02

 駅名を繰り返す、車内アナウンスが響く。すでにガタゴトという音や揺れはだいぶ小さくなっている。もうすぐ、朝出発した駅に到着するようだ。

 それに合わせて、さっきまでのとりとめのない話は打ち切られる。


 マリーは今は、瑠衣の家に居候として一緒に暮らしている。相変わらず瑠衣の両親は留守がちで、家では二人きりになることも多い。だが、最初のころの気まずさはなくなり、最近の二人は、家でも割と普通に話したりするようになっていた――結局、マリーが自分の入浴時に、瑠衣に体を洗わせたり拭かせたりすることはなかったが……。

 だが、そんなふうに確固とした関係性が出来上がっていた彼女たちでも、さっきの話の続きはもうできないだろう。

 これまでマリーは、自分が優勝したあとの未来や、将来の話を、あえて避けているようなふしがあった。それはきっと、彼女が自分の存在の危うさに気付いていたからだ。

 『主催者』の気分次第であっさりと消されてしまうかもしれない、儚い存在。それが、人間とは違う『淑女レイディ』として生み出された宿命で、そんな自分には未来や将来は存在しない。「瑠衣の願い」も、叶えることは出来ない。

 その事実があまりにも動かし難くマリーの上にのしかかっているように思えて……瑠衣もマリー自身も、その話題に触れることを遠ざけてしまうのだった。



 ……………………………………………………



 電車が到着しても、やはり二人は無言のまま改札に向かう。それから一旦駅舎を出たあと、すぐ眼の前にあるエスカレーターで地下に降りて、地下鉄駅に入る。その駅から瑠衣の家の最寄り駅までは数駅だ。何も無ければ、地下鉄の車内でもこのまま。お互いに微妙な雰囲気を引きずったまま、今日の『デート』は終了となってしまうのだろう。

 ……しかし、実際にはそうはならなかった。



「……待っ、て……」

 地下鉄の改札近くまで来ていた瑠衣たちの後ろから、蚊の鳴くようなかすかな声が聞こえてくる。

「?」

 マリーは気づかなかったのか、そのまま改札に向かって進み続けている。瑠衣も、一瞬立ち止まるが、気のせいと思ったのかまたすぐにマリーを追いかける。

 しかし、

「……待、って……瑠衣、ちゃん……」

 さっきよりは比較的大きめの音量――しかし、せいぜい「蚊の鳴くような声」の蚊が、一匹から二匹になった程度――で、もう一度そんな言葉が聞こえてくる。ようやく瑠衣もちゃんと立ち止まって、その方向を振り返った。

「あ、あなたは……」

 そこにいたのは、不健康そうに背筋を曲げた、地味な表情のメイド服の少女。そして、その隣に立つ純白のドレスを着た美しい淑女だ。メイドのほうは、やはり今回も瑠衣と同じ学校の生徒だった。


 幸島こうじまステラ。

 これと言った特徴もなく、校内でも目立つ方ではない……というより、瑠衣と同じ陰キャで、スクールカースト底辺付近の住人の一人。瑠衣のように誰かからイジメにあっていたというほどではないが、その分、基本的には一人でいることが多く、笑顔を見ることも滅多にない。勝手に同族意識のようなものを感じて親近感を持っていた瑠衣でも、その声をちゃんと聞いたのは今日が初めてかもしれない。そんな、透明な空気のように、存在感の薄い少女だ。


 一方の隣の淑女のほうは、そんなステラとはまるで違う。

 真っ白で透き通った透明感のある肌に、シルクのように輝く長いストレートの銀髪。結婚式の花嫁のような、純白のドレス。肘まで隠れる真っ白な長手袋ロンググローブまでつけている。

 控えめに言っても、雪の妖精。あるいは、汚れを知らない純真無垢な美の化身。

 全身を漂白されたのかと思ってしまうほどの潔白さは、どんな美白化粧品でも実現できないくらい現実離れしていて、もはや白昼夢。百人に聞いても千人に聞いても、その全員が間違いなく美人だと答えることが明白な、これまで出会ってきたどんな淑女よりも淑女らしい完璧な容姿だ。

 すでに地下鉄駅の構内は、瑠衣とマリーと彼女たちの四人以外の人間が消えている。当然、瑠衣の格好もいつものメイド服になっている。流石にもう何度も同じような状況になっていたので、瑠衣も今更この状況に驚いたりしない。マリーを守るように彼女の前に立ち、新しく現れた自分たちの敵の出方をうかがった。


 やがて真っ白な格好の淑女が、瑠衣たちに向かって話し始める。もちろんその口調は、彼女の見た目にふさわしく上品で清楚な…………いや。

「おめーら、おっせーんだよっ! いつまで待たせんだよっ!」

「……へ?」

「ま。おかげでこっちは、おめーらをぶっ倒すための準備をばっちり済ませちまったけどなっ!」

「……はあ?」

「今までは負け知らずだったかもしらねーけど、それも、今日で打ち止めだぜ⁉ おめーらは今日ここで、『清純お嬢様』の俺……ユーリア・アーデルハイドと、そのツレのステラによってバチボコにブチのめされるんだからなっ!」

 おしとやかに閉じられていた口を開くと、中には、サメやワニのようにギザギザの三角歯。その隙間からは昭和のパンクロッカーのジャケ写のようにアナーキーに舌を出し、さらには上品な白い手袋をはめた両手で、瑠衣たちに向けて中指を立ててさえいる。さっきまで黙っていたときの雰囲気は、一瞬で消え失せてしまった。

「いやいやいや……」

「……」

 何を言ったらいいのか分からない様子の瑠衣。視線を感じて後ろを振り返ると、そこには、彼女とほとんど同じような表情で呆れている主の姿があった。

 瑠衣の気持ちを代弁するように、マリーはつぶやく。

「まったく……貴女のどこが『清純』なのよ?」

「ああん? っんだとコラァ⁉ おめー、俺のことをバカにしてんのかよ! もう一回言ってみろ!」

 マリーのそのつぶやきを侮辱されたと思ったのか、ガンを飛ばす『清純お嬢様』のユーリア。対するマリーも、ひるまずに返す。

「ええ、何度でも言ってあげるわ。貴女のように下品で粗暴な人間に、『清純』なんていう肩書はもったいないって言ったのよ。そういう肩書は、誰よりも清純で高貴で美しい、この私にこそふさわしいものだわ。分かった? 分かったなら、おとなしく負けを認めて、その肩書を私に譲りなさい!」

「あ、あー……」

 最初に出会ったとき、マリーが『傲慢お嬢様』という自分の肩書を恥ずかしがって教えてくれなかったことを思い出す。

(そういえばあのときも、自分で『清純お嬢様』とか名乗ってたし。マリー様って、実は結構自分の肩書にコンプレックスもってたんすね……)


 もちろん、あらかじめ『設定』として決められているお嬢様の肩書を、勝負の結果や本人たちの意思で他人に譲渡するなんてことは出来ない。しかしそうでなくても、ユーリアが、そんなマリーの横暴な言葉に応じるはずもなかった。

「はっ、くだらねーこと言ってんじゃねーよっ! この『清純お嬢様』っつー肩書は、ステラが俺と『契約』したことで手に入れた……いわば、俺とステラの絆のあかしみてーなもんなんだぜ⁉ 『くれ』って言われて、くれてやれるわけねーだろーがっ!」

「ふうん。だけどそもそも、貴女みたいな野蛮な性格の淑女じゃあ、そこのメイドとも不釣り合いなんじゃないかしら? 別に、貴女たちがどんな関係なのかなんて興味はないけれど……正直言って、私には貴女たちの間に絆なんてあるようには、とても思えないわ。どうせ、見るからに粗暴な貴女のことだから、主従の『契約』だって強引に結んだものなんじゃないの? その、大人しそうなメイドの娘を、力づくで言う通りにさせたとかで……」

「あ、ああんっ⁉ て、てめーっ! 俺だけならまだしも、ステラのことまでバカにすんのは、マジで許さねーぞっ⁉ そ、そんなくだらねーことばっか言うその口を、二度ときけなくしてやろーかっ⁉」

 メイドのステラに言及されて、一層熱くなるユーリア。マリーは、そんな彼女を更に煽るように続ける。

「ああ、『契約の行為』自体も、さぞかし乱暴で見るに耐えないものだったに違いないわ。きっと、相手のことなんて考えてないような、野獣のようなキスだったのでしょう? あーあ。貴女のような乱暴者の主と契約させられてしまったメイドの娘が、かわいそうに思えるくらいで…………あら?」

 そこで、マリーは何かに気づいて言葉を止める。

「……っ。……ぅ」

 さっきまで、田舎の不良ヤンキー娘のようにマリーに噛み付いていたユーリアが、陶器のように真っ白だった肌を真っ赤に染めて、急に黙ってしまったのだ。

「な、何よ……急に?」

「ばっ、か……う、うぅ……」

 その豹変ぶりに、戸惑ってしまうマリー。しかし、やはりそこは根っからの『傲慢お嬢様』である彼女だ。調子を崩したユーリアにも、情けをかけることもなくさらに追い打ちをかける。

「ああ、私が言ったことが図星過ぎて、慌ててしまったのかしら? やっぱり、そうなのね? 乱暴者の貴女は、その娘を自分のメイドにするために、嫌がる彼女に対して何度も何度も、無理やりキスをして……」

「バ、バ、バ……バカ言ってんじゃねーよっ!」

 何かに我慢できなくなったらしいユーリアが、顔を真っ赤にしたまま叫ぶ。

「こ、こ、この俺がステラに、力づくで、無理やり何度もキスしたとか……そ、そんなわけねーだろーがっ⁉」

「どうかしら? 貴女のような人が、私のように高潔でエレガントなキスをできるわけないんだから……」

「つ、っつーかっ! お、俺は、ステラとキスなんてしてねーしっ!」

「え?」

 思わぬことを言ったユーリアに、マリーは怪訝な顔を作る。

「それは、おかしいでしょう? 私たち淑女がメイドと主従の『契約』を結ぶには、その証として口づけ……キスが必要なはずよ? それをせずに『契約』を結ぶことなんて出来ないわ」

「お、俺とステラは……あれだよっ! け、契約書的なもんを書いて、それにハンコとか押して……それで、契約結んだんだよっ! そ、そうだよっ! それ以外のことは、何もしてねーよ! ま、まして、キスなんて……」

 ユーリアは真っ赤な顔をうつむかせて、もじもじと何かを口ごもる。

「だ、だって……、だってよぉ……」

 しかしやがて、さっきまでとはまるで違う小さな声で、こんなことをつぶやいた。

「キ、キ、キスなんかしたら……こ、子供が出来ちまうだろーが……」


「へ?」

「……は、はい?」

 瑠衣は当然として。いつもクールな表情のマリーでさえも、珍しく間の抜けた表情になる。


「あ、あのー……えーっとぉー……」

 恥ずかしそうにもじもじしているユーリアと、呆れきってしまったマリー。このままだと話が進まなそうだったので、瑠衣が恐る恐る口を挟む。

「た、多分……っていうか。普通に、間違いなく、なんですけど……。キスしても、子供は出来ませんよ?」

「あァん⁉」

 顔を赤くしたまま、瑠衣をにらみつけるユーリア。照れ隠しするように、早口で説明を始めた。

「ば、ばっか、おめー、何も知らねーんだなっ⁉ ったく、いい年して恥ずかしいやつだぜっ! しょうがねーから、俺が教えてやんよ! いいか、赤ちゃんっつーのはな、コウノトリさんが運んでくるんじゃねーんだよ。赤ちゃんっつーのは、好きなもん同士が口と口でキスをすると、そんときにお互いの体の中の細胞的なもんが交換されて、溶け合ってだな……そ、そのうち、相手の細胞とくっついた細胞が、腹の中で大きくなってきて、人の形になってきて……さ、最後にはそいつの股の間から…………う、うがぁー! こっから先は、おめーらの親に聞けよっ!」

 ユーリアのその様子は冗談や演技ではなく、自分の言っていることを完全に信じ切っている様子だ。そんな彼女が見ていられず、瑠衣は口をはさもうとする。

「だ、だからね? あのー……」


 しかし、それよりも先に。

 今までずっと大人しくしていたメイドの幸島ステラが動く。彼女は急にその場にしゃがみこむと、苦しそうに腹部を抱えてうなり始めた。

「……う、ううっ……」

「お、おいっ! ど、どうしたステラっ⁉」

 すぐにその異変に気づいたユーリアが、彼女のもとに駆け寄る。

「ハ、ハラが痛ぇのかっ⁉ なんかの病気か⁉」

 ステラの背中をさすりながら、オーバーなほどに心配するユーリア。しかし、ステラは更に具合悪そうに口元をおさえる。

「……うっ……気持ち、悪い……」

「ま、まさか、昼飯で一緒に食った生ソーセージロー・ヴルストにアタッちまったのかっ⁉ よ、よし、分かった! こんなことしてる場合じゃねーな! すぐ病院いこう⁉ なっ⁉」

「……ち、違う……」

「な、何が違うんだよ⁉」

「…………酸っぱいものが、食べたい……」

「え? す、酸っぱいものって、それってお前……ま、まさか……つわり……? あ、あの、俺との最初の一回のキスだけで……で、出来ちまったって、ことかよ……」

 驚きの表情とともに、体を震わせているユーリア。

 そこでステラは自分の腹に手をあててから、ニッコリと彼女に微笑んで、こう言った。

「……今、お腹……蹴った……」

「おい⁉ もうそんなに大きくなってんのかよ⁉」

「……に、認知、してくれる? 私たちの赤ちゃん……産んでもいい、かな……」

 慌てふためいているユーリアの手を握り、そう尋ねるステラ。ユーリアは即答する。

「あ、あったりめーだろっ! ステラと俺の子供を、認知しねーわけねーだろっ! 俺たちと赤ちゃんの三人で、世界一幸せな家庭つくろーなっ⁉」

 そこで、首を降るステラ。

「……三人、じゃないよ……。お腹の中……一人じゃない、から……」

「え……」

 一瞬たじろぐが、またユーリアはすぐに答える。

「な、何だよ、それを早く言えよっ! そんなの、余計いいニュースじゃねーかよっ! ステラの子供なら、双子だろうが三つ子だろうが、みんな大歓迎だぜ! だからステラは、安心して赤ちゃんたちを産んで……」

「……お腹の中……五人……」

「ご、五人⁉ 五つ子⁉」

 絶句するユーリア。

 しかしすぐにその表情は優しく落ち着いたものになる。そして、目にうるうると涙をためながら、静かに言った。

「そ、それじゃあ……みんなが大きくなったら、バスケチーム……作ろうな?」

「……ユーリア、ちゃん……」


 優しい表情で抱きしめあっているステラとユーリア。

 もちろん、本気にしているのはユーリアだけ。標準よりも小柄で、五つ子どころか一人も子供をみごもっているはずのないお腹を抱えているメイドのステラは、ユーリアのことをからかって遊んでいるだけだ。


 少し離れたところでその二人を見ていた瑠衣とマリーは……、

「いやいやいや……」

「負けたわ……。言葉遣いや態度はともかく、疑うことを知らない愚直なまでのあの純粋さは、間違いなく『清純お嬢様』ね……」

 と、呆れ返っていた。

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