田原米寿委員会

いすみ 静江

大切

 田原総一朗殿は、ブラインドのある高層の部屋で、ソファーに腰掛けていた。

 テレビで『田原米寿委員会』を観る為だ。

 田原氏は、令和四年四月十五日、めでたく八十八歳となられる。

 本日、三月吉日は、その企画会議の日だ。

 如何に米寿を寿ぐかが第一の議題としてあるが、果たして出演の田原氏同士、揉めないのだろうか。

 アナウンスを知らせるチャイムが流れる。


『ただいまから、田原米寿委員会が始まります。各、田原総一朗殿は、お静かに』


 誰が司会をしているのかとざわついたが、皆名札の通りに年齢を書いた席に落ち着いた。

 中でも目立つのは、フリーのジャーナリスト、ターニングポイント四十三歳だ。

 彼は、机が揺れる程、貧乏揺すりを止めない。

 会議を始めるブザーが鳴り響いた。


「えー、僕からよろしいかな」


 迷わず挙手が刺さった。


『早速、ターニングポイント四十三歳から。どうぞ』


 司会の声は、マイクで場内に響く。

 テレビの向こうにいる田原氏は、軽く身を乗り出した。


「こちらの本をご覧ください」


 予め予定していたカメラに、しっかと向けた。

 流石、テレビ慣れしている。

 表紙の帯には、ドキュメンタリー・チャレンジとあるのも目を引く。


「僕は、昭和五十一年に、『原子力戦争』で、言論の戦争を引き起こした。二年後、映画にもなっている。原子力の意味する所は、日本人の特段アレルギーとする原子爆弾ではない」


 この中では二番目に年長の喜寿七十七歳などは、頷いている。

 喜寿は、喜の草書を楷書にすると読める文字から、七十七歳のお祝いとなる。


『では、喜寿七十七歳。何か』


「懐かしい話だな。確かに原子力船について扱った。しかし、原子力による発電がメインだ。昨今、放射線と放射能の違いも知らない人が増えている。表紙の文言で、哀しみの記憶に糸を手繰った方も多かっただろうと喜寿になり、振り返っている」


 さっきから活発に手を挙げている者がいる。

 若くても田原総一朗殿だ。

 還暦は、十干十二支が巡って、六十歳のお祝いだ。


『おお、還暦六十歳。どうぞ』


「ターニングポイント四十三歳よ、僕は知っているぞ。それを著しながら、心境の変化があったことを」


『はい。古希七十歳』


 古希は、杜甫の詩から七十歳のお祝いとされる。

 身を乗り出して、耳をそばだてた。


「どんな変化だ」


 ターニングポイントは信念を見せつけたい様子で、貧乏揺すりが激しくなる。

 他の田原氏の椅子まで揺れた。

 

「原子力反対派だけではなく、原子力推進派とも腹を割って話したいと申し出た」


 四十三歳とまだ若い田原総一朗殿が頬を膨らませた。


「僕はだね、ジャーナリストとしては、『原子力戦争』においても勿論だが、一方的な見解が好きではないんだ」


 一口だけお茶を飲んで、唾を飲み込む。


「分かり易い例を挙げよう。ガムが好きな者に言わせれば歯科衛生にいいとも言うし、嫌いなら、公共の道がゴミ捨て場となることを唱えるだろう」


 ターニングポイント四十三歳は分かり易いと、『田原米寿委員会』の多くが頷いていたときだった。


『はい、ばぶちゃん』


 鶴の一声に、ばぶちゃんが指名される。

 年齢は一歳にも満たないが、思考回路は既に田原総一朗殿のニューロンと同じだ。


「違うばぶ。大きい四十三歳は、世間から叩かれた人こそ応援したくなるばぶ」


『はい、ターニングポイント』


 四十三歳は、挙手を幕のように下ろした。


「流石、ばぶちゃんと言いたい所だが、大人になると厳しい側面もあるのを付け加えておく。僕は、金銭で動かない」


 テレビで観ていた田原氏が、ソファーから立ち上がろうとする。


「――我ながら、素直なのに、捻くれた物言いが気になる所だな、『田原米寿委員会』は。あれもこれも田原総一朗自身がいけない。自虐的か?」


 田原氏は、テレビに背を向けて、窓の外を見る。

 夜の帳はすっかり降りているが、ここだけは、電気で灯した明かりが消えない。

 視覚以外で観ることにした。


 番組では、もう直ぐ破裂しそうな場内が、つーんと高地の神社を参拝したような空気になった。

 テレビの向こうの田原氏とシンクロして、立ち上がる者がいた。


『はい、傘寿八十歳。どうぞ』


 傘寿は、漢字の傘から四人の人を取り除けば、八十と読めるので、八十歳のお祝いにいい。

 最年長でもシャキッとして背筋も伸びている。


「僕は、ジャーナリスト云々も気になる所だが、全幅の信頼を妻におけたことが幸せだ」


 場内のあちらこちらから漏れ聞こえて来る。


「素晴らしい方だ……」


「これ以上もこれ以下もないのではないか。米寿を寿ぐには、心のアルバムがいいと思う」


「そうだな」


「ばぶちゃんが、ニューロンでお誕生日にお届けするばぶ」


 ◇◇◇


『本日お集まりいただいた、コメンテーター田原総一朗殿の紹介だ』


 これで、クレジットとなるらしい。


「楽しみばぶ」


「僕の軌跡かな。ターニングポイントだからな」


『はい、私語は謹んで。ばぶちゃんから』


 黄色い声で可愛がられた。


『還暦六十歳』


 拍手が始まった。


『古希七十歳に喜寿七十七歳』


 場内から歓声も上がる。


『なお年齢を増しても活躍する傘寿八十歳、そして、あのときのターニングポイント四十三歳』


 拍手喝采となる。


『都合上見せられないが、米寿もそろそろ加わるだろう』


 米寿は、これから来る、八十八歳のお祝いで、由来は、米の字が八十八から組み立てられることからだ。


『ここから先は、まだお見えではありません。将来を知ってはならないからです。委員会の名札を作ってお待ちしております』


 ぼんやりと二つの影が白く映る。

 後二年もすれば、めでたく、卒寿だ。

 九十歳のお祝いで、それも略字で卆から九十と読めることから来ている。

 白寿は、百引く一が九十九のことから、百引く一で白となり、九十九歳のお祝いが行われる。

 ここまで来れば、大往生過ぎて、ばぶちゃんもびっくりだろう。


『司会は、もう直ぐ四月に八十八歳となる、少し未来の田原総一朗からでした』


「ばぶ!」


【了】

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