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「ふふーん。ルイルイ、目つきが変わったねー? やーっと本気になってくれたってことかなー?」

 マリーの言葉を聞いてメイドとしての自覚に目覚めたらしい瑠衣の様子に、万千華はニヤニヤ笑いを浮かべている。さっきの一連の出来事を、純粋に楽しんでいるらしい。

 しかし、だからといって彼女は手加減したり、油断したりはしない。改めて、スキのない空手の型で瑠衣に身構える。

「でも、あーしだって本気だからね? そう簡単に負けるつもりないからねー?」

 精神集中するように、静かに深呼吸する万千華。

 次の瞬間、彼女の両手両足に展開されていたオーラが一段と濃く、大きくなった。


「くっ……」

 離れていても圧倒されるようなそのオーラの凄まじさに、思わず右腕で顔を覆う瑠衣。相変わらず、彼女の体で『極上の使用人メイド・イン・ヘブン』のオーラをまとっているのはその右腕だけで、そのエネルギーも万千華のものと比べると小さい。実力差は明らかだ。

 だが彼女はもう、無策のまま相手に突っ込んでいったりはしなかった。


(マンちゃんは確か、空手を習ってたって言ってたっけ……。ってことは、それって逆に言えば、彼女の攻撃や防御は空手のスタイル通りってこと。つまり、空手のルール的に反則だったり、あんまり空手っぽくない攻撃なら、彼女の意表をつくことが出来るってことじゃない? 例えば……投げ技って、空手にはあるんだっけ? それか、猫騙しとか道具を使った攻撃とか……)

 彼女はさっきからずっと、考えていた。

 能力も知力も何もかも劣っている自分が、万千華に勝つにはどうすればいいのか。圧倒的な実力差を認めた上で、自分がそれに勝利することを諦めていなかった。注意深く、用心深く、執念深く、自分がマリーのメイドでいられる方法を、探り続けていた。

(ち、違う、ダメだ! 戦いが得意な相手に純粋な戦いのまま挑んでいる限り、どんな方法だって勝ち目なんかない! そうじゃなくって、マンちゃんが得意としていないこと……マンちゃんよりも私のほうが優れていることで、挑まないと……)

 瑠衣の頭の中には、彼女が経験してきた今までの戦いの記憶が蘇ってくる。


 …………相手の得意な分野フィールドに合わせて戦っている限り、私たちの勝算は薄い。逆に、相手をこちらの得意分野に付き合わせてあげればいいのよ…………


(でも、私の得意な分野って……そんなもの、本当にあるの? すべてにおいて私よりも優れているマンちゃんに、私が勝っていることって……)

 強く記憶に残っているのは、マリーの言葉だ。まるで彼女が耳元でその言葉をもう一度繰り返しているかのように、現実味を帯びて聞こえてくる。


 …………瑠衣、貴女どうしてわからないの? 私たちが、こんなところで負けるわけないでしょう…………


(これまでは、マリー様がいてくれたから勝つことが出来た。最強で完璧なマリー様が私をフォローしてくれたから、戦ってこれた。でも、今は私一人でマンちゃんと戦わなくちゃ。私一人だけで、この戦いを勝ち抜かないと…………え?)

 そっと、視線を観客席に向ける瑠衣。そこで彼女は気づいた。

 そこにいた二人のマリーも、こっちを見ている。瑠衣がマリーのことを考えているように、彼女たちも今、瑠衣のことを考えくれている。


…………ご主人様の私の声だけを聞いて、私のことだけを考えてみなさい……それ以外の余計なことは何も見なくていいし、何も考えなくていいわ……貴女は私のメイドなんだから……出来るはずよ…………


(そ、そうか……違うんだ。私は今、一人で戦ってるわけじゃないんだった……。だって……だってマリー様は……)


 …………瑠衣……貴女って、意外と…………


(うわぁっ⁉ ち、違う! この記憶は今は関係なかった! そ、そうじゃなくって……)

 慌てて頭を振って、勝手に浮かんできた「主従契約のキスの直後に気だるそうに微笑んだマリーの顔」をかき消そうとする瑠衣。しかし、そのイメージのインパクトがよほど大きかったのか「その顔」はなかなか頭から消えてくれず、瑠衣は冷静さを失ってしまう。

 しかも……。

「油断大敵……だよー?」

「はっ⁉」

 その声に気づいたときにはすでに、オーラをまとった両足で高速移動した万千華が、瑠衣の懐に潜り込んでいた。

(ヤ、ヤバい、突きがくる!? そ、それとも、さっきの中段キック!?)

 急いで、オーラで覆われた右腕でガードしようとする瑠衣。

 しかし万千華の攻撃は、瑠衣の想像のどれでもない。姿勢を低くして、右脚で足払いをかけてきた。

「し、しまっ……」

 防ぐ暇もなく、体が回転して倒される瑠衣。そこにすかさず追い打ちの下段突きがくる。全力で体を回転させて、瑠衣はその万千華の突きをかわす。

「わー、よけられちったー。おっしぃー」


 ……いや。

 その言葉とは裏腹に、何故か万千華の下段突きは途中で止まっていた。もしも、足払いで転ばされた瑠衣が逃げなかったとしても、さっきの突きは瑠衣の体に当たることはなさそうだった。


「はあ……はあ……はあ……」

 とはいえ、ピンチだったことは間違いない。万千華と距離をとりつつ、改めて警戒心を高める瑠衣。

(あ、危なかった……。今は、アホなこと考えてる場合じゃなかった……。そ、それよりも……そうじゃなくて……)

 頭の中で、さっき考えていたことの続き……過去にマリーに言われた言葉を思い出す。


 …………この戦いは、淑女とメイドの『絆の強さを試される戦い』なのよ。互いのパートナーと協力して、その実力を最大限まで発揮することができれば、どんな相手にだって負けることはないわ…………


(そうだ……。そう……なんだよね)

 瑠衣は、小さく頷く。

(私は、一人で戦っているわけじゃないんだった。だってこの戦いは、『淑女とメイドの絆の戦い』なんだから! 私とマリー様が、一緒に戦ってるんだから!)

 彼女の視線は、今もしっかりと万千華を捉えている。

 しかしその意識は、目が届かない観覧席の方向にいるはずのマリーに向けられていた。その方向から、きっとマリーたち・・が自分のことを見ていてくれているという確信を持っていた。

 そして……その確信がある限り、彼女はどんな相手にだって負ける気はしないのだった。


「マンちゃん!」

 瑠衣は万千華を指差し、高らかに宣言……しようとする。

「わ、私は、優しいからね! だ、だから、最後に教えてあげるよ!」

「お、おー? 急に、なになにー?」

「あらゆる能力で私よりも優れているマンちゃんが、どうしてこれから負けることになるのか……あ、あなたの、敗因は……」

 だが、慣れていない行動に指先が震えて、声はうわずってしまう。それでも、今の彼女にはもう迷いや不安はない。これから言おうとしている言葉に、絶対的に自信をもっていた。

 さらに、彼女の背後の観覧席から、「「ふふ……」」という二人の微笑が聞こえてきたことで、その気持ちは更に後押しされた。


 今度は本当に自信に満ちた声で、瑠衣は続けた。

「あなたの敗因は、たった一つ! 『自分のお嬢様を、マリー様に変身させてしまったこと』だよ! この『淑女とメイドの戦い』において、自分のパートナーはたった一人の自分の味方……なのに、自分のお嬢様をマリー様にしちゃったら、それって自分の味方を私の味方にしちゃうってことだから! 私の味方が二人になって、二対二のタッグマッチが、三対一になっちゃうってことだからっ! 応援してくれる味方が二人もいる私なら、格上のはずのマンちゃんにだって、余裕で勝てちゃうんだよっ!」

 そして彼女は前を向いたまま、今度は後ろの二人に向かって言った。

「マリー様たち! 何かにつかまってください!」

「ん?」

 瑠衣の言葉の意味が良くわからない万千華は、キョトンとして首をかしげている。

 しかし、それを言われたマリーたちには迷いはなかった。

「瑠衣、貴女ときたら……」

「まったく……退屈しないわね」

 やれやれ、という表情で観覧席から立ち上がると、二人とも素早く動く。そして、周囲の丈夫そうな柱に向かって駆けていった。


「うあぁぁぁぁーっ!」

 ほとんど同時くらいに瑠衣は、自分の右の拳を高く上げ、絶叫とともに振り下ろした。万千華までの距離は十メートル近くあり、明らかにその拳の射程距離外だ。だが、瑠衣は持てる限りの力を込めて、その拳を床面に向かって・・・・・・・振り下ろしていた。

「ちょっ、マジぃっ⁉」

 ようやく彼女のやろうとしていることに気づいた万千華が驚愕の表情を作るが、これだけ距離があっては、もはやどうすることも出来ない。

 ドガァァーン!

 そしてついに瑠衣の拳が屋上の床を撃ちつけて、轟音とともに大きな穴が開くほどにそれをえぐった。


(マンちゃん……あなたはさっきからずっと、この屋上の『床』への攻撃を避けてたよね? 手加減しない、なんて言いながら、倒れた私への下段突きはいつも途中で止めてた。それは、マリー様の能力で強化された手が床にあたったら、それが簡単に壊れてしまうから……そんなことをしたら、自分や私はもちろん、ご主人様の二人のマリー様まで危険にさらすことになるから。完璧なメイドらしく、マリー様に気を遣ってくれていたんだよね? でも悪いけど……ウチのお嬢様って、そんなにヤワじゃないんだよねっ!)


 瑠衣の拳が床面に開けた大穴は、拳の大きさを超えてどんどん大きくなっていく。床がなくなれば当然、足場を失ったその場の人間たちは落ちることになる。

 しかし、瑠衣に言われていたおかげで直前に柱に掴まる事ができたマリーたちは、何とか無事だった。

「あわわっ⁉」

 瑠衣も慌てて左手・・を伸ばし、かろうじて、崩れずに残っていた床の一部につかまって、落下から逃れる事ができた。


 しかし、両手をグローブ代わりのヌイグルミで覆われていた万千華では、どこかに掴まることは出来ない。

「ちょっ⁉ ヤッバ⁉」

 それでも器用な彼女は、落下しながら体を回転させ、オーラで覆われた足でヌイグルミグローブを蹴り飛ばし、外す。そして、瑠衣のように素手になった手を伸ばして、落下の途中で近くにあった何かの配管の一部を掴んだ。

「ふぅー……ギリギリセーフっ」

 しかし、

「……へ?」

 その配管につかまった手は、『極上の使用人メイド・イン・ヘブン』のオーラによって強化されている。全力で殴れば、コンクリートの壁をらくらく破壊出来てしまうほどのエネルギーをまとっている。そんな力で掴めば、普通の配管なんて簡単に壊れてしまうに決まっている。

 掴んでいた配管をポキリと折りとってしまって、万千華はまた落下していった。

「う、うっそーっ⁉」


 それからも、どうにかすれば掴まれそうなところはいくつかあったが、両手両足をオーラで包まれている今の万千華では、結局同じことだ。瑠衣のように右手だけでなく両手両足を強化されていたからこそ……瑠衣よりも優れている彼女だったからこそ……今の万千華には、どこかに掴まったりすることは出来ない。ただ落ちていくしかない。

 瑠衣によって、そんな状況に追い込まれていたのだ。

「ルイルイ、やっるぅー……」

 そのことに気づいた彼女は無駄なあがきをするのを諦め、あとはもう、重力にまかせて落ちていった。




(あーあ、負けちったかー……)

 落ちながら、万千華は考えていた。

(でも……実は最初から、こうなるような気もしてたんだよねー。あーしじゃあ、ルイルイには勝てないんじゃないかなー、って……)

 万千華の頭の中に、瑠衣たちと最初に会ったときに、チャオインが巨大ゴムボールで転がってきたときのことが蘇る。

(あのときルイルイ……わざと・・・ホタルンの入ったボールにぶつかったよね……。マリー様からもらった力を使えば多分、ホタルンのボールを止めて、自分たちにぶつからないようにすることは出来た。でもそれだと、強化された右手で、うっかりホタルンのことを怪我させてしまうかもしれない。だから、あえて何もしないで、あのボールを体で受け止めることを選んだんだよね……? そんなことしたら自分だけじゃなく、近くにいたマリー様にもホタルンのボールがぶつかってしまうって分かってたはずなのに……)

 万千華は目を閉じて、微笑む。

(マリー様なら、自分のその意図を理解してくれる。そんで、そんな選択をした自分を許してくれる。あの一瞬でそう考えて、わざとホタルンにぶつかった。それって……それだけマリー様とルイルイの間に、強い絆があるってことじゃん……。ちょっとやそっとのことじゃあ自分たちの絆は壊れないって、最初から分かってたってことじゃん……。それじゃあ……あーしの考えた「ホタルンをマリー様に変身させる」なんて作戦で、勝てるわけないよね……)


「…………ホタルン、ごめんね」


 そして彼女は最後に、下の階にあった大量のゴムボールが入ったボールプールの中に落下して、その衝撃で気絶してしまった。

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