05

 一方そのころ、『箱』の外では。


 対戦相手のカチューシャと涼珂は、学校から少し歩いた場所にある複合商業施設内の、アパレルショップにやってきていた。


「ああ! とっても素敵です、スズカ! 背が高くてスタイルのいい貴方なら、きっとそういう服も似合うと思いましたのよ! じゃあ、次は……」

「はは。これで、何着目だろうね? まったくカチューシャは……僕のことを、どれだけ着せ替え人形にすれば気が済むのかな?」

「まあ⁉ 着せ替え人形だなんて、人聞きが悪いですわ。わたくしはただ、さっきのスズカの執事姿に触発されて、もっと色々な貴方の姿を見てみたいと思っただけですわ」

 試着室で、カチューシャが持ってくる様々な種類の服に着替えさせられている涼珂。その様子は確かに、彼女が自分で言ったように「着せ替え人形」そのものだ。だがそんな事を言いながらも涼珂の表情には、気持ちのいい笑顔がこぼれている。

 邪魔者は誰もいない世界で、他人の目を気にせずに「デート」が出来ることが心底嬉しいようだった。


「じゃあ次は、このゆるいシルエットの白のTシャツにダメージパンツと……あちらの、若草色のキャップを合わせて見せてくださいね? 足元は、こちらのスニーカーがよさそうですわ」

「こういうの、なんて言うんだっけ? グランジ系? 原宿とかに、よくいそうな格好だよね」

「それから、その次はこちらにしましょう。黒のドレスにレースのヒダがたくさんついていて、とってもエレガントですわ。それに、少しだけわたくしが着ているドレスにも似ている気もしますし。いわゆる、『お揃いコーデ』というものになるでしょう?」

「ちょ、ちょっとカチューシャ? この僕が、そんな女の子女の子したゴシック風のお人形さんみたいな服なんて……ぜ、絶対似合わないよ⁉ それこそこういうのは、カチューシャみたいな小さくて可愛らしい女の子が着るべきで……」

「あら、そんなことないですわ? だってスズカは、わたくしが知っている中で一番格好よくて、一番可愛らしい人間なんですもの。そんな貴方なら、こういう可愛いお洋服だって絶対に似合うに違いないですわ」

「そ、そうかな……?」

「そうですわよ」

 恥ずかしそうにうつむく涼珂の髪を、カチューシャが優しく撫でる。

「スズカ……貴方の素晴らしさは、主人のわたくしが一番よく知っていますわ。このわたくしの言葉を、信じてくださいませんの……?」

「カチューシャ……」

 少しの恥ずかしさと、それ以上に心の底から溢れ出す喜びによって涼珂は――そしてカチューシャも――、頬をピンクに染める。


「ねえ、スズカ……。わたくし、貴方と一緒にいることができて、とっても幸せよ……」

「……うん」

 涼珂は首を軽く傾けながら、そんな彼女に微笑む。

「そんなこと……言葉にしてくれなくたって、僕にも分かっているよ」

「スズカ……」

 見つめ合っているカチューシャと涼珂。

 おもむろに、カチューシャが涼珂の右の手を持って、その手を同じ側の自分の胸に当てる。右手でカチューシャの控えめな胸に触れる形となった涼珂は、困惑を隠せない。

「ちょっ、カ、カチューシャ⁉ 一体何を……」

 そんな涼珂の顔を、上目遣いに見つめている彼女。その瞳は、わずかに潤んでいる。

「本当に……? わたくしの胸が今、スズカのことでこんなにも高ぶっていることも……分かってくれていますか……?」

 涼珂の手に、カチューシャの心臓の鼓動がダイレクトに伝わってくる。小柄な彼女の見た目に違わず、マーモットやウッドチャックのような可愛らしい小動物を想起させる、小さくて速い鼓動だ。

 カチューシャの手の力が、どんどん強くなっていく。ギュッと胸に押し付けられている涼珂の手に、さっき以上のカチューシャの鼓動が、体温が……彼女の想いが、伝わってくる。

わたくしは、怖いのです……今が幸せ過ぎて。もしもいつか、貴方がわたくしの前からいなくなってしまったら、なんて思ったら……耐えられないのです」

「カチューシャ……」


 涼珂は自分の主から手を離す。そして、その手で彼女の身体を優しく抱き寄せる。

「僕は、いつだってカチューシャと一緒だ。どこにもいかないよ。決まっているだろう?」

 微笑む涼珂。しかし、すぐ近くに見える主の表情は、まだ冴えない。

「……どうすれば、信じてもらえるのかな?」

わたくしの気持ちは、分かってくれているのでしょう?」

 そう言って、カチューシャは目を閉じる。そして、軽く唇を突き出すような姿勢になった。

「……やれやれ、いけないお嬢様だ」

 呆れるように――しかし、同時に喜ばしい笑顔を浮かべながら――、そんな言葉をつぶやく涼珂。やがて彼女も、自分の主の要求に応えて、唇を彼女に近づけ始めた。


 彼女たち以外には、誰もいない世界で。

 確かめるまでもなく、お互いの愛を確信している淑女とメイドが、お互いの身体と身体を寄せている。唇と唇を合わせようとしている。

 それは、美術品のようにとても美しい光景だった。

 疑う余地もないほどにロマンチックで、ムードのある光景だった。

 もはや何者も、彼女たちの邪魔をするものなんてないように思えた。しかし、そのとき。


 ……クゥゥゥ。

 涼珂の身体から、そんな音が発せられた。それは決して大きい音ではなかったが、身体を寄せ合っている彼女の主の耳にも、間違いなく届いたはずだ。更に、

 ク……ククゥ。

 ……グゥゥ。

 小さいながらも、何度も何度も、そんな音が聞こえてきた。

「うふ……。うふふふ……」

 カチューシャから、笑いが溢れる。

「う、うう……」

 合わせて、涼珂の顔が真っ赤に染まっていく。

「もう、スズカったら……お腹が空いているの?」

「……ご、ごめん」

 あっという間に、さっきまでその場に漂っていたロマンチックなムードは、なくなってしまったようだ。


「あ、あはは。この世界だとよく分からないんだけど……もう、夕食の時間くらいなのかな? カチューシャと一緒にいると、時間がたつのを忘れてしまうね? 今日は体育もあったし、放課後にも色々とあった気がするから……。いや、それでも途中までは、我慢できてたんだけど…………ごめん」

「いいえ、気にしないで。むしろ、こちらこそごめんなさい。こことは別の世界からやってきた淑女のわたくしには、空腹感なんて・・・・・・分からない・・・・・のです。だから、貴方がずっと我慢していたことを分かってあげられませんでしたわね? 先に、何かいただくことにしましょう?」

「う、うん。この近くに、おすすめの店があるんだ。ぜひ、カチューシャにも知ってほしいな⁉ た、食べなくても大丈夫なだけで、食べられないわけじゃないんだよね?」

「ええ」

「じゃ、じゃあ、案内するよ! スイーツショップだから、スタッフがいなくても出来上がっている商品があるだろうし」

 恥ずかしさからか……あるいは、今も小さく鳴っている腹の音を誤魔化そうとしているのか、涼珂は饒舌ぎみに言う。そしてカチューシャの手を引いて、逃げるように目的のスイーツショップへと向かった。



 その途中でも涼珂はなかなか落ち着くことが出来ず、場をつなぐようにこんな事を言った。

「そ、そういえば、『箱』の中の彼女たちのほうは、大丈夫かな⁉ 彼女たちもお腹を空かせてたら、か、かわいそうだよね⁉」

「『箱』の、中……はて……?」

 当然カチューシャは、キョトンとした顔を返す。

「あ、い、いや……そうか。カチューシャは、『箱』に閉じ込めたものをすぐに忘れてしまうから……」

「涼珂が何のことを言っているのかは分からないですが……わたくしの『箱』の中は、外とは違う特別な時間と空間が展開されています。ですから、中に入っているものはその間、物質的な特性を変えることは一切出来ません。中に入っている間は、お腹が空くだとか、疲れるだとか、眠くなるというようなことはないのです」

「あ、ああ。そうだったね。確かカチューシャは僕に、そういうふうに教えてくれていたね」

「それは同時に……もしも、どなたかがわたくしの『箱』の中に入ってしまったとして、その方が『箱の中に書かれているはずの脱出条件に従いたくない』なんて、思っていらっしゃるとしたら……。その方はこれから一生……いいえ。それどころか、『箱』の中で亡くなる事もできずに、いつまでもいつまでも『箱』の中に閉じ込められ続ける、ということを意味するのですけれどね」

「ははは。それは、ちょっとゾッとするね……」

 改めて、自分の主の力の凄まじさを思い知る涼珂。今も『箱』の中にいるであろう対戦相手たちのことが、少しかわいそうに思えるほどだった。


(まあそういうことだから、あのたちも早いところ『脱出条件』を実行して、出てきてくれるといいんだけどね。僕だって、同じ学校の女の子を、いつまでも『箱』に閉じ込めておくなんてしたくないし。まあでも、基本的にそんなに難しい『脱出条件』は書いてないはずだから、あの二年の古川って娘だって、すぐに出てこれるよね…………って、あれ? あの子の名前って、古谷じゃなかったかな? いや、それとも古畑……? え、っとー……)


「スズカ、どうしたの?」

「え? あ、いや。なんでもないよ」

 そこで、余計なことを考えるのをやめて、あとは目の前のカチューシャのことに集中する涼珂。邪魔者のいない彼女たちだけの世界で、目的地のスイーツショップに向かった。


 もう既に、瑠衣たちの記憶は、『箱』の外から消えかかっているようだった。

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