第五戦 試される、絆と絆 vs 清純お嬢様

01

 瑠衣の住む都市と、その隣の県の地方都市とを結ぶ単線の鉄道路線がある。険しい山が立ちはだかっている県境に近づくにつれて建物などの人工物は少なくなって、木々や小川などの景色が増えてくる。きっと秋にもなれば、車中からは美しい紅葉を臨むことができるだろう。だがその時期にはまだ少し早い今は、進行方向の右も左も、緑に覆われた典型的なド田舎のローカル鉄道の風景だ。

 その路線の、隣の県を起点とする下り線の車内に、瑠衣とマリーがいた。

 人もまばらな車内。七、八人が座れる長い座席の左隅に、いつもどおりのゴージャスなドレス姿で座っているマリー。その姿は、普通の感覚からしたら少し浮いて見えるはずだ。しかし、やはりこれもいつもどおりのこととして、周囲の人間がそんなマリーのことを不思議がっている様子はなかった。『淑女』の存在が現代日本に違和感なく馴染んでしまうという『設定』は、相変わらず有効のようだった。


「瑠衣……。貴女って、やっぱり少し変わっているわ。こんなことが好きだなんてね」

「ご、ごめんなさい……」

 マリーのすぐ隣で、自分は立ったまま窓から外の風景を見ていた瑠衣が、申し訳なさそうにそう答えた。


 週末の休みを利用して、一時間半ほどかけて隣の県の終点駅まで行ってきた彼女たち。その駅周辺で、昼食と軽く観光のようなものをしたあと、今はまた出発駅まで戻ってくるところだ。実はこのイベントは、前回の『お転婆お嬢様』のチャオイン戦のときに約束したもの。つまり、マリーが瑠衣のことをもっとよく知るために、「瑠衣の本当に好きな場所に連れて行く」という目的を果たすものだ。

 だが……だからといって隣県の終点駅が、その「好きな場所」いうわけではない。


「なんで謝るの? 別に私、責めているわけじゃないわ。自分が好きなものを恥じる必要もない。ただ、個性的って言っただけよ」

 マリーは当たり前のようにそう言うと、自分が座る座席の向かいの窓から、外の風景に目を移す。瑠衣も、そんなマリーと目を合わせるわけでもなく、自分の近くのドアのガラス窓から外を見ている。


 瑠衣が本当に好きな場所……それは、駅や都市などといった特定の目的地ではなく、その目的地へと向かって移動する過程。特に、早朝や夕方などの人が少ない時間にローカル電車に揺られている時間が、一番好きだったのだ。

 今まで、そんな自分の趣味を他人に共感してもらえるとも思えなかったので、誰にも言わずにいた。しかし、ほんの数週間前に突然現れただけのマリーは、そんな遠慮を取り去ってしまった。

 瑠衣のことをもっとよく知るために、彼女は瑠衣の好きなことを教えてほしいと言った。そしてそれを知った今、「自分の好きなものを恥じる必要はない」と言って、受け入れてくれた。瑠衣にはそれが、とても嬉しかった。

「あ……ありがとう、ございます!」

「……別に、褒めているわけでもないのだけどね」

 その感謝の言葉の意味が分からなかったらしいマリーは、呆れた様子で首をかしげていた。


「電車から、風景を見たりするのが好きなの?」

「い、いえ……。むしろ、なんていうか……周囲の雑音とか、電車の揺れに身を任せているのが好き、というか……。電車に乗って考えごとをしていると、そのうちそういうノイズが気にならなくなってきて、いつの間にか自分が電車の一部になってガタゴト揺れてるような気分になって……って言うと、ちょっと痛い人みたいですけど……。でも、なんかそんな感じが、好きなんです……」

「ふうん。じゃあ私は、あまり貴女に話しかけないほうがいいのかしら?」

「そ、それは……」

 瑠衣は少し考えてから、勇気を振り絞るようにして言う。

「……で、できれば、マリー様ともっとおしゃべりしたいです。マリー様が私を知ろうとしてくれるように、私もマリー様のことを、もっと知りたいので。こんな機会、今まであんまりなかったから……」

「そう……ふふふ」


 それから。

 ガタゴトと電車が揺れる音がだけが聞こえる静かな車内で、外の風景に視線を向けたままの二人は、とりとめのない話を続けた。それは、あまりにも地味で、特筆するようなことは何もない……まるで、学校帰りに同じ電車に居合わせた友人たちが交わすような、普通の会話だった。



「ぎゃ、逆に、マリー様の好きな場所ってどこですか? 好きなもの、とか。好きな食べ物とかでも、いいんですけど……」

 他愛のない世間話の続きとして、瑠衣が尋ねる。

「好きな場所……好きなもの……ね。まあ、無いことはないのだけど……そういうのは結局、『主催者』によって作られた『設定』にすぎないのよ。だから、貴女が今日教えてくれたみたいな、自分自身の性格に深く結びついた好みとは、根本的に違うと思うわ。『設定』によって決められた『好きなもの』に触れることは、確かに気持ちが落ち着くような気もするのだけど……でも、どこか無理があるというか、わざとらしいというか……。理性としては確かに理解できるのだけど、私の本能がイマイチそれを拒絶しているというか……。そう言う意味では、私にとっての本当に『好きなもの』っていうのは、あんまり思いつかないわね」

「そ、そうっすか」

「ああ……でも」

 そこで、少しイタズラっぽく横目を向けて、マリーがつぶやく。

「貴女の、『ただ電車に揺られている時間が好き』という気持ちは……少し、共感できてきた気がするわ」

「……はい!」

 瑠衣は照れて、小さく顔をうつむかせる。しかし、彼女はすぐにその顔を上げて、マリーに言った。

「あ! そ、そうだ! じゃあじゃあ、私のお願い、それにします!」

「え?」

「ほ、ほら……たしか結構前にマリー様が、『私のお願いを一つ叶えてくれる』なんて言ってくれましたよね⁉ あのあとすぐカチューシャちゃんと戦ったりいろいろあって、結局、なあなあになっちゃってましたけど……。でも、今決めました! 私、マリー様と一緒に世界中を旅行とかしたいです! それで、『主催者』から決められた『設定』とか関係なく、マリー様が心の底から本当に好きだって思える場所とか、物とかを、探しに行きたいです! 私に、『マリー様の好きなもの探しをさせてください』っていうのを、叶えてほしいお願いにします!」

「瑠衣、貴女……」

 驚きで、目を大きくして絶句するマリー。その表情には少なからず、「喜ばしい気持ち」も含まれているようだ。


 しかしそれから彼女はすぐに落ち着いて、いつも通りの余裕のある調子で言った。

「それは、面白そうね。叶えられるなら、叶えて欲しい気もするわ……でも、少し難しいかもしれないけどね」

 その言葉の意味がわからず、キョトンとしてしまう瑠衣。しかしすぐに、慌てて付け加える。

「あ、あー⁉ 世界中を旅行って言っても、別に一度に一気に行こうとしてるわけじゃないですよ⁉ 流石に、そんな時間とお金に余裕が出来るようになるまで待ってたら、いつになるかわかんないし……。だ、だから、何回かに分けて少しずつ旅行していけたらいいですね、って話ですよ? 毎年一回くらいで、時間をとって一緒にどこかに行くとか⁉ 将来私たちが大人になってからも、何年もかけて、少しずつ色んな所を回っていけたらって……」

 そんな彼女に、マリーは逆に尋ねる。

「ねえ、瑠衣……もしも私が、突然いなくなってしまったら、どうする?」

「え……? マ、マリー様、いなくなっちゃうんですか? そ、それってもしかして……私、マリー様のメイド、クビってこと、ですか……?」

「はあ……。どうして、そうなるのよ」

 相変わらずネガティブで自信のない瑠衣に、呆れているマリー。


 しかしそれから彼女は表情に小さな陰を落として、こう言った。

「この戦いがすべて終わったら……私は、この世界から消えてしまうかもしれないわ」

「えっ」

 今度は、瑠衣のほうが目を見開く。

 マリーは、そんな彼女から視線を外して、静かに語り始めた。


「そもそも……私たち『淑女』の存在って、あまりにも、異常すぎるのよね。私は最初に瑠衣……貴女に、私たちは『異世界からやってきたお嬢様だ』なんて言ったけど。でも、それって本当のことだと思う?」

「そ、それは……」

 瑠衣は答えが見つからず、言葉をつまらせる。

 マリーは特にそれをとがめるでもなく、むしろ、何かに安心したかのように「……ふふ」と、少しだけ優しく微笑んだ。

「何も食べなくてもいい、眠らなくてもいい。でも、見た目は普通の人間たちと何も変わらなくて、この世界に違和感なく溶け込んでしまえる。しかも、不思議な異能力まで使える……そんなの、おかしいわよ。いつか貴女も言っていたように、私たちはあまりにも存在自体がわけが分からなくて、人間離れしすぎている。そんな私たちが、もともとどこかの『異世界』に存在していたなんて、さすがに無理があるわ。だから……私たちがやってきた『異世界』なんて、そもそも存在しないのよね、きっと」

「で、でも……それじゃあマリー様たちは、どこから……?」

 当然の、瑠衣の質問。それに対してマリーは、何か思いつめたような寂しそうな笑顔で、答える。

「きっと私たちは、戦いのために『設定』を用意された異世界人なんかじゃなく……その存在自体が、この『淑女とメイドの戦い』の『主催者』によって考えられた、『設定』なのよ。私が瑠衣に最初に出会ったあの日……私はどこかの『異世界』から召喚されたわけではなく、あの日のあの瞬間に、この世界に生まれたの。あの瞬間に、私はこの戦いのために用意された駒の一つとして、何もない無の状態から『主催者』によって作られたのよ」

「そ、そんな……」

 その言葉は、瑠衣にとって青天の霹靂……というわけでは、なかった。


 彼女も、実はそれと同じようなことを、すでに考えていた。

 ある日突然眼の前に現れた、美しいお嬢様のマリー。その見た目も、そして名前も……明らかに、この瑠衣の暮らす世界の、フランスを意識していることは明らかだった。それに、小鳩の主のセーラはきっとイギリス、カチューシャなんて明らかにロシア語圏の名前だ。それなのに、彼女たちはみんな、普通に日本語を話していた。現代日本の瑠衣たちと同じような価値観を持っていて、普通にコミュニケーションを取れていた。そんなことが、あり得るだろうか?

 『淑女とメイドの戦い』の舞台として日本の瑠衣がいる都市が選ばれたので、そこに召喚された『異世界』のお嬢様であるマリーたちも日本語が使えるようになった、という『設定』なのだろうか? だとしても……そんなの、あまりにも都合がよすぎる。

 だから瑠衣も、本当はわかっていたのだ。

 マリーたちの存在は、この『淑女とメイドの戦い』にとって都合のいい存在として、『主催者』によって作られた『設定』……。


「私の目的は、私たちをこんな下らない戦いに巻き込んだ『主催者』に会って、それをやめさせること。『主催者』に、歯向かうこと……なのよね? でもそんな私の存在自体が、もともと『主催者』が作ったものであるならば……。『主催者』がプロフィールや『設定』を考え、ある日突然無から生み出したものだとしたら……。私がその『主催者』に歯向かって、その人物を怒らせてしまえば……きっと瑠衣に会った日に突然生まれたときと同じように、ある日突然存在を消されてしまったとしても、仕方ないわ」

「そ、そんな……」

「だからきっと私には、これからもずっと貴女と一緒にいられるなんて、期待しないほうがいいのよ。普通の人間の貴女と同じような『将来』とか『大人になったとき』なんてないし……『貴女と一緒に自分の好きなものを探す旅行をする』なんて、きっと出来ないのよ。ま……淑女には戸籍も国籍もなくてパスポートが取れないのだから、元から海外旅行なんて無理なのだけどね」

 最後はおどけて見せるマリー。しかしそれは明らかに、どうやっても避けようのないことに対する諦めのような、心の中の静かな悲しみをごまかすためのものだった。


 それに対して、瑠衣は必死な感情を露わにしている。もうすでに景色なんて見ていない。しっかりとマリーの方をみて、言う。

「じゃ、じゃあ! こんな戦い、やめちゃえばいいじゃないですかっ⁉ だ、だって、今まで私たちが戦ってきたお嬢様たちも、勝負に負けても、みんな普通に暮らしてるんですよね⁉ 消えちゃったりとかせずに、普通にこの世界にいるんですよね⁉ だ、だったら、マリー様も次の勝負はわざと負けて、戦いから降りちゃえばいいんですよ! そ、それか、このまま誰とも戦わないで、ずっと逃げ続けているとかも、アリですよねっ⁉ そ、そうすれば『主催者』にも目を付けられることもなくって、存在を消されることだって……」

「多分、ムダでしょうね」

 冷酷に、首を降るマリー。

「この戦いの『設定』自体が、結局の所、すべて『主催者』次第なのよ? だからたとえ今、戦いの敗者たちには何のペナルティもなく普通に暮らせているとしても……これからもそれが続くなんていう保証は、どこにもないわ。むしろ、この戦いに優勝者を決めるという目的がある以上……その優勝者が決まってしまえば、それ以外の淑女はみんな用済みになって始末されてしまう。今はまだ、優勝者が決まっていないから、かろうじて見逃してもらっているだけ。そんなふうに考えるのが自然じゃないかしら? それどころか、こんな理不尽な戦いを強いる『主催者』のことだもの……たとえ私たちのペアがこの戦いの優勝者になれたとしても、それで安心できるとは思えない。もしかしたら、戦いが終った瞬間に、すべての淑女はあっさりと消されてしまうことだって……」

「そ、そんな……そんなこと……そんなことなんて……!」

 私が絶対に、させません!

 そんな、らしくもない根拠のない強がりを瑠衣が叫ぼうとしたとき。


「でもね……」

 マリーが、落ち着いた口調で、こう続けた。

「だから、こそ。どうせ消えるなら私は、瑠衣……貴女と一緒にこの戦いを最後まで勝ち抜いて……貴女のパートナーとして、消えたいわ」

 そのときのマリーの、初めて見るような優しい笑顔に、瑠衣は何も言い返せなくなる。

「……」

 だから、彼女はただ一言、

「……はい」

 とだけ答えることしか出来なかった。

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