、嬉し忙しい日々を過ごしている。

「急にどうしちゃったのかしら。」

「この黒猫が来てからすごい盛況ぶりだねぇ。この子は商売の神様なのかもしれない。」

そんな老夫婦の店には連日昼時に列ができるほどになった。


「あぁ、猫の手も借りたい。」


ある日の営業後、再び全身真っ黒のスーツ姿の男が現れる。

「いや、この間はすみません。忘れ物をしてしまいまして……」

またぼそぼそと老夫婦に忘れ物を取りに来たと伝える。


「それにしても大盛況ですね。やっぱり景色がいいから。それにご飯も美味しいですから。」

少し笑顔でそう話す男はどこか満足そうだ。

「そうですねぇ、ありがとうございます。何か食べていかれますか?」

「いえ、私はいつも食べていm…いえあの、今日は家に帰ればご飯がありますので」

「コーヒーだけでも飲んで行かれたらいいのに。せっかく来たんだもの。」

「そうですか?ではお言葉に甘えて。」

コーヒーにミルクをたっぷり注ぎ満足そうに飲み干す。


「今回お代は結構ですよ。」

「え、そんな…」

なぜってちょうどおしりの所からしっぽが見えている。コーヒーを飲んで気を許しすぎたあまり術が取れてしまっている。それにこの男が来た時家の黒猫がいなくなっていた。

もうおばあさんにはバレバレだ。

「早くお家に帰らないと心配されますよ。きっとたくさんご飯を準備していますから。」

振り返るとおじいさんは張り切って黒猫のご飯の準備をしている。

「そうですね、ではまた。」

そういってスーツ姿の男がいなくなり、おじいさんが猫のご飯を作り終える頃、どこからともなく黒猫は家に戻りおじいさんに擦り寄って甘えていた。


今では黒猫はこの店の看板猫だ。

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海の見える、山の上の喫茶店 紫栞 @shiori_book

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